30
「ガラハド。ちょっと耳を貸せ。もしも俺が…」
審判を買って出てくれたガラハドに耳打ちする。
「あぁ。わかった。けど、良いのか?」
「良いんだよ。っていうか、なんだ、この野次馬は」
「はっはっはっ。お前もリリーシアも人気者だな」
訓練場の外周を埋め尽くす人だかり。
昼休みって指定したの、ガラハドじゃないだろうな?外野が多すぎる。
マリーにカミーユ、シャルロも来てるのか。研究所の連中もぞろぞろと。
あれ?ポラリスじゃないか。あいつが外に出てるなんて珍しい。
ユベール。お前は魔法部隊だろ。
「そうだ、エル。お前に良いものやるよ」
ガラハドが取り出したのは、一枚の羊皮紙。
魔法陣のような絵が赤いインクで書かれている。
「なんだ、これ?」
「俺が傭兵時代に、とある城に招かれたことがある。そこの姫さんの、剣の稽古の相手になれってな。そこには大剣を教えられる人間が居なかったそうだ」
大剣を扱う、姫?それって…。
「その城に入ってる間、肌身離さず持ってろって言われたものなんだよ」
「その姫って…」
「ラングリオンに来る前だから随分昔の話だ。姫さんは幼かったし覚えてないだろう。…けど、きっと、今頃美人になってるに違いないな」
ガラハドはにやりと笑う。
「なんで、俺に?」
「俺のお守りをやるって言ってるんだ。素直に受け取れ」
これがあれば、プレザーブ城に入れる?
「ありがとう、ガラハド」
ガラハドが少し驚いた顔をして、笑う。
「お前、変わったな」
「え?」
「いやぁ、あのちびっこが、強くなったもんだ」
いつから両手剣持ってたんだよ、リリー。
「エル、片手剣、これで良い?」
走って来たリリーが、俺に剣を見せる。
「あぁ。なんでも良いぜ」
「エルも、練習用の使うの?」
「当然だろ」
練習用の剣は刃が落とされていて、ほとんど打撃武器だ。
「また、折れたりしないかな」
「折れても、気を抜くなよ。その辺は、審判の判断が絶対だ」
「わかった」
「じゃあ、そろそろ始めてくれ」
訓練場の中央に並ぶ。
「負けないよ」
リリーが構える。
「かかってこい」
レイピアを構える。
「はじめっ!」
ガラハドの声と同時に、リリーが走り出す。
順当な一撃目。
レイピアで受けたところで、足元が動くのが見える。
飛び跳ねてリリーの蹴りをかわし、浮いたところに向かって繰り出される剣を、レイピアで突いてはじき、風の魔法で大きく飛ぶ。
追ってきたリリーは俺のレイピアをはじいて、俺に向かって剣を伸ばす。
すかさずレイピアのガードで剣先を受け止め、風の魔法で方向転換してリリーの左側に降りる。
歓声。
なんだ、今の動き。早すぎるだろ。…もう、片手剣に慣れたのか?
