第18話 焦るのは、正しい人ほど早い
翌朝、後方管理室の空気はいつもと変わらなかった。
けれど、ルークの動きだけが、わずかに速い。
帳簿をめくる音が、昨日より強い。
ペンを置く回数が、妙に多い。
「……何かありましたか?」
私は、あえて平静な声で尋ねた。
「いえ」
彼は即座に答えたが、
その机の上には、整理された資料の束がある。
昨日まで、彼の机にはなかったものだ。
「それは?」
「念のため、まとめました」
彼は、まっすぐ私を見る。
「もし、上に出すときのために」
私は、その資料を受け取った。
よく整理されている。
誤差の箇所、共通点、処理の流れ。
正確だ。
そして、若い。
「……焦っていますね」
そう言うと、ルークは一瞬、息を詰めた。
「焦ってはいません。ただ」
言葉を選びながら続ける。
「これを知っていて、何もしないのは――違う気がして」
その気持ちは、痛いほど分かる。
私も、かつて同じだった。
「正しいと分かっているなら、
早く直すべきだと思う」
「はい」
即答だった。
私は、静かに資料を机に戻す。
「焦るのは、正しい人ほど早いんです」
ルークは、驚いたように目を瞬く。
「正しいと信じているから、
待つのが苦しい」
私は、窓の外へ視線を向けた。
「でも、正しさだけでは動かないものもあります」
王宮は、その最たるものだ。
「これを今出せば、
あなたは“問題を見つけた若手”になります」
「それは、悪いことですか?」
「悪くありません」
はっきりと言う。
「ですが、問題の本質が消えます」
責任の所在。
処罰。
表向きの改善。
そして、数年後に再発する。
それが、これまでの流れだった。
ルークは、ゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ……どうするんですか」
「整えます」
「整える?」
「気づかれないうちに、
誤差が出ない仕組みに近づけます」
私は、昨日直した箇所を示した。
「今は、まだその段階です」
ルークは、しばらく黙り込んだ。
やがて、小さく頷く。
「……分かりました」
完全には納得していない顔だった。
だが、それでいい。
午後。
後方管理室に、珍しく使者が訪れた。
「補給関連の確認を」
形式的な依頼。
だが、バルドが受け取った書類には、
いつもと違う印があった。
「……軍務卿補佐室?」
小さく、バルドが呟く。
ルークが、顔を上げた。
「軍務卿?」
「ええ」
バルドは眉をひそめる。
「最近、数字の流れを再確認しているらしい」
その言葉に、
私の手が一瞬だけ止まった。
――もう、気づき始めている。
だが、私は何も言わない。
「こちらで処理できます」
いつも通り、淡々と答える。
使者は頷き、去っていった。
扉が閉まったあと、
ルークが低い声で言う。
「……波、来てませんか」
「ええ」
私は、帳簿を閉じる。
「来ています」
だが、まだ小さい。
今ここで慌てれば、
自分から波を大きくすることになる。
「焦るのは、正しい人ほど早い」
私は、もう一度繰り返した。
「だからこそ、
一歩引いて見ることが必要です」
ルークは、静かに頷いた。
その目に、昨日とは違う色が宿っている。
理解。
そして、覚悟。
後方管理室の灯りが、今日も落ちる。
静けさは変わらない。
だが、王宮のどこかで、
数字の揃いすぎた報告書が、
別の誰かの目に留まり始めていた。
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