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第5話 悪役令嬢は、何も言わずに去った

 監査官の女性――名をエルザ・クローディアと名乗った彼女は、

 私の話を、遮ることなく最後まで聞いた。


 夜明け前から整理してきた書類のこと。

 承認が下りないまま放置された修正案。

 それでも、問題が起きないように裏で調整してきたこと。


 自慢でも、弁解でもない。

 ただ、事実を並べただけだ。


「……そう」


 エルザは、短くそう言った。


 感情を挟まないその反応に、

 私はかえって安心していた。


「あなたは、有能ね」


 その言葉は、これまで何度も聞いてきた。

 けれど、続く言葉が違った。


「でも、それを利用されていた」


 胸の奥で、何かが、すとんと落ちた。


「あなたのやり方は間違っていない。

 ただ……この王宮は、あなたを守る仕組みを持っていなかった」


 守る仕組み。


 そんなものが、必要だと思ったことはなかった。


「これから、どうするつもり?」


 エルザは、私に選択を委ねるように尋ねた。


 どうするか。


 これまでの私なら、

 与えられた役割を、そのまま受け入れていただろう。


 裏方に回れと言われれば、そうする。

 仕事があるなら、黙ってこなす。


 それが、自分の価値だと思っていたから。


 けれど。


「……静かに、生きたいです」


 口にしてから、

 自分でも少し驚いた。


「もう、誰かの期待に応えるために、

 自分を削るのはやめたい」


 エルザは、私をじっと見つめていた。

 評価するでも、否定するでもなく。


「それは、“逃げ”ではないの?」


 試すような問い。


 私は、首を横に振った。


「選択です」


 はっきりと、そう言えた。


「私は、ここで評価されることを望みません。

 必要とされない場所で、証明し続ける気もありません」


 それは、諦めではない。

 少なくとも、今の私にはそう思えた。


 エルザは、ゆっくりと息を吐いた。


「分かったわ」


 そして、言った。


「正式に、裏方部署への異動が決まるでしょう。

 ――王宮後方管理室」


 聞き慣れない名だった。


「目立たない。権限も少ない。

 けれど、王宮が止まらないための場所」


 彼女は、わずかに口角を上げる。


「あなた向きよ」


 その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。


 その日のうちに、異動は通達された。


 送別会はない。

 別れの言葉もない。


 私の執務机は、翌朝には空になっていた。


 荷物は少なかった。

 必要な書類と、使い慣れた筆記具だけ。


 廊下を歩きながら、

 誰かに引き止められることもなかった。


 それでいい。


 私は、最後に一度だけ振り返る。


 豪奢な王宮。

 華やかな社交の場。

 そして、私が居場所だと思っていた世界。


 そこに、未練はなかった。


「……さようなら」


 誰に向けた言葉でもない。

 ただ、過去の自分に向けて。


 悪役令嬢と呼ばれた私は、

 何も言わずに、その場を去った。


 怒鳴りも、涙も、復讐の誓いもない。


 けれど、それは敗北ではない。


 私は、自分で選んだ。


 ここから先を、

 どう生きるかを。


 まだ、この選択が正しいかどうかは分からない。


 ただ一つ、はっきりしていることがある。


 ――もう二度と、

 誰かの都合だけで使われるつもりはない。


 静かな場所で、

 静かに、生きる。


 それだけを胸に、

 私は新しい部署へと向かった。


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