リリーが剣を振り上げ、鍔迫り合いになる。
剣に真空の魔法を込めて、リリーの剣を引く。
「!」
真空の魔法とは、そもそも吸収する魔法だ。
引かれて体勢を崩しかけたが、リリーは持ち直して剣で薙ぎ払う。
かわして、レイピアでリリーを狙う。
レイピアははじかれ、そのまま剣が振り下ろされた。
受け止めて、レイピアの剣先を下に向け、リリーの剣を足で蹴って、リリーをレイピアで薙ぎ払おうとする。が、リリーは剣の柄で受け止めて、押し返してくる。
二、三歩、風の魔法で飛んで離れる。
すかさずリリーが剣をまっすぐに突き刺しながら追う。レイピアでたたき落として、リリーの右手に避けると、そのまま鍔迫り合いになる。
「くっ」
力では圧倒的に負けてる。
闇の魔法で残像を作り、レイピアを上げて一歩下がり、一歩遅れて動くリリーを突き刺す。
リリーは攻撃を避けて、俺の左側へまわる。
レイピアを宙に浮かせて逆手に取ると、左側から放たれたリリーの一撃にレイピアを当てる。
危なかった。
リリーが、笑う。
「エル、かっこいい」
「何、言ってるんだよ」
数歩下がり、レイピアをいつも通りに持ち変える。
「すごく、楽しい」
まだまだ元気だな。こっちはいっぱいいっぱいなのに。
リリーが、今度は剣を下に構える。下から斬り上げる?いや、薙ぎ払うに違いない。
飛んで一撃をかわすと、リリーは体を一回転して、更に薙ぎ払う。
風の魔法で更に浮き、追ってきた剣をかわして、リリーの剣をレイピアで突く…、が、その攻撃はかわされた。
リリーの肩に手をついて、宙返りする。空中に向かって伸びた剣をレイピアで受け止めて、風の魔法で方向を変えてリリーの真右に着地。
耳元でささやく
「キスしても良い?」
「だ、だめ」
リリーが無理やり剣を振り上げる。
近距離過ぎて絶対に当たらないのに。
リリーと背中合わせに移動して、リリーの左にまわると、レイピアを振り上げる。
振り上げた先で、もう戻ってきたリリーの剣がレイピアとぶつかる。
「エルの、ばか!」
「あ」
鍔迫り合いになっていたレイピアが、砕ける。
リリーがよろける。
今、折れたレイピアでリリーに一撃を加えれば、勝ちだ。
……。
リリーが、俺に向かって片手剣を振り上げる。折れたレイピアでそれを受け止め、風の魔法で下がる。
「迷うな、リリー」
レイピアを左手で逆手に持つ。
リリーの懐に入って、折れたレイピアを振る。
リリーが剣で防御する。その剣を蹴りあげて、胴体を狙う。
リリーが回転しながら避け、回ってきた剣の胴体が、そのまま俺の腹部に当たって、吹き飛ばされる。
「エル!」
いってぇ。
あ~あ。
『馬鹿だなー、エル』
『ふふふ。残念だったねぇ』
魔法を使う気にもならない。
そのまま慣性に任せて飛んで、地面に落ちる。
「勝者、リリーシア!」
大きな歓声が響く。
そして、リリーが近づいてくる。
「どうして?」
「何が」
差出されたリリーの手を取って、起き上がる。
「どうして、負けたの?」
ガラハドに言ったこと。
もしも、俺が左手でレイピアを構えたら。俺の負けでいい。
「勝った奴の言うセリフじゃないぜ」
「でも。…わっ」
一気に人だかりができて、リリーが人に飲み込まれる。
「リリーシアさん!おめでとうございます!」
「やってくれると思ってました!」
「かっこよかったです!」
「いやぁ、見事に吹っ飛んだな」
そう言って、カミーユが俺の首に腕を回す。
「うるさいな」
「俺が言った通りだったろ?」
その通り。
攻撃できなかった。
リリーに、回避不能の一撃が入ると思った瞬間。
あれだけ、リリーに攻撃してたのに。
全部、リリーなら防ぐと思っていたんだ。
あの瞬間以外。
「負けちゃったわね、エル」
「順当な結果だな」
「マリー、シャルロ」
あれ?ポラリスは帰ったのか?
「どうしたの?」
「ポラリスが来てただろ」
「えぇ。見届けたいって言ってたわね」
「見届けたい?」
「リリーの占い結果が気になってたみたいよ」
「リリーの占い?」
俺の占いじゃなく?
「この前の既望の日に行ってきたのよ。リリーと」
既望の日?十六日って…。俺が昼寝して、リリーにセルメア行きを断られた日?
