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実食、魔力の海!

 頬を包むひんやりとした弾力に意識が引き上げられる。その感触が何であるかは意識が鮮明になると共に分かってくる。顔を上げると、すやすやと眠っているコアが僕とベッドの間に挟まり、敷布団代わりとなっていた。不快ではない。だがコアはスライムではなく、巨大な女性の姿でベッドに寝そべっているのだ。恥ずかしさの方が勝ってしまう。起きて今すぐに離れたいところだが、大きな両手が掛布団のようになって重くのしかかっており、うつ伏せの状態から寝返りも打てそうにない。

「コアぁ、起きて。離してほしいんだけど……」

「ん……んぅ? アル君? おはよう」

 コアはブニブニと眠そうに目を擦り、大きな手で僕の頭を撫でながら笑顔を浮かべて気持ちよさそうにこちらを見ている。

「ねぇ、起きたなら離してよ。僕、お腹すいたんだけど」

「んー、そうだね。じゃああと五分だけ」

 そう言って撫でる手で頭を胸に埋めさせ、コアはもう一度目を閉じた。

 結局起床したのはそれから三十分が経ったころだった。いつもはメイドたちが起こしに来る、というかシルヴィアが起こしに来るのだが、コアがいるためにそれを隠す時間を確保するために少し早く起きようとしていたのだ。ベッドを覆いつくすスライムとそこに眠る僕を見たら、何事かと騒ぎになりかねない。それなのに予定が大きく狂ってしまった。あと十分もすればシルヴィアが来てしまう。

「ねぇコア、こんなに大きくなる必要はないんじゃないの? ほとんどベッドからはみ出ちゃってるし」

「そんなこと言われたって、アル君を抱きしめるならあれくらいの大きさがちょうどいいんだもん」

「僕は抱き枕かなにかかよ」

 寝間着を脱ぎ、いつもの動きやすい服装に着替える。ここは常春の気温のおかげで年中半袖でもなんら問題ないのがいいところだ。

「昨日みたいに小さくなれる? できればなるべく早くお願い。シルヴィア来ちゃうかもだし」

「りょーかい。ほいっと!」

 ベッド一面に広がっていたスライムはみるみるうちに収束していき、核を包むだけのこぶし大の小ささへと変わる。小さくなったコアはそのままベッドから飛び跳ね、着替えを終えた僕の肩に乗ってきた。鏡を見ながら髪にブラシを通していると、ドアが三度ノックされる。

「坊ちゃま、失礼しますね」

「あ、噂をすればだ。コア、服の中に入ってて」

 襟を広げてその中にコアを滑り込ませた。素肌に当たる冷たい感覚に体をビクッと震わせて再び鏡に向き直って髪の手入れに戻る。

「もう起きていらっしゃったのですね。朝食のご用意が出来ております。支度が整いましたらお越しくださいませ」

「ありがとうシルヴィア。そうだ、今日の剣術指南なんだけどさ」

「はい、存じております。今日は一日安静にですね。坊ちゃまもあまりご無理なさらないでくださいね」

 鏡越しに見るシルヴィアの顔には少し影が落ちており、僕の方を心配そうに見つめていた。昨日、屋敷に戻ると中は大混乱の大騒ぎになっていた。僕が帰らないこと、爆発によって消し飛んだ森、加えて巨大な魔物の目撃報告もあり、僕の捜索に出ようにも出られない状況にあったらしい。そんな僕が何食わぬ顔で森の方角から帰ってきたために騒ぎがさらに大きくなってしまったのだ。姉さんは僕を見るなり駆け寄って来て、涙でグシャグシャの顔を抱き着きながら押し付けてきたし、母さんは心配で張り詰めていたものが消えたのか糸が切れたように倒れてしまった。父さんには時間の約束を破ったことと、いち早く逃げて来なかったことをこっぴどく叱られ、一週間屋敷の敷地から出ることを禁止されてしまったのだ。幸い、爆発は襲われていた謎の魔術師たちのせいであり、魔物は魔術師と相打ちになり、その余波で森が消し飛んでしまったという嘘の説明で何とか誤魔化すことが出来た。他の人たちが納得する中で姉さんだけが僕を変な目で見ていた気がしたが多分大丈夫だろう。

