第62話 削られた確認印
地方税制案の再検討から三日。
王宮内の空気は、表面上は穏やかだった。
だが制度設計監査室に、再び古い決裁記録が届けられる。
「……これは」
ルークが眉を寄せる。
「三年前、軍需契約の簡略化通達」
リリアーナは書類を開く。
承認印が三つ必要だった案件。
だが当時の通達で――
“二印で可”に変更。
「確認印が一つ削られています」
バルドが低く言う。
「理由は“緊急対応のため”」
戦時ではない。
平時。
効率優先。
「実害は?」
「当時はなし」
だが。
「現在も二印のまま運用されています」
制度は一度削ると戻りにくい。
夕刻。
軍務卿補佐室。
「過去の簡略化が残っている」
レオンが報告書を見る。
「今もか」
「はい」
「実害は出ていない」
「ですが、構造上の穴です」
リリアーナは静かに言う。
「問題が起きていないだけで、起きない保証はありません」
沈黙。
「王太子に報告する」
レオンが言う。
「助言は?」
「しません」
即答。
「判断は殿下のものです」
夜。
王太子の執務室。
削られた確認印の記録が置かれる。
自分の署名。
簡略化の指示。
あの頃は、誇らしかった。
処理は速くなった。
称賛もあった。
だが今。
それは“穴”と呼ばれている。
ノック。
大公クラウディウスが入室する。
「殿下」
「確認印削減は合理的でした」
「当時は」
わずかな強調。
「今は違う、と?」
「状況が違います」
大公の声は穏やかだ。
「王とは、状況に応じて制度を変えられる者」
圧ではない。
試し。
翌朝。
重臣会議。
王太子は立ち上がる。
「三年前の軍需契約簡略化通達」
「確認印を三印に戻す」
室内が静まる。
「緊急時を除き、簡略化は行わない」
軍務卿が問う。
「理由は」
「効率は重要だ」
「だが確認は制度の骨格」
言葉は落ち着いている。
借り物ではない。
「骨格を削れば、いずれ折れる」
その一言に、静かな変化が生まれる。
大公がわずかに頷く。
レオンは黙っている。
リリアーナも発言しない。
会議後。
回廊で大公が言う。
「殿下は変わられた」
王太子は、少しだけ苦く笑う。
「変わらざるを得なかった」
「それが王の資格だ」
短い評価。
一方。
制度設計監査室。
「戻りましたね」
ルークが言う。
「はい」
リリアーナは淡々と答える。
「整いました」
「殿下は成長していますか」
小さな問い。
彼女は数秒考える。
「学んでいます」
断言ではない。
だが否定でもない。
削られた確認印は戻った。
小さな修正。
だが。
王位への道は、修正の積み重ねでできている。
そして。
試験は、まだ終わらない。