「昼休み終わっちゃうわ。急いで戻らないと。…またね、エル、リリー」
いつの間にか、リリーが傍に来ている。
「またね、マリー、シャルロさん、カミーユさん」
リリーが俺の腕を掴む。
「帰ろう、エル」
「そうだな。じゃあな、ガラハド、世話になったな」
「おぅ。またいつでも来い」
ガラハドと、三番隊の連中に手を振って別れる。
「ねぇ、どうして負けたの?」
「どうしてって、リリーが強かったからだろ」
「違う。私は、あの時油断してた」
「いつのことだ?」
「エルのレイピアが折れたとき」
「あぁ、そうなのか」
「ふざけないで。どうして?」
最初から、負けていたんだ。
「教えてほしいか」
「うん」
「好きだから」
体が動かなかった。
頭ではわかってたのに。
演習用の剣だってこと。俺から攻撃を受けたところで、リリーにとっては大したことないこと。
「エル、あの…」
「俺の、自業自得だ」
「そんなの、約束は無効だよ。やり直そう」
「無効じゃない。内容も、全部俺が決めたことだ。俺自身、できないなんて思わなかったんだから」
あの瞬間が来るまで。勝つつもりでいた。
「だから、セルメアには連れて行かない」
「エル…」
「リリーは王都で待っててくれ。なるべく早く帰るから」
「うん」
家に帰ると、ルイスが店番をしている。
「ただいま」
「ただいま、ルイス」
「おかえり、エル、リリー。…リリーが勝ったんだって?」
「情報が早いな」
「ポラリスが来たんだ」
そういえば、終わった後、姿を見なかったな。
「何しに来たんだ?」
「リリーシアに伝言。エルが出発したら店に来いって」
「そういえば、リリー。一緒に行きたくない理由って?」
「部屋で話すよ」
「そうだな。…ルイス、明日から出かけるから」
「うん。薬とか準備しておくよ。…それから、今日は僕とキャロルは出かけるから。戸締りちゃんとしてね」
「あぁ。わかった」
台所に寄って、マスカテル茶を淹れて部屋に戻る。
「ポラリスに、占いをしてもらったんだ」
「だろうな」
タイミングが、あからさま過ぎる。
マリーと占いに行った直後に断られるなんて。
「最初に占ってもらった時、ポラリスに言われたんだ。呪われてる人間は占えない、って」
「リリスの呪いのこと、言ったのか?」
リリーは首を横に振る。
「言ってない。でも、こうも言われたんだ。近いうちに解けるから、解けたらまた来るように、って。…それで、実際に呪いが解けた」
呪いがどうやったら解けるのか、知ってたのか?
いや。知らなくてもわかるんだろう。
「あいつは、気味が悪いほど色んなものが見えるからな」
おかげで、ポラリスの占い屋は客が殺到。午前中しか営業していない。
午後は、ポラリスが占いたい相手しか占わないのだ。
その気があるときだけ、裏口が開いている。
俺が行った時みたいに。
「それで、この前マリーと一緒に行った時、運命の岐路に居るって言われたんだ」
「運命の岐路?」
「うん。南に行ってはいけない、って」
「…つまり、セルメアには行くなって?」
「そう。行けば、すべてを失うって」
それは、怖いな。
「なんで言わなかったんだ?」
「…ポラリスが、エルは占いを信じないって言ってたから」
俺が信じなかったせいで、フラーダリーを…。
「私がエルに勝ったら、エルに伝えてほしいって頼まれていたことがある」
「ポラリスから?」
「うん。私が勝てば、私は、エルの運命を変えられるって」
運命を、変える?
「良いことなのか、悪いことなのかわからない。ポラリスは教えてくれなかったから」
ポラリスが、言ったのか?本当に?
