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第16話 正義を振りかざさないと、決めている

 後方管理室の朝は、相変わらず静かだった。


 けれど、私の中だけは、すでに方針が決まっている。


「今日は、少しやり方を変えます」


 机に向かう前、私はルークにそう告げた。


「やり方、ですか?」


「ええ。

 今まで通り確認はしますが、修正は――分散させます」


 ルークは、一瞬きょとんとした顔をした。


「分散……?」


「一度に直さない、という意味です」


 私は、帳簿を開きながら説明する。


「誤差が出ている箇所を全部まとめて直すと、

 必ず“誰かの仕事”として目立ちます」


 それは、

 以前の私がやってしまった失敗だ。


「だから今回は、

 自然に戻すだけです」


 ルークは、まだ完全には理解していない様子だった。

 それでも、口を挟まずに聞いている。


「例えば、この補給費」


 私は、一つの数字を指した。


「ここは、本来この金額になるはずです。

 でも、いきなり修正すると、

 『なぜ今さら?』という話になります」


「……確かに」


「なので、

 関連書類の処理を少しだけ前倒しします」


 ほんの少し。

 誰も気づかない程度に。


 結果として、

 帳尻が自然に合う。


「それって……」


 ルークは、慎重に言葉を選んだ。


「ズル、ではないんですか?」


 私は、手を止めた。


「ズルは、

 本来あるべき形を歪めることです」


 そして、はっきりと言う。


「これは、

 歪んだものを、元に戻すだけ」


 ルークは、しばらく考えてから、

 小さく頷いた。


「……分かりました」


 その日、私は意識的に目立たない仕事だけを選んだ。


 修正は一件。

 確認は二件。

 あとは、記録整理。


 誰かの業務を奪わない。

 誰かの判断を否定しない。


 ただ、

 “次に回る書類”が正しくなるように。


 昼過ぎ、

 責任者のバルドが、書類を一枚手にして近づいてきた。


「……あれ?」


 彼は、首を傾げている。


「この補給費、

 前よりスムーズに処理できていますね」


「そうですか?」


 私は、知らないふりをした。


「ええ。

 特に、理由は分からないのですが」


 それでいい。


 理由を説明する必要はない。


 午後、

 ルークが小さな声で言った。


「……数字、合ってきてます」


「ええ」


「でも、

 誰が何をしたか、分からない」


 私は、ペンを置いて彼を見る。


「それが、一番安全です」


 功績が見えないということは、

 責任も見えないということ。


 この段階では、

 それが必要だった。


 夕方。


 私は、控えの紙を一枚だけ取り出し、

 今日直した箇所を記録した。


 表には出さない。

 報告もしない。


 ただ、

 “戻した”という事実だけを残す。


「……正義を振りかざさない」


 心の中で、もう一度繰り返す。


 声を上げれば、

 簡単だ。


 けれど、

 それでは何も変わらない。


 静かに、

 誰にも気づかれないように。


 それでも、

 確実に。


 後方管理室の一日が、終わる。


 表では、今日も何も起きていない。


 だが、

 王宮の内部では、

 少しずつ、確実に。


 **歪みが、正され始めていた。**


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