59
王都・南大門。
「おかえりなさい、エルロックさん」
「ただいま」
「その方は?」
「リリーの姉だ」
「お姉さんを迎えに行っていたんですか」
「迎え?」
迎えに行ってたわけじゃないんだけど。
「これ、どうぞ」
そう言って、兵士が花を差し出す。ドライフラワーだ。
「花?」
「俺も、どうぞ」
南大門の兵士が集まってきて、花を腕の中に押し込んで行く。
「何?そういう風習があるの?」
「外国の方だからご存じないんですね」
「おい、まだ内緒なんじゃないか?」
「すぐにわかりますよ」
どういうことだ?
「花のプレゼントなんて素敵じゃない。早くリリーに会いに行きましょ」
「エル、帰って来たの?はい、どうぞ」
「お帰り」
「いやぁ、めでたいな」
「いつにするか決めたのか?」
「ちゃんと大事にしろよ」
「おめでとう」
「祝福するよ」
…何が?
道行く人が、何故か花を腕に押し込んでいく。
「なんだか、お祝いムードね」
『エル、何かのお祭り?』
「トーロの十八に祭りなんて、聞いたことないぞ」
「お兄ちゃん、どうぞ」
「あたしも」
「あぁ、どうも?」
俺が知らない間にできた祭り?なわけないよな?
家に辿り着くまでには、花は腕いっぱいになっていた。
「エルの家って薬屋なの?」
「そうだよ」
店の扉を開ける、と。
「なんだ、これは」
見渡す限り、天上にドライフラワーが飾られている。
「おかえり、エル」
「おかえりなさい!」
走って来たキャロルの頭を撫でる。
「うちはいつからポプリ屋になったんだ」
「しょうがないよ。みんなが置いて行くんだから」
「なんで?」
「そっちのお姉さんは?」
「リリーの姉だ」
「ポリシアよ。よろしくね」
「ルイス、キャロル、リリーは?」
「出かけてるよ」
「そうか」
カウンターにドライフラワーの束を置く。
「もう、飾るところがなくなっちゃうわ」
「なんの騒ぎなんだよ、これは」
「あ、エルは知らないんだもんね。エルは、」
ルイスがキャロルの口を塞ぐ。
「エル、裁判所から召喚状が届いてる」
「は?」
裁判所?
「早く行った方が良いよ」
「何かしたの?」
「してないよ」
召喚状を開く。
そこには、王都に帰還次第、すぐに裁判所に来るように書かれている。
「これだけか?」
「うん」
「内容が全くない」
「さぁ。なんだろうね。心配ならシャルロを連れて行きなよ。頼んであるから」
「全く身に覚えがないぞ」
裁判所から召喚状が来るケース…。
犯罪者として?それなら門番が暢気に俺を通すわけがない。
何かの証人?それなら何の事件か内容が書いてあるはずだ。
それ以外…?召喚だけ求められるケースなんて聞いたことがない。
「ポリシアさんは、どうする?」
「私はここでリリーを待つわ」
「待つって、いつまで?」
「夕方までには帰るでしょ?」
「どうかな?」
「え?ここに住んでるんじゃないの?」
「リリーシアは砂漠に出かけてるんだ。マリーと、サンドリヨンと」
夢で言ってたな。
っていうか、まだ帰ってないのかよ。
「だから、いつ戻るかわからない」
「何しに行ったんだ?」
「リリーシアからの伝言は、裁判所の件が終わってから。守備隊に捕まらない内に、早く行きなよ」
裁判所の召喚命令は絶対だ。
犯罪者じゃないから捕まりはしないけれど、守備隊に会えば早く行けと言われるかもしれない。
「ポリシア、ここで待ってろ。ルイス、キャロル、まかせたぞ」
「しょうがないわね」
「まかせてー」
召喚状の紙を持って、シャルロの家まで走る。
何人かから声をかけられたような気がするけど、構ってる暇はない。
「カーリー、シャルロ居るか」
「エルロック様。…今、呼んで参りますね。あ、」
カーリーが振り返って、立ち止まる。
「シャルロ様。エルロック様がお見えです」
「帰ったのか、エル。…水でも飲むか?」
「要らない」
呼吸ならすぐに整えられる。
「これ、どういうことだ」
裁判所の召喚状をシャルロに渡す。
「カーリー、あれを」
「少々お待ちください」
カーリーが走って行く。
「見ないのかよ」
召喚状の中身。
「見る必要はない」
「お待たせいたしました」
戻ってきたカーリーから書類を受け取ると、シャルロは外に向かって歩き出す。
「行くぞ」
「俺は何にもしてないぞ」
「心配するな。お前の返答次第では平和的に解決する。ついて来い」
なんだよ、それ?
