第6話 微かな希望
用意されたのは、これまで味わったことの無い極上のベッド。どこまでも沈んでいく感覚を覚える柔らかさと、全身を包み込むぬくもり。眠気が無くとも一度身体を預ければすぐに睡魔が子守唄を唱えかねないその寝具。
そんな逸品を以てしても、セラは一睡も出来なかった。
部屋の隅に置かれた小さな椅子。腰かけたまま霞む意識の中で、ひたすら自責の念に駆られる夜を過ごした。
気付けば部屋の天窓から光が差し込み、夜明けを告げる。不思議と彼女に疲労感は無かった。疲労を遥かに上回る罪悪感が彼女を蝕んでいたのだ。
『おい、聞いたか?ヴァローダ様の……』
『あぁ、聞いたぜ。何でも助っ人でデアナイトを連れて来たとか……』
『すげぇな。あの数の傭兵や兵士に加えてデアナイトまで……。如何にレッドデビルと言えど城壁にすら辿り着けないんじゃないか?』
『だろうな……。そこまでやる必要があるか?って感じだ。流石に哀れに思えてくるぜ……』
部屋の外から聞こえてくる兵士の雑談。ジルが自分を取り返しに向かっているという情報も彼女の耳に入っており、彼女の絶望をより深く濃いものにしてしまっていた。
『失礼します』
不意に扉の外から声が。三回のノックの後に扉が開かれ、軍服姿の兵士が帽子を深く被り部屋に入ってくる。その手には、朝食が乗せられた盆が。
「朝食をお持ちしました」
「……ありがとうございます」
セラは小さく感謝を述べる。しかし、彼女が食事に手を付ける事は無かった。食欲が無いというのもあるが、何を入れられているか分からないという不信感もあったからだ。
テーブルに乗せられた食事から漂う湯気を、虚ろな瞳で見詰める。
「……?」
すっかり絶望し切っている彼女の耳に何やら物音が。それは人の呻き声のように聞こえたが、直ぐに静かになると、恐る恐るといった様子で部屋の扉が開かれた。
「ど~も~。おはようございま~す」
朝食を届けに来た兵士と同じ格好をした男が姿を現した。が、どこか言動が兵士らしくない。へらへらしていて、緊張感に欠けている。
彼はセラを見つけるや否やすり足で近付き、顎に手を当て感心を吐露する。
「ははぁ……。こりゃマジだわ。俺ですらこれ程の上玉にはお目にかかった事が無い。アイツ、すげぇ娘をゲットしてたんだなぁ」
「……何か御用ですか」
舐めまわすような視線と鬱陶しい独り言に堪らずセラが問うと、兵士は飛び跳ねた。
「わ、びっくりした。起きてたのかぁ~。これは失礼……。いや、見た目だけでなく声も美しいとは、素晴らしいですな」
「……」
「あ、いや、ごめんごめん。ここの皇子サマがあのレッドデビルからカワイ子ちゃんを奪って来たって聞いてさ。どんな子か気になって見に来ちゃったんだよね」
「……ご満足いただけましたか?」
「もう大満足!絶世の美女とはまさにキミの為にあるような言葉だね!観賞料を払いたいぐらいだよ」
冗談混じりに笑う兵士。随分と軽口だがそこに嫌悪感は無く、寧ろ清々しささえ感じ取れた。
「そりゃこんだけ美人なら、ジルも取り返しに来るよなぁ」
「……!?」
セラが顔を上げる。吸い込まれそうなほど深く蒼い瞳に兵士の心臓が貫かれた。
「じ、ジル様を、御存じなのですか?」
「お、おぉ……。御存じも何も、アイツとは同じ戦場を共に駆けた仲さ。自己紹介が遅れたね。俺はロバート。『閃光のロバート』って言えば分かるかな?」
そう言いながら目の前の兵士は帽子を脱ぎ、素顔を露にした。が、正直なところその顔を見てもセラはピンとこない。
しかし、閃光の名は知っていた。目にも止まらぬ剣捌きで多くの敵をなぎ倒し数多の戦果を挙げてきた高名な剣士であり、レギンドの大戦でもその功績は凄まじく、彼の働きでデアナイトが引き連れた軍を退けたという逸話もある。
そんな彼が今、嘘か真か目の前に居た。そしてそれが本物かどうか、それを確認する段階にセラは居なかった。彼女は椅子から転がり落ちるように床に跪くと、手を揃え頭を床に着けた。
「お願いします!どうか、どうかジル様をお救い下さい!」
