第7話 どこが悪魔なんでしょう②
「おお、オークか。ギルドの情報通りだな」
軽い口調のジルに慌ててセラが駆け寄り、瞳を恐怖に染め鎧の背後から魔獣の様子を窺う。
「じ、ジル様!オークですか!?」
「うん、だね。多分この辺が縄張りなのかな?」
「ま、魔獣なんですかね?」
声を、そして肩を震わせ怯えるセラであったが、その姿はジルから見れば頼もしく映っていた。
見るからに危険で威圧的な相手を前に悲鳴を上げ、あまつさえ走って逃げて来れるのだ。中々に肝が据わっている。隣に居るカリナのように恐怖のあまり声も出せず立ち尽くすのが割と普通の反応であった。
オークは魔獣の中では知性があり凶暴性も低い方だが、縄張りを荒らしたり危害を加えようとすると激怒し襲い掛かって来る習性がある。そしてその力たるや、熟練の戦士が束になって戦っても全滅してしまうことが多々ある。
樹木をいとも容易くへし折ってしまうその腕力と脚力の前では鎧など無意味であり、人間の顔以上に巨大な手に捕まりでもすれば一瞬で身体を引き千切られてしまう。その強大な力故に戦争の道具に使われる事も多い。
『グフゥ……』
「おっと」
オークの敵意を察したジルは固まっているカリナを背後に隠し、それをセラが咄嗟に抱きしめる。
その瞬間、オークが暴力的な咆哮を撒き散らしながらジル目掛けて突っ込んできた。
巨大な足で地面を抉り、巨体に似合わぬ速さで距離を詰める。丸太のような腕が振られ、オークの両手がジルの顔を掴もうと伸びる。
惨劇の予感にセラは瞼を固く伏せ俯くが、ジルはそのオークの両手を自分の両手で呆気なく受け止めた。
「落ち着けよ。まだ何もしてないだろ」
威嚇の咆哮を吐き出しながら全体重を乗せ、覆い被さるように力を強めていくオーク。しかし、自分より遥かに小さな男は少し足が地面にめり込むだけで微動だにしない。
あらん限りの力を籠め組み伏せようとするも、眼下の鎧の男は随分と涼し気に笑い声を上げている。それどころか、男の指の力が徐々に強くなっていくではないか。
『グ、ガァァァ!』
「ホレホレどうした。もう降参か~?」
途方も無い暴力を前にオークの膝は折れ、次第に頭の標高がジルよりも低くなっていた。いくら力を入れても押し返せず身体が沈んでいく。オークを力比べで圧倒している人間を目の当たりにしたセラとカリナは目を丸くしていた。
『フ……フォォォォ……』
山のように巨大な岩石に押し潰されているような錯覚を抱くオーク。情けない鳴き声を漏らし、ジルに救いを懇願する。ジルはその懇願を受け入れ手を放してやった。
「え!?何……」
何故このままやっつけてしまわないのか。そんな意味を込めた言葉が投げかけられるよりも先に、ジルは足元に置いていた巨大な袋を手に取ると、すっかり戦意を失った顔でこちらを見上げるオークの前に放り投げる。
ジルが手の平を差し出し中を見るように促すと、その意図を察したオークは太い指で器用に袋を広げた。中には、大量の肉や小さな酒樽がぎっしりと詰まっていた。
「ここの果物が欲しかっただけなんだ。お前達の縄張りを荒らすつもりはないよ。それはお詫びだ、持って行ってくれ」
野生のオークに、ジルの言葉は殆ど理解出来なかった。だが、穏やかな口調と身振り手振りのおかげで何が言いたいかは理解出来たようで、オークは袋を抱えると、あっさりと草木の影へと姿を消した。
周囲の安全を確認した後、ジルは警戒を解き背後の二人に声を掛ける。
「もう大丈夫、襲ってくることは無いよ」
「ほ、ホントですか……?」
「あぁ。魔獣だとしてもオークは聡明な生き物だからね。ちゃんと接すれば理解してくれるんだよ」
「よ、よかった……」
緊張の糸が切れ泣きじゃくるカリナを撫でるセラもまた、身体に染み付いた恐怖に肩を震わせていた。
「そ、それにしても、ジル様凄いですね……。あのオークを素手で……」
「なぁに、アレぐらい朝飯前さ。伊達にレッドデビルと呼ばれてるわけじゃないんだぜ?」
「ホントに、凄いです……。でも、てっきりあのままやっつけてしまうのかと思ってました。あの袋の中身は元々あの為に用意されてたのですか?」
「うん。こういうこともあろうかとね」
それに、と続ける。
「彼らにも生活があって家族も仲間もいるだろう。そんな相手を殺めたくはない。平和的に解決できるならそれに越したことは無いさ。まぁ今回は相手がオークだったから出来た事であって、知性の無い凶暴な魔獣相手だと難しいんだけどね」
「……」
「さぁて!パメの実、採っちゃいましょうか!これだけあれば俺達の分もあるぞ!」
パメの実が芳醇に実った樹木へと駆け出す主人の背中を、セラは敬慕に満ちた瞳で見つめていた。
一体彼のどこが悪魔なのだろうか。魔獣にすら敬意を払うその姿は悪魔どころか正義と慈愛の象徴にまで見えていた。
見た目は確かに恐ろしいがその中身は優しさに溢れている。セラはそれを知る数少ない者であり、また、彼女にとってそれはとても誇らしい事であった。
「お~い。取り敢えず引っこ抜いて取りやすくしたからどんどん収穫してくれ~」
「え……。ええええ!?」
ジルの声に振り返ってみれば、なんとパメの実が大量に実っている樹木が根っこから引き抜かれ、地面に転がされていた。どうやら彼は植物に対しての慈愛は持ち合わせていないようである。
「早く収穫しよう。これだけあれば依頼主も満足だろう!」
「そ、そうです、ね~……」
色々と規格外な主人の振る舞いに、先程までの感動が薄れ表情を強張らせるエルフ。その傍らではすっかり元気を取り戻したカリナがせっせとパメの実を千切っては、持ってきた袋に放り込んでいた。