シャルロに続いて、外に出る。
「いってらっしゃいませ」
「シャルロ。何の呼び出しか知ってるのか?」
「ルイスは何か言っていたか?」
「何も」
「リリーシアが今どこに居るか知っているか」
「砂漠だろ?」
「どうやって行ったと思う」
「どうやって?砂漠行きの通行手形を発行してもらえばいいだけだろ」
「やっぱり、お前も知らなかったんだな」
「何を?」
「リリーシア・イリス。上級市民」
「あぁ」
「グラシアル王都に、イリス家という貴族は存在しない。…正確には、ラングリオンで確認していない、と言うべきか」
「あ…」
確かに。存在しないだろう。あれは、リリーの精霊の名前なんだから。
「ラングリオンは貴族階級を守る為に、オービュミル大陸のすべての貴族の情報を持っている。その中に、グラシアル王都のイリス家はなかった」
「でも、リリーの身分証は、本物だ」
「そうだ。グラシアルの身分証に使われるホログラムは、世界最高峰。偽造なんて不可能だ。だから、グラシアル側に確認を取れば問題ない。グラシアル側も、おそらく存在を認めるだろう」
そうだろうけど。
「だが、一つ問題がある。確認に一月かかるんだ」
「だろうな」
グラシアルは遠い。しかも重要文書の運搬だ。時間がかかるだろう。
「それで、マリーとリリーシアは俺を頼って来たんだよ。砂漠に行く方法を教えてくれって」
「え?」
後、砂漠に行く方法って言えば、市民証を手に入れることだろ?
あれ?
「裁判所に着いたぞ」
シャルロに続いて、裁判所に入る。
嫌な予感がするんだけど。
「シャルロさん」
「連れて来たぞ」
「エルロックさん。良かった。申請から一カ月近く経ってますからね。早く署名をお願いします」
裁判所の係員が、書類を出す。
「シャルロ、これは、なんだ」
「婚姻届だ」
「なんで、」
「外国人がラングリオンの市民証を得る、一番手っ取り早い方法だ」
「なんで、裁判所にあるんだ」
「訴えたからだ。婚約関係にあることを証明する書類ならリリーシアが集めてきたぞ」
「リリーが?」
「あぁ。俺は忙しかったからな。リリーシアとカーリーが証言を集めて来たんだよ」
そう言って、シャルロが書類を俺に渡す。
「リリーシアはエルが不在でも、裁判所に訴えれば婚姻を成立できる」
「外国人が裁判所に訴えるには、最低でも半年以上の居住履歴が必要だ」
「リリーシアは上流階級だからな。マリーの家に、作法見習いとして半年間居たんだよ」
明らかな嘘じゃないか。
「それに、グラシアルの成人の年齢は十八歳。オービュミル条約により、リリーシアはラングリオンでも成人とみなされる。…他に聞きたいことは?ないなら署名しろ」
「待てよ、」
「署名せずに、リリーシアと争うのか?」
「争う?」
「お前、訴えられてるんだからな。俺はリリーシアの弁護に回る。絶対に勝たせないぞ」
なんだよ、それ。
「ほかにも方法はいくらでもあっただろ。マリーの作法見習いで滞在してるなら、その線で手形の発行もできたはずだ」
シャルロが笑う。
「残念だったな。俺はお前を困らせるのが好きなんだ」
「俺は困らないぞ」
「なら、署名をしろ」
なんで。
まだ何も言ってないのに。
「これって、今しなくちゃいけないのか」
リリー。
なんで。
「すでに一か月近くも書類が宙に浮いているので、これ以上は…」
リリーの名前の隣に、署名をする。
「書類はこちらから役所に届けておきますね。受理の日付は明日になりますよ。エルロックさん、おめでとうございます」
「結婚おめでとう、エル。…ほら、喜べよ」
「最悪だ」
「祝い事じゃないか」
こんな形で。リリーも居ないのに。
なんで。
「リリーは、何て言ってたんだ」
「それは、本人に聞くことだ」
「置いて行くんじゃなかった」
「後悔なんて、らしくないな」
「順番が滅茶苦茶だ」
「たとえ無理をしてでも、お前が不在の間に砂漠に行く用事があったようだぞ」
「なんで、砂漠に行くんだ」
ルイスは、マリーとサンドリヨンと行った、って言ってたな。
サンドリヨンってエイダだろ。わざわざ顕現して?マリーの前だから?
