13.忘れ物(side 朔弥)
朝、勤め先である帝都大学病院の職員用出入り口をくぐった朔弥は、研究棟と病院棟の間にある自分の部屋で白衣に着替え、心臓外科の医局に向かった。
「継宮先生、今日も巡回ですか」
看護師が日課のように声をかけてきた。
本来、病院の方は非常勤勤務で週に2回の勤務なのだが、研究棟はどうせ病院にくっついているからと、朔弥は基本的に毎日医局に顔を出す。
「はい。ぶらっと一周してきます」
朔弥はそう答えると、足早に入院患者のいる病棟を歩き回った。
(危ない人は――)
目をこらすと、病室にいる患者の体を包むように、ぼおっと仄かな光のようなものが見えた。――これは、朔弥にだけ見える、その人間の生命力の残量――寿命と言うべきものだった。
代々継宮家に伝わる力によって朔弥は人の寿命を見ることができ、それを吸い取り自分のものとする――または、人に与える力があった。
この力の起源は文明開化のころに遡る。世界各国列強との争いに備え、政府は古くからある呪力的なものの力を使いこなせる人間を生み出す実験を行った。その結果生み出されたのが、人の命を操る【命喰らい】の能力を持つ継宮家だった。
安定した力を使えるようになったのは朔弥の曽祖父の時代。
それから祖父・父と、2回の世界を巻き込んだ大戦の中で、継宮家は政府から暗殺を請け負う家系となった。――しかし、終戦後。政府は、過去の不都合な事実として、継宮家の断絶を決めた。反抗的な父親の兄弟たちが、危険視されたからだ。
――そして、政府に従順だった朔弥の父親を除き、朔弥の叔父たちは皆謀殺され、父親の死んだ今、継宮家の血を引く人間は朔弥だけだった。
平和な時代に、【命喰らい】の力はいらないと、朔弥の寿命を操る能力は幼い頃に封印された。力を使えば、政府から排除対象になると、ずっと言い聞かされて育ってきた。――けれど、寿命を視る目の力は意識せずとも自然に見えるものであったので、残された。
(――あ、あの患者さん。危ないな)
朔弥は病室の1室の前で足を止めて、中を覗き込んだ。
ベッドに横たわる五十代ほどの女性が、窓際の光を浴びていた。
その体を包む淡い命の灯は、揺らめく消えかけの蝋燭のように心許なかtった。視線が合った瞬間、女性はわずかに笑みを作ったが、頬の筋肉が引きつっているのが見えた。
(――まずいな。あと、数日……?)
「あ、あの先生……」
入口で足を止めた朔弥を見つけた患者の間に緊張が走る。
長身の、若い長めの黒髪の医者に見つめられた患者は緊急手術になるというのは、病院内で最近の都市伝説的な語り草になっていた。
(5号室の、渡辺さん……)
患者の名前を確認した朔弥は、足早に医局に向かった。
「藤巻先生、ちょっとお話が」
声をかけられた心臓外科の主任医師は、はっとしたように顔を上げて朔弥の元に駆け寄った。
「継宮先生! おはよう! ――気になる患者さんがいたかい?」
「5号室の渡辺さんなんですけれど、どういった状態ですか?」
カルテを確認しながら、主任の藤巻医師は首を傾げた。
「――検査入院の患者さんだな。検査結果に問題はなかったようだが――」
「精密検査をしてあげてください。今日の午前中にでも急ぎで」
朔弥の緊張した声色に藤巻医師は顔を青くした。
この若手医師が『気になる』と言った患者は、漏れなく、血管が爆発寸前だったり、詰まりそうな血栓ができていたりと、その後緊急対応が必要になるからだ。
「わかった。そうするよ」
それから、朔弥の顔を覗き込んだ。
「――継宮先生も、何だか顔が青白い気がするけれど。大丈夫かい? 結婚してから、最近ずっと、にこにことしていたのに」
「……そうですか?」
朔弥は自分の顔を触った。
「少し、寝不足かもしれませんね。昨晩、妻の調子が少し、悪そうだったもので……」
朔弥は昨晩のことを思い出して、顔を曇らせた。
昨日、凛はよく眠れないようで、苦しそうな声をときたま上げていた。
豆電球をつけ、様子をうかがっていたので、よく眠れていない。
(凜さん、今朝は元気そうだったけれど)
「はぁ」とため息を吐いた朔弥を藤巻医師は心配そうにのぞき込んだ。
「――早く帰ってくれて、構わないよ。厚生局からも、君を家に帰すように言われているし……」
森崎の方から、病院にも朔弥を家に帰すようにと指示が来ている。
残り『1人』となった継宮家の血筋であるが、政府の、かつて血筋を生み出す研究を行った者の一部から、『貴重なサンプルとして、血筋を残したい』という要望が出ているようだ。
――それ故、朔弥には『子どもを作れ』というプレッシャーがかかっている。
病院の上層部の数人は、朔弥の事情を知っているが、藤巻医師のような現場の医師までは事情を知らない。しかし、朔弥について、政府の厚生局からたびたび要望があることから、『何か特別な事情を抱えている』という認識はされている。




