寡黙な側近は、伯爵家に戻る
「アストリッドが帰ってくる」
ヴィクトルは頷いた。
「ハーグレイヴ公爵令息も一緒らしく、父上が最近まったく落ち着かない」
そこで扉が叩かれた。
「殿下。ルヴェイン王国より、急ぎの報告がございます」
オスカーは書状を受け取った。
先ほどまで和やかだった執務室の空気が、一瞬で変わった。
最後まで読み終え、顔を上げた。
「ヴィクトル。お前の兄のことだ」
ヴィクトルの眉がわずかに寄った。
「ハインリヒが、ルヴェイン王宮へ禁薬を持ち込んでいたことがわかった。向こうで拘束されている」
ヴィクトルは目を見開き、すぐに深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「まだ全部話してないぞ」
「王家の許可なく禁薬を国外へ持ち出し、他国の王宮まで持ち込んでいます。グライフェン伯爵家の責任は免れないかと」
オスカーは少し黙った。
「……そうだな」
「アストリッドたちの帰国に合わせて、ハインリヒもこちらへ引き渡される。お前の家にも捜査が入る」
「承知しました」
「今日はもう伯爵家へ戻れ」
「かしこまりました」
◇
ヴィクトルが伯爵邸へ戻ると、すでに王家の調査官が入っていた。
薬品庫と書庫に封がされ、ハインリヒの部屋から当主グスタフの執務室まで順に調べられていく。
「ハインリヒが勝手に持ち出したのだろう。本人に聞けばいい」
グスタフはいつもと変わらない顔をしていた。
「伯爵家で管理されていた禁薬ですので、確認が必要です」
「好きにしろ」
ヴィクトルはその横で黙っていた。
本邸の部屋も、一つずつ確認された。
やがて、長く使われていない一室の前で調査官が足を止める。
「こちらは?」
「妻の部屋だ」
「伯爵夫人は?」
「療養している。詳しいことはヴィクトルが知っている」
ヴィクトルが扉を開いた。
家具には薄く布が掛けられ、化粧台にも書き物机にも人の気配はなかった。
窓辺に、花を象った銀細工の細身の花瓶が残されていた。
◇
母は、一度見聞きしたことを忘れない人だった。
グライフェン伯爵家の分家にあたるフェルト子爵家から、本家へ嫁いできた。
ヴィクトルが幼いころ、夜になるとよく本を読んでくれた。
暖炉の前に子供たちを座らせ、大きな挿絵の入った本を開く。
「すると竜は言いました。『そのような細い剣で、私に勝てると思うのか!』」
母は急に声を低くした。
妹のミーナが笑う。
「お母様、変!」
「だって、竜でしょう? これくらい低い声じゃないと」
「もっと怖いよ」
「じゃあ、もう一回ね」
母は咳払いをした。
「『人間よ! ここから立ち去れ!』」
「全然怖くない!」
ミーナは母の膝へ倒れ込んだ。
ヴィクトルも口元を少し緩める。
少し先まで読むと、物語の中の老犬が長い旅の末に主人を見つける場面になった。
母の声が止まった。
「母上?」
「ちょっと待って」
目元を押さえている。
「泣いてるの?」
「泣いてないわ」
そう言いながら、鼻をすすった。
ヴィクトルは卓上のハンカチを取った。
「母上、これ」
母は目を瞬き、泣きながら笑った。
「ありがとう、ヴィクトル」
ヴィクトルはまた母の隣へ座った。
「じゃあ、続きを読もうか」
「もう泣かない?」
「泣かないわよ」
数頁後、また母の声が震えた。
「お母様、また泣いてる!」
「これは仕方ないでしょう!」
三人で笑った。
ミーナは物語より、挿絵を眺めていることが多かった。
「このお花、綺麗」
「お話も聞きなさい」
「聞いてるもん」
「じゃあ、今は何のお話だった?」
「……お姫様がお花を見つけた?」
「違うわよ」
母が笑う。
