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眠らぬ白雪姫

作者: 丘乃みどり
掲載日:2026/05/14

 あれからどれ程経ったのでしょう。


 山の上にある城の北の塔のてっぺんにある牢獄から、ひとりの美しい姫は空を見上げていました。


 牢獄の隅には何冊かの本。何度も読み込まれたようですが、姫はそれを通りすぎ、その横にある、鉄で作られた頑丈な宝箱の前で足を止めました。しゃがみ込み、大事そうに細い指で触れました。箱はそれほど大きくはありません。りんごが2,3個ほど入りそうなくらいです。箱には錆部分があり、とても古いものですが、とても綺麗でした。姫は、箱に触れた手で、今度は首に掛けた鍵を大事そうに触りました。


 姫は不思議な力を手にしていました。ゆえに、監獄されたのです。姫は美しさの衰えを知りません。彼女の瞳は珍しいヴァイオレット色をしていました。


 彼女は起きている間、ずっとこの世の平和とある人の無事を祈りを捧げていました。今もそうです。彼女はずっと、ある人を待っているのです。



「お城の噂を知っているかい?」

「なんの噂?」

「王族はもうずっと前に途切れたわ。」

「今は周りの山が険しくて入れないしね。」


 4人の子供達が、草むらに輪になって話していました。


 この村はとても平和でした。田舎ではありましたが、皆が協力して、仲良く暮らしていました。この村の子供たちは、必ず親から聞く話がありました。 この村のヒトなら誰でも知っているのです。


「あの城の牢獄に、今もお姫様がいるらしいんだ。」

「でも、もう死んでいるでしょ?」

「話を聞いてよ、いろいろ不思議な話があるんだよ。」


 その話に加わっている、一人の優しそうな男の子がいました。彼はその話を知らないようです。


「聞かせてよ、僕、知りたい。」


 その男の子は、目を輝かせて言いました。その瞳は珍しいヴァイオレット色でした。


「じゃあ、話してあげるよ。むかーし昔…。」


***


 昔々、この村はある王族が治めていました。とても良い王族で、村の人々と、おうや王子の交流もさかんでした。


 そんなある春の日でした。とても天気も良く、雲一つありません。心地よいかぜが吹く中、ある家族がこの村に引っ越してきました。


 身長が高く、筋肉質でハンサムな父、華奢で身長は低いですが上品な顔立ちの母、そして、15歳の一人娘のサラでした。


 サラは、母ゆずりのキラキラ輝くブロンドの、父ゆずりのふわふわした髪を持っていました。そして、女性らしい、愛らしい体型でした。そして何より、きめ細かい白い肌、母ゆずりの珍しいヴァイオレット色の美しい瞳が特徴でした。


 サラは見かけに寄らず活発で、元気で明るい娘でした。たちまち村では、女男、大人子供関係なく人気者になりました。


 この村には大きな森がありました。その森は奥深く、人々は近づくことはありませんでした。


 なぜならその森には、たくさんの恐怖が潜んでいると言われているからです。


 満月の夜には狼人間、毒蛇や毒蜘蛛が行き交い、猛獣が生活しているらしいのです。ですがおかしなことに、それらを見たことのある人は誰もいませんでした。


 可愛いサラは、その森が気になって気になって仕方がありません。


 普段は朝食のあと、本を読んで散歩をするか、村の仲の良い友達とお喋りをしています。天気が良い日には、村の人々と歌ったり踊ったりしました。


 今日のサラは、大好きな両親に「お散歩に行ってくるわ」と笑顔で言うと、人目を気にしながら森の方へ行きました。


 森はとても静かでした。風に揺られる木々の音が響くだけです。空気はとても澄んでいて、サラは胸いっぱいに深呼吸しました。自然のいい香りが、サラの体に広がりました。本当に森は静かです。むしろ静かすぎて不気味なのでした。


 ですがサラは好奇心旺盛な女の子でした。暗く、奥深い森へと足を踏み入れてしまいました。


***


 遠い昔から、人間は自分たちより力を持った者や物をおそれてきました。それらが何であれ、人間界から追放し、その存在を封印することを好んでいました。


 森の中には一つの素敵なお屋敷がありました。お城というには小さすぎますが、誰もが足を止めて見とれてしまうような豪華なお屋敷でした。けれど、誰も足を止めません。それは人が滅多に来ないからです。もっとも、誰かが訪ねてくるようなお屋敷ではなさそうでした。