 そういったことがあったため、今日の稽古は免除、一日安静にするようにと父さんに言いつけられたのだ。

「うん、ごめんねシルヴィア。心配かけたよね」

 そういうとシルヴィアは口を覆い、目に涙を浮かべながらこちらに抱き着いてきた。鏡でそれを見ていた僕は咄嗟に振り返り避けようと立ち上がったが、予想以上に早かったシルヴィアはそのまま僕を抱き上げた。

「シルヴィアは心配でございます。どれだけ私が稽古をつけようとその身はまだ十歳の子供なのです。ですからどうか、どうかご無理はなさらないでください」

 涙を浮かべた目で僕を見つめるシルヴィア。その勢いに僕は気おされてそのまま頷いてしまった。

「約束、ですからね」

 シルヴィアは僕を下ろし、涙を拭うといつもの優しい表情に戻り部屋を後にした。

「……ねぇコア、これ僕が悪いのかな」

「そうだと思うよ。お父さんにも言われてるんだししばらく大人しくしときなさい」

 折角スライムクイーンが仲間になったというのに残念だ。まぁこうなっては仕方ない。外出が禁止されただけで、自室や庭で実験ができないわけじゃない。試したい魔術はまだまだあるので、派手な攻撃魔術はお預けとしよう。肩の上でプルプルと揺れているコアをつつきながら僕もシルヴィアを追って部屋を出た。


 朝食を終えた後、僕は自室に戻り机に伏しながら、人型になり食い入るように魔導書を読むコアを見つめる。魔術を試してみたいというので、魔導書から好きな魔術を試してみるように促してみたのだ。しばらく見ていると赤い体がさらに赤くなっていき、熱とともに頭から湯気が上がってきた。

「ねぇアル君、これ難しいよ。詠唱とか術式とかよくわかんないし、そもそも魔力回路から術式に魔力を流すってどうやるのさ」

 のぼせたように目をグルグルとさせている。コアに渡したのは基礎も基礎、魔力球生成の魔導書なのでそこまで難しくはないはずなのだが。

「昨日はヒーリングライト使ってたじゃん。あれはどうやってたのさ」

 コアは昨日僕の治療のために治癒魔術を使っていた。炎や風の魔術に比べて、治癒魔術は高位の魔術に属する。対して魔力球の生成は魔術の基礎。ただ魔力を球形に固めるだけの簡単な魔術だ。そこに性質の変化を加えることで他の魔術が生まれるのだが、治癒魔術が扱えてこれができないとはどういうことなのだろうか。

「あれはただ再現しただけだよ。アル君の記憶を見たときに体に染みついた感覚を真似しただけ。アル君ってば基礎の練習なんてほとんどやってないから体が覚えてないんだよ」

 あぁなるほど確かに僕は魔力球の練習をあまりしていない。魔力の流れと使い方の確認程度にしか使った覚えがない。基礎魔術以上に魔術の派生に心を躍らせて基礎を疎かにしていた。そもそもスライムに人間と同じ魔力回路が流れているかは分からない。であれば人間用に作られた魔導書が参考にならないのも納得である。逆に言えば僕が感覚的に使用できる魔術であれば再現可能ということだろうか。

「ねぇコア、魔力球は無理でもファイアボールとかなら撃てたりする?」

「それならできそうだけど……ここでやっていいの?」

 庭に出るという手もあるが、魔力を使うために人型になっている今のコアを外に出したらさすがに人目についてしまう。父さんだけでなく姉さんやシルヴィアに見つかっても討伐されかねない。それにファイアボール程度なら室内であっても僕の障壁で抑えきれるはずだ。

