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旧作1-1  作者: 智枝 理子
Ⅰ.女王国編
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 人が走ってくる音。

 多くの人が行き交う広い通りで、それが、まさか自分の背中にぶつかってくるとは思わなかった。

「いってぇ」

 誤ってぶつかった、っていうレベルじゃないぞ。

「助けて」

 女の声に振り返る。

 振り返って最初に見えたのは、ツインテールに結んだ黒髪の頭。

 その頭が動いて。

 輝く黒い瞳と目が合う。

 視線をその後ろに向けると、男が三人走って来るのが見えた。

 追われてるらしい。

「…ったく」

 紫色の玉を取り出して、地面に叩きつける。

「来い」

 そして、相手の手を掴んで走る。

 割れた玉から噴き出した紫煙が辺りに漂った。

 少量の混乱薬が混ざっているけど、ほとんど無害なものだ。煙が収まるまでには落ち着くだろう。

「ありがとう」

 ありがとうって。助ける以外の選択肢、なかっただろ。

 そのまま、いくつかの角を曲がる。

「この辺まで来れば大丈夫だろ」

 何で絡まれたんだか知らないけれど。

 さっきの場所とは違う通り。こちらも昼時で賑わっている通りだ。

「じゃあ、気を付けてな」

「待って」

 歩き出そうとしたところで、腕を掴まれる。

「なんだよ。礼ならいらないぜ」

「違う。…その、助けてほしい」

「助けてやっただろ?」

「私を、守ってほしい」

「守ってほしい、って…」

 振り返り、初めて相手の姿をちゃんと見る。

 大きな輝く黒い瞳。漆黒の長い髪は、高い位置で二つに分けて結っている。

 背中には身長ほどもある大きな両手剣。

 剣先が曲がった、少し変わった形をしている。

 左手にはガントレット、長いブーツに、軽鎧。

 いずれも白い装具が、くすんだ紅のマントの内側に見て取れる。

 どう考えても剣士の出で立ちをした、少女。

 守ってほしい、だって?

「そういうことは、冒険者ギルドにでも依頼しな」

 護衛の依頼なら、手の空いている奴がすぐに引き受けるだろう。

 少女を置いて歩き出すが、何故かついてくる。

「あなたじゃないと、だめなんだ」

 どういう意味だ?

「私の名前はリリーシア。リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」

 ずいぶん長ったらしい名前だ。

「貴族なら、よけいに信頼できる筋を頼んだ方がいい」

「この国の人間じゃないんだね」

「俺は旅人だ」

 旅装束を着てるんだから分かるだろうに。

「なら、尚更だ。助けて。明日までには、この街を出たい」

『エル、尾けられているわ』

「さっきの連中か…」

「今の声、誰?」

「え…」

 なんで、聞こえる?

 契約中の精霊の声は、契約者にしか聞こえないはずなのに。どうして?

「気が変わった。こっちに来い」

「え?」

 リリーシアの手を引き、街の郊外を目指す。

 人通りの少ない場所を探しながら歩いていると、五人程の男に囲まれた。

「女一人捕まえるのに、男五人か?」

「大人しく渡しな」

「面倒だから、手加減しないぜ」

 体の周囲に炎を集める。

「魔法使いか!」

 続けて、闇の魔法で相手の影を縛る。

「くそ、動けないぞ」

 動揺する敵に向かって、集めた炎を放つと、男たちは火だるまになって燃える。

「なにも、殺さなくても…」

 俺の背後から、リリーシアが心配そうに聞く。

「これぐらいじゃ死なないだろ」

「だって、燃えてる」

 燃えてるように見えるのは、魔法が発動している状態だから。

 魔法の炎と、実際の炎は違う。

 もちろん、炎の魔法がかかっている相手は、燃やされているような感覚を味わっているだろうが。

「魔法、初めて見るのか?」

「こういうのは」

 どういうのなら見たことあるんだよ。攻撃魔法として炎なんてメジャーだろ。

「エイダ、これで全部か?」

『まだ居るようですけど。こっちには来ませんね』

 偵察しているだけか?

「おい!隠れてるのはわかってるんだぞ!出てこい!」

 声も気配もしない。

『去ったようですね』

「メラニー、追尾してくれ」

『了解』

「わっ」

 リリーシアが、慌ててしゃがむ。

「……」

 まさかと思うけど。顕現していない精霊が見える?

「とりあえず、こっちに来い」

 リリーシアの手を引いて、繁華街を目指して歩く。

「お前、精霊が見えるのか?」

「え?」

 リリーシアは首をかしげる。

「精霊なら、いっぱいいるじゃないか」

 リリーシアは上空を見上げる。

「さっきは、あなたの体の中から出てきたからびっくりしただけで…」

 見えている。

 間違いない。

「お前、いったい何者だ?」

「私は女王の娘だ。現グラシアル女王の名はブランシュだよ。気づかなかったの?」

「な…」

 なんだって?

 リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ。

 女王・ブランシュの娘?ということは、つまり…。

「あぁ、いい匂い。…そういえば、朝から何も食べていないんだ」

 いつの間にか、繁華街まで戻って来たらしい。

「ねぇ、普段どんなものを食べているの」

 なんで、一国の姫が、たった一人で歩いてるんだ。

「お姫様なら、城に帰った方が良いんじゃないか?」

「お、姫様?」

 驚いて、リリーシアは笑う。

 そもそも、こんなに可愛い顔をしてるから、さっきも絡まれたんじゃないのか?