「これは何のお花?」
「鈴蘭」
「こっちは?」
「野薔薇よ」
一度教えると、ミーナはよく覚えた。
翌日、庭で同じ花を見つける。
「お母様。鈴蘭!」
「覚えてたのね」
「うん!」
「すごいじゃない」
ミーナの顔がぱっと明るくなった。
ハインリヒも、昔はそこにいた。
母の隣で本を聞き、ミーナが笑えば一緒に笑った。
けれど、少しずつ来なくなった。
「ハインリヒは?」
ある夜、ミーナが尋ねた。
「お父様の書斎よ」
翌日も、その次の日も同じだった。
父から課題を与えられれば、兄は母との読書よりそちらを選んだ。
「ハインリヒ、今日は一緒に読まない?」
「父上に出されたものが終わっていませんので」
母は少し寂しそうに笑った。
「じゃあ、また今度ね」
「はい」
その「今度」は、少しずつ減っていった。
母は花も好きだった。
ある日、庭の花を数本摘み、銀細工の花瓶に挿して父の執務室へ持っていった。
「グスタフ様。こちらに置いてもよろしいでしょうか」
父が書類から顔を上げた。
「必要ない」
「少しくらい、お部屋が明るくなるかと」
「ここは仕事をする場所だ」
再び書類へ目を落とす。
「余計なものは置くな。花は捨てろ」
母は花瓶を抱えたまま少し黙った。
「……かしこまりました」
それ以来、その花瓶は母の部屋の窓辺に置かれていた。
◇
ある晩、来客を見送ったあと、父がミーナを呼び止めた。
「先ほど、侯爵の隣にいた男は誰だ」
ミーナが目を瞬く。
「……わかりません」
「何を話していた」
答えられない。
兄が横から言った。
「港湾局の次官です。南部の港について話していました」
「そうだ」
父がミーナを見る。
「お前は何を見ていた」
ミーナは俯いた。
「テーブルのお花が……綺麗だな、と」
父が短く息を吐く。
「そんなものしか見ていなかったのか」
「グスタフ様」
母が口を挟んだ。
「もうよろしいのではありませんか」
「お前には聞いていない」
「ですが、この子には向き不向きがございます」
「この家の娘だ」
「私の娘でもございます」
父の目が母へ向く。
「勘違いするな。お前はフェルト家から、この家の子を産むために迎えた女だ。家の人間をどう育てるかまで、お前が決めることではない」
「私はただ、この子を物のように扱わないでいただきたいと――」
乾いた音がした。
母の顔が横を向く。
ミーナが息を呑んだ。
「……申し訳ございません」
謝ったのはミーナだった。
母はゆっくり顔を戻した。
「ミーナが謝ることじゃないわ」
「下がれ」
「この子も連れていきます」
「ミーナは残れ」
母は娘の手を取った。
「嫌です」
「何だと」
「ミーナを物のように扱わないでください」
「もういい。二人とも下がれ」
母はミーナの手を引いて部屋を出た。
その夜、ヴィクトルが廊下を通ると、ミーナの部屋から灯りが漏れていた。
母が娘の髪を梳いている。
「泣かないで」
「でも、お母様が私のせいで……」
「あなたのせいじゃないわ」
「でも」
「私は、ミーナが笑ってる方が嬉しいの」
櫛がゆっくり髪を通る。
「私、本当に何もできないのかな」
「そんなことないわ」
母は鏡の中の娘へ笑った。
「花の名前、たくさん知ってるでしょう?」
「そんなの、役に立たないよ」
「役に立つことだけが大事じゃないわ。それに、一度覚えたことはよく覚えてるでしょう?」
「お母様みたいに?」
「ええ。私によく似てる」
ミーナが少し笑った。
「じゃあ、得意なことを増やしていこうね」
「……うん」
ヴィクトルは部屋へ入らず、自室へ戻った。
◇
ヴィクトルは兄や妹より早く本邸を離れた。
