13-1 表層心理①
与えられた三千秒――エリナの命を救うためには、この時間内で、何としてもゼノルスを止めなければならない。しかし、今の僕の体はゼノルスの支配下にあり、指一本すら動かせないし、千倍速で流れる時間の中では、他の仲間に助けを求めることもできない。
僕に唯一残された手段、それは思考と念話。ゼノルスによって強制的に念話を使わされてはいるが、わずかな余力を駆使すれば、僕自身の意志で念話を行使することはできる。そして、この状況を覆せる可能性があるとすれば、一段深い念話接続で、ゼノルスの支配力の源に何らかの影響を与えるしかない。
だが、この深い念話接続には大きなリスクが伴う。通常の念話接続であっても、ゼノルスのように強大な魔力を持つ者から逆に魔法を流し込まれてしまったり、激しい感情を持つ者に感化され、精神が汚染される可能性がある。さらに深い念話接続ではこのリスクは増大し、自身の心が完全に破壊されてしまうかもしれない。
それに、たとえ深い念話接続を行っても、相手の思考を完全に読み取れるわけではないし、膨大な時間をかけたとしても、狙ったものを見つけ出せる可能性は高くない。それはまさに、果てしない砂漠で一本の針を探すような作業だ。普段なら決してこんな無謀な挑戦はしない。それでも――それしか道が残されていないのなら、やるしかない。
僕は覚悟を決め、意識を集中させ、一段階深い念話接続を試みる。
―― 念話潜入――ゼノルス!
通常の念話で感じられるのは、相手の大まかな感情の流れ程度だ。だが、一段深い念話接続では、まず相手の表層心理に接続する。今、僕の目の前に広がったのは、常軌を逸する混沌としたゼノルスの精神世界だった。
暗闇と光が混ざり合い、裂けた空から底なしの闇が渦を巻いている。空間そのものがゆがみ、重力は一定どころか、あちらこちらで異なる方向に引っ張られている。この異常な世界は、まるでゼノルスの狂気そのものだ。
だが、この程度で怯えていては先に進めない。僕の目的地は、おそらく表層心理を越えた、さらに恐ろしくおぞましい深層心理にある。人間の心はそもそも整理されておらず、混沌としているものだ。ましてやここは、あのゼノルスの心理なのだ。
周囲には奇怪な笑い声や呟きが絶え間なく響く。耳元でささやかれるような、遠くで響き渡るような、不快な不協和音が混ざり合い、僕の思考を乱してくる。
地面は都市の瓦礫と血のような川が交じり合い、教会のような建物の残骸が宙を浮かんでいる。そこから滲み出るように、ゼノルスの顔を模した無数の影のようなものが空を覆い尽くし、ブツブツ呟いている。
「アソンデ……」
「タイセツニ……」
その声は不気味で、幼い子供のようでもあり、まるで重なり合う悪夢の音響のようだ。
「ネエネエ、アソンデヨ……」
囁きが増えていく。さらに音が重なり、狂気を孕んだ声へと変わっていく。
「ネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエネエ……」
それは念話に似たような、頭の中に直接響いてくるような感覚だった。
「静かにしてくれ!」
思わず叫ぶ。だが声はこの異形の空間に吸い込まれ、不協和音の囁きだけがますます大きくなる。僕の意識が徐々に侵食され、ゼノルスの意識と融合していくのか分かる。ゼノルスの魔法と僕の魔法はどちらも精神系で、おそらく魔法のルーツが近い。そのため、より高くシンクロできる分、意識の侵食も激しい。だか、今はこれを好機と捉えよう。その方がより情報が得やすいからだ。
「ばかばかしい? そうでしょうか?」
僕は冷たく言い放った。目の前にはクロノアの姿があった。
「あなたも気づいているはずです。ルミナス王家が持つ浄化の力、それはまるで太陽そのものです。そして、その力を使うたびに、太陽の異変が進んでいることに」
「戯言を言うな!」
クロノアは鋭く言い返した。ああ、そうです。これは虚言です。根も葉もない作り話です。だけと、今のような状況では、どんなことでも異変に結びつければ説得力を持たせられるでしょう?
