48
トーロの七日。モーガの街まで戻ってきた。
「暇だなぁ」
外は雨。
嵐ぐらい激しければ良いのに。
この降り方が一番嫌いだ。
明日の朝には晴れていればいいけれど。
「何本目だ、それ」
カミーユがワインを持ってくる。
「一本目だよ」
「のんびり飲んでるじゃないか」
「明日も早い」
「雨の中歩くのは嫌だな」
「嫌なら残れ。俺は行くぞ」
「はいはい。ついて行けばいいんだろ」
カミーユが、俺のグラスにワインを注ぐ。
本当に。
嫌な雨で。
思い出す。
あの、光景。
「雨だったんだ」
「ん?」
「砂漠で、雨が降った。クロライーナが消えた日」
「クロライーナって、お前の故郷か」
「知ってるんじゃないか」
「わかるよ。養成所の研修旅行で、お前は絶対行かないって逃げただろ」
「そんなの、いつものことだ」
「そうだな。お前はいつも勝手だから。…でも、あの時に限って、教師は怒らなかった。だから、おかしいと思ってシャルロと調べたんだ」
「で。知ったのか。クロライーナを消したのが俺だって」
「違うだろ」
「同じだ」
「クロライーナが消えたのは、精霊戦争があったからだ」
「原因は?」
「どの精霊も語らないから、謎のままだ」
真実を知っている精霊なんて、わずかしかいないだろう。
そして、おそらく語らないんだ。
みんな、優しいから。
「オアシス都市、クロライーナ。多くの遊牧民族と交流を持つ、水源の街。非戦闘区域に定められていて、平和な場所だった」
「戦争前の話しか」
「父はオアシスの水源を守る、水源管理人の一人。砂漠を歩く旅人の水先案内人でもあった。母は、ある遊牧民族の娘だったらしい。父は無理を言って彼女をオアシスに止め、結婚したんだ。…でも、母は俺を生んだせいで死んだ。俺の魔力が強すぎて、その魔力に当てられたらしい」
「そんなことって、あるのか?」
「精霊から教えてもらった。現実には、出産時の出血多量が原因になってる。父は母を殺した俺を許さず、俺はずっと乳母に育てられた。乳母も俺を気味悪がっていたな。…俺は、物心ついた時には人間と話さなかった。精霊がずっとぞばに居て、話しかけてくれていたから。人と話す必要なんてなかったんだ」
懐かしいな。
その名も、顔も。記憶から薄れてしまった。
「精霊が家族って、そういうことか」
「そうだよ」
言葉を教えたのも、歴史や地理を教えたのも、オアシスの文化を教えたのも、自然と感応する方法―人間にとっては魔力を集める方法を教えてくれたのも、精霊。
「俺が五歳ぐらいの時。俺が精霊と話せることに気付いた大人たちの態度が、豹変した。クロライーナには、魔法使いの素質を持った人間は久しく生まれていなかったから。大人たちは精霊の奇跡を求め、俺と一緒に居た精霊たちは、俺の為に、それに応えた」
「契約していない状態で、精霊が無償でお前の言うことを聞いたって言うのか?」
「そうだ」
「そりゃあ、重宝されただろうな」
「知らなかったんだ。それがどういう意味なのか。…今でも、どうして精霊たちが俺に力を貸してくれたのかわからないけれど」
「何故」
「九歳の時、父が再婚した。再婚した母は、俺を人間として愛そうとしてくれた。それにつられて、父も。俺を子供として見てくれるようになった。新しい母は間もなく身ごもり、…弟か、妹かもわからないその子供が生まれれば、俺は、ようやく父と母を、家族を…」
望んだから。
「出産の日が近づいていた、ある日。俺と仲の良かった炎の精霊が、俺に契約を求めた」
人の姿をした、力の強い精霊。
「俺は、契約の方法を知らなかった。精霊は俺の瞳を求め、俺は断った。…断ったら、街に災害が起こった。俺は、精霊に問いただし、災害をやめるように頼んで、瞳を渡す約束をした」
―どうして。どうしてこんなことするんだ。
―エルがわかってくれないからだ。
―やめてくれ。なんでもするから。
―じゃあ、瞳を。その瞳をくれるって言うなら、やめても良い。
―あぁ、望むなら、お前になんでもくれてやる。
―本当に?