若いうちからオスカーのそばへ召し上げられ、やがて王太子付きの側近として王宮に居所を移したからだった。
本邸へ戻るのは、父から報告を求められたときや、親族が集まるときくらいになった。
その間に、兄はますます父のそばへ寄っていった。
父に認められることに、ひどくこだわるようになっていた。
対してミーナは、以前よりずっと静かになった。
ヴィクトルが半年ぶりに家族と夕食を取った夜のことだった。
兄がナイフを皿の脇へ置いた。
硬く鋭い音がした。
「ごめんなさい」
ミーナが小さく言った。
兄の口元が、わずかに歪んだ。
父が顔を上げる。
「先ほどの南からの使者は、何を求めていた」
ミーナの唇が動いた。
「……申し訳ございません」
父が短く息を吐いた。
母がミーナの手にそっと触れる。
「今日はもう休みましょう」
ミーナが母を見る。
「……うん」
二人が席を立っても、父は止めなかった。
ヴィクトルは妹の背中を見送った。
昔は花を見つけるだけで明るくなった目が、今では光を失っていた。
◇
しばらくして、ヴィクトルは王宮で一つの話を聞いた。
ルヴェインのエルフォード公爵家が、令嬢付きの侍女を広く募集している。
エルフォード公爵令嬢は、ルヴェイン王太子の婚約者だった。
次に父から呼び出されたとき、報告を終え、ヴィクトルは鞄を閉じた。
「そういえば、ルヴェインのエルフォード公爵家で侍女を募集しているそうです」
父が顔を上げる。
「王太子の婚約者か」
「はい」
「貴族の娘も受けるのか」
「広く募集しているそうです」
父は少し考えた。
「……ミーナを出すか」
ヴィクトルは黙って待った。
「だが、グライフェンの名のままでは目立つ」
「そうですね」
「ルヴェインに使える家は?」
「ラングレー男爵家であれば。以前からこちらの仕事に協力しております」
父の目が細くなる。
「遠縁ということにできるか」
「難しくはないでしょう」
「まずそこへ入れろ。その後、公爵家の選考を受けさせる」
「承知しました」
「公爵令嬢付きになれば、いずれ王宮にも出入りする。ここに置いておくより使える」
出立の日、母は娘の外套の襟を何度も直した。
「向こうには、きっとこっちでは見たことのないお花がたくさんあるわよ」
「うん」
「名前を覚えたら、今度教えてね」
母はようやく手を離した。
「元気でね、ミーナ」
「お母様も」
馬車が見えなくなるまで、そこに立っていた。
「母上、大丈夫ですか」
ヴィクトルが尋ねると、母はいつものように笑った。
「大丈夫よ。あの子は、これでもう大丈夫でしょう?」
「そうですね」
「あなたも王宮へ戻りなさい。殿下がお待ちでしょう」
「はい」
「こっちは心配しなくていいわ」
ヴィクトルは、その言葉を信じた。
◇
半年ほどたって、親族が集まる予定があり、ヴィクトルは本邸へ戻った。
食堂に母の姿がなかった。
「母上は?」
使用人たちが黙る。
フェルト子爵家から母とともに嫁いできた老侍女が答えた。
「お部屋にいらっしゃいます」
ヴィクトルはそのまま母の部屋へ向かった。
扉を開ける。母は窓辺にいた。
老侍女が声をかける。
「奥様」
母が振り返り、にこりと笑った。
「お客様?」
ヴィクトルは立ち止まる。
「私です」
母はしばらく顔を見る。
「どなた?」
「ヴィクトルです」
「あら」
嬉しそうに笑った。
「私の息子と同じ名前ね」
ヴィクトルは何も言えなかった。
「ヴィクトルはね、まだ小さいのに王宮へ行ってしまったの」
「……そうですか」
「とても賢い子なのよ」
少し誇らしそうに笑う。
「小さいころから、よく気がつく子でね」
母は窓の外へ顔を向けた。
「あ、鳥が来たわ」
「はい」