「いいよ、僕が障壁で守るから。思う存分ぶっ放して」

「う、うん」

 部屋の壁、床、天井、家具を覆うように障壁を張り巡らせていく。そしてもちろん自分にも。コアには……まぁスライムの体なら問題ないだろう。

「二重詠唱、術式連結、ファイアボール!」

 目を閉じて詠唱するコアの腕を、二つの術式が螺旋を描いて包み込み、手の中でバスケットボール大の火球を生成する。そして壁目掛けて勢いよく射出された。

「いい感じじゃん……ん? ちょっと待て、お前今なんて詠唱した?」

 着弾と同時に放たれた閃光によって部屋全体が真っ白に漂白され、熱と爆風が障壁にぶつかる。障壁はミシミシと悲鳴を上げて、収まった頃にはひび割れてボロボロと焼け落ちてしまった。

「あっちゃぁ……」

 熱によって舞い上がった火の粉が服の裾を少し焦がしている。たかがファイヤボールと油断していたために、障壁の出力を控えめにしていたのだが、完全に予想外だった。僕はファイアボールを使ってくれとは言ったが、それはあくまで通常詠唱によるファイアボールのつもりだったのだ。コアが僕の記憶を基に魔術を使うのであれば、直近で使ったものを参考にする可能性を考慮すべきだった。放たれたのは二重詠唱によって二つの術式を編み合わせたファイアボールだったのだ。その威力は純粋に二倍以上。危うく部屋どころか屋敷の一部が消し飛びかねない威力である。コアは小さく息を吐き、帯びていた魔力を霧散させてようやく周囲に意識を向ける。

「ふぅ……え、あれ。アル君、大丈夫⁉」

 赤い肌が段々と青ざめていき、ボロボロになった障壁を踏み越えて抱きしめてくるコアの頭を撫でて落ち着かせる。

「あ、あぁいや。大丈夫。僕も至らなかった。ごめんね」

 心なしか少し小さくなっている気がする。今までほとんど魔術を使ったことのないコアには魔術式の判別なんかできない。魔術名だけで指示した僕の落ち度だ。幸い被害は僕の服だけだったのでさほど問題はない。だが落ち着いたとは言え、コアの目にはまだ涙が浮かんでいた。僕から体を離そうとしない。自分の火球で僕を焼き殺してしまいそうになった不安感がぬぐえないのだろう。

「あー、えっと……きゅ、休憩にしよっか」

 気まずい空気に耐えかねて茶菓子を探しに部屋を出る。コアも頷いて体を離すと降りかかった煤を払ってテーブルに着いた。


 厨房のメイドたちから隠れるようにクッキーと二つのカップをくすねて自室に帰ってきた。そういえばスライムはお菓子を食べるのだろうか。朝食の時も僕の食事を欲しがる様子もなく、ひたすら僕の服の中から少しずつ魔力を吸い取っているだけだった。

「ねぇコア。お前って人間の食べ物って食べるの?」

「食べようと思えば食べられるよ。お腹の足しにはならないけど。まぁ私はアル君の魔力だけで十分だよ」

 それは食べているというのだろうか。コアはこぶし大の雫の姿になってクッキーつまむ僕の肩の上でチュウチュウと僕の魔力を吸い始めた。一吸いごとに表情を緩ませて、何とも幸せそうである。

「あ、そういえばコアに聞きたいことがあったんだよ。昨日さ、どうやって僕の魔術を避けたの? あれ僕絶対に仕留めたって自信あったのにさ」

「ん、あぁそういえばそんなこともあったね」

 コアはぴょんと机に飛び移り、体をグニグニとアメーバのように変形させながら説明を始めた。

「簡単だよ。ただ遠くに伸ばした触手に核を移動させただけ。核さえ無事ならなんとでもなるからね」

 細く伸ばした触手の先端に銀色の核を移してうねうねさせている。

「でも結構危なかったんだよね。アル君を狙うために何本か触手伸ばしてたし、あの巨体を一気に移動させるのはさすがに無理だったから体のほとんどを消し飛ばされちゃったし。ギリギリ伸ばせた触手と核だけが助かったってわけ。だからアル君には責任を取って私の魔力補給に付き合ってもらいたいんだよね」

