10.夜
それから、スーパーで卵を買って来て昼にオムライスを作った。
食後は荷物の片付けに取り掛かり、夕食は花江さんが作ってくれた、どこか懐かしい定食。
気づけば窓の外は夜の色に染まっていた。
「凛さん、お風呂が沸きますけれど、お手伝いは必要ですか?」
と花江さんに声をかけられて、私は背筋をぴしっと伸ばした。
お風呂は事前に見せてもらっていた。
古い洋館ではあるけれど、入浴設備は新しくされているようで、問題なく入れそうだった。
「――大丈夫です。1人で入れますよ」
私は朔弥さんを見た。
「僕は後でシャワーだけ使いますので、先に入ってください」
そうにこやかに言うけれど、私としては緊張する。
化粧を落とした顔を、朔弥さんに見せたことはない。
鏡の中の自分を想像して、小さく息を吐く。
でも――これから一緒に暮らすのだから、いつまでも隠してはいられない。
それでも、少しだけ勇気がいる。
脱衣所の冷たい床に素足を置くと、心臓の音が一段と大きくなった
顔と髪と身体を洗い、湯船につかった。
お風呂から出て、パジャマに着替え、鏡を見る。
入浴後とはいえ、青白い顔をしていて、ため息を吐きたくなった。
リビングに戻ると、朔弥さんは1人でお茶を飲みながらテレビを見つめていた。
自然の動物の生活を静かな解説で説明する番組がやっていた。
なんだか、とても「らしい」番組を見ているなと思って、私は微笑んだ。
「朔弥さん、お風呂あがりましたよ」
そう言うと、朔弥さんは驚いたように振り返った。
「不便ありませんでしたか?」
「問題ありません」
「そうしたら、寝室をご案内しますね」
テレビを消した朔弥さんの後をついて、2階に上がる。
2階の和室を寝室として使っているようだ。
部屋に入ると、布団が二つ、部屋の端と端に敷いてあった。
「……ずいぶんと、離れていますね」
「花江さんが敷いてくれたので、先ほど、移動しました」
朔弥さんは、視線を動かしながら言った。
私は朔弥さんが布団を引っ張って移動する姿を想像して笑った。
「お気遣い、ありがとうございます」
そう言うと、朔弥さんはぶんぶんと首を振った。
「一応、寝室は同じにしておかないと、という事情に付き合わせてしまって、すいません。僕も後程すぐ戻ってくるから、もし眠かったら先に横になってて」
「――そうさせてもらいます」
私はそう言って、布団に横になった。
――かといって、緊張して眠れない。
慣れない環境で1日いろいろと動いていたにも関わらず、目が冴えてしまっていた。
豆電球をつけたまま、横になって、休むだけ休んでいると、
「――凛さん、寝てるかな」
朔弥さんの声がした。
思わず身を起こすと、豆電球の明かりに、作務衣姿の背の高い人影が写っていた。
部屋の古びた様子と合わせると、時代がわからなくなる。
「――まだ、起きてます。眠れなくて……」
そう言うと、朔弥さんは心配そうな声になった。
「無理されてませんか? 大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
そう言ってから、朔弥さんに聞いた。
「ずいぶんと、和風な寝間着なんですね」
「ああ」と朔弥さんの影は、自分の服を見て、頭を掻いた。
「――家にいるときは、この格好なんですよ。動きやすくて。――父の物なんですけどね。たくさんあって、もったいないので着ています」
お医者さんで収入はあると思うのに、欲のない人だと思う。
「動きやすそうで、いいですね」
そう言うと、朔弥さんは頷いてから聞き直した。
「豆電球、つけておいた方がいいかな?」
「いえ、消していただいて、大丈夫です」
そう答えると、朔弥さんは電球を消して、部屋が真っ暗になった。
部屋の反対側で、布団が擦れる音がした。
畳の匂いと、微かに石鹸の香りが漂ってくる。
暗闇の中でも、胸の奥に小さな灯がともったような安心感が広がった。
「なんだか、今日はよく眠れそうです」
そう言うと、朔弥さんの声も帰ってきた。
「――僕も、何となく、よく眠れそうな気がするんだ……」
しばらくして、私は心地よい眠りの中に落ちて行った。




