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立夏。
夏が始まるというのに、グラシアルは涼しい。
グラシアル大街道に入って宿場町で一泊し、北上してバンクスへ。
「いらっしゃいませ。…あら、お一人ですか?」
「俺のこと、覚えてるのか」
「えぇ。あんなにワインを飲む方も珍しいですから」
メイドがくすくすと笑う。
「雨だったからな」
「今日も飲んで行かれるんですか?」
「今日は晴れてる。飲まないよ」
「お連れの方は?」
「留守番だ」
宿泊帳に名前を書く。
「ご結婚されたんですね」
「…あぁ、指輪で気づいたのか。そうだよ」
「おめでとうございます」
「国外でも言われると思わなかったな」
「お祝い事はどこでも嬉しいものですよ。お部屋にご案内いたしますね」
リリーと旅をした道程が、そのままグラシアル王都への一番の近道であり、カミーユたちと落ち合う場所になった。
妙な符号だ。
もう一度、同じ場所を通ることになるなんて。
あの時、雨で、リリーとワインを飲んだんだ。
リリーは一杯しか飲まなかったけれど。
ユールには散々なこと言われて…。
あれ?
「ユール」
『なぁに?』
「お前、あの時、なんで、リリーが俺にとって大切にな人になったらまずいって言ったんだ?」
『エル、鈍感だからぁ』
『自分の気持ちにも鈍感だもんねー』
「え?」
『教えてあげようと、思ったのよぅ。エルが、わかってないからぁ』
「俺は、あの時、リリーを好きだったなんて記憶にないぞ」
『エル。一般に恋人がするようなことを想像してみろ』
『むしろ、エルとリリーが恋人じゃなかったってことにびっくしたわ』
バンクスではキスしそうになったけど。
ポルトペスタでも襲いそうになったけど。
でも、それはリリーが無防備すぎたからだ。
『恋人と夜の船に乗るなんてロマンチックよね』
『船の上で痴話げんかしてたけどねぇ』
『リリーにドレス着せたのだって、エルが見たかっただけじゃないのー?』
『アユノトで、リリーに抱き着かれて固まっていたな』
『あれ、エルらしくなかったよねぇ』
「なんで」
『だってぇ、いつもだったら適当にあしらっちゃうじゃなぁい?』
確かに。いくら寝ぼけていたからって、抱き着かれるようなこと、させるわけがない。
『エル、最初から、リリーにはガードが緩かったよねぇ』
全然、気づかなかった。
なんでだ。
え?そんなに前から、俺はリリーが好きだったのか?
『あたしが気づいたのはぁ、もっとずっと前だけどねぇ』
「いつだよ」
『リリーと初めて手を繋いだ時ぃ』
「手を繋いだ時?」
『エルが、知らない人と手を繋いで歩くの、初めて見たからぁ。びっくりしちゃったぁ』
「いつだ」
『ナ・イ・ショ』
覚えてないぞ、全然。
ポルトペスタでは、手を繋いでたと思うんだけど。
もっと、前に?