 草や木の植物のツルは伸びっぱなし、所々は錆びてきていて、決してお手入れをしているようには見えませんでした。


 木の葉たちの間から、ちらちらと光が差し込んでお屋敷を照らしました。その光が、いっそうそのお屋敷を魅力的にしました。お屋敷のすべての窓にはカーテンがしっかり閉められていて、まるで、自然の光を完全に絶っているようでした。


 シークは、たった一人でお屋敷に住んでいました。きりっとした目が特徴的な美青年でした。どこか肌は青白くて赤みがなく、髪の毛は深い黒色でした。そして異常なくらい五感が冴えていて、どんな小さな音も聞き洩らしませんでした。


 彼は、若い青年ではありませんでした。彼はすでに100歳を超えていました。では

なぜ、彼は歳をとらなくなってしまったのでしょう。


 彼は人間ではありませんでした。ですが人間になりたいと願っていました。そして、元は人間だったのです。


 シークは、この村より遠く離れた国で、裕福に育ちました。しかし、人生の転機は家族で旅に出かけたときに起こりました。


 船は嵐の中、大きな波と戦っていました。人々は、その嵐は神様がお怒りになったと思って、許しをこう祈りを捧げました。


 その人々を馬鹿にしたように大笑いした女がいました。


 その女は悪い魔女でした。魔女は突然、祈りを捧げる人々の前に姿を現しました。人々は当然驚きました。魔女が言うには、この嵐は自分が作り出したそうです。人々は魔女に、この嵐をどうにかしておくれと頼みました。すると魔女は言いました。


「“いけにえ”を我に差し出せ。」


 いったい誰を引き渡せと言うのでしょう。魔女が望む“いけにえ”が、どんな人間なのか、人々は分かりませんでした。そこである人は、どんな“いけにえ”が良いのかと聞きました。魔女は答えました。


「若い男だ」


 人々の目は、シークに向けられました。両親は盾になるように息子をかばいました。両親は、シークを“いけにえ”に差し出すわけにはいかないと言いました。


「殺すわけではない」


 魔女は不気味に笑いました。それならばと、シークは両親の腕から抜け、皆の前にたちました。母は彼の手を握って「行かないで」と言いました。ですが彼は「大丈夫、僕が“いけにえ”になれば皆は助かる。それに僕は殺されない」と、自信たっぷりに言って母を安心させました。


 魔女はいっそう笑みを深めました。


 嵐の中、シークは船さらに足を進めて魔女と向き合いました。魔女は、手に持っていた鉾をシークに向けました。彼は黒い光に包まれて、その光は彼の体の中にすぅっと入り込んでいきました。


 すると、たちまち嵐は止んで、魔女の姿もいつの間にか消えていました。雲は晴れて夜空には星が沢山見えていて、明るく大きな満月が浮かんでいました。


 皆が寝静まった頃、シークは自分の体の変化に気付きました。やけに目が冴えるのです。今までに、夜に目が覚めることはありましたが、今夜はいつもと違うのははっきりと分かっていました。


 体の奥から熱いものが込み上げて、脈を打つ音が耳に響くように聞こえました。波が船体を打つ音、船のきしむ音、となりの部屋から聞こえる寝息、すべてが耳に焼け付くようでした。

 

 シークは気分転換にと、寝室を出て風に当たろうとしました。ドアを開け、甲板にでると、いつもより多くの星が見えたように感じました。そして、その眩さに目を見張りました。そのあと、しばらく波を見ていましたが、落ち着きを取り戻すことは出来ませんでした。


 甲板に誰かの足音が響きました。シークの耳には、異常なくらいその足音が響いていました。シークが振り向くと、少し年下くらいの娘がいました。茶色の瞳で黒髪、家族と旅行に行くと話していた娘でした。シークは、この船で出会ったその娘に、少なからず好意を抱いていました。