「サンドリヨンは、どうやって砂漠に行ったんだ」
「サンドリヨン?あいつはポラリスの傭兵だろう。ポラリスが手形ぐらい用意するんじゃないか?」
「リリーもポラリスに頼めば良かったのに」
「あの占い師が、他人のために働くわけないだろ」
確かに。
あぁ。カミーユが王都に居たら、止めてくれたかもしれない。
いや。あいつ、面白がってシャルロに協力するだろうな。もしかして、マリーも?
ルイスに法律の勉強でもさせておくんだった。
「シャルロ。家に来い」
「俺は忙しいんだぞ」
「引き取ってもらいたいものがある」
「なんだ。また古文書でも手に入れて来たのか?」
「それよりもっとおもしろい奴だ」
あれをシャルロに押し付けよう。
「またもらってきたの、エル」
両手にいっぱいのドライフラワーをカウンターに置く。
「しょうがないだろ」
ラングリオンの伝統なのだ。
結婚した二人に祝福の気持ちを込めてドライフラワーを贈る。
ドライフラワーは、枯れることなく花の色を永遠に止めることから、ずっと一緒に居られるように、という思いを込めて。
花を送った相手が幸せになると、送った側にも幸せが舞い込むとされているため、知らない相手にまで花を贈る習慣があるのだ。
「こんにちは、シャルロ。エルは署名して来たんだね?」
「あぁ」
「おめでとう、エル」
「おめでとう!」
「…何の話しよ?」
「エルはリリーシアと結婚したんだ」
「は?待って、恋人じゃなかったの?」
「今さっきまで、そうだったよ」
なんで、こんなことになったんだ。
「何?良くわからないんだけど。ラングリオンでは、結婚って本人が居なくてもできるの?」
「その辺は、こいつに聞け」
「誰?」
「エルの友達の、シャルロ。…こっちは、リリーシアのお姉さんのポリシアだよ」
「シャルロ。こいつを持って帰れ」
「は?」
「え?」
「やかましくて仕方ない。家に客間はないんだ。リリーが帰ってくるまで預かってくれ」
「ちょっ、」
「構わないが。姉ってことは女王の娘なんだろ?」
「そうだよ。しかも生粋の女王の娘だ。せいぜい襲われないように気をつけろ」
「ちょっと、エル。私はここで待つわよ」
「言っただろ。客間はないんだ。シャルロのところで面倒見てもらえ」
「じゃあ、俺は忙しいから行くぞ。…ポリシアだったな。ついて来い」
「もー!本当に勝手なんだから!」
そう言って、ポリシアはシャルロの後に続いて店を出た。
「エル、カミーユは一緒じゃないの?」
「あいつは別行動だ」
「そうなんだ。…また、引きこもる?」
「リリーの伝言は?」
「はい。手紙と発注書」
「もう発注書がたまってるのかよ」
すぐにできるかな。
「一か月も家を空ければ溜まるよ」
なんとか、一日で終わらせよう。
「キャロル、何か軽いもの作って」
「え?いいけど、食べるの?」
「あぁ」
「わかったわ」
ええと。これとこれは、すぐできるかな…。
研究室に入る。
「メラニー、ユール、ナターシャ。顕現してくれ」
『了解』
『はぁい』
『まかせて』
「ユール。これ、作れるだろ」
『良いわよぉ。メラニー、ナターシャ、手伝ってぇ』
『何するの?』
『ユールの指示に従おう』
『わかったわ』
必要な材料を机に並べて、瓶の蓋を開いておく。
俺は、こっちのをやるか。…手が足りないな。
