第9話 悪魔の片鱗
ベムドラゴンは強い。あまりにも端的で直接的な形容になるが、その一言で表しても問題にならないほどベムドラゴンという生物は他の種族を圧倒して強かった。
その巨体は言わずもがな、成竜となったベムドラゴンの身体は鋼鉄並みの強度を誇る鱗に覆われ、その下には幾層にも練り鍛え上げられた筋肉が隠れている。
腕一振りで岩石を角砂糖のように粉々に砕いてしまうその肉体は外部からの衝撃にも強く、至近距離で大砲を放たれても絶命することは無い。
数多くの腕に覚えのある冒険者やハンター達が挑んでは無残な亡骸を晒してきた。
強さの象徴とも言うべき生物、ベムドラゴン。その成竜の首が今、熱い飛沫を撒き散らしながらジルの目の前に落ちてきた。
「……っ!!」
咄嗟にカリナとセラの前に立ち鮮血を一身に受けるジル。母竜の瞳は一瞬の輝きを見せたが、直ぐに光を失った。
従者二人の思考が一向に纏らぬ中、ドラゴンの生首の前に二人の男が崖の上から飛び降りてきた。
お互いに冒険者の身なりをしており、不備の無い装備や、厚手の皮で作られた服の下からでも分かる暴力的な身体つきは、一目で強者の気配を感じさせる。
「さっすがルインズ様!あのベムドラゴンが一刀両断だぜ!」
矢筒を背負った坊主頭の男がベムドラゴンの生首を足で蹴る。鉄鋼仕込みの爪先から甲高い音が鳴った。
「おい、大事に扱え。お前の命が何個あっても足りない程高価なもんだぞ」
ルインズと呼ばれた藤色の散切り頭の男は、身の丈程のクレイモアを雑に振り、刀身に付着した血を付近の土壌が捲れる程の勢いで払う。
「こいつはかなりの大物だな。情報に間違いは無かったようだ。……で、だ。こっちの情報も、間違ってなかったようだな?」
ルインズの視線が、漆黒の鎧を纏った大男に向けられた。細い目が猟奇的に吊り上がり、黄色い瞳が喜悦で揺れる。
「見ろよ、悪魔が居るぜ?」
その言葉に、坊主頭の男も興奮気味に飛び跳ねる。
「うお!マジだ!本当にいやがった……。へぇ?こいつがあのレッドデビル様かい?噂程でかくねぇなぁ?」
身長的には同程度の男が挑発的に目を細め、ジルを舐めまわすように眺める。そしてその下卑た視線は鎧男の背後にも向けられた。
「うっは……。こっちは噂以上だ……。なんつ~上物だよ。あんなエルフ初めて見たぜ!なぁ!ルインズ様!あれ、本当にもらっちゃっても良いのか!?」
「あぁ、らしいぞ?だが最初に味見するのは俺だからな?」
「へへ……。堪んねぇな~」
勝手に喜び燥ぐ男を横に、ルインズは嘲笑にも似た笑みをジルに向けた。
「自己紹介が遅れたな。俺はルインズ。こっちのハゲがトール。ま、見ての通りハンターだ。で、アンタ、レッドデビルだろ?」
クレイモアが小枝のように軽々と持ち上がり、切っ先がジルの鼻先に向けられる。
「……だったら、何だ?」
「悪いけど、ここで死んでもらうぜ」
柄を両手で握り、獣のような跳躍体勢に入る。しかし、その気勢は背後から響いた弱々しい咆哮に削がれた。まだ傷の塞がっていない子ドラゴンが崖から転がり落ちてきたのだ。
『クゥゥオォ……』
か細い鳴き声と共に絶命した母の頬をしきりに舐める。傷が開き血が滴り続けるも止めようとはせず、ただひたすらに母を想った。
情愛と悲愴に満ちた場面であったが、しかし二人の来訪者は口角を吊り上げ邪な笑みを晒す。
「ヤベェ!マジかよ!子供のベムドラゴンだ!しかもメスだぜ!?」
「あぁ……。こいつは驚きだ。トール!麻痺毒を打て!生け捕りだ!」
「了解ッ!!」
ベムドラゴンは、特に子ドラゴンの雌は今では村一つが買える程の懸賞金が付けられている。
