襲来、巨大モンスター!
アルフェルト・オールバーンは十歳の誕生日を迎えた。年を重ねたおかげでいろいろと出来ることも増えた。言語の理解と発声、何より体の成長に伴ってたくさん運動できるようになったのが大きい。これのおかげで魔術を研究がより捗るようになった。これまでで、屋敷にあった魔術に関する蔵書のほとんどを読み漁った結果、そのすべてを習得することが出来た。この世界は娯楽に乏しく、毎日本を読んではその魔術を実践するというのが唯一とも言える楽しみとなっていたのだ。魔術には習得難度やそれに伴う才能も必要だという話だが、正直こんな田舎貴族の家にある本に載っている魔術にそこまで高位のものはないだろう。
その一方で一つの問題が生じた。二歳の誕生日を迎えた翌日にそれは起こった。いくら目を凝らしても体から湧き上がる魔力を見ることが出来なくなったのだ。ブロウ・フランターズという魔術師の書いた本によれば生まれたばかりの子供は体に神秘という名の魔力に対する特殊な適正が存在するようで魔力を見ることが出来るようだ。だがこの神秘は一時的なもののようで一年から二年ほどで体から抜けてしまうのだという。稀に神秘が体から抜けない特異体質の者もいるようだが、残念ながら僕はそういったものには恵まれなかった。
そんなわけで便利能力の一つを失ったわけだが、体内の魔力操作に関しては感覚として体に馴染んでいるためそこまで問題はない。強いて挙げるなら他人の実力を魔力量から判断出来なくなったということだろうか。
と、いろいろと語ってきたわけだが、今の僕にはあまり余裕がない。目前の相手を何とかしなければならないのだ。
「遅いですよ!」
刺突一閃。白銀の一撃が僕の頬を掠める。木刀とはいえ、直撃すれば骨が折れかねない。防御用に全身に回していた魔力を両足に集中させ、呪文によって魔術式を展開する。
「悪いけど、早く終わらせたいから手加減はしないよ。ウィンドブーツ!」
両足に纏った風と共に一気に跳躍、シルヴィアの懐に肉薄する。音を超えた一撃を脇腹に叩き込んだ。……はずだったのだが、無慈悲にも僕の木刀は防がれてしまった。しかもシルヴィアは眉一つ動かさず、それどころかうっすらと笑みまで浮かべている。弾かれた木刀を構えなおし距離を取る。
「腕を上げておられますね坊ちゃま。教育係としてこのシルヴィア、喜ばしい限りです。このままお育ちになればいずれは……フフフフ」
シルヴィアは頬に手を添えてうっとりとした表情でこちらを見つめている。期待というにはねっとりとしたその視線に少し身を震わせながら、再び足に魔力を集める。
「今度こそ一本取るよ。早く終わらせて僕はやりたいことがあるんだ! ウィンドブーツ、そして魔力障壁!」
さっきよりも多くの魔力を籠め、魔力で作った障壁を空中に展開。それを足場に加速する。衝撃波で砕ける地面を置き去りに、真正面からの一撃を見舞う。シルヴィアは完全に故意らの動きを目で捉えまたも僕の剣を防ごうと構える。だがこれはブラフ。再度障壁による足場を形成し、更なる加速でシルヴィアの足下を飛び抜けた。
「かかったね、シフト・ウィンドドレス!」
足に纏っていたウィンドブーツの風を胴体に移し、その風圧で体を百八十度回転、急ブレーキを掛ける。さらに障壁を展開して着地、それと同時に全身に身体強化を施して肉体強度と筋力を底上げする。勢いを抑えたとはいえ、完全に殺せたわけじゃない。こうでもしなければ障壁に激突した瞬間に下半身の骨が粉々になってもおかしくなかった。
「後ろを取った、僕の勝ちだ! ウィンドバースト!」
魔力で生み出した風の流れを足の裏で圧縮、一気に介抱して小爆発を起こす。ウィンドブーツよりも加速力に優れる分、生身で扱えば両足が吹き飛ぶ荒業だ。例えるのならばウィンドブーツがジャンプ台であるのに対し、ウィンドバーストは体を爆弾で吹き飛ばす感じである。勝ちを確信した一突き。切っ先は背中を捉えた。次の瞬間、僕の手に握られていた別件の刀身がバキッという音とともにはじけ飛ぶ。見ると、シルヴィアは突きを白銀の魔力を纏った木剣で正面から受け止めていた。
