5.家への挨拶
「先日はありがとうございました」
お見合いの翌週、継宮さんは、またお見合いで着ていたのと同じサイズが合ってないようなスーツを着て、老舗の和菓子屋の羊羹を両手に抱えて私の家を訪れた。
「わざわざいらしていただいて、ありがとうございます!」
「どうぞ、どうぞこちらへ」
お父さんとお母さんは頭を何度も下げながら、継宮さんを居間へ上げた。
継宮さんが訪ねてくると聞いて、お母さんが昨夜、徹夜で掃除した和室の畳はピカピカと光っている。
「狭い家で申し訳ありません」
「今日は森崎さんは一緒でないんですね」
「ついてくる、とは言っていたのですが、遠慮いただきました」
継宮さんの疲労したような言葉に私は笑った。
「今回は、ご結婚の話を受けていただいて、ありがとうございます」
居間に通された継宮さんはそう言って、頭を下げると、顔を上げた。
「それで、今日は、挙式についてのご相談をさせていただきたく、参りました」
「「「挙式」」」
私とお父さんとお母さんの声が重なる。
――いえ、事前にその話で家に来るとは聞いていたのだけど。
お見合いをしたのは、先週――なのよね。
「結婚しましょう」という話はしたものの、本当に結婚するのね……?
その時、障子の隙間から坊主頭が覗いた。
「克也、あんた、上にいなさいって……」
お母さんが厳しい声で障子を開けると、弟の克也が転がり出た。
「この人が姉ちゃんの旦那さんになんの?」
克也は継宮さんを上から下まで眺めると、ぽかんと口を開けた。
「姉ちゃん面食いだったもんなあ、そういや」
「余計な事を言わないで頂戴」
私は克也の口を塞いだ。
「だって、姉ちゃんが好きな、スサノオZのリーダーの『ケンちゃん』に似てるじゃん?」
私の手を剥ぎ取って言った克也の言葉に顔が赤くなる。
スサノオZは、今流行の男性アイドルグループだ。
ベッドで寝てばかりいる私の日々を励ましてくれる存在でもある。
――確かに、継宮さんは何となくそのリーダーに似てる、けど。
「……ヤマタノオロチを退治した神、ですか?」
継宮さんは「よくわからない」と首を傾げた。
「ヤマタノオロチ? って何? え、今すげえ人気なのに知らないの?」
――そういえば、家にテレビがないって言っていたものね。
「そういう名前の、歌手のグループが流行ってるんですよ。……言われてみると、神話に由来したたいそうな名前ですけれど」
「そうですか、今は、そういった方々が世間で人気なんですね」
「知りませんでした」と神妙な顔で頷く継宮さんを見て、私はふふっと噴出した。
「とっても人気なんですよ。確かに、継宮さんは、少し似ているかもしれないです」
「そうなんですか。今度、写真を見てみたいです」
継宮さんは、大真面目な顔でそう言ったので、継宮さんのその顔が可笑しくて ――でも、ちょっとだけ嬉しくて、私は笑ってしまった。
それを見て、克也が口を出す。
「姉ちゃん、大量のブロマイドも持ってるんだぜ!」
「ちょっと、克也! そんな話しないで」
私は頭を抱えて、丸まった。
「僕も大熊猫のブロマイドを集めているんです」
――そこに降ってきた唐突な継宮さんの発言に、私と克也の目が点になった。
「大熊猫……? 最近、山の手の動物園に来た……?」
「はい」と頷いて、継宮さんは笑った。
「好きな物の写真集というのは、見ていると元気が出ますよね」
もしかして、私だけが恥ずかしくないように、自分の話をしてくれたのかしら。
私は継宮さんを見つめた。
「それで、挙式の話ですよね」
お母さんが話を戻した。見ると、今までに見たことがないような笑顔だった。
「はい。凛さんは、何かご希望はありますか? ――和式でも、洋式でも、どちらでも」
私は黙り込んだ。
結婚なんてできると思っていなかったし、想像したこともないから、特にこうしたいという希望もなかった。――それに、『形だけ』なのにここまでしようというのは、やっぱり、どうにも変だ。
私は感じたモヤモヤが、どくんと胸に重く響くのを感じた。
――いけない。暗い感情は、石を大きくする。
病状を進めないためには、心を明るく、穏やかに保つことが必要だ。
【石心病】は生気を吸い込んで悪化する。
だから、思春期の気持ちの変動が大きい時に、急激に悪化すると言われていて、進行を抑えるには、気持ちのアップダウンを少なくし、穏やかな気持ちで日々を過ごすことが一番肝要だ。落ち込んだり、嘆き悲しんだり、怒ったりするのは一番よくない。穏やかに、にこやかに、前向きに過ごすことで、予後がよくなる。だから、入院治療の基本は、安静な状況の維持と、精神薬の服用による心の安定だった。
大人になり、石の拡大の進行が鈍化してからは、薬は飲まなくなったけれど。心穏やかに過ごす様に言われているのは、変わらない。
「――洋風も和風も、どちらもいいですね。継宮さんはどちらがいいですか? ――どちらにせよ、身内だけで簡単で構いません」
私は笑った。家にずっといるし、呼べる知り合いもいないし。
「その方が有難いです。僕は親族もいませんし」
継宮さんは、頷くと、私を見つめて笑った。
「――凜さんは、どちらを着てもお似合いでしょうね」
私は一瞬の間の後、顔を押さえた。名前を呼ばれたのは初めてだわ。
「ありがとうございます。――『凛さん』……」
「すいません、どう呼んだらいいかなと思いまして……」
継宮さんは、照れたように笑った。
そんなやりとりを見ていたお母さんが私に言った。
「せっかくだから、洋装も和装も、どちらもしましょう」
「……」
私はお母さんを見つめた。お父さんも頷いている。
二人とも、この結婚が長く続くものではないことをわかっている。
それでも、“せっかくだから”と、私の晴れ姿を見ようとしてくれている。
私は、それが嬉しいと思った。けれど――
それって、本当に、私のための式なのかな?
胸の奥で、どくん、と石が鳴ったような気がした。
親を喜ばせたい、せっかくだから、式を挙げるべき――
その“べき”の中に、自分の気持ちが、どこにもないことに気づいてしまった。
「……そうですね。せっかくの機会だから、どちらも着たいわ」
そう答えながら、私は自分の声が、少し遠く感じた。
「――どちらもは、大変じゃないですか?」
ふいに、継宮さんが言った。
「え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。けれど、その言葉は、確かに私の中のどこかに届いた。
「急いで決めなくても、凛さんが『こうしたい』と決まった時に、やりましょう」
その言葉が、すとんと胸に落ちた。
――ああ、この人は、私の“べき”じゃなくて、“気持ち”を見てくれている。
少しだけ、呼吸が楽になった気がした。
「ありがとうございます、朔弥さん」
私は自然と継宮さんの名前を呼んでいた。朔弥さんは一瞬驚いた顔をしてから、微笑んだ。
「そ、そうだな。せっかくだから、よく考えてからのが、いいな」
お父さんがそう言って、頷いた。
朔弥さんは話題を変え、私たちに向き直って、書類を出した。
「それで、婚姻届けは、来週にでも出したいのです」
――結局、結婚式は保留になり、私と継宮さんは翌週の終わりの金曜日に婚姻届けを役場に出し、正式に結婚することになった。