実際にはもうその個体の発見は困難とされており、飾りだけの額と思われていたのだが、しかし今、目の前にその個体が居る。これを見逃す手は無い。
トールは背負った矢筒から一本の矢じりを取り出し、その先端に麻酔薬を練り込んだ丸薬を圧し付けると、そのまま手で子ドラゴンに突き刺そうと振りかぶる。が、しかし、その手を黒い手が捉えた。
「何やってんだ?」
溶岩のように煮え立つ憤怒を腹の奥底から捻り出したような唸り声。
その声は、背後の従者二人の動揺を一瞬で恐怖で塗り替えてしまった。余りに突然過ぎる状況が未だに呑み込めていないが、一つだけ解ることがあった。
それは、ジルが怒っていると言う事。
「あ?何だテメェ、離っ……!」
植物の茎を折る様に、トールの太い左腕が容易くへし曲げられた。鈍い悲鳴の後、堅い金属が数度叩かれる音が断崖に響き、その抵抗の数秒後には雄叫びのような悲鳴が木霊する。
濡れた紙切れを裂くかの如く、トールの左腕がジルの手によって引き千切られていた。その光景の直前、セラはカリナを抱きかかえ視界を塞いでいた。
「ぐああああああぁぁぁぁ!?」
筋肉や骨が露出した断面から夥しい朱が辺りを染める。
しかし、トールは闘争心剥き出しの顔で息を荒げながら腰のナイフを抜いた。そのナイフはとある魔獣の牙を研いで造られた物であり、岩をも砕き切ることが出来る逸品であったが、トールが力の限り突き立てるもジルの鎧には歯が立たない。
まるで虫でも払うかのように振り抜かれた悪魔の拳はトールの顔半分を抉り飛ばし、その巨体は地面へと崩れ落ちた。
「へぇ、やるじゃん」
血みどろの熱が纏わりつく中、涼しい顔で前髪をたくし上げるルインズ。
倒れた仲間のトールが必死に呼吸をしようと喉を鳴らしている姿を興味無さげに一瞥すると、再びクレイモアを構えた。
トールとの圧倒的な力量差を見せつけられて尚、彼の顔から卑しい笑みが消えない。余程自身の腕に自信があるのだろう。
「まさか、レッドデビルともあろう者が一介のハンター如きの攻撃を避けたりしねぇよな?」
「……」
安い挑発であったが、ジルは黙って右手を掲げ肘を折る。クレイモアを受け止めようとするその意思にルインズは心の中で歓喜の咆哮を上げた。馬鹿め、と思慮の浅さを嘲弄した。
ルインズの踏み出した足が固い地面を砕き、全身の筋肉が発火する。渾身の力を込めたその一太刀は悪魔目掛けて振り下ろされた。
もし仮にこの一太刀が巨岩に向けられていたなら、それはいとも容易く真っ二つに裂けていたであろう。
レッドデビルに叩き込まれた瞬間。轟音と共に衝撃波が弾け、空を裂き、周囲の木々を激しく揺らす。
派手な光景。しかし、その巨大な刀身はジルの掲げた手にすっぽりと収まってしまっていた。
足元が若干砕けただけで、彼自身には何の外傷も無い。そして、受け止めたクレイモアの刀身から伝わる微弱な振動を感じ取ったジルは『魔兵器か』、と静かに呟いた。
「ば、バカな……」
唖然とするルインズであったが、瞬きする間にジルの雑な蹴りがみぞおちを貫き、内臓を破損させ、身体は崖に打ち付けられた。
白目を剥いたルインズの限界まで開いた口から噴き出す赤黒い血が、渇いた地面に染み込む。そんな彼の頭髪を鷲掴みにし無理矢理身体を起こさせると、ジルは静かに問うた。
「お前らが何者で、何が目的で、誰の差し金か端的に答えろ。さもなくば殺す」
ルインズの掠れる視界の中、悪魔の鎧の目が紅く灯り、陽炎のように揺らいでいるのが見えた。彼は納得したように笑みを零すと、血の混じった唾をレッドデビルの頬に飛ばす。