超音速での突進が正面から防御されたことで僕の体はそのままの勢いでシルヴィアに跳びかかることになってしまった。シルヴィアは右足を軸にスカートを翻しながらこちらに振り返り、僕の体をやすやすと抱き止めた。
「フフ、一本取れたら午後からのお勉強は自習にするという約束でしたが、残念でしたね坊ちゃま」
僕の頭を胸に埋めるように抱きしめながら、優しく笑いかける。シルヴィアの木剣は魔力によって強化されていた。それに対して僕は自身の身体強化のみで突進したためにその衝撃に耐え切れずはじけ飛んだのだ。それにしても驚くべきはシルヴィアの実力である。シルヴィアは魔術が使えない。魔力自体はそこそこな量があるのだが、魔術の才に恵まれなかったらしい。にも拘わらず魔力による身体強化に魔術の多重詠唱も合わせた一撃を軽々と受け止めたのだ。あくまで訓練なので強力な魔術を放つことはないとはいえさすがに少し凹んでしまう。
「……ですが、とてもいい線をいっておりましたよ。私の技など、もういつ超えられてもおかしくないと思います」
落ち込む様子の僕を見たシルヴィアは僕と体を離し、頭を撫でながら仕方ないといった表情で続ける。
「そこで、坊ちゃまの成長に免じて午後からは自習といたしましょう。旦那様には内緒ですよ」
シルヴィアは人差し指を唇に当ててウィンクする。僕はしばらく呆然とした後、ありがとうと叫びながら再びシルヴィアに抱き着いた。
昼食を終えて自室に籠る。屋敷には地下書庫があり、魔術に関する蔵書のほとんどがそこに保管されていたのだが、父に頼んで自室に持ち込むのを許してもらった。最近は専ら体外での魔力操作を研究している。
「魔力を収束、圧縮する。そしてこれをもう一つ作り衝突させる……うおっ!」
二つの圧縮された魔力を両手の中で叩くように衝突させる。すると圧縮された二つの魔力体が暴走、混ざりあうように混濁する。同時に極光を放ちながら爆発した。目の前が光に包まれ、視界が戻るのに数秒かかる。僕自身は身体強化をしていたので何とか吹き飛ばずに済んだが、両手が焼けただれて肘まで黒焦げになってしまった。机には少しひびが入り、置いていた本は床に崩れ落ちていた。
「あっちぃ、また失敗だ。ヒーリングライト」
治療の光球で両手のやけどを治し、本を回収しながら改善点を考える。これを攻撃に使えればと練習しているのだが、結果は見ての通りだ。魔力の圧縮は量の加減が難しく、弱すぎれば不発になり、強すぎれば机どころか部屋自体が吹き飛びかねない。そうなれば両手で衝突させる僕は至近距離で爆発を受けることになり、いくら身体強化をして衝撃に耐えられても放出される説によって全身大やけどになってしまいかねない。自爆技として全魔力を注ぎ込んでもいいが、その場合の被害は想像できないので巻き込みの可能性があるうちは危なくて使えない。やはり何か、せめて自爆しないように対策をしないと使い物にならない。もっと何か……。そうして悩んでいるとバンっと勢いよく扉が開く。吹き込む風によって散らかっていた部屋の塵が舞い上がった。
「な、何の用かな、スティ姉さん?」
入ってきたのは姉さんだった。その表情は少し心配そうで、息も切らしている。
「アル! 大きい音がしたけど大丈夫? 怪我はないの?」
爆発に巻き込まれて煤だらけになった僕に、姉さんは跳び掛かってきた。僕は受け止めきれずに簡単に押し倒されてしまった。姉さんの好きなラベンダーの香りがふわりと舞う。頬、首、胸、腕と撫でるように無事を確認している。今年になって姉さんはより過保護というか僕によく構ってくるようになった。元々ブラコン気質があったような気がするが最近は特にひどい。一人黙々と魔術の研究をしたい僕からすると少し距離を置きたいのだが。