本当に…。
「リリー」
だって。それは。
「うん?」
俺が、ずっと、望み続けていたこと。
「リリーは、俺の希望だよ。迷わないで。ずっと一緒に居て。俺が好きなのはリリーだけだし、俺はリリーから愛されたい」
「エル…?」
リリーの顔が赤くなる。
赤くなると、首まで赤くなるんだからな。
リリーの首に口づける。
リリーの匂いがする。
「エル、まだ、昼間だよ」
「だから?」
「明るいよ」
「そうだな」
「恥ずかしい」
「じゃあ、次に俺が何ていうか当ててみて」
リリーは驚いてこちらを見る。
「エルの、ばか」
リリーが俺の頭を撫でる。
「ねえ、エル。痛かった?」
「ん?」
「吹き飛ばされたとき」
「覚えてないな」
「魔法、使わなかったね」
「そうだったかな」
「そうだよ」
もう、色んなことをあきらめてて。
自分が絶対にリリーに勝てないってわかったから。
「また、一緒に戦ってくれる?」
「本気か?」
「うん。楽しかった」
戦うのが好きなのか。…好きじゃなきゃ、あんな大剣、扱おうと思わないか。
「気が向いたらな」
「ありがとう」
※
職人通りの反対側。マンダリン通りに、ベルベットというバーがある。
「エルロックか」
「あぁ。久しぶり」
カウンターの奥で、マスターがグラスを磨いている。リリーと一緒に、カウンター席に着く。
「腹減った。何かあるか?」
「うちに食べに来るのはお前ぐらいだよ…。賄いで良いな。お嬢さんも食べるかい?」
「はい」
マスターが奥の厨房へ入っていく。
「ここは?」
「バーだよ。酒を飲むところ」
「この前、マリーたちと集まったのとは、雰囲気が違うね」
「あそこは、居酒屋。酒をメインに提供する食事処」
奥から、マスターが戻ってくる。
白身魚とキャベツのブレゼ、トマトとハムのテリーヌに、ラビオリ。
「何にする?」
「カルヴァドス」
「良い選択だ」
マスターがグラスを出して、カルヴァドスを注ぐ。
「乾杯」
「乾杯」
リリーとグラスを合わせる。
「おいしい」
「リリーが好きそうだと思った」
「うん」
「菓子にも使ってみたら良い」
「あぁ。良いかもしれない」
店の扉が開いて、イブニングドレスを着た女性が入ってくる。
「あら、エル。お久しぶりね」
「キアラ。久しぶり」
「ちっとも来てくれないんだもの。寂しかったわ。今日は私の歌を聴きに来てくれたのよね?」
「あぁ。いつものやつ、頼むよ」
「まかせて。エルの為に歌うわ。…ふふふ。可愛い子猫ちゃん。この子が噂の恋人ね」
「取って食うなよ」
「あら。可愛い」
キアラは笑って、ピアノの方に向かう。
「綺麗な人だね」
「リリーの方が綺麗だよ」
頬に口づける。
「…もう」
「照れてる?」
リリーが顔をそらす。
心の底から思っているのに。
伝える言葉が思いつかない。
自分の気持ちを表現するのがこんなに難しいことだなんて考えもしなかった。
キアラが弾くピアノの音が店内に響く。
月の光。
好きな曲だ。
「エル、その子に負けたんじゃなかったのか?」
「良く知ってるな」
「王都中の噂だ」
「…みんな、暇人だな」
食べ終わった食器を下げ、マスターが辛口のマティーニを作る。
「お嬢さんは?」
「何か、甘い奴。あぁ、シュバリエにしようか」
イチゴのカクテル。甘いし、きっと好きだろう。
「シュバリエ?」
「カクテル。…知らないか」
グラシアルに住んでたのに、クアシスワインも知らなかったっけ。
「知らない。さっきのも?」
「あれは蒸留酒の一種。混ぜものじゃないよ」
マスターがシェーカーを振ってシュバリエを作り、グラスにイチゴを飾る。
「可愛い!」
どっちが?
好きだと思った。
リリーがシュバリエを一口、含む。
「うん。おいし…」
開いたリリーの口に、グラスに飾られたイチゴを放り込む。
あれ?これって、前にもやったような…。
あぁ、思い出した。初めて会った時。
タルトに乗ったイチゴを、こうやって口に入れたんだっけ。
「リリーシア。…リリーって呼んでも良い?」
あの時も、顔を真っ赤にしていたっけ。
「エル、覚えてたんだ」
「だってまだ、あれから一月ぐらいしか…」
あれ、確かリリーと会ったのって。
グラシアルの王都に到着したのが、先月の十七日だから、リリーと会ったのは十九日。
