28.旅行に出発
朔弥さんとの生活にもすっかり慣れてきたころ、私たちは森崎さんの勧めのとおり、新婚旅行に行くことにした。人込みを避けるために、朔弥さんは平日に休暇をとってくれた。
行先は朔弥さんの家から車で2時間ほどの、海辺の観光地にある国の保養所を予約してもらった。
「それでは、朔弥さん、凛さん。行ってらっしゃい。私はエミリーたちとお留守番しておりますから」
玄関で花江さんがにこやかに手を振ってくれた。
それから、運転席に乗り込んだ朔弥さんに声をかける。
「朔弥さん、気をつけて運転してくださいね。平日だから、道路は空いていると思いますけれど」
「大丈夫ですよ、花江さん」
朔弥さんと花江さんは、前よりも、少し話をする時の雰囲気が柔らかくなったように感じる。――きっと、花江さんは、朔弥さんに本当のことをお話したのだと、私は思った。
朝に出て、お昼過ぎには旅館に到着した。
「素敵なお部屋ですね」
広々とした和室の窓からは、浜辺が見えて、微かに波の音も聞こえた。
畳の青い香りがふっと鼻をくすぐり、障子越しに差し込む白い光が、室内をやわらかく包んでいた。
目を閉じる。
ずっと昔、子どもの頃に見た記憶の海と、今の海は全然違って感じた。
「しばらく休んだら、海辺を散歩でもしようか」
「そうしましょう!」
旅館を出てすぐ正面に広がる浜辺を歩いた。
平日だからか、思った以上に人が少なく、雰囲気は穏やかだった。
「道路も空いてたし、休みをとってよかったなあ」
朔弥さんがのびをしながら言った。
「嬉しいですけど、お仕事大丈夫ですか?」
「ずっと皆勤賞だったから、休むいい機会だったよ」
朔弥さんが私に左手を伸ばした。指先に指輪がきらっと光って、私は何ともいえない気持ちになって、
「……別に誰から見られているわけでもありませんし、仲良く見せる必要もないんじゃないでしょうか?」
そんなことを言ってみると、朔弥さんは伸ばした手をグーパーして、見つめた。
「――せっかくの海だし、手をつなぎたいんだ」
「……奇遇ですね。私もなんです」
そう言って手をつなぐと、朔弥さんは笑い出した。
「……じゃあ、なんで、最初からつないでくれないんですか」
「――少し、いじわるを言ってみたかったんです」
「それが凛さんのいじわるなのか。可愛らしいな」
朔弥さんは笑ってから、私の手を引いて、歩き出した。
そうして、しばらく歩いていると、浜辺沿いのお土産物店の近くで、カメラを首に下げた男性が私たちに声をかけた。
「そこの美男美女のご夫婦! 旅行の記念にお写真どうですかあ!」
男性の後ろの看板には、『写真、スグ見れます』と書いてある。
――ずいぶんと調子のよい客引きだけれど、悪い気はしなかった。
お客さんが少なくて、手が空いているのかもしれない。
「記念に写真、撮りませんか?」
そう言うと、朔弥さんは少し考えてから、頷いた。
「お願いします」
私はそう言って、朔弥さんと腕を組んだ。
「はい、もっと肩を寄せて! 旦那さん、もっと笑顔、笑顔!」
写真屋さんに促され、私は思わず朔弥さんの腕に力を込めた。
「……こういうのは苦手で」
朔弥さんが小さく呟くと、写真屋さんが
「大丈夫、奥さんが横にいるだけで自然に笑えますから!」
と軽口を叩いた瞬間、ぱしゃり!とシャッターが切られた。
「ほら、海も入っていい感じですよ」
そう言って差し出された写真に、見る間に私たちの姿が浮かび上がってくる。
「ありがとうございます」
微笑む私の横で、朔弥さんもはにかむように笑っていた。
その表情が嬉しくて、そこのお店で、お饅頭を買って食べていくことにした。
「朔弥さんも、笑っていて、素敵に撮れてますよ」
そう言って写真を差し出すと、朔弥さんはそれをしげしげと眺めて、呟いた。
「僕はこんな顔をしていたのか」
「……何を言ってるんですか、いつもそんなお顔ですよ」
そう言うと、何だか考え深い顔になってしまった。
「写真は苦手で、いつもどういう顔で映ったらいいかわからなくて」
私はお見合い写真を思い出して笑った。
「最初に見たお写真の朔弥さんは、マネキンみたいで、実際に会った時と全然違いましたものね」
「……あの写真は、森崎さんが病院で撮ってくれたものなんだ」
「お見合い写真を? 病院で?」
「凜さんを紹介するのに、やっぱり写真がいるだろうということで――僕の研究室で撮ったんだよね」
その光景を想像して、私は笑ってしまった。
「だから、あんな表情だったんですね」
「――いつも、あんな感じだけれど」
朔弥さんは、さっきの写真を持ち上げると、じーっと見つめた。
「森崎さんと朔弥さんは、とても親しいですよね」
朔弥さんとは全然違うタイプの人だけれど。
朔弥さんは少し考えこんで、言葉を選ぶように話した。
「――『親しい』とは、少し違うかな。森崎さんは、あくまで僕の『担当』だから……」
少し、声に影が落ちた気がした。
「気さくな人で、悪い人ではないんだけれどね」
それから、立ち上がって、私に手を伸ばした。
「旅館に戻ろうか。今日は早めに寝て、明日はゆっくり観光しよう」