 誰にさらわれたって文句言えないだろ。

「この国は他の国とは少し違った構造をしてるんだ。お姫様なんて、言われたことがない」

 そういえば。この国には独自の王位継承制度があったっけ。

 かなり特殊な王室で、娘であるだけでは王位継承権を持たないはず。

 あれ?確か…。

「それに、城の外に出るのは今日が初めてで、これから三年間帰れない」

 女王をはじめとして、城の中の人間が外に出ることはない。

 ただし、女王の娘だけは例外。王位継承権を得るために、三年間、城の外へ修行に出る。

「あ。あれは何?旅をするなら体力のつくものを食べた方が良いのかな。そういえば、魔法使いって変わったものを食べるんだっけ?今日は何を食べる予定だったの?」

「俺はだいたいファストフードで済ませるけど…」

 でも、仮にも一国の姫に当たる少女を、たった一人で城から出すか?

「ファストフード?じゃあ、それにしよう。どれ?」

 きっと、ファストフードっていう食べ物があると勘違いしているんだろうな。

 どれだけ世間知らずなんだ。

 本当に、そんな人間を外へ出す?

 でも。

 顕現していない状態の精霊が見えて、精霊の声が聴けるのは、女王の娘だからか?

 グラシアル女王。世界で最も強い魔女。

 常にその力を、血統を守るために、この国は他国とは大きく違った制度を持っている。

 まず、女王は結婚しない。

 その王室はすべて女性の血によって守られる。男を王室に加えることはない。

 次に、娘の出産を公表しない。

 娘であるだけでは王位継承権を持たないから、公表する必要がないという。

 子供は必ず女が生まれ、もちろん娘の父親が誰なのかも公表されない。

 父親は側近として仕えている、とも、殺されるとも言われている。

 けれど、どれも噂の域を出ない。謎の王室なのだ。

 なぜなら、城の中には誰も入れないし、中の人間が外に出ることもない。

 女王の住むプレザーブ城には、一切の出入り口がない。

 周囲と完全に断絶された城。

 そして、変わった王位継承制度。

 娘は女王の命令で三年間修行に出て、帰還後、女王から出される試練に合格すると、王位継承権を認められるらしい。

 修行の内容も試練の内容も謎。

 そして、王位継承に順位はない。

 女王は退位の際に、王位継承権を持つ娘の中から一人を選び、女王に任命すると言うのだ。

 その選定基準も謎。

 謎だらけ。

 すべては、女王の血と魔力を保持するため。

 あれ?そういえば、女王の娘なら確実に魔法使いだろ?

 なんで剣士の恰好なんてしてる?

「魔法使いなら、このケイルドリンクで決まり!一杯、五ルーク!お客さん、お買い上げですか?」

「あ?」

 あれ?どこに行ったんだ?

 さっきまで横に居たはずのリリーシアが居ない。

「よこせ」

 五ルークコインを投げて、店員が持つコップを受け取る。

「まいどー」

 相変わらず毒々しい緑色だ。

 魔法使いにとってはありがたい成分で構成された飲み物。失った魔力の回復を早めてくれる。

 さっき魔法を使った程度の魔力なら、回復なんて必要ないけど。

 あぁ。まずい。

「どこだ?」

『あそこに居ますよ』

「…って言われても、お嬢さん。うちで金貨出されてもねぇ。それ本物?」

「ぶっ」

 思わず飲み込みかけたドリンクを吹き出しそうになるのをこらえ、せき込む。

 何、やってんだよ。

「それ、いくらだ」

「二十五ルークだぜ」

「じゃあ二つ」

 五十ルークを店主に渡す。

「あいよ」

「ほら、いくぞ」

「あ…」

 店主から受け取ったサンドイッチをリリーシアに持たせると、腕を引く。

「あの、」

「あのなぁ、こんな露店で金貨を見せびらかす馬鹿がどこに居るんだよ」

 金貨は、この国で換金すれば一枚でおよそ五十万ルーク。

 馬鹿じゃないのか?こんな露店で使えるわけがない。

「これって、お金じゃないの?」

 なんていうか…。

「いや、もういい。それは出すな」

 女王の娘だっていうのは信じてもいいよ。

「ねぇ、ファストフードってどれのこと?」

「それだよそれ」

「これ?これはハムと卵のサンドイッチって」

 だめだ、突っ込みが追い付かない。

「あ、」

 ぐい、と今度は俺の方が腕を引かれて、後ろに引きずられる。

「いらっしゃいませー。今が旬!イチゴのタルトはいかがですか?」

「見て、可愛い!」

 細工のされたイチゴの実が乗ったタルト。カフェコーナーのあるその店は女性客でにぎわっている。

「どうぞー」

 そう言われたリリーシアは店員からタルトを受け取る。

「おひとつ六十ルークになります」

 にっこりとほほ笑んでこちらを向く店員に、代金を払う。

「あーもう」

 なんでこんなことに。

「ありがとうございました」

「ありがとう」

 右腕にサンドイッチの包みを二つ抱え、左手で大事そうにタルトを持ったリリーシアがほほ笑む。

 …まったく。

「あっちの広場で食おうぜ」

「うん」

 素直についてくるリリーシアの気配を確認しながら、繁華街を抜けた場所にある広場に向かう。

 頼むから、もう迷子にならないでくれよ。

「女王の娘が出発したらしいな」

「次は何番目だっけ」

「四番目だろ」

「あれ、一番目って…」

 通りすがりに、噂話が聞こえる。

 リリーシアは四番目の女王の娘?