 生意気そうに笑っているコアを見ると、こっちまで表情が緩んでしまう。さっきまでの焦りようが嘘のようである。

「善処するよ。僕の魔力でいいならいくらでも」

 指先をコアに差し出すと、数本の触手を絡めて魔力を吸い上げ始める。絡み付く触手のうねる感覚が少しくすぐったい。

「んー、おいふぃ。あーむ、んぐんぐ」

 頬張るようなコアの表情はまた蕩けるように緩み、味を堪能しているといった様子だ。それを見ているとふと一つ疑問が浮かんだ。

「ねぇ、魔力の味ってどんな感じなの?」

 コアは僕の魔力をおいしいと再三語っている。その表情は緩み切っていて、そんな顔を見ると僕も食べてみたくなってくる。

「おいしい! どんなって聞かれると甘くてまろやかな感じだけど」

「僕以外の魔力にも味はあるんだよね? そっちはどうなの?」

「あるけど……魔力の質によるんだよね。人間の魔力も吸ったことあるけど、アル君のはずば抜けておいしいよ。逆においしくないのもいっぱいあるけど。ていうかおいしくない魔力がほとんど。特にゴブリンの魔力はない。絶対ない。あんなゲロ雑巾みたいな味はもう二度とごめんだね」

 舌を出して、思い出した味に吐き気を抑えられないといった様子だ。魔力の質に応じて味が変化するのか。スライムクイーンのコアが言うってことは僕の魔力はかなり良質なんだろう。当回しに褒められたようで悪い気はしない。

「そうだ、折角なら食べてみなよ。昨日は全身ボロボロだったし味わう余裕もなかったでしょ? ほら、ガブッとどうぞ」

「ん??????」

 人型に戻ったコアは握った拳をそのまま食えと言わんばかりに差し出してくる。脳が理解を拒む情報に数秒フリーズしてしまう。まずコアの体を食べることが出来るという事実。スライムの体は固形化した魔力そのものであり、マナポーションの素材にも使用されるので食べること自体は問題ない。しかしまさかの生。それも自分の体に齧り付けとはなかなかにハードルの高い要求である。そしてもう一つの疑問。

「昨日はって何? 僕昨日コアのこと食べてたの? 全っ然記憶にないんだけど」

 コアに会ってからの記憶は気絶から目覚めて契約したことと、家に帰って怒られたことくらいだ。つまり食べたとするなら……。

「昨日アル君の魔力を吸ったあと、倒れちゃったアル君を起こそうって魔力回復のために無理やり口に突っ込んだんだよ。ちょっと咽ちゃってたのはごめんね。私もあんなことするの初めてだったからさ」

 口内に触手を伸ばして少しずつ飲ませていたらしい。あの時口の中に感じた異物感はこれのことだったのか。

「で、どうするの。食べるの? 食べないの?」

 ニヤニヤと触手をうねらせて、今にも襲い掛からんといった雰囲気である。無理やり口に突っ込まれるのはごめんなので、餅のようなスライムを両手で掴み首を高速で縦に振り食べる意思を示した。

「い、いただきます! ……はむ」

 赤黒い見た目は食べ物よりも血液の塊に近いので、口にするのに少し抵抗があったがそんなものは一口目で消え失せた。強い弾力を持つ表面が歯によって裂かれると同時に中に詰まっていた魔力が口いっぱいに広がる。魔力の海、そう表現するのが適当だろうか。濃縮され液化した魔力は何度飲み込んでも、次から次へと溢れくる。口当たりの良いほんのりとした甘さ。外側の食感はゼリーに近いが中身はトロッとした液体。ひんやりと冷たい口当たりに対して、喉を通り過ぎるそれは優しい温かみを帯びている。飲み込んだと同時に全身に熱が伝わり、魔力が膨れ上がっていくのを感じる。

「アル君から吸い取った魔力をそのままあげてるからほとんど変わらない味のはずだよ。どう、おいしいでしょ?」

「うん。優しくて温かい味だね」

 キラキラした目で感想を聞いてくるコア。僕が頷くと嬉しそうに目を細め、僕のいっぱいになった頬をムニムニと弄ってくる。食べにくいことこの上ないがうれしそうなのでしばらくはこのままにしておこう。

