9-2 無常の包囲網
アリスは静かに息を引き取った。
アリアは彼女の冷たくなった体を抱きしめ、泣き崩れた。
「アリス……ごめんな……守りきれんかった……」
その声は震え、何度も搾り出すように彼女の名前を呼ぶ。どんなに嘆いても、どんなに悔やんでも、失ったものは戻らない――その重すぎる現実に、僕達は何も言葉を見つけられなかった。
だが、僕たちに悲しみに浸る時間はあまり残されていなかった。ゼノルスが繰り返す扇動によって、イグナリス王国は僕たちを『太陽の異変を企む者』とみなして討伐を開始したのだ。つい先日まで肩を並べて戦った彼らが、今や僕たちの命を狙う追っ手となって迫っている。僕たちの居場所はもう、ここにはない。
ソルディアス教団とイグナリス王国の両方から追われ、疲弊しきった僕たちは、それでも何とか国境付近まで逃げ延びた。しかし、追っ手たちはすぐ背後まで迫っていた。
「まずい、もう追いつかれたか……」
焦りで胸が締め付けられる。そしてもう一つ、僕をさらに追い詰める大きな問題があった――念話が使えないのだ。
先の戦いで、ゼノルスに心を支配されたあの感覚が、まるで焼き付いた傷跡のように、僕の精神をかき乱し続けている。接続を試みても、念話は不安定で、仲間たちと繋がることができない。仲間たちを導くどころか、失望させてしまったこと、アリスを守れなかった罪悪感も、僕の心を蝕んでいる。
僕は冷静に状況を把握しようと努めたが、状況は絶望的だった。
視界には、ますます狭まる包囲網が広がっていた。森の影から次々と姿を現す教団の追手たち。イグナリス王国の兵士たちは整然と隊列を組み、武器を構えながらじりじりと距離を詰めてくる。
「シン、このままじゃ……!」
エリナの声が緊張で震えていた。隣ではエネルが苦しげに息を整えながら戦闘態勢を取っていた。長く続く戦いで、彼の魔力はほとんど尽きかけている。それでも彼は、肩越しにこちらを振り返り、疲れた笑顔を見せた。
「シン、最後まで付き合うぜ」
強がりを言ってみせた彼の目に浮かぶ疲労は隠しきれない。
一方、アリアは未だアリスの喪失から立ち直れず、肩を落としたままうなだれている。視線は虚空を彷徨い、指先が微かに震えていた。
僕が何とかしなければ――。
だが、フォレスティアの予知能力に頼れない今、僕は自分の判断に自信を持つことができなかった。
その時、不意にエリナが一歩前に進み出た。その小さな背中に、どこか力強さを感じた。彼女が静かに振り返り、僕たちを見渡す。その目には、迷いや恐怖が消え、強い決意が宿っていた。
「皆さん、もう一息、頑張りましょう。私が道を作ります!」
エリナの声は震えていたが、それでもその奥には確固たる意志が宿っていた。その言葉に、僕たちは自然と目を彼女に向けた。
ーー光の槍ーー
エリナは静かに手をかざし、光の魔法を解き放つ。瞬間、辺り一面をまばゆい閃光が包み込む。敵の視界を一瞬が奪ったその隙をついて、彼女は迷路のような包囲網の中に巧みに抜け道を見出していく。
先頭に立って僕たちを導く彼女を見て、僕は初めて出会った頃のエリナのことを思い出していた。あの時の彼女は、ただ守るべき存在だった。だが、今や立場は逆転し、彼女が僕たちを引っ張っている。
「なあ、シン」
背後から聞こえたエネルの声に、僕は振り返る。荒い息を整えながら、それでも彼は薄く笑みを浮かべていた。
「今の姫さん、正直俺たちよりよっぽど頼りになるな」
苦笑交じりのその言葉に、僕もまた、力なく微笑むしかなかった。彼女が、今の僕たちの最後の光だ。
だが、追っ手の数は一向に減る気配がない。ようやく目の前に広がったのは、切り立った崖の壁面。背後からは、教団とイグナリス王国の兵士たちがじりじりと迫ってくる音が聞こえる。
「くそっ、もう何も出ねえ……」
エネルが膝に手をつき、苦しげに荒い息を吐きながら悔しそうに呟いた。彼の魔力はすでに底を突き、体力も限界だった。あれほど僕たちを支えてくれたエネルが、今では立ち上がるのもやっとだ。
「シン、エリナ、すまねえ。俺はここまでだ……」
その言葉に、僕は無言のまま拳を握りしめた。崖の壁面の冷たい風が肌を刺し、無力感と絶望が心を覆う。
「ここが限界なのか……」
そこで、エリナが一歩、静かに前へと踏み出した。その瞳には覚悟の炎が宿っていた。
「アリア、私を強化してください。光の魔法で敵の目を引きながら走ります。その間に、皆さんは私の反対側に逃げてください」
冷静で揺るぎない指示だった。その声の強さに、一瞬言葉を呑み込んだが、すぐにその言葉の本質を理解する。
――エリナが囮になるということだ。
「……駄目だ!」
思わず叫んでいた。自分でも驚くほど声が震えているのがわかる。
「君にそんなことをさせるわけにはいかない!」
僕の体の芯から込み上げる拒絶が、そのまま言葉に現れていた。エリナを犠牲にするなんて――そんな選択肢はあってはならない。
「でも、このままでは……」
エリナの目が僕を真っ直ぐに見据える。その目に宿る強い決意と覚悟が痛いほど伝わってくる。だが、だからこそ、僕はその覚悟に応じたくなかった。しかしーー
――僕たち4人だけで、どうにかなる相手ではない。
ここにはかつて数千の軍勢を指揮していた時の余裕も、戦力もない。残っているのは、満身創痍の人間だけだ。
エリナを犠牲にしてまで生き延びるくらいなら、ここで倒れた方がマシだ――そう思った。
その時だったーー
突然、大地そのものが不自然に傾いた。まるで大地が意志を持ち、眠りから目覚めたかのようだった。
「な、なんだ……?」
エネルが呻きながら崖下を見やる。まるで世界そのものがひっくり返ろうとしているようにも思えた。
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