『エル、知っています?』

「何を?」

『フェ、って私たちの言葉で、四番目って意味ですよ』

 精霊の言葉。つまり、神話時代の古代語。

 ツァ、ヴィ、ルゥ、フェ、クォだっけ。

「そうなんだ」

『あら、知らなかったんですか?』

「私は、そういうのは学ばなかったから」

 俺の精霊と普通に会話するなよ。

『それと、私の言葉が聞こえるって、特殊なことですよ』

「え?」

『私は、炎の精霊エイダ。エルと契約した精霊だから、姿を現していない状態では、エルとしか会話できないのよ』

「そうなの?」

「そうだよ」

『エル、失敗した』

「わっ」

 リリーシアが顔を伏せる。

「失敗した?」

 追尾するように頼んでおいた闇の精霊が帰ってくる。

 姿を現す指示は出してないから、俺にだって声しか聞こえないのに。

『途中で魔法を使われて、撒かれた』

 逃げた奴は、魔法使いってことか?

「そうか」

『そこの娘。驚かせてすまなかった』

「大丈夫。条件反射というか…。その、今は触れられない状態っていうのはわかっているんだけど…」

 本当、表情がころころ変わる。

『面白い子ね』

 まったくだ。

「広場に着いたぜ」

 城へ続く大通り沿いにある大きな広場には、左右にオブジェがある。

 左右対称に作られている球体のオブジェは、女王の魔力の象徴だ。

 なぜなら、そのオブジェは常に浮いている。

 日によって色が変わるのは、女王の機嫌を表しているといわれており、今日は透き通るような白い色をしている。

「良かった」

 広場にあるベンチに腰掛け、サンドイッチを食べながらリリーシアが言う。

「何が?」

「あれは、旅立ちの祝福の色なんだ」

 それで町の連中が噂していたのか。女王の娘が出発したと。

 女王は、城の外に出ることはない。このオブジェは国民へのメッセージなんだろう。

「女王って、全く城から出てきたりしないのか?」

 そういえば、あのでかい城には出入り口が全くないって噂なのに、リリーシアが外に出てるってことは、何らかの出入り口があるのか?

「出られないんだ」

「出られない?」

「女王となった瞬間から、女王はこの国の礎。その力を国のためにそそぐ。あの城は、そのための装置なんだ」

「装置?」

 広場から見える城を、俺は見上げる。

 美しい白銀のプレザーブ城。

 街一つがすっぽりと収まりそうなほど巨大な城の、その中身を知っている者はいない。

 あれが、魔力を国の隅々までいきわたらせる装置?

 それが本当ならば、世界的な発見…、いや、世紀の発明だ。

「食べて良い?」

 ずい、と目の前にタルトを出される。

 サンドイッチは食べ終わったらしい。

「いいよ」

 女王は、自分の魔力を支配する土地に行渡らせることで、土地を豊かにしている。

 嘘か本当か知らないが、もともと寒冷で雪に閉ざされていたこの地方から、雪と氷を取り払い、人間にとって住みやすい環境に変えたのが初代女王だと言われている。

 想像もつかないほどの力。だから、誰もこの国に手を出せない。

 女王は一体どれほどの魔力を保持してるっていうんだ?

 それとも、あの城は魔力を増幅させる装置?

「うーん…」

 リリーシアがタルトを見て唸る。

「どうした?」

「半分に割ろうとすると、真ん中のイチゴが…。どうすればいい?」

 く、くだらない…。

「え?」

 そんなことで、そんな難しい顔してるなんて。

「俺は要らないから、食えよ。ほら」

 タルトの上に乗ったイチゴをつまんで、リリーシアの口に放り込む。

 口をもごもごと動かしながら、リリーシアはうつむいた。

「?」

 飲み込んだらしい後も、うつむいたまま…。

「リリーシア?」

「あのっ」

 ようやく顔を上げたリリーシアは、何故か耳まで顔が赤い。

「リリーでいいから」

 それだけ言うと、飾りのなくなったタルトを食べ始めた。

 怒ってる?

 タルトを無言で食べ終わると、リリーは立ち上がる。

「どこか、ゆっくり話をできるところに行こう。話したいことがあるんだ」

 もう、顔は赤くない。

「話したいこと?」

「そう。…私は、あなたに助けてほしい。だから、説明するよ。でも、あんまり人のいるところでは話したくないんだ。その、どこまでが一般の話なのか分からなくて」

 もうすでに、そういうこと話している自覚がないからな。

「じゃあ、俺の宿に来いよ」

「わかった」


 ※


 宿泊施設の集まる大通りには、土産物や武具店、雑貨屋など、旅人向けの商店もひしめいている。

 その一角にある氷砂糖亭。

「おや、おかえり。早かったね」

「あぁ」

 カウンターから俺たちを見つけた女将に挨拶をする。

 宿屋は、一階をレストランにしているところが多い。

「夕食は二人分頼む」

「肉かい?魚かい?」

 リリーの方を向く。

「えっと、魚料理を」

「わかったわ。ごゆっくり」

 リリーを連れて、階段を上った奥の部屋へ行く。

「ここには長く居るの?」

「三日ぐらいかな」

 ここは長期滞在者向けの宿だ。この時間には人も少ない。

「座れよ」

 ベッドが二つに、ロッカー、テーブルと一対の椅子。個室としてはごくありふれたタイプだ。

 部屋に入って鍵をかける。

 話を盗み聞きされるようなことは無いと思うが、リリーは追われてたからな…。

 一応、監視とトラップの魔法もかけておくか。

「メラニー」

『了解』

 闇の精霊を顕現させて、扉に魔法をかけるよう頼む。

「闇の精霊、だよね?」

「あぁ。博識だな」

 精霊にもさまざまな種類が居る。

 見ただけでわかるのは、それなりに精霊や魔法について詳しいからだろう。

「似たようなのを見たことがあるから」

「城の中で?」

「うん。結構色んなのが居たよ。でも、炎の精霊はいなかった」

 ここが、もともと寒冷な土地だからだろう。

「今のは、顕現させてるんだよね?」

「あぁ」

 顕現。姿を現すように指示している。

 もともと精霊が見えるリリーにとっては、触れるか触れないかの違いだろう。

「さっきは、顕現してなかったよね?」

 さっきって、追尾を依頼した時か?

