第37話 記録に残る名前
正式報告書は、軍務卿補佐室を経由して王宮文書局へと提出された。
西部軍管区補給再確認報告。
本文三十七頁。
補足資料十二頁。
軍務卿は、最後の一頁で手を止める。
「……分析担当者名を入れるのか」
補佐官が、静かに頷く。
「事実です」
そこには、簡潔に記されていた。
分析担当:
リリアーナ・フォン・アルヴェイン(後方管理室)
軍務卿は、しばらく紙面を見つめる。
「異論は出るぞ」
「承知しています」
レオンは、視線を逸らさない。
「だが、削れば改ざんです」
沈黙。
やがて軍務卿は、署名した。
「事実は残せ」
その文書は、正式に保管された。
王宮公文書庫。
一度登録された文書は、容易に削除できない。
午後。
王太子の執務室。
「……名前が載っている?」
側近が、恐る恐る報告する。
「補足資料に」
「削れ」
即答だった。
「既に文書局登録済みです」
王太子の手が、机を叩く。
「補足だろう」
「登録後の改変は、正式審査が必要です」
審査には理由がいる。
正当な理由が。
「……たかが裏方の名だ」
だが、その言葉には微かな焦りが混じる。
側近は続ける。
「軍務卿の署名入りです」
王太子は、黙った。
消せない。
消せば不自然になる。
そして、何より。
“名前が残った”という事実は、消えない。
一方、後方管理室。
「……え?」
ルークが、目を見開く。
「名前が、載ったんですか?」
「そうらしいです」
私は、書類の写しを見つめる。
補足資料の一頁。
自分の名。
装飾もなく、ただ事実として。
「正式文書ですよ?」
「ええ」
胸の奥が、わずかに静まらない。
評価された喜びではない。
記録に残るという重さ。
「困りますか」
ルークが、小声で聞く。
「いいえ」
私は、ゆっくりと首を振る。
「事実ですから」
だが。
名前が残るということは、
消せないということでもある。
夕方。
レオンが訪れる。
「見たか」
「はい」
「不満か」
「ありません」
即答だった。
「ただ」
「ただ?」
「消せないな、と」
レオンの口元が、わずかに緩む。
「消させない」
短い言葉。
確信に満ちている。
「あなたの働きは、記録に残る」
「目立ちたくはありません」
「目立たないまま残る」
静かな宣言。
私は、ほんの少しだけ息を吐く。
「……ありがとうございます」
「礼は不要だ」
彼は、補足資料の写しを机に置く。
「これは、始まりだ」
「何の」
「消せない評価の」
扉が閉まる。
後方管理室は、いつも通り静かだ。
帳簿は変わらない。
数字も変わらない。
だが。
王宮のどこかで。
私の名前が、正式に刻まれた。
可愛げがない悪役令嬢の名は、
もう、裏に隠れてはいない。




