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リヨンの十六日。
「慣れないな」
こう、堅苦しい服は。
首までボタンを留めるなんて何年ぶりだ。
「何言ってるんだよ」
「正装なんて、卒業式以来だ」
「ほら、ネクタイ」
「…やって」
カミーユにネクタイを渡す。
「なんでできないんだよ」
言いながら、カミーユが俺の首にネクタイをつける。
「やったことないんだから仕方ないだろ」
「研究所に所属してれば、式典の度につけなきゃいけないぞ」
この先、錬金術研究所にも、魔法研究所にも所属することはないだろう。
「ほらよ」
「ありがとう。…そういえば、アリシアは研究所に来るって?」
「今は政変の真っ只中だから、もう少し落ち着いたら考えるってさ」
「そうか」
「ポリシアちゃんは、式が終わったら旅に出るらしい」
「一人で?」
「あぁ。大陸を出るらしいぞ」
「どこに行くんだ」
「刀の国だって」
あいつは、何になりたいんだよ。
まぁ、自由を手に入れたってことか。
「終わったらパッセの店で二次会だ」
「二次会って。まだ昼過ぎなのに」
「飲んで騒いでたら、すぐに陽なんて暮れるだろ。お前とリリーシアちゃんはゲストなんだから、着替えるなよ」
「嫌だよ。なんで堅苦しい恰好をしていかなきゃいけないんだ」
「お前、自分の立場分かってるのか?」
カミーユがそう言ったところで、扉が開いて、マリーが入ってくる。
「ちょっと!リリー知らない?」
「え?」
「居ないのか?」
「もう!この大切な日に迷子なんて!探すの手伝って!」
『リリーの馬鹿』
「式はもう始まるんだぞ?…エルはここで待ってろよ」
「なんで?」
「お前までいなくなったら困るだろ!マリー、リリーシアちゃんの着替えは済んでるのか?」
「終わってるわ。後はこれを…、エル、持ってて」
マリーがティアラを俺に渡す。
「あぁ」
「ティアラを取りに行ってる間に居なくなっちゃったの!」
ばたばたと、カミーユとマリーが出て行く。
「イリス、リリーの居場所分かるか?」
『ボク、リリーの傍に居れば良かったね…』
わからないのか。
『あたしたちも探してこようかぁ?』
『あの様子じゃ、チャペルには居なさそうだな』
『ほかの精霊にも聞いてみようよー』
「顕現しても構わないから、頼む」
『もう、ここまで方向音痴って、あり得ないわ!』
『どこ探したら良いかなぁ』
『手分けしよう』
窓を開くと、精霊たちが飛び立つ。
「誰も、探せない場所か」
まさかとは思うけど。
『ボクも探しに行くよ』
「いや、イリスは傍に居てくれ。リリーが呼び出したら、少し間をおいて俺が呼び出すから。リリーにその場から離れるなって言ってくれれば、俺が迎えに行く」
『そっか。…あぁ、もう。どこ行ったんだよ』
「心当たりが、ないわけじゃない」
『え?どこ?』
行ってみるか。
部屋を出て、廊下を歩く。
「エル、リリー見つかった?」
廊下の奥から、ポリシアが走ってくる。
「いや」
「もー!何やってるのよリリー」
そして、走り去る。
『エル、どこに行くの?』
「このチャペルの構造、わからないからな。…この辺かな」
扉を開いた先に、螺旋階段がある。
『ここ、どこに繋がってるの?』
「外」
『外?』
螺旋階段を上っていくと、途中で靴が落ちている。
『本当に、この上に居そうだね』
靴を拾って、更に上へ。
明るい光が差し込む出口へ出る。
長い白いベールと、アンピールラインの白い柔らかなドレス。
「リリー」
リリーが振り返る。
「エル」
高いところでまとめた髪。
幾筋かの黒い髪は結わずに落としているが、白い首や肩がくっきりと見える。
胸元には雫の形をした青い石。
両耳には、マーメイドの涙と呼ばれる真珠が揺らめいている。
そして、輝く黒い瞳。
どこまでも高潔で美しい。
触れることなんてできないぐらい、完璧で。
だめだな。
やっぱり、言葉になんてできない。
綺麗だよって言ったら、またからかってるって言われるかな。
「忘れ物」
跪いて、靴を差し出す。
