第6話 意外な隠れ家
「よお。ここに居たのか。探したぜ」
郷愁に満ちた表情のロバートが投げた言葉に、部屋の椅子に腰かけた大男は満面の笑みで答えた。
「ロバート!随分久しいな!そんなところに突っ立ってないで入って来い!」
バラドは棚から空のグラスを一つ取り出し、テーブルに置く。テーブルの上では既に半分空になった酒瓶が置かれていた。
ロバートは部屋に足を踏み入れ、バラドと向かい合うよう椅子に腰を下ろす。足を組み、砕けた態度を見せる客人にバラドは満面の笑みを浮かべた。
「積もる話はあるのだろうが、まずは再開を祝して乾杯といこうではないか」
酒瓶を小枝の様に摘み、ロバートのグラスに傾けた。半分ほど入れたところで自分のグラスにも同量注ぎ、二人は静かに盃を重ねる。
「へぇ。良い酒だな」
「だろう?南の方にあるパララという国の酒でな。喉越しが爽やかで、熱で味が落ちる事も無い。この季節にぴったりの酒だ」
空になった客人のグラスにすかさずお代わりを注ぐ。今度は八分目まで注がれたそれを、ロバートは一気に飲み干した。満足そうに頷くバラドを前に、ロバートは静かな笑みを浮かべつつ口を開く。
「しかし、まさか『ここ』に潜伏してたとはなぁ……。見つからないわけだ」
バラドが身を隠していた場所。それは、以前ジルが裁判を受ける際に訪れた巨大都市、セラセレクタの中心部に位置する豪華な宿屋であった。
ここは警備も厳重で、バラドのような反乱軍の大物が一歩でもうろつけばすぐに通報されてしまうような土地だ。
と言うより、そもそも厳しい検閲がある為入る事すらできない筈なのだが、現にバラドは目の前に居た。
「潜伏という程長居はしておらぬし、するつもりもない。あくまでも一時的な羽休めだ。それにしてもよくここが分かったな?」
「それなりに伝手はあるからね。もちろん他言はしていないし《《つけ》》られてもないから安心してくれ」
「ははは。当然だ。でなければ、俺も貴様とこうして顔を合わせる事も無かっただろう。まぁ、仮にそうなったところで何も問題は無いがな!」
その言葉の端々からは絶対的な自信が窺え、それが虚勢で無いことはロバートも重々承知していた。
どんな手を尽くそうともこの男を倒せるイメージがまるで湧かない。もし今、バラドが気まぐれでロバートを殺そうとしたならば、それは容易く叶うだろう。
試しに殺気を放ってみてもバラドはまるで警戒を見せていない。警戒する必要が無いのだろう。獅子が兎を警戒しないのと同じように。
「で、わざわざ訪ねて来て何の用だ?まさか、我々の仲間になりたいとでも言うのか?」
「まさか。確かに帝国は嫌いだしアンタらの考えも理解できるけど、俺はそういうの、興味無いからな……。俺がここに来たのは、とびきりの美女がここに来るって噂を聞いたからさ」
「美女……?何のことだ?」
身に覚えのない話に眉を顰めるも、空になったグラスを差し出されたバラドは嬉々として代わりを注いだ。
ロバートはそれを飲み干し熱っぽい吐息を漏らすと、事の成り行きをバラドに説明する。バラドは神妙な面持ちで話を聞いていたが、すべて聞き終わると無邪気に笑って見せた。
「何だ、それは惜しいことをしたな。そういう事なら俺の居場所を教えておくんだった」
「おいおい。命を狙ってるんだぜ?それも、ジルの魔力を吸収した状態でだ」
「だからこそだ。あのレッドデビルの魔力を吸収したサキュバスの力、そしてその容姿。是非とも見てみたいものではないか!そんな面白い事になっていたとはな……。フフ、あそこを訪れて正解だったらしい」
「ま、取り敢えず頼まれた通り伝えておいたぜ。もしその子がアンタに危害を加えようとしても、それはジルの敵対の意思じゃないってことを理解してやってほしい」
