第5話 ベムドラゴン
世界で最も巨大な大陸、メルキド。地続きとなっている場所が殆どで、大陸内での移動は専ら馬車で行われる。大陸中では日夜数千もの馬車が往来し、人々の生活に無くてはならないものとなっていた。
馬車は支払う金額によってグレードが大きく変わってくる。王族や貴族の位になるとその内装はまるで宮殿の一室と見紛う程絢爛なものとなっており、引く馬の数も多い。
そこから値段を下げる毎に馬の数、内装、御者の質が落ちていき、一番下のグレードになるとそれはもう戦地で使われるような、『取り敢えず移動できれば良い』程度の品質になる。
この最底辺の馬車は一般向けには使われない。乗り心地が劣悪で客が寄り付かなくなるからだ。
では戦争以外にどこで使われるのかというと、それはクエストで冒険者を運ぶ際に使われる。
「ううう……」
「お、おしりが……」
長旅の末、馬車が揺れる度に固い座席に尻を打ち続けてきたセラとカリナは苦悶の表情を浮かべながら馬車から降りる。
『猫の手』は決して裕福なギルドとは言えず、手配できる馬車も底辺のランクが多い為、このギルドの冒険者達はクエストに出向く際は常に敷物などを用意していた。
「次からは何かクッションみたいな物を用意しないとだねぇ……」
けろりとした様子で降りてきたジル。従者が並んでお尻をさすっている光景につい吹き出してしまうが、二人の冷たい視線を浴び頬を掻きながらそっぽを向いた。
(ジル様は何とも無いのですかね?)
(……きっと、おしり鉄で出来ているんですよ……)
ぼそぼそとお喋りしている内に辿り着いたのは、何峰かに連なる山を覆う広大な森林の入り口。例によって例の如く馬車は入口までしか案内してくれない。ここからは徒歩だ。
前回よりも長い旅路になる予定だが、セラもカリナも馬車の悪辣な環境に身を置いていたせいか寧ろ身体を動かしたくて仕方ないといった様子。
二人とも前回と同じ服装に加え、気休めだが短刀を腰に差している。最低限の使い方はジルが教えていた。
「よ~し。それじゃ、張り切って出発しようか」
「「お、お~……」」
ジルが先頭に立ち、それに続いてカリナが。そしてカリナを挟むようにセラが一列になって森へと足を踏み入れた。前回のクエストの時と比べると道と呼べる道が存在せず、所々で内容の読み取れない苔むした看板が立っていた。
二回目の冒険ともあってかセラもカリナもあまり緊張はしていないようだ。鎧の大男の背後で談笑し合ったり、食べられる植物を発見しては採取してジルを待たせていた。
「目的のナナソ草は何処にあるんですか?」
クエストが始まったばかりにも拘わらず既に採取籠の半分を埋めてしまったセラが、愉しそうに声を上ずらせる。
「この先にある山の断崖に群生しているとの目撃情報があったらしい。あるだけ全部持って帰って来いってさ」
「どうしてその発見した人が持ち帰らないんですかね?珍しい薬草なんですよね?」
どこから持ってきたのか、カリナは赤く細長い木の実をスナック菓子のように食べていた。
「発見したけど取りに行けるような場所じゃなかったんじゃないかな。っていうか何食べてるのそれ?」
「テミの実です。ジルさんもお一つどうですか?癖になりますよ?」
「お……、じゃあもらおっかな、ありがと」
甘い香りのする小ぶりなテミの実を鎧を透過させ口に放り込む。決して甘過ぎず、程良く香ばしく、そして噛み応えのある弾力。コレはあればいくらでも食べ進めてしまえそうな気がする。気付けばもう一つもらっていた。
「気に入りました?」
「かなり!」
「良かったです。帰りにまた採っておきますね」
「たくさん採って帰ろう。寧ろこっちの方がメインクエストだね。ナナソ草はおまけだ」
余程気に入ったのかジルはカリナの持つテミの実をごっそり半分貰い受ける大人げ無さを見せた。セラはその光景を愉しそうに眺めながら自分もテミの実を齧る。
「因みにナナソ草は超希少な薬草です。磨り潰して傷口に塗れば、すぐに傷が塞がる優れものです!エルフの里の狩人はいつもナナソ草を練り合わせた軟膏を持ち歩いてたんですよ~」
「そうそう。俺も戦時中は持ち歩いてたなぁ。喉が乾いてるけど水が無い、そんな時に舐めるんだよ。めっちゃ苦いから涎が出て口を潤せるんだよね」
「随分用途が違うんですね……」
「いや、多分ジル様の使い方はかなり特殊なので真似しちゃダメですよ……」
一行は他愛ない雑談をしながら涼しい森の中をどんどん進んで行く。特に障害も無く、魔獣も出現する事無く山肌へと辿り着いた。
「さて、確かこの辺だと思うんだけど……」
ジルは持っていた荷物を降ろし、皮袋の中を探る。セラとカリナは切り立った断崖を見上げるも、特にこれといった植物が生えていないことに疑問を抱いた。
「ここにナナソ草があるんですか?」