「ジオ、バニラ、アンジュも出てきてくれ」
『えー。オイラも手伝うの?』
『私は細かい作業は苦手だ』
『僕も…』
「アンジュ、これに火をつけて。ジオは、この薬かき混ぜて。バニラ、これ持ってて」
で、これを…。
『なんでそんなに急いでるのさー?』
「一日で仕上げる」
『本気なのぉ?』
『無理だ。三日はかかる』
「明日にここを出る」
『えっ』
『ナターシャ、集中しろ』
『ごめんなさい。…エル、どうして?』
「説明は後。ジオ、その辺でいいよ。今度はこっちの。沸騰したら教えてくれ」
『エル、気を付けてねぇ?混ざったら危ないよぉ』
「わかってる」
「これと…。バニラ、ジャスミンを取ってくれ」
『了解』
「潰せるか?」
『粉にするのか?』
「そうだ。…あぁ。それでいい。アンジュ、火力をあげて」
『これぐらい?』
「もう少し」
『んー』
「それでいいよ」
『エル、できたわよぉ』
「こっちの薬を全部、瓶に移しておいてくれ」
『メラニー、ナターシャ、お願いねぇ。…次は、どれやるのぉ?』
「んー…」
発注書を眺める。
『これ、やっちゃおうよぅ』
「面倒だぞ」
『バニラに手伝ってもらえば良いわぁ』
「あぁ、そっか」
ノックの音が二回。
扉まで行って、戸を開く。
「キャロル」
「作ったわよ」
キャロルからサンドイッチを受け取る。
「美味そうだな」
「夕飯も食べるの?」
「あぁ。できたら呼んでくれ」
「うん!」
左手でサンドイッチをつまみながら、作業に戻る。
『おい、エル。食べるか、作業するかどっちかにしろよ。だらしないぞ』
イリス。
「この液体を色が変わるまで入れるんだ。一滴の違いで成分が変わる」
『しょうがないわね。私がやっておいてあげるわ』
『ナターシャは器用だもんねぇ』
『ほら、エル。座れよ』
フラスコをナターシャに渡して、ソファーに座る。
みんな器用だな。
※
あぁ。眠たい…。
六人の精霊を顕現させ続けるのも、結構魔力を消費するな。
『エル、リリーの手紙、いつ読むんだよ』
「今、読むよ」
『忘れてただろ?』
「忘れてないよ。…少し、気が乗らないだけで」
『なんで?』
「なんで、砂漠に行ったのかな」
『さぁ?書いてあるんじゃない?』
砂漠は俺の故郷だ。そして、エイダと契約した場所。
あまり良い思い出はない。
ベッドの脇の、サイドテーブルのランプを灯す。
サイドテーブルには、シャルロからもらった書類と、リリーの手紙。
それから…。
「あれ…」
なんだ、この手紙。
これもリリーからの手紙?
サイドテーブルに、封の開いた封筒が置いてある。
そのまま手紙を出して、手紙を開く。
「え…」
『また、懐かしい文字だねぇ』
『…これは』
これは。
この手紙が、どうしてここに。
結局、読まずに封をしたまま、書斎にしまっていたはずなのに。
懐かしい文字。
懐かしい言葉。
頭に、懐かしい声が響く。
「フラーダリー」
いつも俺のことを考えてくれていた人。
俺が愛したせいで死ぬことになったのに。
それでも、俺のことを想ってくれていた。
…あぁ、その言葉が、今、身に染みる。
『お前が最後まで読まなかった手紙か』
封を開けなかった手紙。
『リリー、見つけちゃったんだねぇ』
『エル。リリーは、お前の過去を知っている』
「は?」
『そうだねー』
知ってるって。
知ってるってどういうことだよ?