「それは言われずとも理解している。例え向かってきても、なるべく傷付けないよう気を払おう。……私のせいでレッドデビルにも、そして貴様にも随分と迷惑をかけているようだ。悪かった。この通りだ」
膝に手を突き、頭を下げるバラド。その光景にロバートは複雑な笑みを浮かべる。この男の場合それが本意なのか、それともからかっているだけなのか判断しにくかった。しかし形だけなら下手に出ているのも事実。
ロバートはもう少し踏み込んでみる事にした。
「そうそう、そのジルの事なんだけど、聞いたぜ?脅しみたいな勧誘されたって。アイツ、ビビりまくってたぞ?」
「ははは!そうか!いやはや、ちょっとやりすぎたかもしれぬな」
「勘弁してやってくれよ。アイツも、漸く掴み取った平穏なんだ。出来れば、邪魔しないでやってもらえると助かる」
「それも、頼まれたのか?」
「ちげーよ。友としてだ」
友、か。バラドはそう静かに呟き、どこか虚しそうに視線を落とす。溜息を吐く一連の動作だけでテーブルが大きく軋んだ。
「それを、許さんと言ったら?」
「死体が転がる事になる」
ロバートの手が愛刀に添えられる。その瞳は微塵の恐怖も湛えていなかった。勝てる勝てないではなく、義理を果たす覚悟の前にバラドは喉の奥から悦喜を漏らす。
「良き友を持っているようだな、あの男も。なに、安心しろ。俺とて奴を失うわけにはいかぬ。余程の事が無い限りは手出しはせぬさ。貴様に言われずとも、断られたら素直に受け入れるつもりだったのだ。今回は、な」
若干不穏な香りを残されたが、それでも床に臥す友に良い報告が出来そうだ。ロバートは愛刀の柄から指を離し、空になったグラスを差し出す。
「いい加減自分で注げ」
「ごもっとも」
バラドは屈託の無い笑みを浮かべながら未開封の酒瓶を差し出し、ロバートは涼やかな笑顔でそれを受け取る。再びグラスを酒で満たすと二度目の乾杯をした。
「で、どうだ?貴様も我々の仲間にならないか?」
「いきなりだな……。生憎、俺も今の生活が気に入っていてね。そういう気分にはなれないかな」
「そうか。まぁ、気が向いたらいつでも来てくれ」
あっさりと引き下がられたことに対し目を丸くし安堵するも、同時に少しの疑念が生じるロバート。
「エラいあっさり諦めるのね……」
「ん?あぁ。仲間になりたくない奴を無理に引き入れても内部から瓦解するだけだからな。本当に我々と志を同じにする者でなければ意味が無いのだよ。ただ、ジルに関しては仲間に引き込むメリットが絶大だからこそ、あのような乱暴な手段に出ただけの話だ。少々、やりすぎたかもしれないがな」
奴が会いに来たら、正式に詫びを入れるつもりだ。バラドはそう告げた。帝国の人間からは凶鬼と恐れられるバラドだが、自分に敵対しない者に対しては人並みの誠実さを持ち合わせている男でもあった。
「それにしても、反乱軍もご苦労な事だな。人間の勧誘のみならず、魔獣まで利用するとは……。帝国軍の奴らもさぞ手を焼いていることだろう」
「ハハハ。何の事だ?全く身に覚えのない話だが……」
「とぼけるなよ。ま、そう言う事にしておいてやるけどさ……」
全てお見通しと言わんばかりに肩を竦める客人に対し、バラドも負けじと意味深に口元を吊り上げる。
「それを言うなら、貴様も貴様で色々とやっているようではないか」
「ん?何の事だ?」
「とぼけるな。身分を偽り兵士として帝国に潜入していたではないか。わざわざそうまでして欲しかった情報や要人とのパイプがあったのだろう?で、何か成果はあったのか?」
「……さぁ、身に覚えがないな」
「フン、まぁ、そういう事にしておいてやろう」
お互いが、お互いに腹の中を見せるつもりは無かった。お互いに笑い合い、酒を酌み交わし合う。
そしてお互いに、こう思うのであった。
((本当に、何の事だ……??))
……と。
その後、彼らは昔話に花を咲かせつつ夜通し飲み明かすのだが、結局、その疑念が晴れる事はなかった。