ジルはその問いに答えることなく袋を漁り、そして中から双眼鏡を取り出した。
「あったあった。ええと、確かあの辺だった筈……」
ジルは双眼鏡を恐らくは目の辺りに当て、断崖の上方へとレンズを向ける。幾度か首を捻った後に何かを発見し、セラとカリナを手招きした。
「セラ、あそこ、あの窪んだ所を見てみなよ」
双眼鏡を渡されたセラは言われるがままジルの指差す方角へ双眼鏡を向ける。
「……え!?あ、アレは……」
その場で固まるセラの服の裾を『次は自分の番』と言いたげにカリナが引っ張る。そして双眼鏡を渡されたカリナが鼻息を荒げながら前の二人と同じ行動を取ると、これまたカリナも抜けたような声を漏らしながら固まった。
「アレって……」
「そう、ベムドラゴンだ。どうやらこの辺に巣を作っているらしいんだよ」
「す、凄いです……。初めてみました……」
セラが双眼鏡無しで同じ方向を見つめる。息を止め、目を凝らし、やっとのことで確認できるその翼。一隻の舟のような巨体に錆色の皮膚。喉元から腹部、尻尾にかけてはくすんだ灰色を帯びている。
四足歩行と二足歩行を同時に可能にした丸太のように太い腕と脚。そして鼻先から真上に伸びた白い角。
そこには、本の中でしか見たことが無かったドラゴンの姿が在った。
「運が良かったね。俺も見れるとは思ってなかったよ」
超希少種のドラゴンを目の当たりにし興奮するカリナから、双眼鏡を受け取る。
「ミスラからこの辺りに住んでるって聞いてたんだ。二人にちょっとしたサプライズをしたくてね、今まで内緒にしてたんだよ。俺も本当に見れるとは思ってなかったんだけどね」
そう言いながらジルは再び双眼鏡を覗き込む。寝ているのだろうか、ベムドラゴンは微動だにせず蹲っている。
「え、というか、大丈夫なんですか?危なくないですか?」
「大丈夫ですよ、カリナちゃん。ベムドラゴンはとっても温和で優しい生き物なんです。こちらから危害を加えない限りは襲ってくること滅多にありません。何なら、じゃれてくる可能性だって有りますよ?」
「ただ、怒らせた時は怖いよ~?過去にベムドラゴンを本気で怒らせた結果、一夜にして滅ぼされた小国があるって記録されてるぐらいだからね。オークの倍以上はある巨体に人間の胴より太い手足。そして鋭い爪と牙。それが飛びながら襲ってくるんだから、人間なんか瞬殺だよ。俺も出来れば戦いたくはないかな」
「……」
折角のセラのフォローも台無しである。ジルでさえ身の危険を感じる程の相手がすぐ傍に居る事実にカリナは震えた。
「でも、襲ってくることは本当に稀だから気にしなくていいよ。例えば寝ているところを蹴飛ばして起こしても怒らず寧ろじゃれてくるぐらいだから。角当たって痛いけど。縄張りで草を採ったぐらいで襲ってきたりしないよ」
「……そうですか。なら、良かったです」
まるで経験した事があるかのような例えであった。
その後、セラとカリナはベムドラゴンを満足するまで観察すると、ジルに連れられナナソ草が群生している崖へとやって来た。
一本の茎に五枚の葉を生やした形が特徴的なナナソ草は崖のかなり高い位置に生えている。ジルがよじ登り引っこ抜いたナナソ草を落とし、落ちてきたそれを下の二人が回収するという方法を取ることにした。
「それじゃ、行ってくるね~」
ジルは鎧姿のまま崖の凹凸に指と爪先を器用に引っ掛け、まるでトカゲのように断崖をするすると登っていく。
彼の影がテミの実程の大きさになったところで漸くナナソ草の下へと辿り着いたジルは、目につくナナソ草を手あたり次第引っこ抜くと砂や小石を撒き散らさないようなるべく崖に伝わせて落とした。
「凄い凄い、大量ですね」
「セラさん、これ見てください、ホラ」
「わ!大きいですね!カリナちゃんの顔がすっぽり隠れちゃってますよ!」
二人とも作業を満喫しながら持ってきた袋にナナソ草を詰め込んでいく。袋はあっという間に膨れ上がり、予備の袋も使うがコレも直ぐに満たされた。
これ以上持ち帰ることは不可能と判断したセラは両手で口を囲い、崖に捕まっているジルに声を飛ばす。
「ジル様~!もう入りませ~ん!袋がいっぱいです~!」
「お、そうか……。は~い!りょうか~い!!」
予想外の早い終了に拍子抜けしながらジルは後退を始めた。ゆっくりのんびり降りていたのだが、ふと、視界の端に意外な色を捉えた。
「ん?」
気付き、見た。その瞬間、ジルは断崖を蹴っていた。彼が見た『それ』が何であったのか頭の中で咀嚼し吟味して理解するよりも早く、身体は動いていた。
「伏せて!!」
突如響く怒号に、セラもカリナも動揺する間すら無かった。突如として襲い掛かった衝撃で尻もちをついた二人を、二つの巨大な影が覆っていた。
一つはジルの巨大な背中。そしてもう一つは、更に巨大な影。
『オオオオオオオオ!!』
ベムドラゴンの咆哮が、身体を震わせた。