―だから、炎を…。
―約束だよ。この炎が全部消えたら、契約してくれるって。
―わかった。約束する。だから、クロライーナを…。
―いつものように、救えば良いんだろ?
「でも。街に災害をもたらした原因が俺だと知った街の人間は、俺を、オアシスの外れにある塔に閉じ込めたんだ」
内側からは絶対に開かない。
暗い、暗い塔の中。
「炎の精霊は俺を求めて怒り、他の精霊たちは、炎の精霊を止めるため、そして、俺を守る為に戦った。いくつもの精霊の悲鳴が聞こえたよ。精霊が、その断末魔に発する声は…」
「エル。もういい」
頭に響いて、鳴りやまない音。耳を塞いでいても聞こえてくる声。
「俺は気を失ったんだ。誰かが眠らせたのかもしれない。気が付いたのは、二日後。塔を開いたのは、たまたま街を離れていたクロライーナの住人だった」
扉が開いて、そこで見た光景は。
「外は。暗くて。何百年も人なんて住んでなかったような廃墟があるだけだった。オアシスは干上がり、精霊も人間も、何もいなかった。だから、俺は、もう聞くことができない。何故、みんなが俺と一緒に居て、俺の願いを聞いてくれたのか」
そこは、自分が何百年も閉じ込められていたのかと思うほど、変わり果てていて。残骸が、そこが街であったという面影を残すだけ。
父も。新しい母も。これから生まれてくる弟か妹も。精霊も。精霊の声を聴ける俺を、頼ってくれる人も。
何もかも、なかった。
「外に出て、初めて雨が降ってるって気づいた。雨が自分に降り注ぐ感覚があるのに、雨の音が聞こえない。…言葉も出なかった。誰の声も、音も聞こえなくなってた」
「そういえば、養成所に来たばっかりの時、お前は喋れなかったな」
おそらく、カミーユしか知らなかったことだけど。
「耳も聞こえなかったのか?」
「ラングリオンに行った時は、音を聞くことはできたよ。だからお前を殴ったんじゃないか」
養成所に中途入学して、三日目。カミーユに言われたのだ。
―お前、女みたいな顔してるな。
反射的に、殴って。そのまま殴り合いの喧嘩になった。
「そうだったな」
「後は、お前も知ってる通り。俺の力を知ったラングリオンの連中が俺を王都に連れて行きたがった。拒否し続けたけど、結局、フラーダリーについて行ったな」
「一目惚れか?」
「違うよ。フラーダリーだってしょっちゅう来てた。クロライーナは世界でも稀な精霊同士が争った場所。王都の研究者や魔法使いが何人も訪れていた。俺はクロライーナまでの案内役だったんだぜ。あそこには誰も行きたがらなかったから」
「なら、どうしてフラーダリーについて行ったんだ」
「耳が聞こえるようになったし。フラーダリーは、すべて捨てれば、やり直せるって言ってくれたから。希望をやるからついて来いって」
「何の解決にもならないのに?」
「あの時、俺は九つだぞ」
「あぁ、そうだったな。だから、すべて捨てて来たのか」
「そうだよ。だからずっと、故郷のことを話す気はなかった」
「なんで今は話す気になったんだ?」
「…なんでだろうな」
グラスに入ったワインを飲み干す。そのグラスに、カミーユがワインを注ぐ。
今日は、全然進まない。
「面白かったぜ、お前の故郷の話し。お前は精霊まで惚れさせるんだな」
「惚れさせるってなんだ。精霊は、もともと人間が好きなんだよ。俺が愛されたのは、あそこに居る精霊たちが、人間と話したがっていたからだ」
「精霊が人間を好きだって?そんなわけないだろ。お前だから、精霊は力を貸したんだよ。…お前は死ぬほど鈍感だからな。そんな風に思ってたら、相手は報われないぞ」
返す、言葉が出ない。
リリーの気持ちに全然気づかなかったから。
「飲めよ」
カミーユの空いたグラスに、ワインを注ぐ。
「そういえば、アリシアから聞いたか?」
「城の人間を転移させるって話しか?」
「あぁ」
俺がリリスを引きつけている間に、アリシアがやりたいこと。
それは、転移の魔法陣を使って、城の人間をすべて外に出すこと。
紅のローブが禁止しているのは部外者を中に入れることで、中の人間を外に出すことに制約はないらしい。
考えてみれば、魔法使いは出入り自由なんだから当たり前なんだけど。
ただし、次期女王候補者だけは、次の女王が決まるまでは、許可を得なければ自由に外に出られない。
転移の魔法陣で、城の人間を外に出すことに制度上は問題ないが、リリスに見つかって、転移の魔法陣の起動をやめるように言われれば、誰も逆らえない。
だから、リリスの気を引く必要があるのだ。
城の中の人間を外に出すとどうなるのか。
