第64話 王太子の沈黙
夜の回廊は静かだった。
制度設計監査室の灯りは、まだ消えていない。
書類整理を終えたリリアーナが廊下に出たとき、
「……アルヴェイン嬢」
低い声が呼び止めた。
振り返る。
王太子が、ひとり立っている。
側近もいない。
公務用の仮面もない。
「殿下」
形式通りに一礼する。
数秒の沈黙。
「責任の所在について」
昼の会議のことだ。
「……どう思う」
問いは、曖昧だった。
評価を求めているのか。
正解を聞きたいのか。
リリアーナは、少しだけ考える。
「殿下は選びました」
「それが全てです」
答えになっていない。
王太子は、わずかに眉を寄せる。
「私は」
言葉が続かない。
「正しいか」
核心。
静寂。
リリアーナは、視線を逸らさない。
「王に正解はありません」
はっきりと言う。
「あるのは、選択と結果だけです」
王太子の指が、わずかに動く。
「ならば、結果が悪ければ」
「責任を取る」
即答。
「それが王です」
冷たいわけではない。
だが、甘くもない。
助言はしない。
慰めもしない。
選んだのは、あなた。
その重さを、受け止めるのは、あなた。
王太子は、静かに息を吐く。
「……お前は、私を助けないな」
その言葉には、責める色はない。
確認。
「殿下は王太子です」
「私は監査官です」
立場を示す。
境界線。
それ以上も、それ以下もない。
「だが」
王太子が、わずかに苦笑する。
「お前の言葉は、いつも背に刺さる」
「痛いですか」
「……ああ」
正直な答え。
だが、その目は逃げていない。
「ならば、効いています」
小さく言う。
王太子は、わずかに目を見開き、
そして静かに笑った。
「そうか」
沈黙が落ちる。
重くはない。
だが、以前とは違う。
依存ではない。
対等でもない。
試験官と受験者でもない。
ただ、選択をする者と、それを見る者。
「……もう一つ」
王太子が言う。
「レオンの名が、また上がっている」
軍部。
財務。
外交。
“補佐官が王に相応しいのではないか”
その声。
「知っています」
リリアーナは即答する。
「お前は」
王太子の声が、わずかに低くなる。
「どう思う」
沈黙。
これは、政治ではない。
個人の問い。
「私は」
ゆっくりと答える。
「国家が持続する形を選びます」
誰が王になるかではない。
どの構造が持続するか。
王太子は、しばらく彼女を見つめ、
そして静かに頷いた。
「そうか」
それ以上は聞かない。
夜風が、回廊を抜ける。
王太子は背を向ける。
「私は、選ぶ」
独り言のように。
足音が遠ざかる。
リリアーナは、静かに息を吐く。
助けない。
だが突き放さない。
その距離が、今の均衡。
玉座は、まだ揺れている。
だが。
沈黙の中で、それぞれが歩き始めていた。
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