5話 少女
少女はおとなしく、いつも本を読んでいた。あらゆる本に興味を持っていた。本を買うお金がなかったが、本屋の店主は少女の身の上を知っていた。だから、何も言わず、少女が好きなだけ本が読めるよう、本を読むのを邪魔しないように気をつけていた。時には少女が何を読もうか迷っていると、店主は少女に本を選んでやった。少し難しすぎるだろうか…と思う本も少女は大人顔負けの読解力で読破した。そのうちに本屋の店主と少女は本について語り合ったり、時には意見を言い合ったり…それはそれは独り身の店主にとっては楽しい時間を過ごすようになった。本について語る、本好きの者たちの楽しい時間だ。
本屋の店主はこの少女の才覚はきっと認められるだろうと期待し、その行く末が輝かしいものである事を疑わなかった。だから少女に王立高等学院への受験を勧めたのだ。少女は家が貧乏だから無理だと言ったが、本屋の店主は、学院の授業料は成績が優秀ならば免除されるし、少女ならその能力があると少女の両親も説得したのだった。それから、少女は熱心に本屋に通い、いろいろな本を読み知識を蓄え、その知識に対して本屋の店主と議論もし、知識の使い方を身につけていった。
受験の前に店主は少女に一つだけ気をつけるように言った。「いいかい。王立高等学院の入試は、政治の問題がとても大事だ。それは知識だけじゃあダメだ。君が生きてきたこれまでの時間を振り返って、しっかりまとめて答えないといけないんだよ。政治は誰のために必要だと思う?」と少女に尋ねた。少女は「みんなのためよ。」と答えた。すると店主は「みんなってどんな人?」とさらに尋ねた。少女は考えて「貴族の人や街に住む人、田舎に住む人。とか…かしら。」。店主は笑って「答えは一つじゃない。例えば、お金持ちの人、貧乏な人、若い人、年をとった人、子供、赤ん坊、健康な人、歩けない人、目が見えない人…。」。「でも、それじゃあ、みんなにいい政治ってとても難しいわ。」と少女は困った顔をして答えた。「そう、とても難しい。だから、どんな政治にも優しさと厳しさが必要なんだよ。我慢できる人には我慢をお願いしなければいけないかもしれない。一番政治がしてはいけないのは、政治が誰かを犠牲にしたり、見捨てたりする事だよ。」。店主の言う事を少女は熱心に聞いていた。そして試験に臨んだ。
ところが少女は試験に落ちた。全く予想しなかった事だった。少女は本屋にやってきて店主に「ごめんなさい。私の力不足だったの。」と言って詫びた。少女は店主に「おじさん、本当にありがとう、お礼は何もできないけど…。」そう言うと、可憐な白い蕾をつけた枝を1本、店主に差し出した。店主は「おやおや、これはまた可愛い蕾だね。どんな花が咲くんだろうね。ありがとう。この花がどんな花を咲かせるか、これからも一緒に見守ろう。」とその枝を受け取ると店主は微笑んで、花瓶に刺した。少女は「ええ。毎日ここに来て花が咲くのを一緒に待つわ。」と言って笑った。店主は努めて明るい声で「僕のほうこそ、君に嫌な経験をさせてしまったね。人生って思うようにならないもんだな。でもまたここへ毎日本を読みにおいで。ここの本は君に読んでもらいたがっているからね。」と優しく言うと、いつものように店主が本を選んで少女に渡した。
少女は本を受け取ると軽く笑って、「本当はね。試験はとても良くできたと思っていたの。」と言って泣き出した。店主は優しく「泣きたいだけ泣けばいい。でも明日からは笑うんだよ。」と店主は泣きじゃくる少女の背中をさすりながら声をかけ、ただ泣き止むのを待っていた。少女が落ち着いてくると、店主は少女に向かって「王立高等学院だけが人生の花道じゃないよ。僕だって、あんな学院には行っていないけど、こうやって立派に生きて行ってると自分では思ってるよ。」と言うと少女は笑って、「そうね。私もおじさんみたいに自分を誇れるようになるわ。」と涙の跡の残る顔を上げて笑った。
それから少女は店主といつものように本の話をしていた。少女は店主に「大きくなったら、お金がなくても、誰でも学びたい人が自由に学べるような街にしたいな。」と目を輝かせた。店主も「君ならきっとできるよ。僕はそんな時が来ることを待っているよ。」と言って、少女の頭を撫でた。
少女が自殺したのはその翌日だった。
本屋の店主は大声で泣いた。もし、あの時、自分が受験を進めなかったら…。もう時間は戻らない。少女の両親は本屋の店主を責めなかった。それどころか「うちの子が受験に落ちたのは、私たちが貧乏なせいだったからなのです。ですから、ご主人、あなたのせいではありません。」と言うのだ。どう言うことだ?「昨日、帰ってきたあの子はあなたと話した事を嬉しそうに話していました。王立高等学院には入学できなかったけど、もっとみんなが勉強できる街にしたい。」と言っていたらしい。でもその後、噂を聞いてしまったのだ。受験では貴族が優先され、貧乏な子、特に女の子はそれだけで落とされる、だからきっと少女もそのために落とされたらしいと言う噂を。「真っ青な顔で飛び出して行ったので、私たちはすぐに探しました。街の人たちも一緒に探してくれました。でもあの子は冷たい川の中から見つかりました。私たちに稼ぎがないばかりに。」と泣き崩れ、悔しさで手を握りしめていた。その噂は本当のことかもしれない。あの子は試験はとてもよくできたと言っていたのだから。しかも、信じていた学院の大人たちに裏切られたのだ。本屋の主人は大人の理不尽さの中に少女を突き落としてしまった自分を責めた。そして自信があった少女が合格しなかったショックと悲しみを理解できなかった自分を責めた。そして神に祈った。どうかこんな理不尽が二度と起こらないよう、そして少女のような悲劇が二度と繰り返されないよう。




