第14話 偶然では済まされない誤差
後方管理室に、いつもと違う音が混じり始めた。
紙をめくる音でも、ペンの走る音でもない。
ほんのわずかな、息を詰める気配。
私自身が、無意識にそうしていることに気づいたのは、
三つ目の帳簿を開いたときだった。
「……また、同じ」
声に出すつもりはなかった。
けれど、思わず漏れてしまう。
金額は違う。
年度も、拠点も違う。
それでも――
**誤差の出方が、同じだ。**
私は、机の上に控えの紙を並べた。
昨日写し取った数字と、今日のもの。
微差。
本当に、微差。
単体で見れば、
どれも「よくある処理の揺れ」で片づけられる。
だが、三つ揃えば話は別だ。
「……偶然、ではないわね」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
ここで初めて、
胸の奥に、はっきりとした重さが生まれた。
午前中、私は意識的に別の案件を処理した。
確認の精度を落とさず、
けれど、数字ばかりを追いすぎないように。
――落ち着け。
そう、自分に言い聞かせる。
焦ったところで、
何も良いことはない。
「リリアーナさん」
昼前、ルークが声をかけてきた。
「昨日言っていた件なんですが……」
彼の手元には、補給関連の帳簿が数冊ある。
「同じような誤差、見つかりました」
その言葉に、
私は表情を変えないよう意識した。
「どのくらいですか?」
「三件。いえ……四件」
増えている。
私は、静かに立ち上がった。
「見せてください」
机を並べ、
ルークの見つけた数字と、私の控えを照合する。
一致。
完全ではないが、
**同じ方向に、同じだけズレている。**
「……これ、何か意味があるんですか」
ルークの声は、少しだけ硬い。
「まだ、分かりません」
私は、正直に答えた。
「でも、放っておく理由もありません」
彼は、唇を噛みしめる。
「上に報告すべきじゃ……」
その言葉を、私は首を振って止めた。
「まだ早いです」
「でも……」
「今、これを出せば」
私は、はっきりと言った。
「“誰かの責任探し”が始まります」
ルークは、言葉を失った。
それは、
彼自身が一番恐れている展開だったのだろう。
「ここで大事なのは、
誰が悪いかではありません」
私は、控えの紙を揃えながら続ける。
「どういう構造で、
この誤差が生まれているかです」
原因が分からなければ、
直しても、また起きる。
それだけは、避けなければならない。
「……分かりました」
ルークは、深く頷いた。
「じゃあ、僕も記録を取ります」
「ありがとうございます」
午後、私は帳簿の“流れ”だけを追った。
数字ではなく、
人と書類の動き。
どこで止まり、
どこで再開し、
どこでまとめられているか。
「……ここね」
一つの共通点が、浮かび上がる。
必ず、
**表と裏の引き継ぎ部分**で、
誤差が生まれている。
意図的かどうかは、まだ判断できない。
けれど、
「自然発生」ではない。
私は、ペンを置いた。
これは、
小さな不具合ではない。
王宮の仕組みそのものに、
わずかな“隙間”がある。
夕方。
ルークが、静かに言った。
「……偶然じゃ、ないですよね」
「ええ」
私は、頷いた。
「もう、その段階は過ぎています」
それでも。
私は、まだ動かない。
焦らない。
騒がない。
正義を振りかざさない。
この問題は、
**静かに、正しく、解かなければならない。**
後方管理室の灯りが、落ちる。
今日も、表では何も起きていない。
けれど、水面の下では、
確実に、流れが変わり始めていた。