「黄色いお腹をしてるでしょう?」
「そうですね」
「ミーナにも見せてあげたいわ」
ヴィクトルは部屋を出た。
「いつからです」
老侍女は答えなかった。
「なぜ知らせなかったのですか」
「奥様の、ご命令でした」
「何と」
「ご自身に何かあっても、ヴィクトル様には知らせてはならないと。ようやくこの家から離れられたのだから、と」
「父は知っていたのですね」
「はい」
「医師は?」
老侍女の目が伏せられた。
「……旦那様がお許しになりませんでした」
「なぜ」
「家の恥を外へ知らせる必要はない、と。……放っておけ、と」
老侍女の目から涙が落ちた。
「ヴィクトル様がお城へ行かれて、ミーナ様もルヴェインへ行かれて。奥様だけが残られました」
「兄は?」
「……いつしか、旦那様と同じようになられました」
老侍女は目元を押さえた。
「あれほど何もお忘れにならなかった方でした」
ヴィクトルは黙っている。
「旦那様に言われたことも、ハインリヒ様に言われたことも。ヴィクトル様が初めて本を一人で読み終えた日も、ミーナ様が初めて一人で髪を結えた日も」
全部、母は覚えていた。
「ある朝、私におっしゃったんです」
老侍女は涙を拭った。
「『昨日のことを、よく覚えていないの』って」
ヴィクトルが顔を上げる。
「嬉しそうでした」
◇
翌日、父と兄が領地へ出る予定を確認すると、ヴィクトルは馬車を手配した。
母と老侍女を乗せ、本邸を出る。
王都郊外にある、小さな屋敷だった。
庭があり、本邸よりずっと静かだった。
父が戻った夜、ヴィクトルは執務室へ入った。
「母上には、本邸を退いていただきました」
「なぜだ」
「今の状態で本邸におられては客人の目に触れます。グライフェン家の体面を損ないますし、父上のお邪魔にもなるかと」
父は少し考えた。
「そうだな」
書類へ目を戻す。
「気が回るな」
それ以上、何も尋ねなかった。
◇
「こちらは以上です」
調査官の声で、ヴィクトルは顔を上げた。
母の部屋の扉が閉じられる。
銀細工の花瓶は窓辺に残された。
次に調べられたのは薬品庫だった。
調査官が管理記録をめくる。
「禁薬庫の鍵は一本」
「はい」
家令が答えた。
「当主のみが管理する決まりでございます」
「保管場所も、当主以外には知らせてはならない?」
「はい。王家より、そのように定められております」
調査官がグスタフを見る。
「では、これは?」
机の上に一本の鍵が置かれた。
ルヴェインでハインリヒから押収されたものだった。
「禁薬庫の錠に合うことは確認済みです。複製は禁止されていますね」
「そのとおりでございます」
「ハインリヒ様は、鍵の保管場所をご存じだったのですか」
「後継候補だ。場所くらい知っていてもおかしくはない」
「まだ当主ではありません」
グスタフの目が細くなる。
「お教えになったのですか」
「そうだ」
「王家の許可なく?」
「その程度のことに許可が必要だとは思わなかった」
調査官は記録へ目を落とした。
「その後、鍵の確認は?」
「そこまで逐一確認するものではない」
「結果として、その鍵は複製されています」
「ハインリヒが勝手にしたことだ」
「禁薬の持ち出しを命じたことは?」
「ない」
グスタフは即答した。
「私は何も命じていない。すべてあいつの独断だ」
ヴィクトルは目を伏せた。
◇
小邸にも調査官が訪れた。
「伯爵夫人。ハインリヒ様について、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ハインリヒ?」
「はい」
母は少し考えた。
「あの子は、お勉強でしょう?」
調査官がヴィクトルを見る。