「大丈夫だよ。ちょっとやけどしただけ。それもほら、この通り綺麗に治ってるでしょ?」
両手を開いて見せる。姉さんは僕の手を何度もモミモミと触り、はぁっとため息をついて僕の額に軽くデコピンをした。
「アルってば、あんまり無茶しちゃだめだよ? 来年にはお姉ちゃん家から出なきゃいけないし、そうなったら万が一なことになっちゃったらと思うと私心配だよ……」
姉さんは今年で十五歳、来年には国立の魔導剣士育成学校に入学が決まっている。王都に建てられた学校はかなりの距離があるため姉さんは寮に入るらしいのだが、当人曰く僕に会えなくなるのが相当ショックらしい。最近スキンシップが多いのもこれが原因だろう。まぁいくら注意を受けてもやめる気はないのだが……もう少し安全に気を遣うってもいいかもしれない。
「わかったよ。次から気を付ける。とりあえずちょっとどいてほしいんだけど」
姉さんは押し倒した僕の上に跨っており、このままでは立ち上がれない。押しのけようと伸ばした手を掴んでそのまま覆いかぶさるように倒れ掛かってきた。そのまま僕を抱きしめて首筋で大きく深呼吸する。
「もう少しだけアル成分を補給させてよ。これも今のうちに吸えるだけ吸っておかないと。スゥー、はぁ……あぁ、落ち着く」
正直嫌ではないし鬱陶しいと思わない。ただ、折角シルヴィアがくれた時間なのにもったいなく感じてしまう。結局そのまま三十分ほど僕は何かを吸われ続けた。
その後はさすがに室内での実験は危険と判断して領内の森に出て実験を再開した。領内とはいってもあまり管理の行き届いていないこんな地方では、魔物の出現も多い。同行者を付けない代わりとして、日が沈むまでには帰ると言って外出の許可をもらった。といっても今日の魔力暴走実験は終わり。姉さんに抱き絞められていた三十分間、解決策を考えていたのだがいい案が思い浮かばなかったからだ。そこで前から気になっていた魔術を試すとしよう。
「スゥー、はぁ……燃え上れ、ファイアボール」
魔術はイメージの具現化。詠唱はそのイメージを固めるための物だ。僕は普段、魔術名だけの詠唱で大体の魔術が発動できるのであまり完全詠唱はしない。だが、実験の時や威力を確保したいときにはより確実なイメージをするために使っている。詠唱によって左手に魔術式が展開される。いつもならこのまま魔術を放つのだが今回はこのまま魔術式を維持する。
「魔術式並列展開、集まり爆ぜろ、ウィンドバースト」
風の魔術式を右手に。そして両手を合わせて二つの魔力の波を混流させる。
「術式連結、クロススクリーム!」
魔術式同士が火花を上げながら編まれていく。二種類の別系統の術式は互いに反発しながら巨大な一つの魔術式が出来上がった。弱く単調な魔術を複数組み合わせることで強力な一つの魔術を作り出す。これを使えば準備は必要になるものの、高位の魔術と同等の威力と効果を生み出すことが出来るのだ。だが、この準備に問題がある。本来魔術式は展開後急速に劣化するため、維持することができない。だが必要以上の魔力を注ぎ込むことで、短時間であれば展開状態を維持できる。それはこの連結術式はそれをしてなお不安定で半暴走状態に近い。
「これは、なんてジャジャ馬だ」
まさに嵐。両手の中で暴れる魔力の渦を必死に抑え込んで一点から一気に放出する。
「ぶっ飛べぇ! ブラストストーム!」
魔力の渦は魔術式を通して竜巻にように流れ、集まり、飲み込んでいく。暴威の体現は視界に入るすべてを捻じり潰しながら、直線状に抉り取る。木も、土も、空気すら焼き尽くして。嵐が過ぎ去る頃には、森に道が完成していた。
「あ、あはは……。まさかここまでとは、まったくの予想外だな。」