「精霊自身が魔法を使うには顕現してないと無理だからな。精霊にやってもらった方が早い魔法と、俺が媒体になった方が楽な魔法があるんだよ。たとえば…、ほら」

 指先に炎を灯す。

「こういった単純な魔法は俺がやった方が早いし、今みたいに扉に監視やトラップを仕掛ける魔法は、ちょっと複雑だから、やってもらったほうが早い」

「そうなんだ」

 最も、精霊を顕現させることは、魔法使いにとってはリスクが高い。

 契約している精霊が相手に知られるということは、自分が魔法使いであることはもちろん、その魔法の種類さえ相手に教えていることになるからだ。

 っていうか、精霊は見えてしまうし、精霊との会話もバレバレなら、魔法使いにとって最悪の相手だな。

 流石、世界一の魔女の娘だ。

 メラニーを体に戻すと、ベッドに腰掛ける。

「魔法っていうのは、契約してる精霊とのつながりの強さにも依るけど」

「あぁ、それは聞いたことがある。人間は精霊と契約するにあたり、必ず相互の理解を深め…」

「共存共栄のために律しなければならない。…って、教科書の丸暗記じゃないか」

「違うの?」

 リリーは首をかしげる。

「リリー、魔法使えるんだよな?」

「使えないよ」

「え?」

 使えない?

 女王の娘なのに、魔法を使えない?

「精霊とは契約しているけど、私は魔法を使えないよ」

「な、んで?」

 魔法を使えるかどうかは、素質による部分が大きい。

 精霊と共鳴できるかどうか。

 精霊と対話できるかどうか。

 精霊と契約できるかどうか。

 共鳴できなければ、精霊の存在を感じることは出来ないし、対話できなければ意思疎通が出来ない。

 そして、契約できなければその力を引き出すことが出来ないからだ。

 でも、そもそも精霊が見えて話せるのだから、共鳴する力も対話する力も当然のようにあるだろう。

 すでに契約しているなら尚更だ。

「私が契約してるのは、生まれてすぐに契約した精霊だけだよ」

「え?」

 なんだ、それ。生まれてすぐ、言葉を持たない赤ん坊の頃に契約?

「それ以外の精霊とは契約してない」

「使い方を知らないだけだろ?」

 リリーは首を振る。

「使うために必要なものがないんだ」

「契約できてるなら、条件は揃ってるはずだ」

 後は、その力を引き出すだけ。精霊の力を引き出して、自分の魔力に乗せて放てばいい。

「私には、魔力が無い」

「魔力が?魔力なんて全ての人間が持ってる」

 魔法を使うから魔力と呼ばれているが、正しくは自然の恵みであり、自然そのもの、あるいは自然の命。

 精霊にとっては寿命でもある命の力。

 あまりにも長寿で人間の寿命の感覚と比較するのもおかしな話だが、その命の力を使って魔法を使う。

 そして、精霊とは、魔力が切れれば消える存在。

 一方、人間をはじめとした動物は、肉体の寿命によって寿命が決まる存在だ。

 精霊と違って、人間はいくらでも自然から魔力を補給できる。

 一度に溜めておける量は少なく、余った分は自然に還元されるものの、生きているだけで無限に自然から魔力を補給し続けることができる。

 たとえ魔力を使い切ったとしても自然に回復するため、魔力が切れても死ぬことはない。もちろん、使い切れば回復するまで昏睡状態にはなるけれど。

 だから、建前として。

 自分の余った魔力を供給する代わりに、精霊自身が持つ力を利用できるようにしてもらうこと、つまり魔法を使えるようにしてもらうことが、契約。

「それは…、その…」

 魔力がない人間なんていないんだけど。

 言いたくないらしい。

「わかったよ。お前は精霊が見えて、声も聞こえる。でも、魔法は使えない。そういうことなんだろ?」

 もともと女王国には秘密が多い。話せないこともあるんだろう。

 このままじゃ、話しが進まない。

「で?そろそろ本題に入ろうぜ。助けてほしいって話し」

「うん。…うまく、説明できるかわからないけど」

 さっきから話しが脱線し過ぎてるからな。

「じゃあ、質問に答えろ」

「わかった」

「俺が知りたいのは、何から助けるのか、どうして俺なのか。この二つだ」

「…たぶん、私を追っているのは、城の人間」

「城の人間?」

 どういうことだ?

「なんで、城の人間がお前を?だって、女王はお前の旅立ちを祝福してるんだろ?」

 広場のオブジェを見て、そう言ってたじゃないか。

「その…」

 何か、言えない事情でも?

「そういう、人もいるんだ」

「王族のゴタゴタか?」

 王位継承を望まない連中の?

「そう、そんな感じ」

 たぶん、嘘だな。

 王位継承に関してのすべての実権は、女王が握っているはずだ。

「で、そいつらから逃げればいいわけか?」

 リリーは頷く。

「実は、お願いがあって」

「お願い?」

「一緒に連れて行ってほしい」

「…どこに?」

「あなたの行くところに」

「俺がこれからどこに行くのか、知ってるのか?」

 リリーは首を横に振る。

「知らないけど、あなたになら頼める」

「なんで俺なんだ?行きたい場所があるなら、仲間を探しているのなら、それこそ冒険者ギルドに行った方が良いだろ」

 護衛、討伐、探索、紹介。

 旅をするなら、地方の冒険者ギルドに寄って情報を集め、仲間を集めるのは常識だ。

 犯罪に厳しい冒険者ギルドなら信頼できる人間と出会えるだろう。

「それはできない。だって、ギルドに頼めば、城の人間が必ず来る」

「それと、見ず知らずの俺に頼むのと、どっちが安全かわからないのか?」

 リリーは黙る。

 流石に、考えを改めるかな…。

「あなたは強い魔法使いだ。こんなに強い力、初めて見たんだ。だから…」

「え?」

 どういう、意味だ。

 何を知ってるっていうんだ?

