第2話 舌
空が闇に覆われ、随分と時が過ぎた。
ククルは眠りにつくことなく虚ろな瞳を虚空に向け、ベッドと化粧台の間に座っていた。服は前日から着たままで水浴びもしていないが、何てことは無かった。
「……」
不意に目頭が熱くなり、大粒の涙が溢れる。そしてそれを腕で拭う。一日中これの繰り返し。目の周りはすっかり赤く腫れてしまっていた。
氷のように冷たい手で胸が握りつぶされそうな感覚に陥る。その嫌悪感はバラドやジルに対してではなく、主に彼女自身に向けられていた。
――刺せなかった。
あれ程殺してやりたかった相手だったのに。あれ程殺すと決めていたのに。復讐の焔を絶やさぬため、自分の境遇を忘れぬ為、自らを無下に扱い卑屈を貫いてきた。
村を蹂躙した男への報復。それだけが今の彼女の生きる理由であった。
しかし、その宿願を果たす絶好の機会に彼女の手は動かず、生への執着を露わにしてしまった。
「……ッ!」
思い出す度にとめどなく溢れてくる憤慨。別れ際のバラドの言葉が頭に張り付いて離れない。
力が欲しい。バラドに怯えずに済む力ではなく、躊躇無く殺せる強大な力を。そんな力に対する巨大な渇望が小さな彼女を支配しつつあった。
『ふいぃ~。たぁだいまぁ~……』
「……!」
外の木の葉の揺らめきが聞こえるまでに静まり返った屋敷に、気の抜けた声が響く。それとほぼ同時にぱたぱたと忙しなく廊下を走る音が聞こえた。
その時、ある考えがククルに芽生えた。
――そうだ。力が無いなら、奪えば良い。
その晩、ククルは眠ることなく、その時を待った。
―――――
ククルが屋敷に来て十三日目の朝。更なる事件が起きた。
今日の『目覚まし当番』はセラの筈だったのだが、朝一番にジルの部屋を訪れたのはククルであった。
「……」
息を呑み、なるべく足音を立てず素手のままベッドに近付く。以前の様に気付かれると思ったが、ベッドの横まで接近してもジルは仰向けで目を閉じたままであった。
ククルはゆっくりとベッドに上ると、柔らかいベッドに悪戦苦闘しながらも何とかジルに対し馬乗りの状態を取る。鍛え抜かれた男の身体にククルは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに覚悟を取り戻した。
「……」
ジルは気付いていた。が、黙ってこの感触と状況を楽しんでいた。
(むほほ……。せ、セラさん。今日は随分と大胆です……な……?)
最初こそセラが起こしに来たものだと思っていたが、どうも軽過ぎた。セラの太ももにしてはいくら何でも身体を挟む圧が弱過ぎる。
「え?え!?」
目を覚ました瞬間に何が起きているのかを悟るも、その時には既に手遅れであった。微睡むジルの瞳に映ったのは、淡い紫の光……。
「ぬ……ぬぐぐぐぅ……。な、なにを……」
今のククルが出せる最大出力のチャームの魔法。朝の生理現象も相まってジルの脳はドロドロに溶かされる。
全身は強張り、下腹部の熱は目の前の少女を蹂躙せよと吠え叫ぶ。奥歯を潰す勢いで噛み締め、固く瞼を閉じ、自分の意思に反して動こうとする両手にあらん限りの力と理性を込める。
爽やかな朝。何の脈絡も無く性欲の渦に叩き込まれ悶える眼下の男に対し、虫の死骸を見るように眉間を狭めたククルが小さな両手でジルの側頭部を抑えた。
「動くな。動いたら殺す」
「え!?ちょ!はブッ!?」
《《それ》》はジルにとって初めての体験だったせいか、何が起きたのか理解できていなかった。そして彼の理解が追いつくよりも先に、ククルの細く長い舌がジルの熱っぽい口内を弄る。
「んんんんっ!?」
舌から伝う粘液を通じて押し付け合う淫靡な感触に、一瞬で頭が沸騰する。恐怖すら感じる快楽から何とか逃げようと舌を動かすが、ククルは執拗に熱を絡めてくる。
なされるがまま口内を犯しつくされるジルであったが、ここで違和に気付いた。ククルの身体を押し退けようと身体を起こそうとするも、まるで力が入らない。
卑猥な水音が漏れる度に、何かが吸い取られているような感覚に陥る。身体にのしかかるククルの重さが次第に負担を感じるようになってきた。
気付いた時には手遅れだった。ジルの持つ膨大な魔力はその殆どがククルの中へと取り込まれてしまっていた。
「……っぷぁ」
舌が蕩け感覚を失ってしまったところで漸く、ククルの柔らかな唇が名残惜しそうに垂れる情欲の糸と共に離れていった。
「くっ、クク……ル……?」
未だに現状を把握しきれていないジルであったが、しかしそれは自分の身体に乗る《《女性》》の姿を見る事で更に混迷を極めた。
「へ、へあぁああぁぁあ!?」
情けない声と共に、ジルの鼻からは熱が垂れた。そこに居たのは、成熟した見麗しい淫魔。
みすぼらしく乱れていた頭髪は鮮やかな翠の輝きを纏い、滑らかな光沢を放っている。細い眼は長い睫毛で飾られ大人の色気を醸し、小さかった口は肉厚で熟れたての果実のように瑞々しく、艶めかしい。
小枝の様に華奢だった身体は淫靡な肉感へと変貌しており、決して肥満というわけではなく引き締まるところは引き締まっていた。特筆すべきはジルの巨大な手でも容易く埋もれてしまいそうな豊満な胸。着ていたボロのシャツが限界まで押し伸ばされ今にも零れ落ちそうになっている。
彼女は、ジルの魔力を吸い取ることで本来の姿を取り戻していた。
「……っ!こ、これは……」
ジルだけでなく、ククルも驚きを露わにしていた。自分の手に視線を落とす。抱くように顔に触れ、自身の身体を弄る。下を向くと見た事の無い柔肌の谷間が姿を現した。
「す、凄い……。これが、私の……」
その時、ジルはコークの言葉を思い出した。サキュバスとしてのククルの大き過ぎる器が、ジルの膨大な魔力によって満たされたのだ。
「あ、あはは!凄い!何て凄いの!」
予想以上の力を得たククルの興奮が語彙力を失わせる。彼女が身体を捩る度に《《履いてない》》感触がジルの腹に伝わり、もう気が気ではなかった。
兎に角思考を落ち浮かせ、会話に持ち込まねば。そう考えたジルが何とか身体を起こそうと藻掻く最中の事であった。
「ちょっ……!な、なななな何ですか!これはぁ~!!!!」
部屋の入り口に現れたのは、おたまとフライパンを手にしたメイド服姿のエルフ。
ジルの思考回路は、もう限界であった……。