何を知ってるっていうんだ。
「ちょっと、待て。なんでお前らがそんなこと知ってるんだよ」
『エルが言わないんだから、しょうがないだろー?』
話したのか?
『散々リリーのこと詮索しておいてぇ、自分のことは詮索して欲しくなかったのぉ?』
「それは、」
『情けないなー、エル』
『ふふふ。あたしたちぃ、リリーの味方なのよぅ?』
だって。俺の過去なんて知ってどうする。
ろくなことがないのに。
だから、砂漠へ行ったのか?
「なんでだ…」
俺の過去なんて知ってどうする。
リリーの手紙を開く。
エルへ。
おかえりなさい、エル。
エルが帰るまでに、帰れなくてごめんなさい。
私は、マリーとエイダ(顕現してる時はサンドリヨンだね)と一緒に、砂漠へ行きます。
目的地は、クロライーナと封印の棺。
私は、クロライーナにエルを取り返しに行く。
クロライーナがエルの故郷ってことは、マリーから聞いたの。
精霊戦争の話しも。
エルは、お墓を作ったんだよね?
きっと、またお墓に名前を刻んでるよね?
私は、その名前を消しに行ってくる。
エルは一度も死んでないよ。
ずっと生きてる。
私は、エルが生きてることが嬉しい。
だから、エルを取り返しに行ってくるね。
もう一つは、封印の棺。
銀の棺が本当の話しなんて知らなかった。
サンドリヨンの本当の話しも、マリーに教えてもらったよ。
本当はエイダのことだったんだね。
私は、砂漠に置かれた棺を見たい。
そして、エルの代わりに、封印の棺にエイダが残した記憶を取りに行くね。
エルは、エイダの記憶探しをしていたんだよね?
グラシアルに来たのもその為だって、エイダに聞いたの。
そして、エイダが記憶を初めから棺に置いて来たってことも。
エイダが置いてきた記憶ってなんだろう。
エルはわかる?
それから。
勝手に婚姻届を作ってごめんなさい。
エルが拒否すれば無効になるってシャルロさんが言ってたから、大丈夫だよね?
そうしないと砂漠に行けなかったの。
時間がなかったのもあるけれど、砂漠に行くのを妨害されている気がして。
窓口の人が、グラシアルで確認が取れても、イリス家の当主が私を砂漠に行く許可を出さなければ、手形を発行できないって言っていたから。
それ聞いた時に、きっと、許可を出してくれないって思ったの。
そもそも、私に上級市民なんて身分を付けたのが変だよね?
自由に旅をするなら、一般市民の方が適しているよ。
わざわざ上級市民なんて階級にしたのは、ラングリオンで引っかかるからじゃないかな?
考え過ぎかな。
エルなら、わかる?
エル。
会いたいよ。
勝手なことばかりしてごめんなさい。
すぐ帰るから、待っていてね。
リリーシア
『ふふふ。リリー、騙されてるねぇ』
リリーの馬鹿。
裁判を起こして、簡単に無効にできるわけないだろ。
「でも、確かに…。リリスは封印の棺の情報を隠してる。サンドリヨンの物語を改変して拡散したのも、リリスなんだろうな」
それならリリーの勘は当たっている。
おそらく、グラシアル側は、砂漠への旅を許可しないだろう。
『文字が読めるって便利よね』
『ナターシャも勉強したらぁ』
『意思疎通なんて、言葉があれば十分じゃない』
『恋愛小説が読めるわよぉ?』
『読まないくても良いわ。人間の物語なんて、赤ん坊の近くに居れば、母親が話してくれるじゃない』
…そうなんだろうな。
『書物の方が、面白いわよぉ』
リリー。
婚姻届に名前書いたのって、砂漠に行きたいから、だけなのか?