 彼の興奮を大きくするのに、娘の魅力は充分でした。彼は、自分を見て微笑む娘の手を引くと、自分の腕の中に閉じ込めました。「どうしたのですか」と尋ねる娘の黒髪を首からよけると、白くて細いうなじがあらわになりました。


 シークは、そのうなじに噛み付きました。


 娘は、声にならない悲鳴をあげて助けを求めました。ですがその声は誰にも届くことなく、娘の体は崩れるように倒れました。ついに、娘の体は動きませんでした。


 シークは驚きで動けませんでした。自分が犯した罪は何なのか。人間が人間の血を吸って殺してしまうなど、人間のすることではないと彼は分かっていました。


 シークは自分の歯に触れました。鋭く長い歯が二本ありました。そして、自分の手には、べっとりと血が付きました。そこで彼は正気に戻りました。口の周りにはちがついています。


 まるで、吸血鬼ではないか。


 いいえ、吸血鬼になってしまったのです。


 理由は明らかでした。魔女はシークを吸血鬼にしたのです。呆然と立ちすくむ彼の足もとには、黒髪の娘が倒れていました。そこに、目を覚ましたシークの母が駆けつけました。


 彼は正直に母に話しました。母は涙を流して彼を抱きしめました。けれど、血だらけの手で、母を抱きしめ返すなど、シークには出来ませんでした。


 母とシークは、このことを誰にも知られたくないと思いました。混乱しているシークより、息子を愛する母の方が強くそう思っていました。二人は娘を海へと放り投げ、彼女の魂が救われますようにと願った。


 この事件のことを、誰も知ることはありませんでした。


 それから陸に着くまでの生活は一変しました。シークは、昼間に甲板に出ることはなくなりました。そして、食事は肉は中心になっていきました。


 こうなってしまった事を、シークの両親は話していました。両親の祖先は、ある村に別荘を持っていました。その別荘は森の奥深くにあるものでした。息子をその別荘に閉じ込めておけば、恐怖はなくなると考えました。


 シークは、愛する両親に従い、その別荘でひっそりと暮らすことを決意しました。


***


サラは、森の奥へと足を進めていきました。とても、危険や恐怖があるとは思えないほど、美しい森なのでした。村では見られない色とりどりの花々や珍しい生き物、木々は風に揺れて、キラキラと太陽の光を森に注ぎ込んでいました。サラは、この森が今、自分を招き入れてるとしか思えませんでした。


 サラは足を止めました。目の前に、古いお屋敷が見えたのです。近くにコウモリがいました。サラは、古びてしまったお屋敷をじっくりと眺めました。所々錆びついていて、植物のつるが巻き付いていますが、昔は美しい建物だったに違いないとサラは思いました。


 サラは、玄関の扉へと進んで、取っ手に手をかけました。鍵は掛かっていません。サラは不気味な音のなる扉を、力いっぱい開きました。中は暗く、あまりきれいとは言えませんでした。


 「誰だ!」と男の人の声が響きました。サラはびっくりして固まりました。


 すぐそばの階段から、美しい青年が下りてきました。



 これが、サラとシークの出会いでした。


 シークはこれまで、たった一人で孤独でしたが、毎日のようにやってきてくれるサラに励まされました。心優しく、物知りなシークに、サラは惹かれていきました。シークは、自分が吸血鬼であることを知られるのが怖いと思っていましたが、好奇心旺盛なサラは、シークのこれまでの辛さも、これからの不安も、当たり前のように受け入れてくれました。いつの日か、ふたりは愛し合うようになっていきました。


***


 サラとシークが、お互いを大切に、愛し合うようになって一年が過ぎました。サラは森

へ通い、シークはそんな彼女を招き入れていました。


 そんな平和なある日の事でした。お城の王子が、お妃さまを選ぶために、国中の美しい娘をお城に呼んで、舞踏会を開くというのです。輝くブロンドの髪、白い肌、珍しいヴァイオレット色の瞳をもつサラにもお声がかかりました。


 サラは当然、シークという恋人がいることを誰にも話していませんでした。サラは舞踏会に気が進みませんでした。ですが、ドレスを着て、舞踏会に行くだけだからと両親に後押しされ、参加することになってしまったのです。