今日も、十九日。
「ちょうど、一月なのか」
「うん」
「気づいてたのか」
「うん。でも、会ってまだ一月な気がしないね」
「そうだな…」
リリーと出会ってから一月。あっという間な気もするし、すごく長い間一緒に居るような気もする。
「エルは、なんでも詳しいね」
「詳しい?」
「お酒は、ロマーノしか飲んだことがない」
「俺はここで働いてたんだよ」
養成所時代の避難場所だった。
カミーユたちも俺がここに居たとは知らないだろう。
「それに、ロマーノなんて飲んだことがない」
「そうなの?」
「手に入ったら飲みたいけどな。ロマーノワインっていうのはワインの最高峰で、その中でも、美しいピンク色をしたロマーノ・ベリル・ロゼっていうのは、幻のワインって呼ばれてるんだぞ」
「知らなかった」
「だろうな」
空いたマティーニのグラスをマスターに渡し、同じのをもらう。
「シュバリエは気に入ったか?」
「うん。でも、色んなの飲んでみたい」
「そうだな…」
何が良いかな。
「おすすめがあるよ」
ブランデーにカカオのリキュールとフレッシュクリーム、キュラソー。
それは、アルコールがきついんじゃ…。
シェイクして、マスターがリリーの前でグラスに注ぎ、オランジュピールを飾る。
「どうぞ。高貴な君、という名のカクテルだよ」
今の皇太子に捧げられたカクテル。
あいつはショコラが好きだから。
「おいしそう」
ピアノの音がやむ。
キアラがステージに立ち、別の女性がピアノを弾く。
店内も、随分人が増えてきた。
「今夜もお店に来てくれてありがとう。ゆっくり、疲れを癒していってね」
観客の拍手に合わせて、拍手する。
「今日は、ラプンツェルを歌うわね」
ラプンツェル。
籠の中の歌姫。美しい歌声を手に入れた代わりに、大地に足を着けると命を失う呪いをかけられた。
高い塔の上から降りることなく、地上に向かって、死ぬまで歌い続けるのだ。
ラプンツェルが語るのは世界の歌。
鳥瞰的な視点で、人々の営み、世界の移り変わりを歌う。
決して、その輪に入れないことを嘆きながら。
サビでは安定的な高い声が必要で、そうとな技量を必要とする歌だ。
キアラがピアノに合わせて、歌を歌う。
「綺麗な声」
「あぁ。キアラはここの歌姫だからな」
リリーの顔が赤い。
やっぱり、アルコールがきつかったんじゃ…。
「大丈夫か?リリー」
喋っている途中で、リリーが俺にキスをする。
リリーが咥えていたオランジュピールが、口の中に押し込まれた。
甘い。
…酔っぱらってるな。
「エル」
「なんだ?」
「私の運命はね、大きな崩壊」
「え?」
大きな崩壊。
あまり、良い意味じゃないな。
たぶん、リリーの本当の運命ではなく、ポラリスが今のリリーに合わせて、解釈したんだろうけど…。
「だから、エルの運命も壊すんだって」
リリーは、俺の運命を変えられる。
「エルの運命がどんなものでも、壊れたら、また新しくやり直せるかな?」
崩壊と、再生。
…考えてもみなかった。
「リリーは強いな」
「強いのは、エルだよ」
強かったことなんて、一度もない。
リリーが俺の手を取る。
「迷いを断ち切れたのも、自分の足で歩けるようになったのも、エルのおかげだよ」
「それは、」
俺がリリーを好きだから。
好きだから、強引に繋ぎとめた結果。
「俺の勝手な欲求だ」
「違うよ。私の希望」
リリーはそう言って、俺に口づける。
「私の呪いを解いてくれた」
「どうやって解いたかわからない」
「でも、エルのおかげってイリスが言っていた」
「おかげ、か」
そんなこと思ってないだろう?イリス。
呪いが解けることは、リリーにとってプラスじゃない。
「次は何にしようかな」
自分の唇を舌でなめながら、リリーは空いたグラスをくるくると回す。
もう、飲み終わった?
アレクはシュバリエよりも、相当アルコールがきついはずなのに。
グラスをカウンターの上に置く。
「ちょっと待ってろ。マスター借りるぜ」
カウンターの中に入る。
何を飲ませようかな。
二種のベルモット、リュビワインにオレンジ。
ステアしていると、リリーが立ち上がって、俺に眼鏡をかける。
「え?」
「似合う」
「これはリリーのだろ」
「いいの」
何が?
酔っぱらってるから?