「それより、ごくん。これすごいよ。一口頬張っただけでも全身が魔力で満たされてく。さすがはスライムクイーンだね」

 許容量を超えた魔力が体から溢れて、魔力回路を活性化させる。動悸が早まり体温が上がっていく。つまるところ調子がすこぶる良くなった。

「おぉ、すごいね。もったいないから溢れた分はもらうね」

 溢れ出した魔力のオーラを纏わりつく触手が絡め取る。細かった触手が魔力を吸ってみるみる太くなっていく。そんなコアの表情は緩むと思っていたのだが、驚きに変わっていった。

「何これ。すごい濃度。とっても、おいしく、なって、る…………」

 瞳孔がグルグルと崩れていき、赤い肌がさらに赤く染まっていく。正に辛抱たまらんと言った感じで太くなった触手を僕の首に巻き付け、そのまま抱き着くようにして押し倒してきた。目からは光が消えて、真っ黒な瞳からは目を離せなくなってしまう。それから三十分。僕が天井の煤の汚れを数えている間に、歯止めを失くしたコアによって魔力の半分以上を吸い取られた。

 魔力を吸われる感覚は特段不快というわけではない。ないのだが、吸われた後は魔力喪失による特有の気怠さのようなものが残る。それに今回の魔力吸収は今まで以上に強かったため、体力がゴリゴリと削られた。妙にツヤツヤとしているコアは満足げに口元を拭い、地面に倒れた僕をベッドまで上げてくれた。

「あはは、ごめんね。なんか我慢できなくなっちゃって。濃厚過ぎて脳みそとろけちゃったよ」

 ベットの淵に腰掛け、うっとりとした表情で僕の魔力の味を思い出し浸っている様だ。頬を赤らめ恍惚としているコアは宝石のような赤い肌も相まってとても魅力的に映った。さっきまで体を密着されて魔力を吸われていたこともそうだが、コアはあまりそういったことを意識していない。にもかかわらずその体は実に魅力的だ。引き締まっていながらも肉付きの良い体、文字通り透き通った肌、豊かな表情と整った顔立ち。コア曰く、この女性の姿は僕の記憶を基にコア自身が成形したものらしいので、この美術品のような完成度も納得ではあるのだが、もう少し自覚を持ってもらいたいものである。

「一つ聞きたいんだけどさ、アル君ってなんで魔術を勉強してるの? 何かやりたいことがあるとか?」

「へ?」

 コアに見とれていた僕への予想外の質問に、思わず間抜けな声が出てしまう。

「私が魔術を使うの見てる時のアル君、目がキラキラしてて本当に楽しそうだったからさ。何がそんなに面白いのかなぁって気になってね」

 なぜ魔術の研究をするのか。そういえば考えたこともなかった。他にやることもなかったから。興味が溢れてきたから。と、いくつか理由が思いつくがそれが全てかと聞かれると首を傾げてしまう。魔術が面白いのは事実だし、他の趣味がないわけではないが、僕は前世でも超が付くほどの飽き性だった。そんな僕が魔術を続ける理由とは何だろうか。自分でもわからない。考えているうちに自問の渦から抜け出せなくなり、天井を見上げて黙り込んでしまう。

「ご、ごめんね。変なこと聞いちゃった。今のなし、やっぱり忘れて。あ、そうだアル君」

 その様子を見てコアは気まずそうに質問を取り消した。そしてベッドの淵から立ち上がり、振り返って僕の顔を大きな手で覆ってきた。

「今日は安静にするように言われてたじゃん。ちょうどいいし、私が部屋を掃除してる間寝てなよ。それとも私の子守歌が必要かな?」

 またこの笑い方だ。にやけるような生意気な笑い方。でも決して不快ではなく、どこか温かさを感じさせる優しい笑い方。今日だけで何回か見たが、この顔を見てるとこちらの口元まで緩んでしまう。