 盛り上がっていたのはサラではなく、サラの大好きな両親でした。こんなにも可愛らしい我が娘が、王子のお妃さまに選ばれたらと、両親は楽しそうに話しました。


 それからサラは、舞踏会の準備に追われて忙しくしていました。そのために、森に行くことが出来ません。


 サラのお母さんは、街でヴァイオレット色のドレスを買ってきました。とても可愛らしくて、サラにとっても似合うドレスでした。サラは、このドレスをシークのために着ることができたらと、密かに思うのでした。


 舞踏会を今夜に控えた朝、サラはいつもより早起きしました。森へ行って、シークと話そうと思ったからです。すでに起きていた両親には、緊張を落ち着かせるために散歩に行くと言いました。両親は、何の疑いもなくサラを見送りました。


 サラは、誰にも見られないように森に入っていきました。今日も良い天気で、森の中は相変わらず神秘的で美しいですが、サラはお屋敷へと、一目散に走っていきました。



 五感の鋭いシークは、サラがやって来ることがすぐ分かりました。サラがお屋敷の扉を叩く前に、シークがサラを出迎えました。


 シークは、最近来なかったサラを心配していたとサラに伝えながら、紅茶を入れてくれました。サラは、舞踏会に行くことになってしまったことを言いました。ふたりの間に少しの沈黙と緊張が走りました。


 シークは、自分がサラの恋人だと堂々と言えないことに悔しく思いました。ですが、サラがお妃さまにえらばれることがなければ何の問題もないのだと、舞踏会に行くことをしぶしぶ認めてしまいました。


 家に帰ったサラは、お母さんにとびきり可愛く変身させられました。両親は大喜びでしたが、サラはあやふやに笑っただけでした。この姿を、シークに見てもらいたい。サラはそう思うばかりでした。


 太陽が沈もうとする頃に、お城の馬車が迎えに来ました。両親は、愛娘が馬車に乗りこむと、笑顔で手を振り見送りました。お城に着くまでの間、サラは不安でいっぱいでした。


 もし、お妃さまに選ばれてしまったらと…。


 お城はとても美しく、夜でも光り輝いているように見えました。屋根は薄い水色で、高い塔が何本もあるのが特徴的でした。サラはお城の家来に案内されて、中に入っていきました。

 

 広間にはすでに、多くの娘たちが集まっていました。王子のお妃さまに選ばれること

を夢見て、皆が精一杯おめかししていました。


 しばらくして王子が現れました。娘たちは、我よ我よと、王子に熱い視線を送り続けています。娘たちは、王子をほめたたえる言葉を呟きあっていました。王子はつやのある黒髪で、身長も高く、立ち振る舞いも立派であることから、男性としての魅力はありました。ですが、サラにとっては、賢くて優しいシークの方が、よっぽど魅力的だと感じるのでした。


 王子は娘たちに笑顔を振りまきながら、どの娘と踊ろうかと考えているようでした。はじめに選ばれたのは、銀髪の背の低い、控えめそうな娘でした。パールがちりばめられたブルーのドレス姿に、娘たちは嫉妬の念に駆られていました。次に選ばれたのは、気の強そうな栗色の髪の、赤いドレスを着た娘でした。はじめの娘は、緊張でうまく踊れませんでしたが、この娘は堂々と踊りあげていました。


 さて、三人目を選ぶとき、王子はサラの近くまでやってきました。サラの周りの娘たちは、私を選んでくださいと、息を荒げていました。そうではないサラに、王子は目をつけました。


 サラは王子と踊ることになりました。サラの美しくきれいな姿に、ほかの娘たちは何も言えなくなってしまいました。踊っている間、王子はサラの沢山のことを褒めました。ブロンドの髪、色い肌、そして何より、珍しく美しいヴァイオレット色の瞳に、王子はすっかり魅了されて、サラのことが気に入ってしまいました。


 曲が終わってサラはホッとしました。ですが王子は、舞踏会を止めると言いました。お妃さまは、サラに決めたというのです。祝福する家臣たち、認めざるを得ない娘たち、たくさんの拍手が会場を包みました。