『だからさぁ、リリー、君はほかの人間と違うんだよ?』

 リリーの頭に、水色の精霊が乗る。

「イリス」

 これがリリーの精霊?

「なんだ?氷の精霊か?」

 見たこともないタイプだ。おそらく氷の精霊だが、なんていうか、不恰好というか。

 そもそも精霊っていうのは美意識が高いのだ。

 美しい容姿を形作ることの多い精霊が、丸々とした、長い尾を持つ鳥の姿なんて。

『このボクが顕現してあげたんだから、感謝してくれよ、魔法使い』

「なんだよ、低級の精霊が」

 随分偉そうだな。おそらく魔力はそんなにない精霊なのだろうけど。

『なんだと、かわいげのない小僧だな!氷漬けにしてやるぞ!』

「やるのか?」

 しかも、ずいぶん好戦的じゃないか。

「待って」

と、リリーがイリスのしっぽを掴む。

『うにゃー』

 情けない声を上げて脱力したイリスを、リリーが抱きかかえる。

『尻尾はやめてよぅ』

「ごめんごめん」

 微笑んで、リリーはイリスをあやす。

 こいつ、本当に精霊か?

「話しの続きをしろ」

『それは、魔法使い!お前がボクたちに協力してくれたら教えてやるよ』

「話しの前提が間違ってるぞ。協力してほしかったら、情報を隠さずに出せ」

『嫌だね!女王の秘密を、そう簡単に言うもんか。協力することが前提だ!』

 女王の秘密?

 そんなこと、聞いてないけど。女王の秘密って?

「精霊の声が聞こえたり、姿が見えることだけじゃないのか?」

『そんなのは些細なことだよ』

「魔法が使えないこと?」

『お前みたいな田舎者に教えてやるもんか!』

「おい!」

 俺だって、公式に出版されている情報なら一通り知っている。

「田舎者?田舎って、のどかな場所?」

『リリー…』

 イリスが呆れたようにため息をつく。

 なんていうか。少し同情するよ。

『コホンっ!』

 わざとらしい咳払いをすると、イリスはリリーの腕から飛び立つ。

『いいかい。女王の娘の特徴ってのはね、一つ、魔法への耐性がとても高い!二つ、魔力が目に見える!三つ、子供が産めない!だよ!』

 精霊が見える、というよりは魔力自体が見えるのか?

 だから俺の力が見えて、魔力そのものである精霊も見える。

 それなら納得がいくかな。

 あれ?魔法が使えない、は特徴じゃないのか?

『って、あああ!聞いたな、魔法使い!』

「お前が勝手にしゃべったんだろ」

『気に食わないやつだ!決闘だ!』

「いい度胸してるじゃねーか」

 左手に杖を構える。

「イリス、疲れる…」

 リリーがふらふらとベッドに倒れこんだ。

『えぇ?寝ちゃうの?寝るなら鎧を脱ぎなよ!』

 精霊が顕現すると、その契約者の魔力を奪うからな。

 人間と契約中の精霊が、自分の魔力で魔法を使うことなんてほとんどない。

 契約によって、人間の魔力を使えるのだ。もちろん、契約者の許可が必要だけど。

 …あれ?魔力がないのに、顕現させるなんてできるのか?

 イリスが、パタパタと羽を動かしてリリーの傍に寄る。

 リリーは、起き上がってベッドに腰掛けると、ブーツとガントレット、鎧を脱ぐ。

「お、おい」

「何?」

「話しは終わってないぞ」

「うん…?」

 シャツを脱いで肌着になると、リリーは布団に入る。

「いや、そうじゃなくって…」

 いくら宿だからって、男の前で堂々と服を脱いで寝入るやつが…。

『ねぇ、リリー。こいつの名前聞いてないよ』

「エルロックだ」

 聞こえたのかどうかわからないが、すぐに寝息が聞こえてきた。

「まったく。何考えてるんだよ…」

 どれだけ無防備なんだ。

『なぁ、魔法使い』

「ん?」

 イリスが俺の前まで飛んでくる。

『リリーに協力する覚悟があるの?』

「覚悟?」

 覚悟も何も。まだ何も話を聞いてない。

「だいたい、まったく話しが見えてこない。なんで俺に協力を頼む?リリーは…」

 そうだ。女王の娘は、三年間修行に出る。そして帰還後、試練を受ける。

「質問に答えろ。女王の修業ってなんだ?修行に、俺の力が必要なのか?」

『修行は、試練のために力を蓄える期間。お前のことは、リリーが選んだから、理由はリリーにしかわからないよ』

「答えになってないな」

 イリスはリリーのベッドに座る。

『とにかく、リリーが言いたくないことは言えないよ』

 それで協力しろ、なんて良く言えるな。

「じゃあ、試練っていうのは?」

『リリーが魔法を使うこと』

「魔法?だって、魔法を使えないって…」

 どういうことだ?

 女王の娘は、みんな魔法を使えないのか?そして、魔法を使えるようになるために修行に出る?

 魔法を使えるようになりたいなら、城の中の方が適してるはずだ。

 城の中には精霊もたくさんいるわけだし…。

 それとも、城の外に出ないといけない理由が?

『協力する覚悟あるの?魔法使い』

 さっきから、覚悟ってなんだよ。

 協力するのに覚悟が必要?