グラスにオレンジを飾る。
「どうぞ、お姫様」
「これはなんていうの?」
「内緒」
魂の口づけ。
「ありがとう」
自分用に、ジンとライムをシェイクしてグラスに注ぐ。
「エル。マティーニを頼む」
「…俺は客だぞ」
「そう言うなって」
俺が作るやつは辛いんだけど。
ジンとベルモットを混ぜて、レモンをつぶし、オリーブを飾ってマスターに渡す。
「あら、エル。私にも作って頂戴」
歌い終わったキアラが、カウンターに座る。
「今日は客なんだ」
「良いじゃない。マティーニでいいわよ」
「ったく」
ジンにライム、それにミエルを加えてシェイクする。
「眼鏡なんてセクシーね。似合うじゃない」
「リリーのだよ」
レモンを飾って渡そうと手を伸ばしたところで、髪を引かれる。
「なんだよ」
「伸びたわね、髪」
「切ってないからな」
髪から手を離して、キアラはマティーニを一口飲む。
「雨の日になると、必ず迷い込んでくる子猫が居たの。もう、しばらく見てないわ。…少し寂しい」
「猫なんてそこら中に居る」
「くせ毛のかわいい子だったの」
「ちゃんとした飼い主を見つけたんだよ」
「ふふふ。可愛い飼い主ね」
「取って食うなよ」
「…ありがとう、ミエルを入れてくれて。ピアノを弾くわ。リクエストはある?」
「月の光を聞いたから、なんでもいいよ」
「そうね。可愛い恋人同士の曲を弾こうかしら」
どんな曲だよ。
リリーの前に戻ると、リリーがにっこり笑う。
酔っぱらってる自覚あるのかな。
「エル、乾杯」
「乾杯」
リリーが出したグラスに、自分のグラスを合わせる。
真っ赤だな。
でも、気分は凄く良さそうだ。
程なくして、ピアノの演奏が始まる。
曲は、愛の夢。
「愛することができる限り、ずっと愛す」
「え?」
「そういう名前の曲だよね?」
「あぁ…」
グラシアルでは、そう訳されているのだろう。
「愛することができる限り、ずっと愛すよ」
「あなたを愛することだけを考えて私は生きる」
もともと歌曲だったから。
詩がある。
「なかったな、こういうの」
リリーが空いたグラスを、くるくると回す。
「城の中?」
「うん。あそこには、何もないよ。寒さもないし、暑さもない。天気も変わらないし、季節もない」
一年中、温暖な気候?
「一度、城の屋根に上ったことがある」
「屋根?」
「次は何を作ってくれるの?」
リリーが上目遣いでグラスを掲げる。
もっと酔わせたらどうなるかな。
キルシュ、オレンジのリキュールに、ブランデー、レモン、グレナデン。
「桜の君」
スリジエ。
「もっとピンク色だったな」
「あの色は難しいな」
「ルイスが作った薬は、あんな色だったね」
あれは媚薬だ。
「味はこっちの方が好きだな」
え?
「飲んだのか?」
「うん。エルに渡す前に、一口もらったの」
「…馬鹿」
なんで飲むんだよ。
あれはリリーにも効く。
「でも、これも綺麗な色だね」
「で?屋根に上って?」
「うん。本当は、城の外の部分だからダメなんだけど。…空がね」
「空が?」
「どこまでも、続いていてびっくりした」
城の中の景色は、どんなものなのだろう。
街があっても、そこは壁に囲われた世界。
「夕日が沈む先には、何があるんだろうって。あの雲が流れていく先には、何があるんだろうって。私が知ってる世界はあまりにも狭くて、小さくて。どうしたら、知ることができるんだろうって」
まるで、ラプンツェルだな。
「死んでも、良かったんだ。外に出られたら」
「え?」
「でも、エルと出会って世界が変わった」
「リリー」
「エル、私はエルを…」
何かを言いかけて、リリーは首を傾げる。
「あぁ、なんか、エルがいっぱいいる?」
「飲み過ぎだ」
「うん…?」
水を持ってカウンターから出て、リリーの隣に座る。
「そろそろ出よう。水、飲めるか?」
「うん」
リリーが水を一気に飲む。
銀貨を二枚カウンターに置く。
「もう帰るのか?」
「あぁ」
「じゃあ、これをサービスしてやる」
マスターがカクテルを差し出す。