「あなたも薄々感じているのではないですか? ルミナス王家が持つ浄化の力は、まるで太陽そのもののようです。そして、その力を使うたびに、太陽の異変が進んでいる」
「それは、ここがソルに祈りを捧げるための神聖な場所だからだ」
今度はルミナス王が答えた。聖王などと呼ばれている忌まわしき王。今すぐ消えて欲しい。
「では、その祈りの見返りに、王家は何を得ているのでしょう?」
「それは……」
ほうら、答えられない。その反応を見て、僕は優越感に浸ってしまう。ククク……答えられないのは当然。この祭壇は魔力の変換と増幅の装置であり、それ自体は魔法の原則に則った正当なものだが、ソルの異変が問題視されている今、ソルの力を拝借していることなど到底公にはできないはず。
「答えられないのは、私の言葉が真実である証拠です!」
僕は声を張り上げる。無敗の騎士と呼ばれるクロノアの時間操作魔法は汎用性が高く、とても便利だ。僕はどうしてもこの力が欲しい。欲しくてたまらない。
「タイセツニ、タイセツニ……」
僕は時系列を遡っていく。次に現れたのはアリアとアリスだった。二人はどこか怯えた様子で、自分たちの居場所を探しているように見える。僕は彼女たちに向かって手を差し出した。
「私は君たちの力を借りるために来ました」
アリアの瞳が揺れる。彼女は躊躇し、一瞬ためらいの表情を浮かべた。しかし僕は、ささやくように言葉を続けた。
「君たちの力がなければ、この世界は滅びてしまうでしょう」
それっぽいことを言っておこう。アリアの増幅魔法はとてつもなく貴重だ。何があっても彼女を手に入れなければならない。一方でアリスの不安定な精神状態は扱いが難しく、正直面倒くさい。しかし、アリアをこちら側に引き入れるためには、ひとまず二人まとめて抱え込んでおくのがいいだろう。
アリアとアリスの瞳から生気が失われ、僕への忠誠心が宿る光へと変わっていく。彼女たちはもはや僕の指示には逆らえない。
「モット、モット、タイセツニ……」
場面はさらに切り替わる。赤黒い大地の中で、僕は屈強な戦士オクタヴィウスと対峙していた。彼の体は硬度の高い鎧に覆われている。
「俺を従わせたいなら、まず俺を倒してみせろ! 俺の鎧はどんな攻撃も通さない!」
なるぼど典型的な好戦タイプだ。僕は一歩ずつオクタヴィウスに近づき、まあそれだけだ。近づくだけで、勝敗は決した。
強大な力ではあるが、思慮が足りない。つまり頭が悪い。ククク……せいぜい僕の駒の一つとなり、盾としての役割を果たしてもらおう。
「ボクト、アソンデヨ……」
ネフティスとの出会いは、鮮烈な印象を残した。失恋――魔法で操っていた恋人の体があらぬ方向に曲がり、二度と動かなくなった――を経験し、絶望の淵に立ち尽くしていた僕の前に現れた彼女は、まるで運命の導きのように、その冷たくも魅惑的な声で僕を称えた。
「あなたの力は、世界を変えるに値するものです。そして、もしあなたがその気になれば、この世界をその手中に収めることさえ可能でしょう」
彼女は僕の手を取り、淡々とした口調で続ける。
「間もなく、ソルの異変が始まります。しかし、何も恐れることはありません。むしろ、それを好機と捉えるべきです。混乱こそが支配を強める最高の材料となるでしょう」
僕はその言葉に奮い立った。
ネフティスの微笑みはどこか怪しく、魅力的で、その表情に、僕は思わず息を呑んだ。それは、フォレスティアにそっくりだった。
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