「エルロックだ」

『エルロック。誰も女王には逆らえないんだ。リリーも、ボクも』

 そう言うと、イリスは消えた。

「なんで、女王が出てくるんだ…?」

 何を伝えたかったんだ?

 というか、契約者の意思に反して顕現するなんてこと、出来るのか?

 リリーは今、眠ってるんだろ?

 契約は、内容が平等であっても、対等な立場じゃ出来ない。

 人間が上位の立場で契約することがほとんどだ。

 なぜなら、上位の契約者は下位の契約者を守らなければならない。

 精霊が上位の契約者となってしまうと、人間を守らなければならないことになるから、精霊が上位となることは通常あり得ない。

 そうだ。リリーは言っていたじゃないか。イリスは自分が生まれてすぐに契約したと。

 つまり、イリスはリリーと上位契約を結んでる。

 でも。有り得ない。

 赤ん坊と上位契約を結ぶなんて理由がない。

 しかも、リリーには魔力がないのに。

 どんなメリットがあって契約するんだ?

 女王の娘だから?

『なんだか、また厄介ごとに巻き込まれちゃいましたね』

 俺と上位契約を結ぶ精霊が笑う。

「笑い事じゃ、ないだろ」

 俺を守ると約束した炎の精霊。

『あら。楽しそうじゃないですか』

「楽しそう?」

『だって、楽しそうですよ、エル』

 そりゃあ、気になることだらけだけど…。


 ※


 陽が落ちてきた。

 そろそろ明かりがないと、本が読めないな。

 机の上にあるランプに火を灯す。

「エル?」

「ん?」

 灯りの気配に気づいたのか、リリーを見ると、目を開いている。

「あの、えっと。名前…」

「あぁ、エルでいい。エルロック・クラニス」

 リリーは起き上がると、俺に向き直る。

「眼鏡かけてたっけ?」

「本を読むときにはな」

 王立図書館から借りてきた本にしおりを挟み、本を閉じると、その上に眼鏡を置く。

「腹減っただろ?夕飯食いに行くぞ」

「うん」

 リリーは立ち上がる。

 そのままついてくるわけじゃないよな?

「ちゃんと、着替えて来いよ?」

「あ、うん」

 大丈夫なのか?あれ。


 一階では、何組かの客が夕食をとっていた。

「お、エルロック。探してた書物、見つけたぜ」

「ポール」

 情報屋のポールが、左手に持った書物を掲げて呼ぶ。

「忘れてた」

 頼んだんだっけ。

「忘れてたってなんだよ。一昨日の話だぜ」

 ポールから古文書を受け取って席に着く。

 そうだ。腕試しに、と思って頼んでおいたのだ。

 タイトルは銀の棺。年代も間違いない。

「あぁ、これでいいぜ。いくらだ?」

「ラガー三杯でいいぜ。女将さん、もう一杯!」

 ポールは機嫌良く追加のオーダーをする。

「なんだよそれ」

「恩赦で仲間が出てきたんだ」

「恩赦?」

「ほら、女王の娘が旅に出たからさ」

「あぁ」

 この国では祝い事なんだろう。

「変な国だよな」

「そりゃ、よそ者のお前からしたら変わった国だろうさ。でも、この国は争いごともないし、侵略におびえることもない、至って平和な国だぜ」

「だろうな」

 絶対的な力を持つ女王が、国を守っているから。

「内政はどうなんだよ」

「内政?あぁ、これもあんまり知られてないが、この国は議会制だぜ」

「はぁ?議会制?だって、女王は?」

「政治は民間委託なんだよ。二院制で、上院が上級市民、下院が一般市民で構成されてる」

「信じられない」

「決定は全て女王の承認を得て、女王の名前で公布だからな。この国でも知らない奴は多いんじゃないか?選挙だってここでしかやらないし」

 まぁ、リリーに聞く限り、女王が政治を行うことは不可能だろうからな。

「エル、」

 リリーの声に振り返る。

「食事、置いても良い?」

 俺がうなずくと、リリーは持ってきた食事を俺の前に並べ、ラガーをポールの前におく。

 ポールは小さく口笛を鳴らしして、リリーの手を取る。

「なんて可憐なお嬢さんなんだ。俺は情報屋のポール。今度、見晴らしのいいカフェにでも…、いてっ」

 ポールの頭を小突くと、ポールはリリーから手を引く。

「そいつは俺の連れだ」

「なんだよ、デートに誘うぐらい良いだろ?」

「だめだ」

「なんだい、ポール。また振られたのかい?」

 女将がリリーの食事を並べ、リリーの為に椅子を引く。

「さ、座りな」

「ありがとう。いただきます」

 手を合わせて、リリーは食べ始めた。

 ポールは俺の方に椅子を寄せると、耳打ちする。

「こんな可愛い子といつ会ったんだよ。お前、ここには一人で来たはずだろ?」

「なんでお前に言わなきゃいけないんだよ」

 魚の身を箸でほぐす。この地方は巨大魚が多くて、骨が少ない。

「俺もこの街の美人はチェックしてるけど、見ない顔だぜ」

「向こうもこの街は初めてだ」

 城から出たのは、だけど。

「ふーん。そりゃ、知らないわけだ」

 ポールは、今度はリリーの隣へ行く。

「お嬢さん、お名前は?」

「え?私?」

 リリーは、自分を指差す。

「そうそう」

「私の名前は、リリーシア・イリス…」

 馬鹿。

「むぐっ」

 リリーの口に魚を突っ込んで、口をふさぐ。

「こんな得体の知れない奴に名乗らなくて良い」

「得体の知れない、はないだろー?ちゃんと職業も言ったじゃないか」

 情報屋のどこが、まともな職業だっていうんだ。

「情報屋、って魔法使いの職業の一種?」

 リリーの一言に、ポールが固まる。

「いや、俺は魔法なんて使えないから、情報屋なんてけちな商売やってるんだよ」

 見えたんだろう。

 精霊と契約していても、魔法使いであることを隠す人間は多い。特に、情報屋ならなおさらだ。

「ポール、こいつは俺の預かりものだ。変な情報吹き込むなよ」

「預かりもの?」

と、リリーが首をかしげるのを見て、ポールは納得したらしい。

 どう理解してくれても構わない。

 とにかく、リリーにはこれ以上ボロを出させないようにしないと。

 だいたい、追われてる自覚あるのか?

