ミキサー食のおばあちゃんが笑顔でおはぎ食ってた。~注意したら「私には見極めるスキルがある」と自称リーダーに逆ギレされた件~
先日、私が管理する施設である「大問題」が噴出した。
高齢者の食事というのは、想像以上に繊細だ。
喉の「嚥下状態」——つまり飲み込む力に合わせて、驚くほど細かくグラデーション化されている。
通常食に始まり、一口大、キザミ、極キザミ。さらに進むとソフト食、ムース食、ペースト食、ミキサー食……。
白米ひとつとっても、軟飯、お粥、ミキサー粥と、その形態は多岐にわたる。
すべては「誤嚥」という命に関わるリスクを防ぐための、絶対のルールだ。
先日、施設で入居者様の誕生日イベントが開催された。
私はその日、たまたま休みをいただいていた。
翌日、出勤した私は、イベントの様子を記録したスナップ写真を何気なくチェックしていた。
楽しそうな笑顔が並ぶ中、ある一枚の写真の前で指が止まる。
心臓が跳ね上がった。
ミキサー食(※ドロドロの液体状しか受付付けない状態)のはずのおばあちゃんが、写真の中で、満面の笑みで「おはぎ」を頬張っていたのだ。
嘘だろ……。冷や汗が背中を伝った。
幸いにも事故の報告は上がっていない。
つまり、喉に詰まらせることなく「奇跡的に」無事だったということだ。
しかし、結果オーライで済まされる話ではない。
私はすぐさま、イベント当日のシフト表を確認した。
該当のフロアを仕切っていたのは、20代の女性スタッフ。
周囲には自分が仕切っていると吹聴している、いわば「自称リーダー」の職員だ。
私はすぐに彼女を事務所に呼び出し、問題の写真を見せながら事実確認を行った。
怒りをぶつけるのではなく、まずは冷静に、なぜこんな判断に至ったのかを聞き出すためだ。
すると彼女は、悪びれる風でもなく、さも当然といった様子でこう言い放った。
「あ、それですか? 普段からクッキーとかも水分でふやかして食べてましたし、大丈夫かなと思って」
……なるほど。
私はめまいを覚えそうになるのを、必死でこらえた。
つまり彼女は、私の知らないところで、独断による「危険な特別ルール」を日常的に運用していたわけだ。
クッキーをふやかすことと、粘着性の塊であるおはぎをそのまま食べさせることの間には、天と地ほどの、いや、生と死ほどの隔たりがあるというのに。
何という恐ろしい勘違い。そして、何という危険な綱渡りをしていたのだろうか。
目の前でケロリとしている自称リーダーを前に、私はこの根深い「現場の過信」をどう叩き直すべきか、静かに、そして激しく頭を抱えることになる。
とりあえず起こったことは仕方ない。
今回は奇跡的に事故が起こらなかったから良いが今後はどうかわからない。
イベントを実施するにあたって気を付けないといけないこととして今後はどうするかを会議で話し合おうとと伝える。
「奇跡じゃなくて、これが日常ですから。私にはそれを見極めるスキルがあります。普段フロアに来ない人にはわからないんですよ。現に利用者様だってあれだけ喜んでいたじゃないですか。そんなことを言い出したら、今まで出してきたおやつだって全部事故扱いになりますよ? 事故報告書が大量に出てんやわんやになりますけど、それでもいいんですか?」
悪びれるどころか、自身の経験則を盾に、こちらの管理責任を脅しのような言葉で牽制してくる。
その言葉の端々には根拠のない過信と、組織のルールを軽視する歪んだ「現場至上主義」が張り付いていた。
まくし立てる彼女を前に、私の脳内は急速に冷えていく。
怒りを超えて、背筋に寒いものが走っていた。
彼女は自分の独断を「スキル」と呼び、「喜んでいた」ことを免罪符にする。
だが、医療や介護における食事形態の決定は、専門職が科学的根拠に基づいて行うものだ。
一介護職員の「いけそう」という主観は、スキルでも何でもない。単なる「あてずっぽう」だ。
さらに恐ろしいのは、彼女が「今まで事故が起きていない=安全」と信じ込んでいる点だった。
クッキーをふやかすことと、粘着性の塊であるおはぎを食わせることのリスクの差すら理解していない。
それは単に、たまたま利用者の体調や運が良くて窒息しなかっただけの「運のいいヒヤリハット」に過ぎないのだ。