女王の娘と市民の女性は氷の精霊と契約している。だから、精霊を通して魔力を女王に捧げ続けることことになるだろう。それが氷の精霊の役目だから。
しかし、それ以外の市民と王位継承権保持者は自由になると考えられる。
魔法使いはわからない。リリスに誓約しているから。
血の魔法印を手放せばリリスへ誓約も破棄される可能性があるが、誰も試していないのでどうなるかわからない。
それでも。
転移の魔法陣を起動することのできる城の魔法使いたちと王位継承権保持者は、アリシアに協力するという。
みんな、終わらせたいんだ。
「俺も、手伝うことにしたんだ」
「手伝う?」
「そうだ。転移の魔法陣なんて、錬金術師の夢だろ」
「そうだな。人間を地点移動させるなんて、理論上不可能とされてきたことだ」
「俺はアリシアから勉強したいんだよ。だから、グラシアルへまっすぐ行く」
「そうか」
もともとアリシアは、城の中に居たころから転移の魔法陣について研究していたらしい。
転移の魔法陣とは、女王の魔力の入口と出口を繋いだもの、その目印で、人間が転移をできるのはすべて女王の力によるものらしい。
女王の魔力によって転移する時、人間の肉体は限りなく、顕現していない精霊の状態に近づくという。
時間にすれば一瞬の出来事なので、肉体への影響はないが。
簡単に言えば、女王の魔力に当てられて、瞬間的に精霊になるのだ。下手をすれば亜精霊になる気がするけど。
魔法使いは転移の魔法陣の上に乗って、行き先までの道を確認する。
入るのは、女王の魔力の入口から。
ルート上に誰も居なければ、魔法陣を起動させて、別の魔法陣へ行ける。
移動には魔力を使うが、人一人分を移動させるのに使う魔力は、せいぜい氷の刃を一つ出す程度らしい。
出るのは、必ず女王の魔力の出口。入口からなら、どの出口へも出られるということだ。
ただし、城の外に出て良い魔法陣は一つ。
魔法使いは、リリスに誓約して、必ずそこから出るように決められている。魔法使いの出入りはリリスによって監視されているのだろう。
だから、城の中の人間を移動させた後、魔法使いたちは決められた出口から出る。その対象とならない、王位継承権保持者が市民と共に先に外に出る予定だ。
そして、アリシアは…。
一度、城に帰還すれば、次期女王候補者となるアリシアは、次の女王が決まるまで、自由に城の外に出ることはできない。出るには、紅のローブの許可が必要なのだ。
紅のローブから許可をもらえば良いと言っていたが、それが上手く行くとは思えない。
タイミングとしては、魔法使いたちと共に外に出ると言っていたが、城の外に出ればイーシャのように魔力を奪われる可能性がある。
アリシアは笑って、俺がリリスを倒せばいいだけの話しだと言っていたけれど。
「でも、転移の魔法陣を学んだところで、実用化できるか?」
転移が成功するのは、女王の魔力のおかげだ。
「それを考えるのが錬金術師の仕事だろ。魔法を使えない人間でも奇跡を起こせるようにするのが錬金術師だ」
そんなの、錬金術師という職業の建前じゃないか。
「お前も手伝えよ。王都の研究所に来い。そうすれば研究がはかどるのに」
「面倒だな」
「興味はあるだろ?」
「あるけど。俺の本業は薬屋だ」
「何が本業、だ。ちっとも王都に居ないくせに」
「いいだろ。どこへ行こうと俺の勝手だ」
「自分勝手なのは今に始まったことじゃないけどな」
言いたい放題言いやがって。
「それこそ、アリシアを口説いて王都の研究所に連れて行けば良いじゃないか」
「おぉ。珍しくまともな意見だな」
アリシアは、ディラッシュのニヨルド港近くの古城を借りて、自分の魔力を使って転移の魔法陣の実験をし、成功させている。ただし、アリシアの魔法陣は、アリシアにしか使えないものらしい。他人が転移の魔法陣を使うには、もっと大きくて安定した魔力の道が必要だという。
「でも、アリシアを落とすのは難しそうだな。どっから攻めればいいんだ」
「研究に付き合えって言えば良いじゃないか。あいつはそういうの好きだろ」
「女性を口説くのに色気も何もないな」
「誰が口説けって言った」
「言っただろ」
「そういう意味じゃない」
「まぁ、今はアリシアの手伝いが先だからな。落とすのはその後じっくりやるか」
グラシアルは女王の魔力が行き渡っている為、城の外にもいくつか魔力の出口がある。
ポルトペスタにもあるという話しだから、俺を殺そうとした魔法使い、ソニアは、転移の魔法陣を使って来たのだろう。
っていうか、出口しかないってことは、あいつらはあの後、徒歩で帰ったのか?
