23.エミリーとベンジャミン
動物園に行った次の週末、朔弥さんと私はまたデパートに行った。サイズ調整した指輪と、海外から取り寄せたエミリー人形の公式のペアの男の子の人形「ベンジャミン」を引き取ってきたのだ。
早速お店で、朔弥さんが指輪をはめてくれた。
嬉しいはずなのに、胸の奥にひんやりとした影が差し込む。
――これでも、「形だけ」なのかしら。
朔弥さんは、私の知らない何かを、まだ抱えているのは確かだ。
たぶん、全部のことを話してくれてはいない。
石心病を必ず治すと言っていた言葉に嘘はないのだろう。朔弥さんは嘘をつく人ではないから。そして、自分が『30歳で死ぬ』と言っていたのも、また事実なのだろうと思う。
――このまま、こんな夢みたいなふわふわした日々を、過ごしていていいのかしら。
「やあ、エミリー! 君のパートナーを連れてきたよ」
朔弥さんは家に帰宅すると、早速エミリー人形を棚から連れてきて、ソファに座らせた。
普通に人形に話しかけるのは、もう慣れた。
「あらあら、私にも見せてくださいな」
花江さんも、いつになくウキウキした様子で、掃除の手を止めて、私たちのところへやってきた。袋を開けると、中から、新品の男の子の人形が出てくる。
「じゃあ、エミリー。これからはベンジャミンと仲良くね」
朔弥さんはそう言うと、エミリーとベンジャミンをリビングの棚に並べて、手を振った。
「これで、僕も、エミリーから卒業だ」
朔弥さんはそう言って、次の日からは人形は置いて出勤するようになった。
***
それから数日して、私は花江さんに声をかけた。
「花江さん、お裁縫のセットなんて、どこかにありますか?」
「ええ。ありますけれど、何か作るんですか?」
「エミリーのお洋服でも縫おうかなと思いまして。朔弥さんにもご相談済みです」
私は棚に座ったエミリー人形を見つめた。
年季が入った赤いエプロンスカートは、古びていて、隣のベンジャミン人形と不釣り合いに思えた。
花江さんは目を輝かせた。
「そうなんですか。素敵ですね。1階の奥の部屋に、お裁縫道具がありますから、取ってきますね」
「布なんかも、あったりします?」
「ええ、古い布はありますけど――」
花江さんは何か言いたそうにこちらを見た。
「どんなお洋服を作りたいんですか?」
私は少し照れながら、スケッチブックを取り出した。
今週描きためてきた「こんな服はどうだろう」というデザイン画だ。
「あらまあ、どれも素敵……」
花江さんはパラパラと紙をめくりながら、頬に手を置いた。
「凜さんは、センスが良いのですね」
「――ありがとうございます。描くだけですよ。――お裁縫は苦手なので、上手にできるかわかりませんけど。花江さんは、どのお洋服がよいと思いますか?」
「そうねえ、これも素敵だし、こちらも素敵……」
そう言いながら、花江さんはすっくと立ちあがった。
「どうせなら、全部作ってしまいましょう。どれも素敵なんですもの。必要でしたら、私もお手伝いするわ。……布も買いましょう。良い卸屋さんを知っていますから、朔弥さんと行ってきたらどうですか?」
「朔弥さんはしばらくお忙しそうで……」
私は花江さんを見つめた。
「花江さん、一緒に来てもらうことってできますか」
「えっ? いいのかしら?」
花江さんは驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに飛び跳ねるような仕草をした。
私たちは、タクシーを呼んで、布の卸屋に向かった。
「――この赤いビロードが高級感があっていいわ」
花江さんはウキウキしながら生地を選んでいった。
――結局、何種類もの生地を買って、家に帰ってきた。
1階の和室に生地やら裁縫道具を広げる。
「まずは、型紙を作らなくちゃ。私が作ってもいいかしら?」
「お願いします」
そう言うと、花江さんは白い紙に竹定規を当てながら、シュッシュっと線を引いて行った。
「すごい……」
思わず感嘆の声を上げると、花江さんは少し得意そうに言った。
「――洋裁の仕事をね、していたんです」
「すごいですね! どんなものを作っていたんですか?」
「お洋服のお直しだとか、そういったことだけですよ。……でもね、お部屋がいっぱいになるくらい、お仕事はもらっていたんですよ」
花江さんは「ふふふ」と嬉しそうに笑った。
「洋裁はどこかで勉強されたんですか? 私、縫物はぜんぜんできなくて……」
「生活のために、必死だったんですよ」
花江さんは遠い目をして語った。
「若いころ離婚したのよ、私。手に職もなくて、小さかった娘を引き取ることもできなくて……だから夜に洋裁学校に通って、必死に針を動かしたの。結局、娘とは一緒に暮らせませんでしたけれど――」
花江さんは女の子の人形を抱くと、少し悲し気に笑った。
「エイミー人形も、あなたような可愛らしいお嬢さんに遊んでもらえて、喜んでいると思うわ。本当は女の子にこうやって遊んでもらう予定だったんですもの」
その花江さんの微笑みを私はどこかで見たことがあった。
「ごめんなさいね。こんな家政婦のおばあさんの昔話を聞かせて。凜さんは聞き上手ですから、つい……」
「お母さん……」
思わず口をついて出た。
花江さんの笑顔は、幼い頃の私を見つめていた母のそれだった。
「――え?」
「……このエイミー人形を、朔弥さんのお母さまに贈った“おばあさま”って……」
気づけば口が勝手に動いていた。
「……花江さんなんじゃないですか?」
「……」
花江さんは視線を落として、少し黙ってから、微笑んだ。
「そう……、私は朔弥さんの母親の透子の母親です」