 城の奴に追われているって言っておきながら、情報屋に名前を言おうとするなんて。

「ははーん。訳アリか。ここから安全に行くルートなら知ってるぜ」

「ルートって、フリオ一択だろ」

 このあたりの地図を頭に思い浮かべる。

 王都から南に真っ直ぐ伸びるフリオ街道。その終着点は、グラシアルの大動脈と呼ばれる、東西に長く伸びるグラシアル大街道と交差する。グラシアルを訪れるならば、誰もが利用するのがこの大街道だ。宿場町も多く、安全な道として旅人に名高い。

 そして、その大街道を目指すならば、王都からはフリオ街道を南下するしかない。フォノー河と交差する地点には砦の街があり、フォノー河を渡る唯一の橋が架かっている。

 王都へ続く最後の砦として、王都を守る役目を担っているが、グラシアルの長い歴史の中で、この砦にたどり着いた軍は一つもない。

「いや、ここから南東に進めば、オペクァエル山脈にアユノトっていう、小さな集落がある。あんまり知られてないルートだが、アユノトの近くに洞窟があって、そこから更に東の平原へ抜けられるってわけさ。平原から大街道は、すぐだ」

「どの辺?」

「そりゃあ、俺はこれで稼いでるからな」

 ポールは親指と人差し指で丸を作る。

「いくらだよ」

「銅貨五枚ってとこかな」

「安全なんだろうな」

「ほとんど使われてないルートだぜ。それに、城に近ければ近いほど治安が良いんだ。野良で悪さするやつも少ない」

 なら、リリーを連れて歩けるかな。

 銅貨を五枚重ねて渡す。

「まいど。ちょっと待ってな」

 ポールは地図を広げて、書き込んでいく。

「エル、」

「なんだ?」

「私もこれ、飲んで良い?」

と、リリーはポールのコップを指す。

「……」

 酒、飲めるのか?

「リリーシアさん。ここに来たならクアシスワインがおすすめだぜ。俺が奢ってやろうか?」

「やめとけ」

「なんだよ、エル。良いだろ?」

 食事を終えたリリーが口を拭う。

「ワインってことは、お酒?」

「あぁ」

「ロマーノなら飲んだことがある」

「それって、ロマーノ・ガラ、とか?」

「いや、違ったな。名前は忘れたけど、きれいなピンク色だった」

 おそらく、ロマーノ・ベリル・ロゼ。

 おいおい。高級ロマーノワインの最高峰で、希少価値の高いロゼじゃないか。

 なんていうか。どこまで世間知らずのお嬢様なんだ。

 ポールは俺の顔を見る。

「エル。どこのお姫様だよ」

「だから手を出すなって言ってるだろ」

「へいへい」

 ポールは肩をすくめ、ラガーを飲む。

「ポール、調べてほしいことがある」

「どうせすぐに出発だろ?明日までにできる仕事か?」

「いや、期限は決めない」

 ポールの地図の一部を破り、ペンでメモを書いて渡す。

「…どこからの依頼だ?」

「個人的な興味だよ。それを調べにはるばる来たけど、野暮用ができたってだけだ」

 銀貨を一枚、ポールに握らせる。

「王立図書館で調べられる内容だ」

「俺はここに来て、知っていることなんてほとんどなかった。この国では当たり前でも、世間一般では違うことが多すぎる。俺が読んだ文献でも、書く人間によって印象は様々だ。それはおそらく、この国の人間が書いた、この国に関する文書が存在しないからだ。何故だ?」

「エル。気をつけろ。これは返す」

 ポールはメモに何かを走り書きすると、銀貨と共に俺に押し付ける。

「早く出発した方が良い」

 ポールはラガーを一気に飲むと、立ち上がる。

「女将さん、こいつにツケといてくれよ」

 俺は軽く手を挙げて、女将に了解の合図を送る。

「いいな?」

「わかったよ」

 メモの内容を確認すると、メモ紙を炎の魔法で燃やす。

「じゃあな。元気でやれよ」

 ポールは手を振って店を出た。

 国内での争いもなく、他国からの侵略にもおびえることなく平和な国。政治は議会政治をとって、国民の意見をくみ上げる制度を確立している。

 女王は国民を守り、国民は女王を崇拝する。

 変な国だ。

 メモの内容を思い出す。

―女王の娘について調べてほしい。

 ポールの返事は、一文。

―誰も女王には逆らえない。

 それは、この国の人間が常識的に知っていても外部に言えないことなのか。詮索することを女王が許していないのか。

「リリー、部屋に戻るぞ」

 リリーは、食事を片付けて女将と話していたらしい。

「話し、終わったの?」

「あぁ」

 リリーは女将に頭を下げる。

「それじゃあ」

「はいはい。ゆっくりしていってね」

「はい」


 部屋に入るとすぐに、リリーはベッドに倒れこむ。

「大丈夫か?」

「エル…」

「ん?」

「どうすればいいかわからない。城と外が、こんなに違うと思わなかった」

「そりゃ、違うだろうさ」

 リリーは起き上がって首を振る。

「城の中にも、ここと同じように、街があるんだ。広場があって、市場があって。売ってるものは多少違うけど…」

 街がある、だって?

