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今日だけは、溺愛してくださいませ旦那様

作者: 五条葵

「旦那様、どうぞ今宵だけで結構にございます。私のことを溺愛してくださいませんか?」

「……とりあえず、説明をして下さいますか?」


 そろそろ夕暮れ時に差し掛かりそうな、ルーゼウッド男爵家のタウンハウス。

 彼のことを待ち構えていた私の言葉に、旦那様は不思議そうな顔でそう言う。ーーまあ、無理もない。


 とはいえ、今日の計画には旦那様の協力が必須。旦那様を説得すべく、私はまず一つ深呼吸をした。






 私はレベッカ・クルーベル。伯爵家の長女だ。

 クルーベル伯爵領は大きな川沿いにあり、王国随一の穀倉地帯として知られている。


 数年前、そこを大きな嵐が襲い、農地に大きな被害が出た。

 なんとか領地は復興しつつあるが、代わりに我が家には結構な額の借金が残ってしまった。

 伯爵家の財産を売っただけでは、領地の復興費用には足らなかったのだ。


 お金がなくなると、人との縁というのは簡単に切れてしまう。当時、令嬢教育の総仕上げとして全寮制の寄宿学校に通っていた私は、それを身にしみて感じた。


 同級生達からは遠巻きにされ、陰口も言われるようになる。


 私には隣領の跡継ぎである許嫁がいたのだが、その婚約も白紙となった。

『君と結婚することに価値を感じない』という、彼からの手紙が届いた時の衝撃はまだ忘れていない。


 ただ、捨てる神あれば拾う神あり。我が家に手を差し伸べてくれる人もいた。それがルーゼウッド男爵だ。


 爵位を買ったばかりの新興商人である男爵。彼は我が家の窮状を知り、私との結婚を打診してくれたのだ。もちろん、そこには名門伯爵家出身の妻が欲しい、という打算もあっただろう。

 とはいえ我が家にとっては渡りに船。私も両親も、この縁談をありがたく受け入れる。

 こうして卒業と同時に、私はルーゼウッド男爵夫人となったのだった。


 そんな旦那様ーーことアーチャー・ルーゼウッド男爵は私よりも一回り歳上の30歳。

 海軍上がりの彼は、私よりも頭1つ分は背が高く、肩幅も広い。

 顔つきもどちらかといえば野性的で、私も最初に会った時は、ちょっぴり恐怖を覚えた。


 でも旦那様は初対面からとっても紳士的で、いつ何時もお優しい。

 しかも旦那様は我が家を助けてくれた恩人。そんな彼に私はあっという間に恋をした。


 そんな私の目下最大の悩みは、旦那様が紳士的過ぎること。


 エスコートの時には不自然に間を空けられ、ダンスを踊っても、未婚の男女でももう少し近づいて踊るのでは? というほど距離を取られる。

 以前、お出かけした際に不意をついて手を握ってみたら、パッと手を引っ込められてしまった。


 さすがに私が傷ついた素振りを見せると


「私は身体が大きいので……うっかりすると何かしら壊してしまいそうで怖いのです」


 と言われた。

 ーー確かに旦那様は私に限らず、人との物理的な距離を取りがちだし、以前ガラス細工のお店に入った時は、おっかなびっくり歩いていた。


 ただ、そのおかげで「ルーゼウッド男爵と彼が買った花嫁はすでに微妙な関係だ」なんていう噂が囁かれる羽目になっている。

 そうして数日前、私を激怒させる手紙が届いたのだった。






「これを御覧ください、旦那様。今日私達を招待して下さった、リージェル伯爵夫人からの招待状です」

「ああ……あなたに随分な真似をしたという……」


 リージェル伯爵といえば、私の元婚約者だ。彼は私が結婚した半年ほど後に、私の同級生と結婚したーーそれも私と我が領地を散々馬鹿にしてきた子と。


 その子の名前はリリーという。侯爵家の生まれで、同級生の中では身分も財力もトップだった彼女は、下位貴族や平民出身の子をいじめることで有名だった。


 当然、突然没落しそうになった私もその格好の対象。私だって言われっぱなしにはなってなかったけど……だからなのか、教科書を隠されたり、貴重な制服(主に貴族の子女が通う寄宿学校の制服は高価なのだ)を破られたりと散々な目にあった。