それを「成功体験」にすり替え、ブレーキを踏めなくなっている人間が現場を仕切っている。この事実こそが、最大の災害リスクだった。
「事故報告書が大量に出るぞ」という最後の脅し文句に至っては、もはや自白でしかなかった。
つまり彼女は、ルール違反の危険なケアが常態化していることを知りながら、それを「自分のフロアの流儀」として隠蔽し続けてきたわけだ。
施設の安全管理体制を内側からシロアリのように食い荒らしていた張本人が、誇らしげに胸を張っている。
目の前でケロリとしている自称リーダーを前に、私はこの根深い「現場の過信」をどう叩き直すべきか、静かに、そして激しく頭を抱えることになる。
同時に、彼女の私を睨みつける強い視線の裏にある、歪んだ敵対心の正体についても思いを馳せていた。
――彼女は、私のことが大嫌いなのだ。
新卒で入社した彼女には、会社側から提示されていた「予定通りのキャリアプラン」があった。
真面目に勤めていれば、いずれは管理職の椅子が手に入るはずの、約束されたエスカレーター。
彼女自身、自分がその候補生であるというプライドを支えに生きてきたのだろう。
しかし、上層部の評価は残酷だった。彼女の現場での独善的な振る舞いや、今回露呈したような安全意識の欠如から、「管理職としての適性なし」ととっくに烙印を押されていたのだ。
そんな中、中途採用で入ってきたのが私だった。
彼女の視点から見れば、私は後ろからすさまじい勢いで追い抜いていき、彼女がずっと狙っていたポジションをあっさりと奪い去り、さらにはその遥か上の役職にまで一気に駆け上がった。
まさに「侵略者」に映っているのだ。
「上層部は私を嫌っているから出世させないんだ」
「私が女だから、こんな些細なミスを大げさに取り上げて足を引っ張るんだ」
それが口癖であった。
彼女の剥き出しの反抗心の根底にあるのは、そんな被害妄想に近い逆恨みだ。
自分が犯した命に関わる重大な規律違反すら、私から受けた「不当なイジメ」へと脳内で都合よく変換している。
自分の適性のなさを棚に上げ、性別や好き嫌いのせいにしなければ、プライドを保てないのだろう。
そんな彼女が放つ「普段フロアに来ない人にはわからない」という言葉は、正論の皮をかぶった、私に対する最大級の拒絶と嫉妬の裏返しだった。
だが、彼女の言葉は決定的な事実誤認を含んでいる。
「普段フロアに来ない」というが、私は彼女の知らないところで、時間を見つけては頻繁に各フロアへと足を運び、現場の空気を肌で感じている。
見ていないのではない。彼女の見えていない角度から、現場のすべてを「観察」しているのだ。
ここに、彼女が管理職になれない最大致命傷――すなわち「視座の低さ」が露呈している。
彼女の視界は、目の前のフロアという極めて狭いバケツの中に終始している。
「おばあちゃんが喜んだ」「今日一日、何事もなく終わった」。
その場しのぎの点の満足感だけで仕事をしており、それが組織全体や未来へどう繋がるかという面の視点が決定的に欠落しているのだ。
この恐るべき視座の低さは、昨今社会問題になっている「闇バイト」に軽い気持ちで手を染めてしまう若者たちの心理と、驚くほど酷似している。
彼らもまた、「高収入」「即日手渡し」という目の前の甘い報酬しか見えていない。
「これをやったら自分の人生がどうなるか」「社会にどんな害悪を撒き散らすか」という数手先のリスクを想像する知性を持たないからこそ、破滅的な一線を超えてしまう。
彼女がやっていることも、本質は同じだ。
「おばあちゃんが喜ぶ顔が見たい」「自分のスキルを誇示したい」という目先の自己満足のために、「窒息事故による施設の営業停止」や「法的な責任追及」という、組織を破滅させかねない巨大なリスクの導火線に平然と火をつけている。
自分の行動が引き起こすかもしれない破滅のスケールが、彼女の低い視座ではどうしても見えないのだろう。
目の前の利益に目を奪われ、破滅へ向かうアクセルを踏み続ける盲目さ。
事務所のデスクで未だに不満げな表情を浮かべる彼女を見つめながら、私はこの「見えない人間」に組織の命運を握らせることの恐怖を、改めて噛み締めていた。




