第25話 流れを見る人と、整える人
軍務卿補佐官レオン・ヴァレンティの再訪以降、後方管理室の空気はわずかに変わった。
表面上は何も起きていない。
帳簿は整い、処理は滑らかに進む。
だが、“見られている”という感覚が、静かに残っている。
「……今日も来るでしょうか」
ルークが小声で言った。
「来ません」
私は即答する。
「どうして分かるんですか」
「確認は済みましたから」
必要なことが分かれば、
あの人は無駄に動かない。
その日の午後。
予想外の形で、彼は現れた。
視察でも、公式訪問でもない。
ただ一人で。
「少し、時間をもらえるか」
穏やかな声だった。
バルドが席を外し、
ルークも資料整理を理由に距離を取る。
私は、机の前に立った。
「どのようなご用件でしょうか」
「確認だ」
レオンは、机の上の帳簿を指す。
「あなたのやり方について」
私は、椅子に座り直す。
「どの部分を」
「分散処理」
やはり、見抜いている。
「なぜ、あの順序にした」
「負荷が集中しないからです」
「効率のためか」
「いいえ」
私は、首を横に振る。
「人のためです」
レオンの目が、わずかに細くなる。
「人?」
「一箇所に責任が集まると、判断が硬直します」
私は、指で処理経路をなぞる。
「分散させれば、誰か一人が責められることはありません」
「……保身ではなく、保護か」
「保身も含まれます」
正直に言う。
「人は、追い詰められると正しく動けません」
レオンは、黙って聞いている。
「あなたは、数字を整えているのではない」
「流れを整えています」
彼の言葉を、そのまま返す。
短い沈黙。
窓の外で風が鳴る。
「あなたは、壊さない」
レオンは、静かに言った。
「壊す方が簡単だ」
「ええ」
「なぜ、難しい方を選ぶ」
私は、少しだけ考えた。
「壊した後の責任を、取りきれないからです」
それは、過去の自分への答えでもあった。
レオンは、わずかに口元を緩める。
「自覚的だな」
「失敗しましたから」
「王太子殿下の件か」
問いは鋭い。
だが、私は目を逸らさない。
「はい」
それだけ。
長い説明は不要だ。
レオンは、しばらく私を見つめた。
評価ではない。
興味でもない。
理解に近い視線。
「あなたは、目立たない方がいい」
「その通りです」
「だが、目立たないと守れないこともある」
その言葉に、私は一瞬だけ言葉を失う。
「守る、とは?」
「流れだ」
レオンは、淡々と答える。
「流れは、上からも壊される」
王太子の顔が脳裏をよぎる。
功績を欲しがる人間。
目立つものを利用する人間。
「だから私は、見る」
レオンは立ち上がった。
「壊されないかどうか」
「それは、軍務卿補佐官としての職務ですか」
少しだけ、皮肉を込める。
「いいや」
彼は、珍しくはっきりと言った。
「個人的な判断だ」
その一言が、静かに胸に落ちる。
守る、という言葉よりも重い。
レオンは、扉の前で足を止める。
「あなたは、整える人だ」
振り返らずに続ける。
「ならば私は、流れを見る」
役割分担の宣言。
対等な立場の提示。
それは、溺愛でも庇護でもない。
だが。
確実に、距離は縮まった。
扉が閉まり、室内に静けさが戻る。
ルークが、そっと近づいてくる。
「……何の話だったんですか」
「仕事の話です」
「それだけじゃないですよね」
私は、帳簿を開き直す。
「それだけです」
だが、胸の奥に、わずかな熱が残っていた。
流れを見る人と、整える人。
同じ方向を向く者がいるという事実は、
思っていたよりも、心を軽くした。




