第4話 虚勢と傲慢
「こんなの……どうやって倒せっていうんだ……」
剣戟と鉄の臭いが渦巻く戦場のど真ん中にて。
鍋や鍬でも材料にしたかのような陳腐な鎧を纏った少年は、刃の欠けた拾い物の剣を力無く手に提げ、唖然と突っ立っていた。
他の兵士達は彼を避けながら一心不乱に駆けて行く。少年はまるで川に突き刺さった木の枝のようであった。流れて行く、流されて行く兵士達は、辿り着く果てにて命の飛沫を散らす。
ある者は胴を真っ二つに千切られ、ある者は地面に叩き付けられ弾け飛び、ある者は顔の半分を殴り飛ばされる。
地獄の方がまだ救いがあると思えてしまうような凄惨な光景の真ん中で、狂った鬼は歓喜の雄叫びを轟かせていた。
幾重もの怒声が少年を通り過ぎる。振られた手や武具が身体にぶつかりよろめく。少年は意に介さない。彼の視線は、意識は、踊り狂う鬼に完全に奪われていた。
「オークだ!オークが来たぞ!!」
誰かが叫ぶ。死に酔った戦士達に声など最早届かない。晴れ晴れとした青空の中、少年に影が落ちた。
兎に角分厚く堅く。そんな意図が見える武具を纏ったオークが巨躯を唸らせ飛び掛かる。
体格差は歴然。しかし、『鬼』は背中に提げていた大剣を指揮棒のように軽やかに振るうと、次の瞬間には武具ごと真っ二つに裂けたオークの断面から夥しい鮮血が噴き出していた。
『鬼』は喜悦に満ちた貌で血を浴び、尚も殺戮を続ける。血と肉が舞い、多くの人生がゴミのように地面に積み上がった。
「凄い」
意識せずに漏れた言葉。少年の心に芽生えていたのは、恐怖ではなく憧憬。
幼い頃から強くあることを強要され、強さを求め続けた彼にとって、その光景は全ての答えであり到達点のようであった。
気付けば彼は兜を脱いでいた。横長だった視界は開け、空の蒼さが目に染みる。戦場に吹きすさぶ風に少年の灰色の髪が靡いた。
ジル=リカルド。齢10歳。
彼はその日初めて、バラドの戦いを目撃した。
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今、自分は何を殴ったのか。右腕の先に貼り付いた激しい鈍痛に、顔には無を浮かべたまま自問する。ジルの右手から伝う血が角ばった関節から床へ滴っていた。
バラドを殴り飛ばした際、拳から伝わって来たのは肉の感触ではなく、城壁のように巨大な金属の束。衝撃で吹き飛ばしたのではなく、緊急回避の為押し出した、というのが実際のところだ。
渾身の一撃だった。しかし、砂煙に佇むバラドの表情は涼しい。ジルも何てことは無い風体を見せてはいるが、擬態だ。
眉間が歪むのを耐えねばならぬ程度には、彼の右手と右腕はダメージを負っていた。
攻撃をしたのはジル。しかし、彼の方がバラドに先んじて崩壊に近付いていた。
「セラ」
主人の言葉に我に返るセラ。気付けば彼女の目の前には黒き鎧が顕現していた。
「みんなを連れて逃げるんだ。避難所じゃなく、兎に角遠くへ」
「……!」
その言葉の意味を理解したセラは一瞬躊躇うように唇を噛み、蒼い瞳を歪ませる。が、直ぐにその場に居た全員に避難を促した。
カリナが瓦礫を蹴飛ばしながら先導し、ナナは嫌がるククルを両手で抱きかかえ部屋から飛び出した。
「……ご武運を!」
「おう!」
力強く親指を立てる主人の横を通り抜ける。彼女の艶やかな長髪が名残惜しそうに鎧を撫でた。
本当はセラも戦いたかった。助けになりたかった。しかし、余裕の無いジルの声がその想いを抑え込んだ。
明らかな逃走の様相を見せる彼女達に対し、バラドは一瞥をくれるだけで妨害しようとはしない。そんなものよりも遥かに興味をそそられるモノがあった。
「素晴らしい。こうして改めてみると、成程、実に威厳に満ちた雄々しい鎧だ。例え魔力による紛い物だと解っていても、感嘆せざるを得ない」
「そいつはどうも」
ジルは二階。バラドは外。高低差は明らかだが、ジルは眼下に居る筈の怪物を見下ろせている気がしなかった。
「しかし、それはどういった鎧だ?この大陸ではあまり見かけない趣きだ、が……」
ジルの腕に渦巻く紅い魔力がバラドの言葉を止めた。
彼の腕に纏わる魔力はまるでランスのように鋭さを帯びた容を取り、そして流れるような姿勢で投擲される。
空を裂く音と共に放たれた魔力の槍はバラドの翳した掌に直撃した。衝撃波が周囲を呑み込み地面を切り刻む。旋回し突き進むその槍は巨大な岩石すら容易に貫通せしめる威力を秘めていたが、その真価が発揮されることは無く、呆気無くバラドに握り潰された。
花弁のように散る赤い靄の向こう側では、狂喜に溢れた瞳が爛々と輝く。
「素晴らしい。これ程までの魔力を凝縮させ、放てるとは……。魔法の才にも長けているとはな。つくづく感心する。だが、こんな無味な玩具程度では俺を傷付けることは出来ぬ」
「そのようだな」
勘弁してくれ。と、ジルは心の中で苦虫を噛み潰していた。
今の攻撃は全力ではなく、バラドの実力の一端を確かめるために若干加減して撃ったものだったが、結果的にジルの中で絶望の影が濃くなった。
せめて剣で弾いてくれ。そう思いながらジルは背に提げていたメイスを右手で握り、バラドの眼前に降り立つ。射殺すような日射が黒き鎧を照らし出す。
「さぁ、見せてくれ。『レッドデビル』と畏れられたその力を!俺の渇きを潤してくれ!」
「溺れるなよ」
メイスの柄を握る手に、力が籠る。
ふと、別れ際のセラの表情が頭に浮かんだ。湧き上がる不安を無理矢理押し殺し、必死で笑顔を浮かべていた。
(……ごめん)
ジルは心の中でそう呟くと、地面を蹴った。