 サラは、素直に「結婚なんて」と言いましたが、王子は聞く耳を持ちませんでした。お妃

さまに選ばれたサラは、そのままお城に泊まることになりました。


***


 夜は眠れないままでした。部屋にあるバルコニーに出て、空を見上げたサラは、ため息をつきました。空はとてもきれいで、たくさんの星が瞬き、明るく大きな満月が浮かんでいました。


 すると、サラの目の前に、コウモリが姿を現しました。サラは、シークのお屋敷のすぐそばに、コウモリがいつもいたことを思い出しました。


 サラは、そのコウモリが神様のように思えました。思うがままに、そのコウモリに舞踏会のことを聞かせ、このままだと結婚させられてしまうと話しました。不思議なことにそのコウモリは、サラが話し終えると森の方へと飛んでいきました。サラは、自分の思いがシークに届きますようにと祈るばかりでした。


 翌朝、サラの両親がお城に招かれました。両親はすっかり結婚に乗り気でした。王や王子の家臣、王のお妃である女王もサラを気に入ってしまっており、結婚は決まったものになってしまいました。


 サラは部屋に閉じこもりました。そうすれば両親だけでも、この悲しい気持ちに気付いてくれるかもしれないと思ったからです。ですがそれは真逆でした。富と名誉という悪魔に、両親は取りつかれたようでした。サラは悲しみにくれました。


 その日の夜でした。一階が騒がしいのです。どうやら侵入者のようです。サラは悪い予感がして、一階に走っていきました。


 サラの予感は当たっていました。侵入者というのはシークだったのです。サラは階段の上からシークの名前を呼びました。シークはサラを、目で捕えました。おそらくコウモリから話を聞き、助けにきたに違いないとサラは思いました、シークとサラは、王たちのいる部屋に行くことになりました。


 部屋にはすでに、両親も来ていました。シークは縄に縛られ、王と王子の前に跪かされました。シークは王と王子に向かって、サラは大切な恋人だから返してほしいと言いました。


 サラに恋人がいたことを知らなかった両親は驚きました。


 王子はシークの目をじっと見つめました。そして、その顔は青白すぎる、口を開けろと命令しました。拒んだシークを、家来たちが無理やり口を開かせました。そして、鋭い牙がきらりと光りました。


 その場にいたほとんどの人が叫び声をあげました。吸血鬼であるシークを、この国に居させるわけにはいかない、シークを追放の命に処すると王子は言いました。そして、王子はシークの目の前に一つの巻物を投げつけました。


 その巻物には「癒しの泉」を記した地図が描かれていました。その泉の湧き水を飲めば、たちまち人間になれるだろうというのです。もしもシークが泉を見つけ、人間になることが出来れば、このお城に住まわしてやると王子は言いました。シークは王子を睨みました。王子は余裕の笑顔でシークを見下ろしていました。


 シークは静かな声で「分かった」と言いました。


 それは、彼がサラの結婚を認めたということです。サラは耐えられなくなって、その部屋から走り出ていきました。


***


 サラはそのあと、部屋で泣き続けていました。真夜中になった頃、バルコニーに人の気配を感じたサラは、そっとカーテンを開けました。


 そこにはシークがいました。サラは大急ぎで窓の鍵を開けると、シークに抱きつきました。


 シークは、これから旅に出ると言いました。「癒しの泉」を見つけ出し、人間になって帰ってくると言いました。そして、それまで待っていてほしいと言いました。サラは涙をぬぐってうなずきました。


 サラはシークを部屋に招き入れました。そしてふたりは、一緒に眠りにつきました。


 翌朝、サラが目覚めると、横にはすでにシークの姿はありませんでした。サラが目覚める前に旅発ってしまったようです。ですが。もうサラは悲しくありませんでした。どうか、無事に戻ってくるようにと、祈りました。


 それからは、城中が結婚式の準備忙しくなりました。サラは、結婚を受け入れたのです。


 人々からの祝福を受けて、サラは笑っていました、その姿をみて、王子も満たされたようでした。


 結婚してから、サラは一人でいる時間を多くとりました。教会でいつも、シークが無事に戻ってこれるように、いつ戻って来ても良いように、彼の命の無事と、この世の平和を祈るためでした。