融解した地面を見ながら父さんたちへの言い訳を考える。日没にはまだ時間があるからしばらくこのまま……。
「な、なんだこいつ! 来るなぁ!」
男の荒い声が森の中に木霊する。森の東側にある洞窟の中から十人ほどの男たちが出てきた。そのうちの三人は黒いローブに身を包んでおり、いかにもな魔術師感を醸し出している。
「さっきの爆発もこいつの仕業かクソ! あんなのがいるなんて聞いてねぇぞ!」
「ここならバレねぇっていうからわざわざこんな辺境まで来たってのに、死んでたまるかよ!」
各々が罵詈雑言を吐きながら、洞窟から離れていく。なにやら気になる発言も見受けられるが、今は洞窟内の何かの方が興味を惹かれる。洞窟内から出てきた一人がそこから伸びる一本の赤い触手に足を取られそのまま中へと引きずり込まれた。僕は木陰からその様子を観察する。おそらく魔物の類だろう。だがこの世界に来てから本の虫となっていた僕はまともに外出していなかったため、本での知識だけで実はこれが初遭遇なのだ。
「ぎゃあああああああああ……あぁ、あ…………」
洞窟内から響いた悲鳴は次第に小さくなりやがて聞こえなくなる。その後まるで吐き出されるように男の体が飛び出した。目立った外傷はない。ただ意識を失っているだけに見えるが、生気の無さを見るにおそらく魔力枯渇による気絶だろう。
「来るぞお前たち、構えろ!」
洞窟内から先程の触手と同じ血の様に赤い液体が溢れ出し、次々と森を飲み込んでいく。木の上に退避して引き続き観察を続ける。魔術師たちは魔力障壁を展開するが、液体が触れると同時に構成する魔力を吸い取られ、容易く破られてしまう。液体は粘性を持っており巨大な津波となって男たちを圧し潰していく、吸い取られた男はまだしも、下敷きになった者たちはまず助からないだろう。
自在に形を変える粘性の肉体、血の様に赤い体色、そして触れたものの魔力を吸い取る特性。間違いない、これはスライムだ。その体は高い魔力絶縁性を持っており、彼らは魔力を主食として吸収する能力まで持っているため、ほとんど魔術を受け付けない。仮に通ったとしても触れたそばから吸収されるのがオチだろう。物理攻撃に関してもそのブヨブヨとした体が衝撃を吸収してしまうため、まずダメージにならない。弱点となるのは中心にある核である。核に物理的損傷を加えることで討伐できるらしい。しかしこの大質量の分厚い壁を越えてそれを成すのは至難の業だろう。低級のスライムであれば、それらの問題があってもそもそもの戦闘能力が低いためそこまでの相手ではない。
だが目の前にいるスライム色が問題となる。スライムは自身の蓄えた魔力を物質化して肉体として纏う。言ってしまえば核が本体でそれ以外の液体は魔力でできた疑似的な体ということだ。そして所持している魔力が濃くなればなるほどその色が変化し、青、緑、黄、橙、赤という順に高くなる。つまりあれはスライムの中でも最上種。
「神の血、スライムクイーンか」
神の血とも呼ばれる赤いスライムはたった一体で国を亡ぼすという伝説級の魔物だ。それがなぜこんなところにいるのか。概ね杜撰な領地管理のせいだろうが、今はそんなことよりもこいつをどうするかだ。おそらく眠っていた個体をあの魔術師たちが実験か何かで起こしてしまったのだろう。いや、僕の起こした爆発で起きたって可能性もあるのか? まぁ理由はどうあれ、とにかくあれをどうにか屋敷に近付けず、可能ならばこの森の中で討伐しなければならない。というのは建前で本音を言えば強敵出現に少し心が躍っている。魔術の実践相手としては申し分ない魔物である。
「さーてどうしたものかなぁ」
討伐方法を考えていると、スライムの一部がぐるりとこちらを向く。目はないがこちらを捉えているのが分かる。スライムは魔力を主食とする魔物だ。であれば視覚に頼らない魔力探知能力があっても不思議じゃない。次の瞬間、登っていた木が槍のように伸びた触手によって貫かれた。地面には一面にスライムが広がっている。触れれば一瞬で魔力を吸い取られかねない。
