13-2 表層心理②
まだ幼い僕は、真っ赤な血だまりの前に立っていた。血だまりの表面が泡立ち、次第に大きく膨れ上がっていく。ブクブクブクブク。その泡の中から、ゆっくりと二人の男女が浮かび上がった。無表情のまま光を失った瞳、貼り付けたような不自然な笑みを浮かべた彼らを、僕は知っている。紹介しよう、これが僕の両親です。
宙を舞っていた教会の瓦礫が、音もなく組み合わさり形を成し始める。やがて穏やかで静かな庭園が広がった。澄み渡る空気に草の香りが混じり、遠くからは鳥のさえずりが聞こえる。嘘のような美しい風景――吐き気のする過去。
僕の父親は神に仕える牧師だった。彼の声は、庭園の中に厳かに響く。
「ゼノルス、魔法とは神から授かったものだ。それは人々を導き、救うために使われなければならない」
父親は、いつもの落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。
「セクトール家の血に宿る魔法は、まさにそのための力だ。この力は私たちの言葉を高め、人々を正しい道へと導くためにある。しかし……お前はより強力な魔法も持っているようだな」
父親の目が、僕を見据えた。鋭いがどこか優しさも残したその眼差しは、まるで僕を見通しているかのようだった。僕が持つ『支配』の魔法――父はその力を否定することなく、しかし慎重に導こうとした。
「ゼノルス、その力が異質であればあるほど、慎重に使わねばならない。正しい心であれ――そうでなければ、力は人を破滅へと導く」
父の声は優しくも重い響きを持っていた。しかし、幼かった僕にその重みが理解できるはずもない。僕の胸には不満が渦巻いていた。
「でも、それは僕のやりたいことじゃないよ。正しいことなんて退屈だ。みんなが僕の言うことを聞いてくれなきゃ嫌なんだよ!」
子供らしい我儘な言葉が口をついて出る。両親は顔を見合わせ、呆れたようにため息をついた。その表情が、僕にはたまらなく嫌だった。
「またその顔だ……もっと僕を大切にしてよ! もっと僕と遊んでよ!」
その瞬間、何かが胸の中で弾けた。気がつけば、僕は両親に向けて魔法を放っていた。
―― 絶対指揮――
両親の体がピクリと震えた。次の瞬間、穏やかだった顔は作り物のような微笑みに変わった。
「ゼノルス、お前は素晴らしい子だ」
「ゼノルス、私たちはお前が言うことを何でも聞くよ」
彼らの声は、先ほどまでの暖かみを失い、機械的だった。だが、僕はその言葉に心の底から喜んだ。
「うん、これでいいんだよ! 僕と遊んで、僕をもっと大切にしてよ!」
僕は満面の笑みで、両親に命令を繰り返した。両親は僕が望むように僕を扱い、いつまでも僕と遊んでくれた。
しかし、日が経つにつれて、両親の体には目に見えて異変が現れた。顔は青白く、目の下には深い隈が刻まれ、肌は張りを失い痩せ細っていった。彼らは、重い病に侵されていたのだ。それでも僕は気にせず、彼らに遊びを命じた。
「ねえ、まだ遊べるよね? 僕ともっと遊ぼうよ!」
「もちろんだよ、ゼノルス」
母親は息も絶え絶えに笑みを浮かべながら、僕の魔法で体を動かす。父親も同じだった。自力では立つことすら難しい状態でも、魔法の力を使えば元気に動き続けた。
「ゼノルスは大切な子だよ」
「ゼノルス、もっと遊ぼうね」
ある日、いつものように遊んでいた両親の口から、突然鮮血が溢れ出した。その血が僕の顔にまで飛び散る。けれども、両親はそれでも笑顔を崩さず、僕と遊び続けた。
しかし、しばらくすると――
「母さん…? どうしたの?」
ゼノルスの問いかけにも、母親はもう何も答えなくなった。
「父さん、遊ぼうよ!」
父親に呼びかけても、その体はピクリとも動かない。
僕は混乱していた。いつも自分の魔法で自分の思い通りに動いていた両親が、言うことを聞いてくれなくなった。
――既に二人とも息絶えていたのだ。僕の魔法は死者は操れない。
「ねえねえ、僕を大切にしてよ!」
「僕ともっと遊んでよ!」
両親の体は、真っ赤な血溜まりへと沈んでいった。僕は両親を追って、思わず血溜まりに飛び込んだ。
粘りつく赤黒い液体が全身を包み込み、不快な感覚が肌にまとわりつく。足を動かしても、どれだけ手を伸ばしても、両親には届かない。視界は真紅の闇に包まれ、呼吸もできず、僕は沈み続ける。どれほどの時間が経ったのだろうか。深い血溜まりの底に、重々しい巨大な扉が現れた。その扉はあまりに禍々しく、ひび割れた表面からはミミズのような無数の紐が伸び、それらが蠢きながら絡みついている。それを見ると、体の奥底から拒否反応が沸き上がった。
「嫌だ……絶対に近づきたくない……!」
扉の向こうにあるもの――ゼノルスの深層心理だ。表層心理の世界でさえ、心が折れそうなくらい恐ろしいのに、深層心理は間違いなくその何十倍もおぞましい世界だ。本能がそれを拒否する。心が悲鳴を上げる。
「イヤダイヤダイヤダイヤダ……」
だが、その瞬間、僕の脳裏に長剣に貫かれるエリナの未来が見えた。彼女の笑顔、世界の希望――それを守るためにここまで来たのではないか。
魔法の根源は人の深層心理と深く結びついている。例えここで僕の精神が壊れようと、エリナを救うためには先に進むしかない!
僕は自分に言い聞かせ、震える手を扉に伸ばす。蠢いている無数の紐が僕に喰らいつき、体内に侵蝕してくる。それでも僕は構わず扉をこじ開けた。
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