***


 それから何年かが過ぎていきました。シークは戻ってきません。何の便りもありません。


 それでも、サラはシークを信じていました。


 サラと王子の間には、1人の男の子が生まれました。男の子は、サラの珍しいヴァイオレット色の瞳を受け継いでいました。


 ある日サラは気付きました。自分は人間であるということを。


 シークは吸血鬼ですから、当然、歳をとることがないのです。彼は、いつ戻ってくるのかは分かりませんでした。このままでは、シークが戻ってくる頃には、おばあさんになってしまっているかもしれません。それどころか、生きているのかさえも分かりません。

 

 サラの考え込む日々が始まりました。しかし、良い方法は浮かぶことはありませんでした。


 ある日、わが子を寝かせつけてから、サラはバルコニーに出て、空を見ました。何か思いつめることがあると、空を見る癖がサラにはありました。


「困っているようだね」


 不気味な女の声が聞こえました。サラの目の前に、悪い魔女が現れました。


「私が助けてあげよう」


 魔女は妖しく笑いながら言いました。サラは思わず、魔女の声に耳を傾けました。


 魔女は、真っ黒なリンゴを1つ、サラに見せました。


「これを一口食べれば、永遠の若さが手に入る」


 その言葉は、今のサラにとって、この世で最も魅力的なセリフでした。サラは、食い入るように魔女を見つめました。


「食べないのかい?」


 サラは首を横に振ると、魔女の手からリンゴを奪うようにとりました。そして一口食べました。


 お腹のあたりから、とても冷たいものが体中に広がるようでした。


 サラの時間は、今、止まったのです。


「もとの体に戻りたい時は、これを一口食べるといい」


 魔女の手には、ぴかぴか光る赤いリンゴがありました。このリンゴを食べれば普通の人間の体に戻ることが出来るということです。サラはそのリンゴを受け取りました。


 魔女はニッコリと笑うと、その場から消えていきました。


 サラは、その赤いリンゴを、とても大事そうに、頑丈な鉄の宝箱にしまいました。鍵は自分の首からさげていました。


 サラはまた、教会でシークの無事と、この世の平和を祈る日々が始まりました。


***


 シークの旅は大変なものでした。吸血鬼である自分の体に気を使うことが大切だったからです。太陽が出ている間は、陰を通るか、体を太陽の光から遮断する必要がありました。


 シークは、「癒しの泉」があると言われる山のふもとまで辿りつきました。後は、この山

を登り、泉の水を飲めば良いのだと思うと、気持ちが高ぶりました。


 山は険しい道でしたが、うっすらと道筋はあるようでした。今までにも「いやしの泉」目指していた者がいたに違いないとシークは思いました。


 滝の音が聞こえてきました。シークはいっそう足を速めました。滝の音のする方へと進むと、とても美しい光景が目に飛び込んできました。長い滝の下には水がたまっており、底からも水が湧いているようでした。


 この場所の空気はとても澄んでいました。それは、長かった旅の疲れを取り除いてくれているように感じました。


 シークは、泉の水を、手ですくって飲みました。


 体の中から太陽に照らされたかのようにあたたかくなりました。今まで感じることのできなかった体温は、涙があふれるほど感動を与えるものでした。さらに2本の鋭い牙は主張をやめて、泉の水面にうつる自分の姿は、吸血鬼ではなく、生きている人間のものでした。


 シークは嬉しくなって、空を仰いで笑いました。もう太陽から隠れる必要はありません。


 シークは山を降り始めました。山のふもとまでやってくると、少し先に美しい娘の姿がありました。彼女はジッとシークを見つめていました。


 シークはその娘の顔を見て驚きました。娘はサラの姿をしていました。サラはニッコリとシークに笑いかけました。


 シークはサラに駆け寄りました。そして、「なぜこんな所にいるのだ」と尋ねました。


「あなたを待てなくて、城を抜け出してきたの」


 サラはそう言いました。シークは嬉しくなってサラを抱きしめました。


 2人は、その山の近くに家を建てて住み始めました。そこは田舎でしたが、日の当

たる明るい場所で、人々の温もりに触れながら、2人は幸せに暮らしました。


 それから何年も経ちました。2人はすっかり歳をとり、顔にはシワがありました。


 そんなある日のこと、歳をとったシークは病に倒れてしまいました。医者によれば、もう歳だということでした。助かる見込みはないそうです。サラはシークに付きっきりで過ごすようになりました。それでも、サラがそばにいることは、シークにとって幸せなことでした。