そしてもう一つ。オペクァエル山脈に、リリーの教育係の為に作られた魔力の入口と出口がある。
アリシアに言われるまで気が付かなかったけれど、アリシアと教育係は、あの時、一歩もその場を動かなかったらしい。
その足元に、魔力の入口があったから。
だからアリシアは魔法陣を描いて入口に入り、出口に設定されている、オペクァエル山脈の登山口に移動したのだ。教育係もまた、同じように脱出したんだろう。
アリシアは、城の人間の移動先として、その出口を利用すると言っていた。
そもそも、城の中にある街は女王が魔力を吸収する場所で、入口に違いないから。
入口である城の中の街と、出口の場所に巨大な魔法陣を描き、転移させる。
大がかりなので、かなり魔力を使うことになるらしいが。
「アリシアの計画、上手く行くといいな」
理論上は、上手く行く。
ただ、何が起こるかわからない。
使うのは女王の魔力なのだ。女王が魔力の入口と出口を遮断すれば、失敗するのは確実。
「上手く行くといいな、って。他人事だな」
「俺にとってはどうでもいいことだ」
「アリシアは、城の中に人間が居るってことを公表したくないんだよ。わかるだろ?」
誰も入ることのできない城から大勢の人間が出てきたら、混乱は避けられない。
しかも、壁を挟んで同じ土地に住み続けているのに、一般常識は伝わらないし、使っている通貨も違うのだ。
女王の娘を見ていたら、すぐに王都の人間になじむとは考えられないし、色々な憶測を生むことになるだろう。
「エル。お前がやろうとしてることって、国を一つ滅ぼすことだからな」
「グラシアルは滅びないよ。女王が居なくなるだけだ。政治をやっているのは女王ではなく、王都の人間。しかも選挙で選ばれた人間だ。しばらくは混乱が続くだろうけど、すぐに取り戻せる」
「内紛がおこるぞ。女王の力を失えば、何のためにその傘下に入ったのかわからない」
「いつの時代の話しだ。もう、グラシアルは一つの国として十分まとまってる」
「周りの国が戦争を仕掛けるぞ」
「周辺の国とは、同盟や不可侵条約を結んでる。戦争を起こすには大義名分が必要だ。それに、龍氷の魔女部隊が消えるわけじゃないし、グラシアルの魔法の研究はトップクラスだ。そう簡単に陥落するわけないだろ」
「…なんだよ。最初から、そこまで考えてたのか?」
「女王は、グラシアルの国民にとって神だ。だから、女王は何もしない。国を作るのは人間の役目。グラシアルは、思ってた以上にしっかりした国だっていうのが、グラシアルに行った俺の感想だ。…簡単に沈むような国なら、ここまで発展してない」
「随分、評価が高いんだな」
「頑張ってもらわなきゃ困るだろ。俺は国をつぶしに行くわけじゃない」
「そうだな。…まだ、飲むか?」
あぁ。ようやく空になったのか。
外を見ると、雨が止んでる。
「いや。もういいよ」
早く、リリーに会いたい。