「え?ちょ、ど、どうしたのさいきなり……」
「無茶で酷い願いだとは重々承知しております!でも!どうかジル様のお力になっていただきたいのです!」
泣いていた。彼女は救いを乞いながら大粒の涙を床に滴らせ、嗚咽を漏らしながら目の前の『希望』に縋っていた。
本当に無茶な願いだ。要するに、彼女は絶望的な戦力差で帝国と戦えと言っているのだ。それはつまりほぼ死が前提の願い。しかし、今のセラにはこうするより他は無かった。
「ま、待った待った。取り敢えず、顔上げて、ね?女の子がそんなことしちゃダメだよ……」
セラは頑なに頭を上げようとしない。涙で床が濃くなる。
「分かったよ。キミがそこまで言うのなら、俺はアイツに手を貸すことにするよ」
「!?」
形容し難い感情と、大粒の涙でぐちゃぐちゃになったセラの顔。それもまたロバートの嗜虐心にも似た劣情を擽った。何をしてても美人は美人のままなのだと納得してしまう。
「ただ、今の俺は帝国の軍人として生計を立てている身でね……。そんなことをすれば俺は職を失うどころか帝国に追われる身になりかねないんだよ。そこのフォローは流石によろしく頼むよ?」
「は、はいっ!勿論です!任せてください!」
自分が死ぬ可能性を排除したその物言いに、微かな希望が次第に強い光を帯びていくのを感じていた。なんの保証も無い口約束であったが、彼は満足そうに頷いた。
と、契約が成立したところで外から慌ただしい足音が。
「おい!どうした!何があった!」
「あ!お、お前!何者だ!」
どうやらロバートが気絶させておいた見張りの兵士に他の兵士が気付いたらしく、部屋の中に駆け込んでくる。
「あ、やべっ。じゃ、またね」
「あ!オイ待て!賊だ!賊が出たぞ~!」
跳躍し天窓を突き破って外に飛び出すロバート。兵士達は大慌てで彼の跡を追う。が、結局彼の素早さに追いつける者は居らず、取り逃がしてしまった。
静かになった部屋の中でそっと胸を撫で下ろすセラ。その後、しばらくしてソリアが部屋にやって来る。
「何があった」
セラは答えない。目も合わせようとしない。そんな女の顎をソリアは掴み、無理矢理自分と視線を合わせようとする。
「どうやら身体は無事なようだな。なに、もう少しの我慢だ。じき、お前の全ては私のモノになる」
「……アナタの思い通りには、絶対になりません」
「フフ……。どうかな……?もうじきレッドデビルがここにやって来る。せいぜい楽しみにしていることだな」
熱の籠った吐息をセラに浴びせ、ソリアは再び兵を部屋の外に配備しその場を立ち去る。
セラは破られた天窓を眺めながら、ただひたすら胸に抱いた希望を暖め続けていた……。
―――――――
「危ない危ない。ちょっと話し過ぎちゃったな~。しっかし、本当に可愛かったな……」
城内から見事逃げおおせたロバートは、エルフの美貌を脳内で反芻しながら、服を着替えるべく街外れの倉庫に向かう。
と、その時。ふと見覚えの無い物体が視界の端に入った。
「……ん?」
それは一見巨大な球にも見えたが、意識して見ると丸みを帯びた鎧であった。
巨大な四つの白い盾がミノムシのように身体を覆い隠しており、淡い金色で縁取られたその鎧は木陰の下で静かに佇んでいる。
鎧という性質上物騒な物ではあるが、風が撫で小鳥が羽を休め囀るその光景は平和という言葉が相応しい。
指が見える為、中に人は入っているのだろうが微動だにしない。もしかしたら帝国が創り出した魔兵器か何かだろうか。だとしたら何故こんな所に?
ロバートはそんなことを考えながら暫く眺めていたが、結局何も起きそうになかったので倉庫までの道を急いだ。
(……しかし、ジルと共闘とはねぇ……。戦争が終わっちまってからもうそんな事は無いと思ってたけど、分からんもんだなぁ)
ついつい口元が緩むロバート。
そして、ロバートとセラの邂逅から三時間後。
オズガルド第三帝国に警鐘が鳴り響く。
それに呼応するかのように、木陰で佇んでいた白く巨大な鎧は静かに立ち上がり、城壁へと歩き出した……。