「わかったよ。お言葉に甘えさせてもらう……あ、子守歌いらないよ。それから僕が寝てる間、まぁないとは思うけどみんなにバレないようにね。じゃあおやすみ……」

「うん、おやすみ」

 コアの返事を聞いて目を閉じる。思った以上に疲労があったのか、その後すぐに僕の意識は昼の陽気に沈み込んでいった。

 目覚めたのはもうすっかり日も落ちて月が空高く昇る頃だった。部屋は煤一つなく綺麗になり、読みっぱなしで部屋の隅に積み上げられていた魔導書たちも本棚に整列させられていた。コアが言うには黒く焦げていたものは全て自分の体で吸収したらしい。どうやって掃除するつもりだったのか気になっていたが物体も魔力に変換できるらしい。だが時間がかかる上に効率も悪いので基本的に食べないらしい。途中、スティ姉さんが眠る僕を無理やり部屋に突撃してメイドたちに連行されていったり、シルヴィアが夕食の用意が出来たと部屋まで呼びに来たが、僕の寝ている姿を見て本を掃除していったのをベッドの中に滑り込んでやり過ごしたらしい。起こさなかったのは、疲れを察してのシルヴィアの気遣いだろう。目を擦りながらベッドから体を起こすとお腹が鳴る。

「アル君お腹減った? 私の体食べる?」

 触手を躍らせながらゆっくりと迫ってくるコアを押しのける。よくよく考えれば今日は朝食の後、休憩のクッキーとコアの体しか食べていない。

「別に嫌じゃないけど、もっとちゃんとしたご飯が食べたい。がっつりと肉とか!」

「がっつり、ね」

 コアの体は味はともかくとして、あくまで魔力そのものなのでお腹は膨れても栄養はないに等しい。せめてもう少しまともな、欲を言うならお腹いっぱい食べられるシルヴィアの手料理がいい。

「シルヴィアを探そうか。たぶん厨房にいると思うんだけど。ロケート・オン」

 手のひらで小さく編まれた魔術が砕け散り、その欠片が粒子となって波動の様に周囲を飛び抜けていく。眼球が魔力を帯びて粒子の当たったものの輪郭を壁越しに映し出す。この屋敷は地方の下級貴族でありながら無駄に広い。そのうえ使用人もそれなりにいるので、シルヴィア一人を探すとなるとかなり骨が折れる。専属メイドと言っても屋敷中を仕事で回るシルヴィアは探索魔術でもなければ見つけるのに相当な時間がかかるだろう。いつどこにいても僕の居場所にやってくるシルヴィアはどうやっているのか疑問は尽きない。

「これが探索魔術ってやつ? すごいね、アル君の魔力が広がってく。網、いやどっちかっていうと霧かな?」

 コアはキョロキョロとあたりを見回し不思議そうに僕の魔術を見つめている。探索魔術は実体を持つあらゆるものの輪郭を映し出し、視覚的に捉える魔術だ。魔力の消費も少なく、屋敷を探し回る必要もない。おまけに術式も簡素で使いやすい。正に一家に一つの便利魔術である。

「いた。厨房じゃなくて中庭か。掃除でもしてるのかな」

 シルヴィアは中庭で長い棒のようなものを持っていた。庭の掃除、にしては時間が遅すぎる。灯りを持っている様子もない。こんな暗い中、一体何をしているのだろうか。そう考えている間にも僕のお腹が食べ物を求めて音を立てる。

「とりあえず見に行ってみよっか。忙しそうなら他をあたろう」

 僕、コアを肩の上に乗せて部屋を後にした。


 夜の涼しい風に乗って花の香りが漂う中庭。そこにいたのは月夜の下で剣を振るうシルヴィアだった。ポニーテールに纏められた白銀の長髪ときめ細やかな肌が夜の闇の中でさらに白く魅力的に強調されている。虚空に向かい一閃、また一閃と月光を反射する細剣が光の軌跡を描いている。その剣は戦うための技というよりも見る者を魅了するための舞だった。流れる水をなぞる様な、吹き抜ける風を裂くような滑らかな剣舞は月明かりと花の香り、そしてエルフ特有の長く尖った耳がシルヴィアを美しい妖精と錯覚させる。