 極めつけは、伯爵家の借金が発覚した直後に言われた


「だだっ広いだけの領地なんて捨て置けば良いのに……伯爵もお人好しなことねーーまあ……伯爵でいられるのも今のうちかもしれないけど?」


 という暴言。私のことはともかく、大好きな領地と両親を馬鹿にされた私は、思わずリリーに殴りかかりそうになり、慌てて教師陣に止められることとなった。


 そんな彼女からの夜会の招待状とあらば、当然警戒もするもの。

 事実、よくある招待状の最後には


「もし噂が本当なら、無理せず一人でお越しになってもよくってよ? 夫に愛想をつかされた可哀想なあなたのために、とびっきりの男性をご紹介して差し上げましょう」


 と非常に余計なことが付け足されていたのだった。


「旦那様! さすがに私、悔しゅうございます。ーーそこでご提案なのです」

「……つまり、今日の夜会でことさらに仲睦まじく振る舞って、社交界の噂を払拭しようという訳ですね」

「はい!」


 すぐに私の意図を理解してくれた旦那様。私は大きく頷いた。


「……わかりました。では今日は誰の目にも分かるよう、あなたへの好意を行動にしましょう」

「あっーーありがとうございます! 旦那様」


 目を細めて、私の提案を了承してくれる旦那様。その言葉の破壊力に、私は思わず「うっ」と言葉につまるのだった。


「ところでレベッカさん?」

「はい……」

「もしかして、そのドレスも作戦の一部ですか?」

「はい! 旦那様が下さったドレスの中にありまして……いかがでしょう?」

「ああそういえば……そんな色のドレスも作らせましたね。とってもよくお似合いですよ、少し気恥ずかしいですが……」

「フフッ、きっとすぐ慣れますわ」


 今日の私の装いは、少し青みがかった紫色。ズバリ旦那様の瞳の色だ。

 ちなみに、使用人のみんなの全面協力を受けて、旦那様のクラヴァットとポケットチーフは、私の瞳の色であるオリーブ色にしてある。

 仲良しアピールはまず見た目から! という訳だ。


「ではレベッカさん。そろそろ出かけましょうか。出来るだけアピールは紳士的な範囲でしますが、嫌なことがあればすぐに言うんですよ」

「分かりましたわ。旦那様」


 旦那様にされて嫌なことなどあるはずないのに、そんなことを仰る真面目な旦那様。

 そうして私は、いつもより少しばかり距離を詰めたエスコートを受けながら馬車へと向かったのだった。






「あらーーレベッカさん、御機嫌よう。それに、ルーゼウッド男爵もご一緒ですのね」

「リージェル伯爵にリリー夫人。本日はお招きいただきありがとうございます。大事な妻を一人には出来ませんからーー当然、夫婦揃って参りました」

「まっ! ……そうでしたの? これは失礼いたしましたわ。いろいろと噂も耳にするもので……」


 王都の一等地にあるフィレッド伯爵邸ーーリージェル伯爵はフィレッド伯爵家が持つ爵位の一つで、代々成人した嫡男が名乗っているーーで、私達はニヤニヤと笑うリージェル伯爵夫妻、特に夫人と対峙する。