「ウィンドドレス! っと、あっぶねぇ」
体に風を纏い、空を舞う。ギリギリのところで踏みとどまったが、風の魔術による飛行は魔力の消費が半端じゃない。その代わりとして複数枚の魔力障壁を足場として空中を歩行する。だが、これも長く持つわけじゃない。地面に広がったスライムは数千の槍となって障壁に突き刺さる。破られるのも時間の問題だ。
「まずは核の位置を……あれか」
赤いスライムの大波、渦巻くその中心で輝く手のひらほど小さな銀色の球体。狙うべき場所はわかったが、核は分厚いスライムの体で覆われており攻撃がと届くかすらわからない。
「試してみるか。二重詠唱、術式連結、ファイアボール!」
触手の間を縫って火球を発射する。ただのファイアボールではなく二つの術式によって作り出したものを一つに圧縮した火球の魔術だ。さらに高い熱量を生み出し、生物なら一瞬で炭化させるほどの炎の塊が核を覆うスライムに向かって飛来する。着弾と同時に巨大な爆発が起こり、熱波が空中に立っていた僕にまで襲い掛かる。ウィンドドレスの風で熱風を跳ねのけながらダメージを確認する。だが、炎と煙は膨らんだスライムの顎によって覆い包まれ、透き通った体の中で吸収された。
「この程度じゃ無理どころか塩を送ることになるか」
魔力障壁による足場の確保と防御、ウィンドドレスによる姿勢制御、そして通用するかどうかというレベルの魔術による攻撃。いずれも多大な魔力を消費するためにこちらが先にジリ貧になる。今の僕には魔術以外の攻撃手段がない上に向こうはそれを吸収して強化されてしまう。
「いくら何でも分が悪すぎるな。でも、やるしかないのが辛いところだ。氷気の渦よ、我が敵を貫く力を与えたまえ。ブリザードランス!」
障壁の階段を駆け上がって展開された術式の中で渦巻く冷気が三メートルを超える巨大な槍を形作る。本来ブリザードランスは作り出した氷槍を打ち出す魔術だ。だがそれではあの体を貫くことはおろか、また吸収されるのがオチだろう。だがこれは氷槍を生み出す魔術、ファイアボールとは違い、物理的な質量をもつ物体を生み出す魔術なのだ。指がめり込む程強く、極低温の槍を握り込む。霜が右腕を包み込み、痛みを超えて感覚が薄れていく。
「身体強化、筋力増強。お前の魔力吸収と僕の槍、どっちが早いか勝負といこうか!」
魔力によって高めた筋力とそれに耐えられる肉体でもって、鷲掴みにした氷槍をスライムの核目掛けて投げ放った。爆発のような衝撃波と共に放たれた槍は音速を超え、軌跡上の全てを凍結させながら飛ぶさまは、さながら彗星の様である。吸収しようと槍に迫る触手は放たれる冷気によって凍り付き、触れたそばから砕けていく。通過する全てを粉砕し、分厚い粘体に直撃した。凍結によって弾力は失われ、固く脆い壁と化した粘体を氷槍が掘り進んでいく。砕かれたスライムの破片が元に戻り、集まってもう一度群がる。何度触れても同じく凍結させ粉砕するが、それと同時に氷気に触れた触手が次々と魔力を吸い取っていく。そして槍は段々と小さくなり、核にあと一歩というところで完全に魔力が絞り切られた。
「惜しい! でもこれでもだめなのか。そうなると残る手は……」
正直あまり取りたくない手段だったのだが、このまま屋敷の人達にまで被害が及ぶのは避けたい。なんとしてもここで仕留める必要がある。僕に取れる最後の手段。それは……。
「ぶっつけ本番、付け焼刃もいいところだけど、やってみる価値はある」
これが通じなければ僕の負け。これだけ攻撃しておいて見逃されるとは考えにくい。失敗すれば死ぬのは間違いない。
「好奇心は猫をも殺すか。でもごめん、このワクワクは止められない!」