「せっかく女連れで来てるんだからな」
「エル、それは?」
通称“置けないグラス”。
もらったカクテルを口に含んで、空いたグラスをそのまま返す。
そしてリリーに口づけ、流し込む。
「ん…」
夜の口づけ、という名前のカクテル。
「甘いな」
半分ぐらいは自分で飲んだと思うけど。
「くらくらする…」
歩けるかな。
「帰ろう」
「うん」
リリーを連れて店を出る。
甘い酒は悪酔いしやすい。
外に出ると、リリーが腕を広げて、空を見上げ、くるくると回る。
あぁ、それ。オペクァエル山脈でも見たな。
踊るように回っているけど、酔っぱらっているせいでふらふらしてる。
「あ、」
そのまま転びそうになるリリーを、慌てて抱き止める。
にっこりとほほ笑む上機嫌なリリーを、抱きかかえる。
「見て、綺麗だよ」
リリーが空を指さす。
リリーの輝く黒い瞳に、星が映る。
「綺麗だな」
リリーが俺の首に腕を回し、口づける。
甘いアルコールの匂い。
「リリー、前が見えない」
リリーが耳にキスをする。
「エル。いっぱいキスしたい」
可愛い。
「もう少し、我慢して」
「できない」
自分で言ってること、わかってるのかな。
リリーの口を塞ぐ。
あぁ、本当に。
可愛い。
そんなに求められたら、やめられない。
このままじゃ、いつまでたっても帰れないな。
「もっと」
風の魔法と真空の魔法でロープを編み、リリーに巻きつける。
「あ…。意地悪」
リリーが頬を膨らませる。
本当に、可愛いんだから。
「帰ったらいっぱいするよ」
「待てない」
こういうの、初めてだ。
「我儘だな」
もっと、言って。
「明日、行かないで」
「行くよ」
「一人にしないで」
「じゃあ、一緒に来て」
「だめ。行けない」
「我儘だな」
本当に。支離滅裂で。
きっと、これがリリーの本音。
「本当のこと、聞かせて」
「本当のこと?」
「もっと聞きたい」
「うん…?」
「我儘言って」
「キスして」
それ、全然我儘じゃないよ、リリー。
あぁ、いつになったら帰れるんだ。
今日は、もう、何もしないつもりだったのに。
リリーが可愛いから。
キスの合間に、言葉を交わす。
「行ってもいい?」
「だめ…」
「だめ?」
「行かないで」
「行かせて」
「行っちゃだめ」
「じゃあ、リリーが許可してくれるまで続けるよ」
唇を離して、リリーの耳元で囁く。
「やめないで」
リリーがキスを求める。
「やめないよ」
こんなに求められるの、初めてだ。
「一緒に居て」
「一緒に居るよ」
「離れないで」
「離れないよ」
「行かないで」
あぁ。いつまで、我慢させるんだ。
「行かせて」
「矛盾してる」
「してないよ」
「どこにも行かないで」
あぁ。リリー。
なんて可愛いんだ。
「行くよ。もう決めたことだ」
「一緒に居たい」
「なら、一緒に行こう」
「行かない」
「困ったな」
「困るの?」
「説得する方法が思いつかない」
「説得してたの?」
「行っても良い?」
「行かないで」
「選んで」
「え?」
「一緒に行くか、待ってるか」
「選べない」
「じゃあ、置いて行く」
「うん…」
最初から、答えは決まってるのに。
それでもずっと、悩んでくれる。
もっと、俺のことを考えて。
求めて。
愛しいリリー。
「今は、一緒に行って」
「どこに?」
「すぐにわかるよ」
リリー。こんなに焦らされたんだから、覚悟して。
愛してる。
リリー。
このまま、離れたくない。
「ほかの人には、しないでね」
「しないよ」
だって、リリー以外、欲しいと思わない。
俺が求めているのはリリーだけ。
その唇で名前を呼んで。
その瞳で俺を見て。
そして俺を受け入れて。
「エル、愛してる」
「愛してる、リリー」
このまま連れ去ってしまいたい。
でも、それができないから。
待っていて。
「俺が居なくても、一人で眠れる?」
「眠れるよ。怖くないから」
「怖くない?」
「うん。エルが居るから、怖くない」
リリーが腕を絡める。
「俺も。リリーが居るから…」
変われるかもしれない。