 光沢のある最先端の型の真っ赤なドレスは、夫人によく似合っていて、胸元に大粒のダイヤを飾った姿はどこか迫力さえ感じさせる。

 もっとも、旦那様は全く臆せず、そっと私を背に庇ってニコニコと夫人と話していた。


 時間にして数分。しかしその短い間でリージェル伯爵夫人は、ルーゼウッド男爵家の身分の低さを厭味ったらしく蔑む。


 私などは頭に血が登り、思わず「なによ!」と言い返しそうになったが、旦那様に優しい笑み一つでそっと押し止められる。


 かと思えば、クルーベル家を貶められると


「クルーベル伯爵家の財政状況は、苦難に見舞われた領民を私財を投げ売って救った結果。陛下も随分と評価なさってますよ」


 と落ち着いた声音で反論してくれた。

 そんなこんなで結局、リージェル伯爵夫妻との挨拶は旦那様任せになってしまう。

 彼らが去った後、私は背伸びをして、そっと旦那様に「ごめんなさい」と囁いた。


「どうしましたか、レベッカさん?」

「結局、夫人への対応を全てお任せしてしまいました。それに旦那様が嫌味を言われたのに何も出来ず……」

「私が止めたのですよ。それに私は自分で勝ち取った爵位を誇りに思ってますから……何も気にしてません」

「わ、私も! この男爵位を誇りに思ってますわ」


 私がそう言うと、旦那様は「ありがとう」と微笑み、それから私をダンスへと誘うのだった。


 そこからはもう、旦那様の独壇場だ。


 いつもはお行儀のよい距離を開けて踊るワルツも、今日は腰をしっかりと抱かれて踊る。

 ステップの合間に、


「いつも可愛いですが、私の瞳の色を纏ったレベッカさんはことさらに可愛い」

 とか

「さっきからいくつも視線を感じますね。いっそもう帰ってしまいましょうか?」


 などと囁かれれば、もう私の顔は真っ赤だ。


 その後も、2人で軽食を取りに行けば、私の好きなチョコレートの菓子を手ずから口に放り込まれる。

 海軍時代の友人だという男性に会えば、「妻は渡さない」とばかりにギュッと腕を引かれつつ、その友人が苦笑するほどに私を褒めそやしてくれる。


 正直、想像以上の溺愛に私の精神はパンク寸前。

 そんな時、不意をつくように怪訝そうな声がかけられた。


「ルーゼウッド男爵ーー演技もそこまでにしてはいかがですか?」

「リージェル伯爵? どういう意味でしょう」


 声をかけてきたのは、元婚約者リージェル伯爵だった。どうやら少し酔っているらしく、視線が若干定まっていない。

 旦那様はそんなリージェル伯爵に、私がこれまで聞いたことがないほど冷たい声で問いかけた。


「い、意味もなにもそのままです。ーー噂は聞いてますよ。あなたは爵位に箔をつけるために、困窮していたレベッカを買ったとか? 今日のことも自身に不利な噂を払拭するためでしょう?」

「随分と失礼な物言いですね。私はいつも通り妻を大事にしているだけですよ」


 恐怖も相まってか、だんだん声が上ずるリージェル伯爵。

 そして旦那様に冷たい目で見下ろされた彼は、恐怖が限界を超えたのか、急に旦那様を指差して叫び声をあげた。


「嘘だ! 嘘ですね男爵。ね、レベッカ? 君は騙されているんだ。今ならまだ遅くない。こんな男とは離縁して私と一緒になろう? 私もリリーとは離縁する」

「何を馬鹿げたことを仰るのか!」


 とんでもないことを口走るリージェル伯爵を、旦那様が一蹴する。海軍仕込みのよく通る声は会場中に響き、人々が一斉にこっちを向いた。


「そうよ、ジェームス! 離縁ってどういうつもり? それにこの貧乏女と一緒になるってどういうこと?」


 騒ぎを聞いて、別行動していたらしいリージェル伯爵夫人も、慌ててこちらへやってくる。

 彼女は夫の言葉に怒り心頭の様子。


 一方、一度怒りをあらわにした旦那様は、穏やかな(でも顔は笑ってない)声音で夫妻と向き合った。


「お二方の問題は知りませんが、大事なのは私は妻を手放すつもりなど一切ないということです。貴殿が妻を気安く呼び捨てたことも言語道断。次にやれば決闘を申し込みましょう」

「け、決闘? あなた海軍にいたんでしょう? 勝てるわけないじゃないですか?」


 旦那様に凄まれ、リージェル伯爵はへなへなと崩れ落ちる。伯爵夫人はそんな夫を睨みつけていた。


「少々目立ってしまいましたね。しかし当初の目的は達成したでしょう。……帰りましょうか」

「そうですね……旦那様」


 今しがたの騒動で、伯爵邸は混乱のさなかにある。私達は青ざめているフィレッド伯爵夫妻にだけそっと挨拶をして、会場を後にするのだった。






「ーーリリー夫人は浪費家だそうで……それに束縛も激しいとか。それでさっきの騒動となったのでしょう」

「そうだったのですね。申し訳ありませんでした」

「あなたが謝る必要はないですよ」

「で、ですが……」


 帰り道の馬車の中。もう作戦は終わったのだが、ピタリと距離を詰めて座る旦那様を、私は恐る恐る見上げた。


「どうしましたか?」

「その……私の作戦のせいで旦那様に演技を強いてしまいましたし……それにあんな注目まで。目立つのはお嫌いですよね?」


 初顔合わせの際、旦那様はそんなことを言っていた。そのことを思い出した私は、なんてことをさせたのだ、と今頃になって頭を抱えていた。


 一方、そんな私の懺悔に軽く息を吐いた旦那様は、不意に頬に手を添えて、俯く私を再び上向かせた。


「だ……んなさま?」

「本当は出かける前に聞くつもりだったのですが……あなたは私があなたを愛していないと考えてませんか?」


 深い色の瞳に見つめられ、私は席に縛り付けられる。


「だって……私達は利害が一致したが故の政略結婚でしょう? もちろん、我が家を救って下さったことは感謝してもしきれませんし、私のことを大切にして下さっているのも感じております。でもそれは旦那様がお優しいからでしょう? 私は旦那様をお慕いしておりますが旦那様は……」

