第2話 それは、私の仕事ではありませんでしたか?
謁見の間の空気は、冷えていた。
正確に言えば、温度ではない。
視線と沈黙が、人の心を冷やす。
王太子殿下の言葉のあと、誰もすぐには口を開かなかった。
けれどその沈黙は、私にとってあまりにも分かりやすい。
――答えは、もう決まっている。
「政務の停滞について、いくつか報告が上がっている」
殿下が、卓上の書類に視線を落とす。
その仕草は、まるで“読む必要のないもの”を確認するかのようだった。
「税収の誤差。補給計画の遅延。地方領主との調整不足」
一つひとつ、聞き覚えのある問題だった。
なぜなら――
それらはすべて、私が“事前に指摘していた”案件だから。
「……その件でしたら、すでに修正案を提出しています」
私は静かに告げた。
声が震えないよう、意識して。
「先週の段階で、赤字部分と代替案をまとめて――」
「だが、結果はどうだ?」
殿下の言葉が、私の説明を遮る。
「問題は解決していない」
その瞬間、周囲の貴族たちが小さく頷いた。
同意というより、“流れに乗る”ための動作。
私は唇を噛みしめた。
解決していない理由は、はっきりしている。
私の修正案が、正式に採用されていないからだ。
それを決めるのは、私ではない。
「承認が下りていない以上、私の権限では――」
「責任転嫁はやめてくれ、リリアーナ」
殿下の声は、柔らかい。
だからこそ、余計に刺さった。
「君は有能だ。だからこそ、期待していた」
期待。
その言葉を、私は何度聞いただろう。
「だが最近は、その有能さが周囲と軋轢を生んでいる」
軋轢。
それは、誰が生んだものなのか。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「確認ですが……殿下。これらの業務は、もともと私の正式な職務でしょうか」
一瞬、空気が止まった。
誰もが、私の方を見る。
まるで“言ってはいけないことを言った”かのように。
殿下は僅かに目を細めた。
「形式上は、補佐だ」
――形式上。
「では、最終判断と承認は、殿下と重臣方にあります」
私は事実を述べただけだった。
感情を込めず、淡々と。
「私は、判断材料を整える役目を果たしてきました」
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど、その言葉が気に障ったのだろう。
殿下の隣に立っていた少女が、小さく息を吸った。
「……あの」
控えめな声。
けれど、不思議とよく通る。
「リリアーナ様は、とてもお仕事ができる方だと伺っています」
少女は私を見ず、殿下の方を向いたまま続けた。
「でも……皆さん、少し怖がってしまうんです。完璧すぎて」
怖い。
その言葉に、胸の奥がひくりと引き攣った。
「私、思うんです。お仕事って、支え合いじゃないでしょうか」
少女は微笑む。
優しく、無垢な笑み。
「誰か一人が全部抱え込むと、周りは何も出来なくなってしまう」
その言葉に、空気が一気に傾いた。
――ああ、そういうことか。
私はようやく理解した。
私がやってきたことは、
“助け”ではなく、“邪魔”だったのだ。
効率を優先し、確認を重ね、失敗を未然に防ぐ。
その結果、周囲は考えなくなり、責任も曖昧になった。
そして今、その歪みの“原因”として、
私がここに立たされている。
「……なるほど」
気づけば、声が出ていた。
殿下は、どこか安堵したように頷く。
「分かってくれたか。君は少し、やりすぎたのだ」
やりすぎた。
仕事を、きちんとやることが。
王宮が回るように、整えることが。
私は、何も言えなかった。
言えば言うほど、
“自分だけが正しいと思っている女”になることが分かっていたから。
その瞬間、はっきりと理解してしまった。
ここではもう、
私の言葉は、価値を持たない。
それでも――
胸の奥で、小さな疑問が消えずに残っていた。
それは、本当に。
――私の仕事だったのだろうか。




