第6話 無粋
形勢は逆転していた。
バラドの振るう大剣を前にジルは防戦一方。片手で振るわれる嵐のような剣戟の乱舞を両手で握ったメイスで何とか薙ぎ払う。決して真正面から受け止めようとせず、衝突の瞬間に僅かにずらし、受け流していた。
ほんの僅かに掠っただけでも体力と精神力がごっそりと削られて行く。まるで剥き出しの果実を匙でゆっくりと掬われているように。
バラドは楽しんでいた。血走った目を見開き、鋭い歯を剥き出しにし、興奮しきった表情で歓喜の雄叫びを放つ。
それとは対照的にジルの心と貌は静けさを増す。剣戟を躱す度に、受け流す度に、ジルの動きは精密さを増していった。
大振りだった動きは次第に限界まで効率化された挙動を求め、最小限の動きで攻撃を掻い潜り、隙をついては魔力の槍やメイスを叩き込んだ。
相変わらずバラドの魔力に殆ど弾かれてしまうが、そこに落胆も焦燥も無い。集中し切ったジルの心は目的を遂行する為の無機質な一己と成り果てていた。
徐々に距離が詰まる。飛び散る血の量も次第に激しさを増し、肉を打つ音が増え始めた。片手で振るう大剣を両手で持つメイスで受けねばならぬ以上、バラドの空いた左手が時折ジルの顔や腹に叩き込まれるが意に介さない。
怯むことで与えられる刹那の時間すら惜しみ、血を吐き出しながら攻撃を繰り出し続けた。
そんな気概が実ったか、少しずつバラドの身体が後退していく。そして遂にバラドはよろめき、身体を大きく仰け反らせた。
一瞬、曇天から微かな光が差し込んだような気がしたが、しかしその光はすぐに掻き消される。
バラドはジルの攻撃でバランスを崩したわけではない。渾身の一撃を叩きこむ為に防御を捨てただけだった。
「オオオオオ!!!」
空を裂く咆哮と共に、振り絞られた身体は跳ね上がり無慈悲の鉄槌が振り下ろされる。一瞬、バラドへの追撃を迷ったジルは躱す体制を取れず、メイスを倒し頭上に掲げ大剣を受け止めた。
衝突音は遠くの山まで轟き、爆ぜた風圧は周囲の木々の枝を散らす。受け止めたジルの足元は大きく沈没し、周りの土壌は激しく隆起した。
「……っ」
何とか、何とか受け切ったジルの歯の隙間から温い血と息が漏れる。
過去にギガースなどの巨大な魔獣から受けた攻撃も、ここまでの破壊力を持ったものは無かった。
漸くジルの身体に浸透した集中力は今の一撃だけで全て剥がされ、体中に汗が吹き出し、赤くなるまで熱せられた鉄を押し当てられているような激痛が全身を幾重にも駆け巡る。
受けてはならぬ、一撃だった。
「今のを止めるか!見事だ!」
バラドは折れたジルの身体を蹴り飛ばす。ジルは遂に嗚咽を漏らしながら地面を転がるが、それは決して攻撃を意図したものではなく、一旦距離と時間を取る為バラドが行った慈悲であると解するのにそう時間は要さなかった。
嘗められているという憤慨よりも安堵の方が勝った。怒りで余計な体力を費やさず、僅かでも息を休めることに努めた。
(ふざけやがって……。どうなってんだよコイツ……)
弱まった握力でメイスを持ち上げ構える。絶望以上の感動すら覚える強さ。フィジカルと本能のぶつかり合いでは分が悪すぎると身をもって理解したジルは、鎧の下のポケットに手を突っ込んだ。
(真正面からだと勝ち目は無いな)
戦場の真っ只中にしては十分過ぎる休息を得たジルは、両手でメイスを握り直し、勇ましい雄叫びを上げた。未だ折れぬ心で真正面からの突撃を敢行する蛮勇に対し、バラドは瞳を輝かせ剣を振り上げる。
――刹那。バラドの瞳に小さな小石が映った。
脳が答えを弾き出すよりも早く、ジルが右手に隠し持っていたその『魔石』は激光を放つ。目の前に太陽が現れたかのような強烈な閃光の直撃を受け、バラドは怯んだ。
その一瞬を、ジルは欲していた。
地面を滑るようにバラドの背後へ回り込み、渾身を以て大地を踏み抜く。膨大な火薬が爆ぜるが如く両腕が躍動し、今出せる全身全霊を籠めたメイスの一撃が鬼の背中を深々と捉えた。
(倒れろっ!倒れてくれ!!)
勢いが余りメイスを振りぬいたままの姿勢で背中から倒れ行くジルの心中は、懇願で満たされていた。しかし、バラドは少し前によろめいただけ。
「……成程。『ラダナ石』、か……。確かにこういう使い方もあったな」
敵に背を向けたまま身を屈め、光を失った魔石を指で摘み、無造作に握り砕く。
体勢を立て直したジルへ振り向いたバラドはどこか哀愁を感じさせる笑みを浮かべており、その口からは血が漏れていた。
ちくしょう。ふざけるな。心の中で罵声を叫ぶジル。
「虚を突く一撃、見事であった。と言いたいところだが……。戦士の戦い方としては少々無粋だ」
バラドの髪が逆立つ。眉間に憤怒が刻まれる。魔力の激流を浴びせられ瞬きをしてしまった事を後悔した時には、ジルの身体は地面と平行に飛んでいた。
背中から噴水に激突し、砕けた瓦礫の中に身体が沈む。造形を失いがらも尚も噴き出す水流に薄い朱が混じった。
「……っ!!」
身体の中でのたうち回る臓物がジルの呼吸を止め、腹部に突き刺さった衝撃は全ての思考を放棄させ体の動きを奪った。
身体を大の字にしたまま動きを止めた男を眺め、バラドは顎に手を当て目を細める。
「ふむ。やはり本気で殴るとこうなるか……。オイ、まさか死んでないよな?」
水を浴びる黒き鎧からの返事は無い。指一本動かす事無く項垂れている。
バラドは血濡れた手で顔を覆い、肩を落とした。
「まぁ、思った以上には楽しめた。不本意とはいえ俺に本気を出させたのは誉めてやろう」
興味の無くなった玩具を見る子供のように、バラドの瞳からは熱が霧散していた。
重苦しい動きで大剣を背負い直すと、腰を何度か叩いた。ジルの渾身の一撃はそれなりにバラドに届いていたようで、身体の違和に対し瞼を堅く閉じる程度には負傷していた。
が、どう見ても状況はバラドの圧倒であった。
「……」
バラドは黙する強者に向け踏み出した。ジルに近付いて何をするつもりだったのか、それは分からなかった。
何故なら、途中で足を止めていたから。
「バラド!!」
静けさを取り戻した空間に響く声。甲高く耳障りなそれに対し、バラドは感情の起伏を失った表情で振り向いた。
「お前の、お前の相手は……。私だっ!」
――そこには、寝間着姿のサキュバスが立っていた。




