12.忘れ物を届けに
「――大事なものでしょうか」
「わからないけれど、届けた方がいいかもしれませんね」
花江さんは、ふぅっとため息をつき、割烹着のひもを解いた。
これから後を追いかけるということだろう。
「私も行きましょうか。――帝都病院はよく知っていますし、松家先生が、もしいらっしゃるならご挨拶したいですし」
松家先生には、母が結婚の報せを入れてくれたけれど、私はまだ直接お礼を言っていない。
帝都病院での常勤は変わらないはず――きっと、あの頃と同じように石心症の子どもたちが病棟で過ごしているだろう。10歳から15歳まで、私が息をしてきた場所。
あそこを、もう一度だけ見てみたい。こんな機会でもなければ、行くこともないだろうから。
「――そうですか? では一緒に行きましょう」
私と花江さんは家を出ると、帝都大学病院までの道を歩いて行った。
私は先ほどバッグから見えた人形の足がどうしても気になって、花江さんに聞いた。
「花江さん――もしご存じだったらで構わないのですが――あの、朔弥さんの鞄の中に――人形の足が見えた気がしたのですが」
花江さんはくすくすと笑った。
「ああ――変に見えたでしょう? あれはね、『エミリー人形』っていう外国のお人形なんですよ」
「……エミリー人形? もしかして、『エイヴォン・トイワークス』の?」
「ご存じ?」
「ええ。雑誌で見ました。あの、テディベアでも有名なメーカーさんですよね」
思わず声が弾む。昔、切り抜いて取っておいた記事の写真が頭に浮かんだ。
「ええ。そうなの。朔弥さんの持っているエミリー人形は、『エイヴォン・トイワークス』の0歳から遊べる布製のお人形シリーズの、クラシックエミリーシリーズのエミリーなのよ。日本国内では販売されていなくて、いっとき、百貨店で限定数注文販売されていただけの珍しいお人形なんです」
花江さんは少女のようにキラキラと表情を輝かせて、そう話した。
「そんなに珍しいお人形なんですね。――朔弥さん――ってお人形が好き、なんですか?」
「いえ、あちらは、朔弥さんのお母さんの透子さんのお母さん――朔弥さんのおばあさんが、朔弥さんにと買った人形なんです」
「――男の子に、女の子のお人形というのも、珍しいですね」
花江さんは表情に影を落とした。
「透子さんは朔弥さんが生まれる時に亡くなってしまいましたから。生まれた子が男の子だとも、わからなかったと思います。――生まれるまで、女の子だと思っていたんですよ」
まるで、目の前で見てきたかのような言い方だった。
「――そうなんですか?」
「――妊娠中お腹の中にいる子が男の子なら、厳しい顔に、女の子なら優しい顔になるという、迷信があるでしょう。透子さんは、それを信じていたんですよ――とっても優しい顔になったから、お腹の子は絶対女の子だ、と。ずっとそう言うものだから、朔弥さんのおばあさんはそれを真に受けて、早々にお人形を買ってしまったんです」
「……そんな、事情のあるお人形なんですね」
私はくすりと微笑んだ。
朔弥さんの優しいイメージに、その話はとってもしっくりくるものだった。
「でも、それをどうして、病院へ?」
「――いろいろあって、朔弥さんは、人形を連れて歩いているんです」
「いろいろ」
繰り返すと花江さんは苦笑した。
「――あの方、学生の頃からよくモテたんですよ。でも、そういう気がまったくなくて……おまけに断るのが下手でね」
花江さんは肩をすくめてから、微笑んだ。
「それで、朔弥さんなりに一生懸命考えたんですよ。『いっそ怪しい人になってしまえばいいのでは』って」
私は驚いて口をぽかんと開けてしまった。
「それで、人形を持ち歩くように?」
「ええ。びっくりしますよね」と花江さんは頷いた。
「最初は、私がお弁当を学校に持って行って『ママ』と呼ぶなど、考えられていたんですけどね。最終的に人形を持ち歩いて、話しかけるようになりまして。そうしたら、ぴったりと面倒事はなくなったようですよ」
花江さんは苦笑しながら付け加えた。
「――変人扱いされているそうですけど、ご本人は気にしていないので、いいんでしょうね」
私は試行錯誤考える朔弥さんを想像して笑ってしまった。
「その、花江さんを『ママ』と呼ぶのは、実際に決行されたんですか」
「ええ。一度頼み込まれてやりましたよ。――私も恥ずかしかったので、2回目以降はお断りしましたけれど」
花江さんは呆れたような、それでいて懐かしむような、そんな表情で呟いた。




