4.(お見合いの後)side朔弥
見合いの席を終え、大学病院近くの古びた洋館の屋敷に戻った朔弥は、玄関で靴を脱ぐと同時にネクタイを緩め、背広を脱いだ。森崎に買い与えられた、サイズの合わない窮屈なスーツを脱ぐと、ようやく呼吸ができた気がした。
「朔弥さん、お部屋に戻ってからお着替えになりなさいな」
玄関で出迎えた着物姿の老女、花江は注意するような口調で言った。
花江は朔弥が12歳のときに来たこの家の家政婦で、現在は唯一残った使用人だった。今、この広い屋敷に住んでいるのは朔弥と花江だけだ。
「――行儀が悪くすいません。一刻も早く、この服を脱ぎたくて」
朔弥は苦笑しながら詫びた。
どこか厳格な保護者のような空気のあるこの家政婦に、朔弥はなぜか昔から頭が上がらなかった。
「着替えてきてください。お茶の準備をしますね」
ゆるりとした作務衣に着替えて、今のソファーでお茶を飲む朔弥に、花江は聞いた。
「どうでしたか、お見合いは」
朔弥は湯呑みに入ったお茶を見つめながら、つぶやいた。
「――とても、素敵な女性でした」
花江は「あら」と驚いたように眉を持ち上げた。
朔弥は「花江さん」と顔を上げる。
「僕は結婚します」
「本当ですか? ――お相手の方は、ご病気と聞いていますけど」
花江は眉根を寄せた。
「はい。――この家で暮らすことになると思いますので、よろしくお願いします」
「承知いたしました……」
花江は怪訝そうな顔のまま、うなずいた。
その時、ジリジリジリ! と黒電話が受話器が跳ねるような大きな音で鳴った。
「僕が出ます。たぶん、森崎さんですから」
朔弥は立ち上がって受話器をとった。
「継宮くん!」
受話器から大きな声が漏れる。電話をかけてきたのは、予想通り森崎だった。
「田城くんから、ぜひ君との結婚の話を進めて欲しいと返事があったよ」
「それは、嬉しいです」
「形だけの結婚でもいい」と承諾してくれた凜の姿を思い出して、朔弥は微笑んだ。
そんな返事をもらえるとは思っていなかった。救われたような気持ちがした。
「いや、早々に話が決まってよかった。では、入籍の日取りはいつにする? 新居は君の家で構わないだろう」
朔弥は口元を歪ませた。
「――ええ、構いません」
「いや、こんなにうまく話が進むとは思わなかった。すぐに子どもができるといいね。子どもができたら、君も30で死ぬなんて、馬鹿な事を思わなくなると思うよ」
受話器を握る手に思わず力が入る。
(この人たちは、人の命を、歯車の一つ程度にしか考えていない)
「いや、良かったよ。私も、君みたいな優秀な医師の免許剥奪なんて、したくないからね。結婚しないなら、医者を続けさせないなんて、本当は言いたくなかったんだ。これで上にも面目が立つよ。君は真面目な青年だから、やはり、良い相手と普通に結婚して子どもを持つのが一番だよ」
人の人生をなんだと思っているんだ、と怒鳴りつけてやりたい気持ちになったが、朔弥は言葉を飲み込んだ。――自分は、政府に管理されているモルモットのようなものだ。森崎に文句を言っても仕方ないのだ。むしろ、森崎は朔弥のことをよく考えていてくれるといってもいい。政府の他の関係者にいたっては、子種だけ採取して子どもを作るだの、到底許しがたい意見を出していたという話だから。
(継宮の血を、個体として残すのがそんなに大事か)
朔弥は自分の手を見つめた。
その手には、人の寿命を奪い、または与える異能の力が宿っている。
戦時中、極秘裏に行われた人体実験により生まれた“禁忌”――。
命を兵器として使うために生まれた血。
いま、それを受け継ぐ者は、世界に自分ひとりしかいない。
「いや継宮くん。君はいいことをしたよ。凛さんのお父さん、田城くんはかわいそうでなあ。昔から凛さんの治療費のために、頑張って働き詰めだったのを見てきたからね。娘の花嫁姿を見て、孫まで見られれば、幸せだろう」
「いいこと、ですか。――もしも、子どもができた場合、凛さんは死ぬんですよ」
今度の発言には、朔弥は思わず言葉を荒げた。
――継宮の家は、能力を持つ男児しか生まれない。
異能の男児は、母親の余命を奪い、この世に誕生する。――母の命を奪って。
そのことなどは気に留める様子もなく、森崎は言葉を続ける。
「どちらにせよ、あと数年で亡くなる娘さんだ。花嫁姿を見せられて、孫の顔まで見せられるなら幸せなことだろう。――しかし、『美人病』とはいうが、綺麗なお嬢さんでよかったね。子どもを作るには問題のない病気だし、あえて、石心病の娘さんと付き合う物好きもいると聞くものなあ」
石心病は、俗っぽく『美人病』と呼ばれることがある。
男女ともに幼少期にかかる病気ではあるが、女児の方が予後がよく、思春期を乗り越えれば25歳程度まで生き、花が散るように死ぬ。その儚い印象からか、血行が悪くなり顔色が白くなるからか、幼少期に治療に用いられる精神薬の影響で穏やかな性格になるからか、昔から、そのように呼ばれるのだ。
人の病を面白がるようなその呼び名が、朔弥は鳥肌が立つほど嫌いだった。
しかし――朔弥は言葉を飲み込んだ。
森崎に悪意などは、ひとかけらもないのだ。
彼は本当に自分と凜が結婚することを「いいこと」だと思っている。
「私の娘は去年結婚したんだがね。白無垢姿を見て恥ずかしながら、式で男泣きをしたものだ。今年の春には初孫が生まれる予定でね。早く孫の顔が見たいなあ」
『その娘が孫の命と引き換えに死ぬとしても、そんなことが言えますか』と一言言ってやりたい気持ちにはなったが、朔弥は言葉を飲み込んだ。
「――そうでしたか。おめでとうございます。お孫さん、楽しみですね」
そう言うと、森崎は大きい声で笑った。
「いや、おめでとうは、君だろう、継宮くん。結婚式の手配もこちらで引き受けるよ。凜さんに、どんな式を挙げたいか相談しておいてくれ」
朔弥は「ありがとうございます」と乾いた声で答え、受話器を置いた。
受話器を置いた朔弥の背中を、花江は黙って見つめていた。