「先生に怒られて、ふてくされてなければいいのだけれど」
母は窓の外へ目を向けた。
調査官は目を伏せ、それ以上尋ねなかった。
見送ったあと、ヴィクトルは白い花を持って母のもとへ戻った。
「あら。今日も綺麗ね」
「息子のヴィクトルから預かっております」
母の顔が明るくなる。
「いつも代わりに届けてくれてありがとうね」
「またお届けいたします」
「じゃあ、ヴィクトルにもありがとうって伝えてくれる?」
「承知しました」
母は少女のように笑った。
◇
正式な処分が評議にかけられる前日、ヴィクトルはオスカーに呼ばれた。
「今回の裁決は、俺がする。父上から任された」
夕暮れが近かった。
窓から差し込む光が長く伸び、執務机の端まで赤く染めている。
オスカーはしばらくヴィクトルを見た。
「一つ、願いを聞いてやろう」
ヴィクトルは深く頭を下げた。
壁の時計が一度だけ音を立てた。
「兄も父も、グライフェン家も、私も。どのような処分でもお受けいたします。死を命じられるのであれば、それにも従います」
「ヴィクトル」
「ただ」
そこで言葉が止まった。
「母を」
「母君?」
「母だけは、見逃していただけませんか」
オスカーは黙っていた。
「母は何も知りません。家の仕事からも長く離れています。今回のことも、兄がルヴェインで何をしていたかも知りません」
ヴィクトルは頭を上げなかった。
「それがお前の願いか」
「はい」
「お前自身のことは?」
「申し上げることはございません」
しばらくして、オスカーが頷いた。
「わかった」
◇
翌日、王宮の大評議室には、王族と上位貴族、法を預かる重臣たちが集められた。
国王の隣に、今回の裁決を任されたオスカーが座る。
グスタフとヴィクトルは護衛兵を両脇に置かれて末席に立っていた。
ハインリヒはすでに地下牢へ収容されている。
ハインリヒの重罪について、大きな異論はなかった。
問題は、当主と伯爵家をどう処分するかだった。
「伯爵位を廃し、直系はすべて平民へ落とすべきでしょう」
「しかし、当主が禁薬の持ち出しを命じた証拠はない」
「家を断絶させれば十分では」
オスカーは最後まで聞いた上で、ゆっくりと口を開いた。
「ハインリヒ・グライフェンは死罪とする」
室内が静まる。
「グライフェン伯爵位も廃す。ただし、家は子爵家として残し、次男ヴィクトルに継がせる」
ざわめきが広がった。
「殿下、それでは示しがつきません」
「ルヴェインへどう説明されるのですか」
「そして」
オスカーの声で、場が静まった。
「現当主グスタフ・グライフェンも死罪とする」
グスタフの表情が、初めてわずかに動いた。
室内が騒然となる。
「王家はグライフェン家に禁薬の管理を任せていた。鍵も、その保管場所も、当主以外へ知らせることを禁じている」
オスカーはグスタフを見る。
「グスタフ伯は、その規定に反して長男へ鍵の所在を教えた。その後も確認せず、複製を許した。結果、禁薬は国外へ持ち出され、他国の王宮にまで入った」
「しかし、持ち出しを命じた証拠はありません」
「そのとおりだ」
一度、言葉を切る。
「だが、王家から指定された禁薬の管理規定に自ら背いた。それ自体が王命違反だ」
誰も口を挟まなかった。
「その違反によって鍵が複製され、禁薬が流出し、王女の外交を利用した大罪にまでつながった」
オスカーの視線はグスタフから動かなかった。
「命じていないから責任がない、とは認めない」
静寂が落ちた。
「しかし、当主まで死罪としながら家を残すというのは――」
「責任を負う者には、責任を取らせる」
オスカーの声は静かだった。
「だが、その家に生まれただけの者まで同じ罪には問わない」