「したって……慕って!? ーーいや、その前にあなたは重大な勘違いをなさっています。私は爵位に箔をつけるためにあなたと結婚したわけではありませんよ?」

「……?」


 突然の告白に、私は思わず言葉を失う。片や旦那様はというと、突然頭をかきむしり、大きく息を吐いた。


「そういうことでしたかーー逆です。私はあなたと結婚するために爵位を買ったのです。クルーゲル領で領民のために働くあなたを見て、領民達とニコニコと話すあなたを見て、一目惚れしたのです」

「く、クルーゲル領でですか?」


 確かに私は長期休暇の度に領地に戻り、教会の奉仕活動を手伝っていた。当時学生だった私にはそれくらいしか出来ることがなかったのだ。


「仕事でご実家の領地を訪問した際にお見かけしたのです。あなたに心を掴まれて、しかし婚約者がいると聞いて諦めていたのですが、その婚約が破棄されたと聞いて不謹慎ながら喜びました。……陛下に男爵位を願ったのはその後です」

「そ、そんな! でも……いつもそんな素振りは……」

「私としては見せていたつもりだったのですが……以前お話したでしょう? 何かしら壊しそうで怖いと」

「そ、そうでしたねーー」


 大切にはしてくれていたが、愛情表現だとは思わなかった。暗にそう言う私に、旦那様は斜め上の方角を見た。


「……私は海軍に長らくいたので、女性に対する振る舞いがよく分かっていないのです。それで海軍時代の上司に結婚生活の心得を聞いたところ『急ぐな、怖がらせるな、奥方には常に丁寧に接しろ』と……」

「あ、それで……」


 礼儀正しすぎる距離感の謎が溶けた。そう思うと私は急に笑いが込み上げてきた。


「フッ、フフッ、フフフッ……では全て私の勘違いなんですね。ごめんなさい、でもなんだかおかしくて……」


 突然笑い出した私に旦那様は目を見開く。そんな旦那様に私はギュッと抱きついた。


「でも、ご存知の通り私の領地は田舎です。子供の頃はみんなと野山を走り回ってましたし、そんなにやわじゃございません。ですから……もっとわかりやすく愛してくださいませ」


 旦那様を見上げてそう言うと、彼は何か考え込むような素振りを見せる。と、男爵邸に着いたのか馬車がガクンと揺れた。


 馬車の扉が開かれると、旦那様がヒョイと馬車から降り、それから私に手を伸ばす。

 そうして私を横抱きにすると、そのまま早足に屋敷に入っていく。さすがの筋力で階段すらものともせず、連れてこられたのは夫婦の寝室だった。


 そっとベッドに身体を降ろされれば、さすがに私も彼の意図を理解する。

 ただ、これまで夫婦のことは定期的にするのみで、着替えもなしに寝室につれてこられたのは初めてだ。思わず


「旦那様?」


 と、問いかけると彼は目を細めて私に甘い視線をふりかけた。


「あなたは出かける前『今宵だけは溺愛して欲しい』とおっしゃいましたよね?』

「は、はい……その節は……」

「今宵はまだ終わってませんよ」


 そして、私の身体はベッドに深く沈み込み、長い長い口づけが始まる。


 もちろん、旦那様の溺愛は今宵だけではなかった。

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― 新着の感想 ―
かわいい両片思い、素敵でした! 旦那様の礼儀正しすぎる理由も、ラストの力強さも海軍らしくてカッコよかったです(*´∀`*)
わー、溺愛最高ですね! 不器用な旦那様、可愛いです!! 元婚約者、ざまあw レベッカ、末永くお幸せに!!
きゃー(人*´∀`)。*゜+ 素敵な夜になりますね!! とっても上質な両片思いを読ませていただき有難うございました♪ 甘々ご馳走様でした♪
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