第5話 一緒にお風呂
熱っぽい湯気が立ち込める湯舟の中。主従二人は一人分の間隔を開けて肩まで湯に浸かり、悶々とした時を過ごしていた。
「……えっと、改めて。ジル=リカルドだ。よろしく」
「あ、は、はい……。こちらこそ……」
彼の挨拶は鎧を着用していない時の姿を初めて見せたことによるものであり、彼女もそれを理解していた。
濃い湯気に阻まれながらも、セラは横目でジルの姿を断片的に確認していく。
水滴の重みで垂れた灰色の頭髪は滑らかで、瞳は淡く優しい紅の輝きを放っている。鼻筋は細くあっさりした顔つきで肌も潤いを帯びていた。つい先ほど見えてしまった身体は雄々しく、あの鎧を軽々と着こなしているのも納得な肉体美であった。
隣に居る半裸の美女を意識しまいと必死なジルだが、悲しいかな男の性。どうしても視線がセラの肩より下へと動いてしまう。
濁り湯であった事は幸か不幸か、落胆と安堵が複雑に入り混じる童貞の頭の中。
「お、お風呂では、鎧は脱がれるんですね」
「ん、あぁ、というか、そもそも家の中では着ないんだが、今日は来客もあったからな……。食事の時は流石に脱ぐべきだったのだが、タイミングを逸していた。すまなかった」
「い、いえ、そんなこと……。でも正直ホッとしました。お風呂でも着けてたら、どうしようって……。鎧の上から身体を洗わないといけないのかと思ったり……」
「ははは……。え?身体?」
ジルは漸く彼女が突如として浴場に現れた意味を理解した。赤面し両指を悩まし気に絡める淑女に釣られ、ジルの頭も沸騰する。
「あ、あぁ……。そうか、うむ、そういう仕事もあるのか……」
「あ、いえ!御迷惑でしたら勿論出て行かせていただきます!その、私が勝手に思い込みでしたことなので……」
咄嗟に両手を振ったせいで身体に巻いていたバスタオルがはだけ、巨大な二つの果実が露になりかける。
慌ててタオルを腕で抑え全貌が露になるのを防げはしたが、際どい所まで、少なくとも胸の形の大体はジルに見られてしまった。
涙を浮かべながら不安そうに見つめてくる従者に、主人は明後日の方向を眺めながら指で頬を掻く。
「……あ~……。何だ。用意した服、少しきつかったか?」
着やせするセラに対しての彼なりに考えた最大限の思いやりの言葉であった。セラは大げさに首を左右に振ると、口まで湯に浸かりぶくぶくと泡を吐いていた。
「なら良かった。あと、身体は自分で洗う。そこまで気を回さなくて大丈夫だ、ありがとう」
「……い、いえ……。恐縮です……」
それから数分の間、二人は黙って湯に浸かっていた。少しばかり会話したからか固くなっていた身体も解れ、薬草を入れた湯の香りを楽しむ余裕も出てきていた。
――思えば、セラにとってこんな広い湯舟に浸かる事など経験の無い事であった。
村で暮らしていた頃は川での水浴びが主であり、奴隷の身分になってからは狭い部屋で水浴びをする日々。
捉えられていた商会ではアシモフの言う通り、奴隷にしては破格の待遇を受けていたようだが、それでもこうして足を延ばし、豊かな湯を堪能するのは彼女の人生において初めての贅沢であった。
村を焼かれ、傭兵に捕まり、奴隷として売り飛ばされた時は自分の人生を呪った。襲い掛かる絶望に身を震わせる日々。
一度、アシモフからオスガルド帝国の第三皇子に購入されるかもしれないと聞かされた時は背筋が凍り付いたものだ。
何せ帝国の第三皇子と言えば女癖が最悪の変態であることで有名であり、彼に購入されたらどんな扱いを受けるか分からない。前に聞いた話では町中を全裸で歩かされたり、別種族と性行為を強要された者も居るとか。
結局、その最悪の事態は避けたのだが、その代わりにあの悪名高い『レッドデビル』に身請けされ、大して変わらぬ恐怖を抱いていた彼女。
しかしこうして蓋を開けてみると、予想だにしない厚遇に素直に安堵してしまっていた。
「私は先に出る。キミはもう少しゆっくりしていきなさい。今日は頑張ってくれたからね、しっかり疲れを取ると良い」
「あ!身体!お身体お拭きします!」
慌てて追おうとするセラであったがこれも遠慮された。
「その必要は無い。その程度の身の回りの事は自分でするさ。それよりも、今夜は時間があるかい?」
その問いが意味することが何であるかを、セラは直ぐに理解した。
それは問いでは無く、命令なのだと。主人の命令ともあれば『はい』と答えるしかない。彼女は眉をひそめながら生唾を飲み込むと、静かに首肯した。
「そうか。なら、風呂から上がって半刻後に私の部屋に来てくれ。服も、それなりのモノに着替えてきてもらえると助かる」
「は……、はい……」
それは、夜伽の誘いであった。
遂にその時がやってきたのだ。彼女は不安を振り払うように顔に湯を掛ける。
彼女は生粋の生娘である。無論、商会に居た時に奴隷として身に着けておくべき性の手ほどきを受けてはいるが実戦経験は無い。
セラは自身の身体に手を当てる。こんな華奢な体つきで果たしてあの男を満足させられるのだろうか。いや、それ以前に自分の身体が壊れてしまわないだろうか。覚悟を決めていたとはいえ、いざその時になると身震いが止まらなくなる。
「……」
彼女の白く細い指が、首に着けられたチョーカーを撫でる。
これさえなければ自由の身になれるのだろうか。魔力を封印されていなければ実力行使で逃げ出すことも出来るだろうか。
一瞬、そんな思考に憑りつかれてしまったが、彼女の中ですぐに否定された。
今の彼女は戦争のショックで魔法が上手く使えなくなってしまっており、このチョーカーを外したところでまともに戦える可能性は低い。寧ろ魔力が暴走して自身を危険に晒す事になってしまいかねない。
それに、仮にここから逃げ出せたとしても帰るところは無く、また、脱走が明るみになり捕縛されてしまえば待っているのは契約違反による処断。
最早彼女に逃げ場は無いのだ。
「…………」
せめて、せめて出来る限り身体を綺麗にしてその時を迎えよう。そう思った彼女は震える身体を抑え、肩まで湯船に浸かった。