どうせ無効になるから気にしてないのか?
『どおしたのぉ?エル』
「明日、出発しないと。発注書の薬を全部作り終わったら」
冒険者ギルドで、グラシアル行きの船の時間を調べないと。
『リリーを待たないの?』
「待たない」
『おい、何しに王都に来たんだ』
「帰って来なければ良かった」
そうしたら、署名の時期を伸ばせたのに。
『何言ってるんだよ』
「リリーの考えてることがわからない」
『え?』
「俺が署名したら、どうなるかわかってるのに」
『あれか?婚姻届』
「署名しないことを前提に話されても、困る」
『いいじゃないか。気持ちは通じあってるんだから。紙一枚の話しだろ』
「リリーに結婚の意思がないだろ」
『ないなら婚姻届なんて書かないだろ』
「あれは、市民証を手に入れる手段だ」
『じゃあ、プロポーズすればいいじゃないか』
「リリーの問題が片付いてないのに、そんなことできない」
『だから、先にリリスを殺しに行くって言うのか?』
「そうだよ」
今のままじゃ、リリーになんて言えば良いかわからない。
まだ何も言えないのに、書面上は結婚してるなんて。
『わかったよ。お前の気持ちは。リリーを置いて行くことに反対しない』
「ありがとう、イリス」
『こればっかりは、リリーの自業自得だからね』
それに。指輪だって、まだ作ってないのに。
バニラがくれた金剛石を出す。
「ユール、これ、加工できるか?」
『無理よぅ。こんな硬いのぉ』
『それは純度の高い金剛石だ。人間の職人じゃなければ加工できない』
「職人か…。グラン・リューなら知ってるかな」
どうせグラシアルに行くんだから、訪ねてみよう。
っていうか。
会ってから一緒に居たのは一月しかないのに。
離れている期間の方が長くなってしまう。
危険な目に合ってないよな?
『エル、こっちの書類は見ないのか?』
「あぁ…」
シャルロが集めた書類だっけ?
一体どんな書類を集めたんだよ。
サジテイルの七日からコンセルの十六日まで、リリーシア・イリスが、オルロワール家に作法見習いとして居住していたことを証明する書類を添えます。
「どうやったら、リリーが去年ここにいたなんて話を作れるんだよ」
明らかな嘘だ。
マリーの奴…。
リリーシアが、イリス家の馬車を離れて、迷子になっているところを拾ったのがエルだった。
二人は一目で恋に落ち、二人はしばらく一緒に旅をしていた。
エルはリリーシアが高貴な身分だと知ったから、愛する人を離したくなくて、王都に連れてこなかった。
それでも、リリーシアはオルロワール家に行かなければならなかったから、作法見習いの期間が過ぎたら駆け落ちをする約束をして、エルはリリーシアを王都に連れて来た。
なんだ、その話し?
全部、ねつ造だ。
作法見習いの期限が過ぎた頃、エルとリリーシアの関係を知ったイリス家の人間は、二人を引き離すために、エルに難しい依頼を出してエルを王都から遠ざけ、エルのいない間にリリーシアを連れて帰ってしまう。
エルはリリーシアと極秘に手紙のやり取りをして、計画を立てた。
そして、ヴェルソにグラシアルに向かって旅立ち、リリーシアを王都に連れ帰ることに成功した。
二人はすぐにでも結婚する意志があった。
確かに、俺がグラシアルに向けて王都を出たのはヴェルソだよ。
誰だ。これ考えた奴。
エルはリリーシアとの決闘で負けたから、彼女に勝てるようになったら求婚すると言って、旅に出た。
王都に着いてすぐ結婚していれば良かったものを。
置いて行かれたリリーシアが不憫だな。
あぁ、くそ。
勝手なことを言いやがって。
『ふふふ。面白いねぇ』
『なんて書いてあるの?』
『エルとリリーの出会いのお話よぅ』
『そういえば、私、二人がいつ出会ったのか知らないわ』
『ナターシャは、リリーと会った後だからな』
まだ、続きがあるのか?この書類。
ページをめくる。
おめでとう。エル。
結婚おめでとう。
幸せにする相手が見つかって良かったね。
心から愛した人を大切にしてあげて。
あなたに愛される人は幸せだ。
おめでとう。
祝福する。
幸せにしてやれよ。
良い子に出会えたな。
素敵な人に出会えて良かった。
エル、おめでとう。
喜びで溢れた家庭を。
幸せになれよ。
素晴らしい未来を。
末永くお幸せに。
…どこまでも、祝福の言葉が羅列されている。
見覚えのある、たくさんの筆跡で。
これ…。
何やってるんだ。みんな。
何で。
何でこんなこと。
あぁ、本当に。馬鹿ばっかり。
これ、全部。リリーが集めたのか?