「どうぞ、お姫様」
「あ…」
リリーがドレスの裾を上げて、靴に足を通す。
「ありがとう」
サンドリヨンの物語。
ガラスの靴を履いて、幸せになるんだったな。
「みんな、探し回ってるぞ」
「え?」
「ほら」
リリーの居る場所は、チャペルの一番上。鐘のある場所だ。
下を眺めると、見知った顔が走っているのが見える。
「みんな、私を探してたの?」
『リリー、探されてる自覚なかったの?』
「だって、みんな外に居るから、まだ大丈夫だと思って」
「何を見てたんだ?」
「ほら、あそこがエルの家。向こうがパッセさんのお店でしょ?上から見たら、迷子にならない」
「今、充分迷子になってるだろ」
「ごめんなさい」
リリーにティアラをつける。
「…だめ。やっぱり言おう」
「え?」
「リリー、綺麗だよ。俺の知ってるどんな花よりも、宝石よりも。もう、誰にも渡したくない。俺だけのものにして良い?」
「あ、あの…」
「からかってないよ。からかったことなんて一度もない。リリー。この輝く黒い瞳で、俺だけを見つめて」
リリーの頬に触れて、キスをする。
赤く染まる首へ、肩へ。
「エル、」
「愛してる」
親指に指輪を嵌めた、右手の甲をとって、口づける。
「死んじゃう」
「え?」
「心臓が、ドキドキし過ぎて、死んじゃう」
「死なないで」
「だって、すごく嬉しいの…、これ以上、何も言わないで」
可愛い。
リリーを抱きしめる。
「何度でも言うよ」
「だめ、死んじゃう」
あぁ、可愛い。
『発見!』
『みんな、こっちだ』
『何やってんだよー、二人とも』
『最初からチャペルに居るんじゃない!』
「…みんなも、探してくれてたの?」
『相変わらずマイペースだな』
「ごめんなさい」
『あんまり綺麗だからってぇ、式の前に脱がしちゃだめよぉ?』
「…しないよ。リリー、降りよう」
「うん。…あ、」
リリーを抱きかかえる。
「また靴を落としたら探すのが大変だろ?」
「うん」
本当に。なんて可愛いお姫様なんだ。
螺旋階段を下りて、聖堂へ。
「見事に、誰もいないな」
『リリーが見つかるまでは、式どころじゃないからねぇ』
「じゃあ、誰もいない内に式を挙げるか」
「え?」
『何言ってるんだよ。牧師も、証人もいない結婚式なんて聞いたことがないぞ』
「証人ならいっぱいいるじゃないか。ほら」
精霊たちを強制的に顕現させる。
『え?』
『私たち?』
「ユール、牧師をやれ」
『ふふふ。しょうがないなぁ。ほら、指輪頂戴?アンジュとイリスちゃんが持っててよぅ』
指輪を外して、アンジュに渡す。リリーも指輪を外して、イリスへ。
『では』
コホン、とユールが咳払いをする。
『この結婚に異議がある方は、挙手してください』
『異議なし』
『同じく』
『ないわ』
『ないよー』
『では、これより婚姻の儀を執り行います。精霊と月の女神へ、これから語る言葉に偽りのないことを誓いますか』
「はい」
「はい」
『新郎、エルロック。あなたは、その魂のすべてをリリーシアに捧げることを誓いますか』
「え?」
「はい、誓います」
「あの、」
『では、新婦、リリーシア。あなたは、その魂のすべてをエルロックに捧げることを誓いますか』
「はい、誓います」
『では、エルロック。あなたは誓いを永遠とするために、彼女に指輪を与えますか』
「はい」
『リリーシア、あなたは誓いを守る為に、彼から指輪を受け取りますか』
「はい」
『では、指輪を交換してください』
イリスから受け取った指輪を、リリーの左薬指に嵌める。
今度は、リリーがアンジュから受け取った指輪を、俺の薬指に。
『それでは、真実の愛の証明を』
「リリー、愛してる」
「エル。私も、愛してる」
リリーの唇に、口づける。
そして、唇を離した瞬間。
チャペルに鐘が鳴り響く。
「え?」
同時に、上から花が降ってくる。
『おめでとう』
『僕らも祝福しよう』
『素敵な二人に』
花の妖精じゃないか。
「ありがとう」
「ありがとう。…それにしても、すごい音だな」
多重に音が聞こえるのは、チャペルの中に居るせいか?
