表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/33

第13話 帳簿の数字が、少しだけおかしい

 後方管理室の朝は、いつもと変わらず静かだった。


 紙をめくる音。

 ペン先が走る音。

 誰かが小さく息を吐く気配。


 私は、古い帳簿を一冊、机に広げていた。


 特別な案件ではない。

 表の部署で処理しきれなかった、数年前の補給費精算。


「……ん?」


 視線が、ある数字で止まった。


 合計額は合っている。

 計算ミスもない。


 それでも、

 何かが、わずかに引っかかる。


 私は、別の帳簿を引き寄せた。

 同じ月、同じ拠点。


 数字を並べて、見比べる。


「……誤差、ですね」


 声に出してみても、

 それ以上の言葉は浮かばない。


 本当に、誤差だ。


 単位を変えれば説明がつく。

 入力の揺れとして片づけられる範囲。


 ――だからこそ、厄介だった。


 私は、赤いペンを取り、

 小さく印をつける。


 大げさなチェックはしない。

 騒ぐ理由もない。


 そのまま、作業を続ける。


「リリアーナさん?」


 ルークが、不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「今の、何かありましたか」


「いいえ」


 私は、首を横に振る。


「念のため、です」


 それだけで、説明は終わり。


 午前中の作業が進むにつれ、

 似たような「引っかかり」が、もう一つ、見つかった。


 やはり、小さい。

 見逃しても、誰も困らない。


 けれど。


「……偶然、かしら」


 独り言のように呟き、

 私は、帳簿を閉じた。


 後方管理室では、

 “偶然”は、あまり信用しない。


 午後、私は過去の記録棚へ向かった。


 該当する案件だけを抜き出し、

 机の横に積む。


 十冊。

 それだけ。


 多すぎるわけでも、少なすぎるわけでもない。

 ただ、気になる数だった。


 ページをめくりながら、

 共通点を探す。


 同じ担当者ではない。

 同じ拠点でもない。

 同じ年度でもない。


 けれど――


「……処理の流れが、似ている」


 書類の回り方。

 承認印の位置。

 補足資料の有無。


 どれも、決まりきった形式ではないのに、

 なぜか、同じ癖がある。


 私は、ペンを置いた。


 これは、

 今すぐ誰かに伝えるべき問題ではない。


 同時に、

 見なかったことにも出来ない。


「……まだ、早い」


 そう、心の中で言い聞かせる。


 焦って正義を振りかざせば、

 以前と同じことになる。


 今は、

 “全体像”が見えていない。


 夕方、帳簿を棚に戻す。


 印をつけた箇所だけ、

 自分用の控えに写した。


 誰にも見せない。

 報告もしない。


 ただ、記録として残す。


 それが、

 今の私に出来る、最善だった。


「……何か、ありましたか?」


 帰り際、ルークが聞いてきた。


 私は、少しだけ考えてから答える。


「まだ、分かりません」


 それは、本心だった。


「でも」


 一拍、間を置く。


「何もない、とは言い切れない気がします」


 ルークは、真剣な顔で頷いた。


「分かりました。

 何かあったら、言ってください」


「ええ」


 後方管理室の扉を閉める。


 今日も、派手な事件は起きていない。


 ただ、

 帳簿の数字が、少しだけおかしい。


 それだけのこと。


 けれど、その“少し”が、

 後に王宮全体を揺らすことになると、

 この時は、まだ誰も知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