「綺麗だね、まるでお姫様みたい」

「うん」

 コアが襟の隙間から顔を出しシルヴィアの舞に見惚れている。僕は小さく頷きしばらくコアと共にシルヴィアの剣舞に見入っていた。一段落ついたのかシルヴィアは細剣を鞘に納め、こちらに向かってお辞儀した。夢中で舞っていたようだが、どうやらこちらには気付いていたみたいだ。見入っていたコアは慌てて服の中に戻っていった。

「もうお体の方はいいのですか? もし必要とありましたらなんでもシルヴィアにお任せくださいね」

 顔を上げ優しく微笑むシルヴィア。動くたびにふわりと舞う甘い香りが僕の空腹を刺激して、また音を上げてしまう。

「実はお腹減っちゃってさ」

「そのようですね。坊ちゃまは今日、朝食とクッキーしか食べておられませんでしたものね?」

 クッキーはバレずに厨房からくすねたはずだったのだが。そういえば食べ終えた後の皿とカップを部屋のテーブルに置きっぱなしにしてしまっていた。

「お夕飯の具材がまだ残っていたはずです。すぐに料理長に……」

 視線を逸らしながら言い訳を考えているとシルヴィアは屋敷に戻ろうと歩き出してしまった。僕はその袖をつまんで引き留める。

「いや、あの、そのね……シルヴィアの料理が食べたいなぁって……」

 気まずさからたどたどしいお願いになってしまう。それを聞いたシルヴィアの表情は目を見開いた驚きから段々と元の優しい微笑みに戻っていく。

「わかりました。ではお腹をすかせた坊ちゃまのためにうでによりをかけると致しましょう」

 袖を肘までまくり上げ、陶器の様に白い肌を露出させる。それから厨房までの移動中、シルヴィアは機嫌がいいのか嬉しそうに鼻歌を歌っていた。

 厨房に着くと執事のバートンさんがサンドイッチを作っていた。

「バートンさん、厨房にいらっしゃるとは珍しいですね」

「おや坊これはアル様。お父様のお夜食をお作りさせていただいているのですよ」

 バートンさんは父さんの執事兼秘書で身の回りのお世話と仕事の手伝いをしているいわゆる何でもできる有能な人である。今も慣れた手つきでサンドイッチを仕上げている。

「やはり昨日の魔物の件でしょうか? 報告の中には彼のクイーンスライムではないかとするものもあると聞きました。旦那様の心労お察しします」

 シルヴィアは困ったように眉を寄せて目を伏せた。どうやら昨日の一件を遠くから見ていた商人の一団があったらしい。領内には小規模な村がいくつかあり、屋敷はそれらから少し離れた場所に建てられている。普段は外との関りはあまりないのだが、珍しく行商人が立ち寄っていたらしく、森での一件を見られていたというわけだ。幸いにも距離があったおかげで僕の姿は見られておらず、巨大な赤いスライムが暴れている様子だけが報告されたようだ。今日は午後からその調査に出かけていたらしい。しかしその成果は散々で結局スライムクイーンの痕跡はほとんど見られず、焼け野原となり消滅した森の跡しか残っていなかったようだ。まぁ消滅の元凶が僕で、暴れていた赤いスライムが今屋敷の中にいるなど誰も思わないだろう。

「では私は旦那様の書斎に戻ります。アル様はあまり夜更かしなさいませんよう」

 バートンさんは完成したサンドイッチをさらに盛り付け、小さくお辞儀をして厨房を出て行った。僕はそれを見送ってから厨房の隅に置いてあった椅子をテーブルまで運び腰かけた。シルヴィアには食卓で待つように言われたが、料理してる姿が見たいと言ったら仕方ないと満更でもなさそうに料理に戻っていった。このメイドチョロくないか? 