『だってぇ、ここだけじゃないものぉ』
「ここだけじゃない?」
『王都中の鐘を、鳴らしてるのよぉ?』
『精霊たちに手伝ってもらったの』
『お祭り好きは、人間だけじゃない』
『おめでとう、エル』
『おめでとう、リリー』
『みんな外で待ってるぞ』
リリーの手を取って、外に出る。
「あ!リリー!何やってるのよ」
「えっと…」
「式を挙げてたんだよ。誰もいないから」
「何言ってるのよ。牧師も証人もいない式なんて聞いたことがないわ。ほら、ここでいいからやるわよ」
牧師も証人も居たんだけどな。
「牧師を連れて来たぞ」
「花嫁が見つかったんですか?」
「いいから、すぐ式をやって」
「わかりました。それでは、この結婚に異議のある方は申し出てください―」
「面倒だな」
もう一回やり直すのか。
「おい、エル。リリーシアちゃんの為にもちゃんとやれよ」
もう、誓いは終わったんだ。
リリーの肩を抱く。
「全員聞け。リリーは俺のものだ、奪いたい奴はかかってこい」
「何、馬鹿なこと言ってるのよ」
「お前に喧嘩売れる奴が居たら見てみたいよ」
「相変わらず滅茶苦茶な奴だ」
「異議なし、だな」
「リリー、もう離れることはないよ。リリーに俺を捧げる」
「はい」
「リリーも俺に、自分を捧げてくれる?」
「はい」
リリーが笑う。
それだけで、幸せだ。
「以上だ。結婚式は終わり」
「指輪の交換はどうした」
「もうつけてる」
リリーの左の手を左で取って、掲げる。
「じゃあ、誓いのキスをしろ」
「こんな、聴衆の面前で?」
一体、チャペルの前に何人いるんだよ。
ここに居るのなんて、知ってる顔だけじゃないぞ。
冗談じゃない。
「その絶妙な良識はどこから来るのかしらね」
「エル、新郎新婦が愛の証明をしないと式は終わらないぞ」
「そうだぜ。早くしろ」
あぁ。結託しやがって。
「エル、好きだよ」
リリーが俺の頬に手を触れて、キスをする。
周りからは、拍手。
「エル、顔が赤い」
「リリーには、敵わないな」
その頬に、キスをする。
「リリー」
リリーが、キャロルから受け取ったドライフラワーの束を高く投げると、辺りにドライフラワーが舞う。
リリーに花言葉と共に捧げた、愛の言葉。
アヤメ
チューリップ
エンゼルランプ
アングレカム
ペチュニア
レンゲソウ
クチナシ
スターチス
ファレノプシス
ショウブ
ストック
ナズナ
そして、サンザシ
「おめでとう、エル、リリー」
「おめでとう」
「おめでとう」
「…ありがとう」
道が開く。
リリーの手を取って、人と人の間を歩いて行く。
歩くたびに花が舞う。
こんなに幸せな気持ちになれる日が来たのも。
自分の運命を変えられたのも。
全部、リリーのおかげ。
「リリー、ありがとう」