 とうとうシークは自分が最期だと思いました。シークは最期、愛するサラの姿を一目見ようと、細く目を開きました。


 そこにあった顔は、愛するサラではありませんでした。


 そこにいたのは、あの悪い魔女でした。


 魔女は、ハンサムで誠実なシークを自分のモノにしたかったのです。そして、それは成功しました。


 魔女は深く深く、妖しく笑いました。


「これでお前は、私のモノだ」


 シークは絶望しました。


 ずっと一緒に暮らしてきたのはサラではなく、サラに化けた魔女だったことに気付けなかった自分を恨み、憎みました。


 サラは、今もあの城で自分を待っている……。


 シークはそのまま永遠の眠りにつきました。


 魔女はシークの悲しみや絶望を、自分の力としてたくわえました。魔女は、愛した男と長年過ごした家を燃やすと、姿を消しました。魔女が居なくなっても、そこには、不気味な、高笑いが響いていました。


***


 サラは牢獄に居ました。


 サラは、息子が10歳になっても、15歳になっても、王子が何歳になっても、老いることがありませんでした。


 息子にとっては大変な自慢でした。王になった夫にとっても、とってもとっても自慢でした。ですが王は、そんなサラを、不気味に感じ始めました。


 そう思っていたのは王だけではありませんでした。城中の人々、村人たち、衰えをしらない美貌の噂は、他国へも広がっていきました。


 そして、そんなサラを、人々はおそれ始めました。


 サラは、城の北の塔のてっぺんにある牢獄へ閉じ込められました。その際、サラは何冊かの本と、リンゴの入った鉄の宝箱を持ち込みました。


 サラの息子だけが悲しみにくれて、涙でヴァイオレット色の瞳を濡らしました。


 ですが、サラは辛くありませんでした。いつかきっと、愛するあの人が迎えに来てくれることを信じているからです。


 サラは牢獄の中でも、あの人の無事と、この世の平和を祈り続けていました。牢獄での祈りの日々は、何日も何日も続きました。それは、何年も何年も……。


 愛するあの人が、すでに死んでしまっていることも知らずに。


***


「じゃあ今も牢獄の中に姫はいるのかしら?」

「ただの噂だろう?」

「でも作り話だと思う?」

「僕はいると思うな」


 ヴァイオレット色の瞳をした男の子は言いました。そう言って城の北の塔の方を見ました。


 何故だか分かりませんがそのような気がしたのです。


 さて、日が暮れてきてしまいました。4人の子供たちは家へ帰っていきました。


 男の子は大好きな両親が待つ家へと帰りました。息子を出迎えた母親は、美しいヴァイオレット色の瞳をしていました。


 男の子は夕食で、今日、友達と話したことを言いました。


「ママは、そのお姫様はいると思う?」


 母親はニッコリ笑って、豊かなブロンドの髪を揺らして言いました。


「いると思うわ。だってこの村は平和だもの。今も、この世の平和を祈っているのよ」


 母親は、窓に映った自分の顔を見ました。珍しいヴァイオレット色の瞳がキラッと光りました。


「いつか、あなたも分かるわ」


 母親は、自分と同じ瞳を持った息子にキスをしました。


***


 あれからどれ程経ったのでしょう。


 城の北の塔のてっぺんにある牢獄から、ひとりの美しい姫は空を見上げていました。


 姫は不思議な力を手にしていました。ゆえに、監獄されたのです。姫は美しさの衰えを知りません。彼女の瞳は珍しいヴァイオレット色をしていました。彼女は起きている間、ずっとこの世の平和と愛する人の無事を祈り捧げていました。今もそうです。


 彼女はずっと、ある人を待っているのです。




end

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