 さて、完成を待つ間になぜシルヴィアに料理を頼んだのかを説明しよう。普段は料理長と数人の使用人が三食を分担しており、シルヴィアはそれに含まれていない。にもかかわらず僕がシルヴィアに頼む理由は味の好みただそれだけである。料理担当の使用人たちは健康志向なところがあり、味付けに関しても控えめなものとなっている。だが、現代日本の数多の香辛料や調味料によって味付けされたものを食べていた僕にとってそれらは少し、いやかなり物足りないのだった。そんな中シルヴィアだけは僕の好きな濃い味付けで料理してくれるので、偶にこうしてお願いしているのだ。

 捏ねて成形されたひき肉が鉄板の上で香ばしい匂いと心地の良い音を立てている。

「坊ちゃま、完成です。お熱いうちにお召し上がりください」

 湯気をあげるデミグラスソースのかかった熱々のハンバーグがテーブルに置かれる。焼かれたひき肉とデミグラスソースの濃厚な香りが混ざり合って、僕の口から涎を溢れさせる。空腹は最高のスパイスとは言うが、食べる前からこれほどこの言葉を実感するとは思わなかった。

「いただきます! はむ、んぐんぐ……」

 口に入れると同時に伝わる焼きたての熱。一噛みごとに口の中に染み渡る肉汁。ドロドロと崩れるように柔らかい肉の塊を一口、また一口と頬張る。肉はバレットボアと呼ばれるイノシシに似た魔物の肉が使われており、野生的な風味が特徴的であるのだがそれを優しく包み込むデミグラスソースの甘みが最高の相性を発揮している。元々この世界にはステーキ文化はあれどハンバーグという料理は存在しなかった。バレットボアの肉は筋張っており、そのまま食べるとかなり硬い。だがひき肉にすることでその硬さも気にならなくなるのではないかと、僕がシルヴィアにハンバーグのレシピを教えたのだ。

「ねぇねぇアル君。私にも少しちょうだい」

 コアが首筋から触手を伸ばし口に運ぼうとしたフォークを止める。シルヴィアは調理器具を洗っているので、その隙を見て一欠片をコアに渡し、コアはそれを触手で包んで服の中に滑り込ませた。コアの反応は分からないが、服の中で激しく震えているので多分満足しているのだろう。

「ご馳走様! ありがとうシルヴィア」

「お気に召されたようで何よりです」

 皿いっぱいにあった大きなハンバーグをものの数分で平らげた。汚れた食器をシルヴィアに任せて自室に戻る。

 一見片付いているように見えるがまだ少し焦げ臭い気がする。換気のために窓を開けて風の魔術で部屋全体の空気を回す。

「あれがアル君の世界の料理かぁ、おいしかったね。ま、アル君の魔力ほどじゃなかったけどね」

「やっぱりシルヴィアのハンバーグは間違いないね。レシピ教えてよかった。ほんと前世の記憶に感謝だね」

 コアは肩からベッドに飛び移り、溶けるように体を広げている。満腹にはなったが、眠気は完全に飛んでしまっている。半日以上寝ていたのだから今からもう一度というのは少しもったいない気がする。

「せっかくだし、もう少し魔術を試そうか。コアの体を食べたおかげか魔力の調子がいい気がするんだよね」

 全身を巡る魔力が普段よりも力強く感じる。上質なマナポーションには魔力の質を上げる効果があり、魔術の鍛錬でも使用されることもあるらしい。まぁそんなものは高額な上に流通量が少なく滅多に手に入らないのだが。コアを使い魔にして本当に正解だったとしみじみ思う。

「じゃあ食後のデザートと腹ごなしといこっか。折角だし私も夜食をいただこうかな」

 ベッドに広がった体をまとめ人間体を取るコア。後ろから首に手を回して抱き着いてくる。ひんやり冷たい体に少しずつ体温と魔力を奪われる。抱き着く腕からスライムをちぎって口に運びながら、整理された魔術書を漁り始める。結局眠気が襲ってきたのは太陽が昇ってしばらく経った頃だった。

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