『エル、具合悪いの?』
『大丈夫か?』
「…あぁ、平気だ」
『ふふふ。照れてるだけよねぇ?』
『照れてる?』
『みんなにも、読んであげるねぇ』
あ~あ。
結束しやがって。
俺が何したって言うんだよ。
『エルってさ、しょっちゅう誰かに嵌められてるわけ?』
「はぁ?」
『だって、ルイスにだって嵌められてたじゃないか』
それって、媚薬のことか?
「なんでイリスが知ってるんだよ」
『ボクはずっとリリーの側に居るんだぞ。知ってるに決まってるだろ』
「リリーは、」
『リリーみたいに騙されやすい子が気付くわけないだろ』
「…だよな」
だいたい。
知ってたら俺に飲ませるわけがない。
『エル、お手紙書こうよぉ』
「手紙?」
『お・へ・ん・じ』
「書くことなんてないよ。グラシアルにリリス退治に行くなんて、書けないだろ」
わざわざ怒らせるようなこと。
『お前、ポリシアを置いてくんだろ?』
「あいつの目的はリリーに会うことだ。連れて行くわけがない」
『だったらばれるだろ』
「それなら、余計に書く必要なんてない」
『あるわよぉ』
『人間は、言葉にしないと何もわからない』
『このままじゃ、リリーがかわいそうよ』
「かわいそう?」
『リリーのことだからぁ、落ち込むわよぉ?』
『何も連絡しなくちゃ、怒って居なくなったんだって思われるわよ』
「俺は、怒ってなんか」
怒ってなんかいないけど。
リリーが俺に手紙を書いたのは、勝手に居なくなれば俺が心配するからだろう。
だから、自分が砂漠に行くこと、その理由を知らせてくれたんだ。
「何を書けばいいのかわからない」
『伝えたいことを書けばいいじゃない』
「だから、グラシアルに行く理由なんて書けないだろ。…何も言えないから、すぐに王都を出ようと思ってるのに」
『何も伝言を残さないのもまずいよねぇ?』
何を、書けばいいんだ。
でも、今書かないと、きっと書く暇がない。
ランプとリリーの手紙を持って、机に向かう。
『悩んでるねぇ』
『珍しい光景だねー』
『そんなに難解な問題か』
『文字が読めれば良かったわ』
『できたら読み上げてあげるわよぅ』
「ユール。やめろ」
『ふふふ。ごめんね、ナターシャ』
「あぁ、もう」
書きかけた紙を丸めて燃やす。
『養成所でも見なかった光景だな』
「集中できない。お喋りするなら向こうに行ってろ」
『はぁい』
言葉に大した意味はない。
本当の気持ちを伝えられる言葉なんて、この世に存在しないから。
なのに、言葉を使わなきゃ伝わらない。
言葉を選べば、その一割ぐらいは伝わるから。
本当に面倒だ。
…無理。
『エル?どこ行くのよ?』
「書斎」
『えっ。手紙書くのに、何が必要なのよ』
『辞書なんて必要か?』
「手紙はやめた」
『どういうこと?』
「ほかの方法を探す」
『ほかの方法?』