そして、ルインズは堅い岩肌へ叩き付けられ意識を失った。
「……」
急に静かになった空間で、幼いドラゴンの悲痛な鳴き声だけが響いていた。
「おい……」
ジルは子ドラゴンの頭を優しく撫でつつ母親から離そうとするも、子ドラゴンは一心不乱に母の亡骸へと向かおうとする。
腕の中でもがき、遂には手や腕に噛み付いて振り解こうとするがジルは決して離さなかった。それどころかジルは子ドラゴンの首に手を掛け、気道を塞ぎ始めた。
「じっ、ジル様……っ!」
セラの声に一瞬手が止まるも、ジルは尚も首を絞める。そして遂に、子ドラゴンは意識を失いジルの腕に力無くぶら下がった。
絶句するセラとカリナであったが、ジルは子ドラゴンをセラの前に降ろすと、開いた傷口に先程の薬を塗る様に指示した。見れば、子ドラゴンは意識を失いこそすれ呼吸はしているようだ。
「ちょっと手荒になっちゃったけど、これしか方法が無さそうだったから……」
申し訳なさそうにそう呟くジルの声は、いつもの優しい主人のそれであった。
「い、今の人達は、一体……」
カリナは声を震わせ尋ねたが、残念ながらジルは首を横に振るしかなかった。
「分からない。ベムドラゴンと俺の両方を狙っていたみたいだけど、ルインズとかいう男、魔法が使えていた。それも、かなり強力な。ただのハンターや腕自慢とは思えない。とにかくこの件はギルドに報告して調査してもらうしかないね」
「そ、うですか……」
そして、カリナは視線を向ける。どうしても、視界に入ってきてしまうモノへと視線を向ける。解り合うことが出来た、心を通わせる事が出来た生物へ、悲しみに満ちた瞳を向ける。
「わ、私達が来なければ、こんなことには……」
それは違う。とは、否定しきれなかった。
「埋めてあげよう。せめて、それぐらいは」
「……はい」
ジルはベムドラゴンの遺体を深く埋めてやり、セラとカリナはその上に摘み取った綺麗な花を供えた。
その後、子ドラゴンをどうするかという話になった際、ジルがギルドに預けようと提案したのだが、カリナが家に連れて帰りたいと言い出し、その要求をジルは一先ず保留。
ギルドに戻り、ミスラとの話し合いにて子ドラゴンの処遇を決める事にした。
道中で目が覚めると大変なので、セラがその場で眠り薬を調合し子ドラゴンに飲ませ、通気性の良い袋に入れて持ち帰った。
「…………」
「…………」
「…………」
その後、クエストを終えた馬車の中は静まり返っていた。あまりの空気の重さに、いつもは鼻歌を囀ったり他愛ない雑談を投げかけてくる御者もこの日ばかりは無言で馬を走らせた。
揺れる馬車の中、セラは目の前に座る鎧姿のジルに横目を使う。そこにはいつもと同じ、顔は見えないが静かな雰囲気の主人が居た。
鎧を纏っていようとも何となくだが彼の表情や感情が読み取れていた。彼は何時だって優しい。何時だって自分達の事を気にかけてくれる。思いやりに溢れ生物への情愛も持っている。
故に、先程の豹変ぶりは衝撃的であった。
血も涙も無い残酷無比な凶暴性。あのような一面もあるのだと知った時、セラは彼が『レッドデビル』と呼ばれているのだという事を思い出した。彼女は見てしまったのだ。彼が悪魔と呼ばれる所以を。
だからといって、ジルに対する根本的な見方を変えるつもりは無かった。彼の根底にあるものは慈愛と優しさであることを確信していたからだ。だからこそ、セラはこれからも変わらず彼と接するよう心に決めた。
――今日見たものが、彼が悪魔と呼ばれる所以のほんの僅かな片鱗であった事を、彼女はまだ知らない。