「街って、人の規模が違うだろ」

「人口がどれぐらいかわからないけど。広さは、この城下町の四分の一ぐらいかな。街では買い物もできたし、宿もあったよ。私の装備も、街の鍛冶屋でそろえたんだ」

 確かに、あの城はでかい割に中身は謎だ。出入りできる人間が知られていない。

 出入り口がないって言われてるんだから当然なんだけど。

 行政機関は全部城の外にあるみたいだし、軍隊も城の中にあるとは聞かない。

 …いや。女王直属の魔女部隊は城の中に居るんだっけ?

 街が丸ごと一個入っている?そんなに人が住んでるって?城の外と交流せずに?

 あ。リリーを追ってる連中は、城の人間だったっけ?

「城の外と交流している人間もいる?」

「うん。魔法使いは城から出られるよ」

 なんだ、その基準は。

「通貨は?」

「金貨、銀貨、銅貨と、蓮貨」

「共通通貨だ。この国はルークって呼ばれる通貨を使ってるけど」

 共通通貨。金貨一枚の重量は細かく決められ、商人ギルドによって管理されてる。

 金貨一枚は銀貨五十枚。銀貨一枚は銅貨二十枚。銅貨一枚は蓮貨十枚だ。

「うん。だから、金貨さえ持っていれば良いと思って、金貨だけ持ってきたんだ」

 アバウトだな。

 旅行者は基本的に共通通貨で買い物をする。

 だから、どこでも使える通貨ではあるが…。

「間違ってないが、市場なんかでは金貨は使えない。額が大きすぎて取り扱えないんだよ。せめて、銅貨や蓮貨に崩さないと」

 それに、その国の通貨を使わなければ、買い物でぼったくられることが多い。もっとも、宿屋など、旅人向けの商売をしている場所は共通通貨の方が安いのが通例だ。

「そうなのか。…良かった。城の中のことも、役に立つんだね」

 感覚のずれをどうにかすれば、の話だけど。

「でも、外の宿って、もっと治安が悪いイメージだった」

「治安が悪い場所もある。一番安価な部屋っていうのは、他人同士で使うことを前提にした大部屋だ。ベッドがないとこだってある。俺はたいてい個室を取ってるけど」

 そして、一人旅をしている人間は大部屋を使うことが多いから、たいていの個室は、二人部屋以上だ。

 一人部屋なんて貴族が泊まるような高級宿じゃないとないだろう。

「あとは宿の経営方針によるかな。ここは長期滞在者向けで、いわゆる雑魚寝部屋はない。シャワーを浴びてきたかったら行って来いよ」

「え?あるの?行ってくる」

 リリーはベッドから飛び降りると、戸口に走る。

「あ」

 戸口まで走って、リリーは振り返る。

「なんだよ?」

「エル、私と一緒に、旅をして欲しいんだけど、良い?」

 それって、今、このタイミングで言うことか?

「私、まだ一人でこの国を出る自信がない。でも、城の人間は嫌だ。だから、私のことを助けてくれる人を探してたんだ。…さっきも言ったけど、私、あなたみたいにすごい魔力を持っている人を初めて見た。私は、魔法を使える人のことを良く知りたい」

 すごい魔力、か。

「あなたじゃないと、だめなんだ」

 何か、言えないことがあるみたいだな。

 俺じゃなきゃいけない理由…?

 エイダに関係があることじゃないよな?

 エイダと会話しても、特に気になるような仕草はなかったけれど。

「明日、ポールに教えてもらった街に行く予定だから、あとで見ておけよ」

 ポールから受け取った地図をテーブルの上に置く。

「うん、わかった」

 リリーはそう言って部屋を出る。

 まったく、何を考えているのか読めない。なのに、とても素直で、どこか抜けている。

 どこまでが真実なのか。

 自分が騙されているのかどうかさえ、確信が持てない。

『楽しそうね、エル』

 結局、流されるように協力することになってしまった。

「エイダ。悪かったな。せっかくここまで来たのに、何も調べられなかった」

『いいえ。あの子に会うことが、私の目的だったのかもしれない』

「リリーに?」

『そう。リリーシアに会うことは私の運命』

「運命、かよ」

 死ぬほど嫌いな言葉だ。

『エルがあの子に興味を持ったのは、あの子が私の声を聴いたからだもの』

「運命なんて、ろくなもんじゃない」

 でも。ここへ来たいといったのはエイダだ。

 封印され、記憶を失っていた炎の精霊。守護神と崇められていた精霊を、封印の棺を開いて、契約した。

 でも。そのせいで、俺は…。

「記憶探しは良いのか?」

『そんなこと、いつでもできるでしょう。リリーシアの修業の期限は三年ですよ』

「修行、ねぇ…」

 この国の制度。

 誰も、女王には逆らえない。

 人間も、精霊も?

 …いや。深入りしてもしょうがない。

「寝るか…」

『おやすみ、エル』

 布団にもぐって目を閉じる。


 夢。

 あぁ。久しぶりに見た。

 こんなに鮮明に、その姿を。

 希望をやる、と。

 希望をやるから、ついてこい、と。

 そう言って、連れ出してくれた人の顔。声。

「一緒に行こう」

 あの時。

 声が出なかったから。

 本当は、言いたかった。

「いいよ」

 って…。

 目を閉じる。

 次にどんな光景が待ってるか知ってるのに、目を開いてしまう。

 胸から滴る真っ赤な血。

 わかってるんだ。

 自分のしたことぐらい。



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