「私は賛成いたします」
フェルト子爵だった。
「当主として負うべき責任は、負っていただくべきです。一方で、同じ家族というだけで、父と兄の罪に含める理由はありません」
それでも異論は残った。
「しかし、同じ血を引く以上、次男にも家の責任はあるのでは」
分家のブラント男爵だった。
伯爵家が断絶すれば、その後の継承に名を連ねる可能性がある。
オスカーが男爵を見る。
「同じ血を引いているだけで罪を問うべきだと?」
「いえ、そういう意味では――」
「なら、グライフェンの血縁をすべて調べ直さなければならないな」
青い目が男爵を捉える。
「分家も含めて」
ブラント男爵は黙った。
オスカーは室内を見渡した。
「グスタフ、ハインリヒは死罪。伯爵位は廃止。家は子爵家として残し、ヴィクトルを当主とする」
静寂が落ちる。
「異議がある者は、王太子である私の前で手を上げよ」
誰も手を上げなかった。
「では、以上だ」
◇
人々が退出し、ヴィクトルの両脇にいた兵も離れた。
オスカーも席を立ち、出口に向かう。
「殿下」
オスカーは足を止めた。
「何だ?」
「なぜですか」
オスカーが振り返る。
「殿下ご自身の立場だけを考えるなら、グライフェン家をすべて処分した方が簡単だったはずです。私がお願いしたのは、母を見逃していただくことだけでした」
「ああ」
「なぜ、私を残したのですか」
オスカーは少しだけ目を丸くした。
それから、いつものように笑った。
「だから、母君は見逃しただろう?」
「はい」
「それと、お前の処分は別だ」
ヴィクトルは黙っている。
「俺は、お前を正当に評価しただけだ」
オスカーは扉へ向かう。
途中で足を止めた。
「俺が王になったあとも、お前が必要だと判断した」
振り返らないまま続ける。
「俺の治世に、お前が必要だ。それだけだ」
そのまま歩き出す。
ヴィクトルは、遠ざかる背中へ深く頭を下げた。
◇
刑は、初雪が降る前に執行された。
すべてが終わったあと、ヴィクトルはいつもの花屋へ寄り、小邸へ向かった。
庭には、冬を目前にした花がわずかに残っていた。
ヴィクトルが持ってきたのは、中心だけ淡い黄色をした、ルヴェインの白い花だった。
「あら、こんにちは」
「ヴィクトルから預かっております」
母は嬉しそうに花束を受け取った。
「いつもありがとうって伝えてね」
「承知しました」
母は庭へ目を向けた。
最初に、青紫のリンドウを一本摘む。
「これはヴィクトル」
次に、淡い桃色のコスモス。
「これはミーナ」
母が笑った。
「あの子、可愛いものが好きでしょう?」
「はい」
薄紫のシオンを選ぶ。
「これはハインリヒ」
ヴィクトルの指がわずかに止まった。
「あの子、紫が好きなのよ」
母は懐かしそうに花を眺める。
次に、深紅のダリアを一本。
「これは、あの人」
ヴィクトルは何も言わなかった。
「きっと、お花なんて要らないって言うでしょうね」
母は困ったように笑った。
「でも、家族なんだから仕方ないわ」
最後に、ヴィクトルが持ってきた花束から、白い花を一本抜いた。
「これは私」
五本を両手でまとめる。
青紫のリンドウ。
淡い桃色のコスモス。
薄紫のシオン。
深紅のダリア。
そして、ルヴェインの白い花。
母は満足そうに眺めた。
「これで五人ね」
そのままヴィクトルへ差し出す。
「これをヴィクトルに渡しておいてくれる?」
「五本とも、ですか」
母は笑った。
「家族だから、一緒の方がいいでしょう?」
◇
その日の夕方、グライフェン伯爵家の紋章が壁から正式に外された。
そして、かつて花を拒んだ執務室には、銀細工の花瓶に、五色の花が並んだ。