シルヴィアとの訓練や魔術の実験ではあくまで試験的な魔力と魔術の運用をしていただけで、自身の限界を試したことは一度もなかった。それは被害や損害を考えると、あまりに結果の見えないものだったからだ。だが今は違う。これを放置する方が明らかに危険だ。間違いない。そういうことにしておこう。
「一撃で消し飛ば……せればいいな。問題は角度だが」
屋敷の方角を確認し、それに背を向けるようにして障壁の足場を構築する。
「よし、じゃあ始めようか!」
障壁に左手をついて魔術式を展開。右手は標的、スライムの核に向けて伸ばし射角を確認する。
「体内魔力帯域、拡大。拡大した魔力帯域への魔力回路、強制接続。っ!……はぁ、はぁ」
自分の体の中をめぐる魔力の循環を体外にまで広げ、展開した術式への魔力の充填効率を引き上げる。魔力回路の拡張と露出は激痛を伴う。全身の血管を露出させたようなビリビリとした痛みが全身に走った。痛みに荒れる呼吸を整え、魔術発動の準備を続ける。
「術式への魔力充填、良好。思考領域拡張。発声器官複製術式、起動。詠唱、開始!」
『焼き尽くすは炎。火球の魔術よ、我が敵を焼き焦がせ。ファイアボール』
『吹き荒れるは風。豪風の魔術よ、我が敵を巻き上げろ。ウィンドストーム』
『打ち砕くは土。岩石の魔術よ、我が敵を粉砕しろ。ランドファング』
『凍てつくは氷。氷結の魔術よ、我が敵を凍て穿て。ブリザードランス』
『飲み込むは闇。暗黒の魔術よ、我が敵に絶望をもたらせ。ブラックレイン』
魔術によって複製した声。それによって行われるのは異なる五つの魔術の同時詠唱。術式の劣化を最低限に抑えるためには複数の魔術をなるべく早く唱え切らなければならない。発声器官を魔術によって代替し、思考領域を広げることで術式の並列展開を可能にする。
「術式連結、クインテットスクリーム」
術式の完成と同時に、連結させた魔術式が体外に露出させた魔力回路を通じて大量の魔力を吸い上げる。経験したことのない膨大な魔力の消費と回路を魔力が通過するたびに全身に走る痛み、そして拡張した思考領域による五つの術式の併用によって視界にバチバチと火花が散る。一瞬が永遠に感じられるほどの苦痛。だがその感覚がなぜか心地よい。編み上げた魔術がどれほどの威力なのか、想像するだけでも心が躍り、好奇心が苦痛を忘れさせる。
「パイルロックアンカー接続。標的確認、放射角固定」
足場とした魔力障壁と全身を魔力の杭で固定、狙いを定め衝撃に備える。
「世界の果てまで吹き飛べ、ブラックアウト・オーバードキャノン!」
混ざりあう五つの魔術。生み出されるのは漆黒の螺旋。膨らんだ黒い嵐は全てを飲み込む光となって放たれる。発射と同時に足元を覆っていたスライムたちが一瞬で蒸発。目に入る森を、地面を、スライムを、大気すらも巻き込んで消し飛ばす。一帯の光は黒い閃光によって塗り潰され、残ったのは術者である僕と焼け融けた森だったものだけだった。
「うぅ……はぁ、はぁ、うぐっ! はぁ……どう、なった……」
障壁を維持できなくなった僕は地面叩きつけられる寸前でかろうじて残っていたウィンドドレスの風によって何とか着地に成功する。発射の衝撃をアンカーで無理やりに耐えたせいで全身が痺れて感覚が薄れる。酷使した魔力回路は焼き切れて、しばらくは魔力を回せそうにない。痺れと疲労で痛みすら感じなくなっている。薄れる視界で状況を確認する。目の前には跡形もなくなった森だったものと赤く融けた地面。スライムの姿はどこにもない。達成感でその場に背中から倒れ込む。自然と視界が上を向き、信じられないものが目に映った。
「うそ、だろ」
そこにいたのは赤いスライム。だが、森を覆うほどだったあの巨体は見る影もなく、今はバスケットボールほどの大きさまで小さくなっている。あの一撃からどうやって逃れたのか、今はそんなことどうでもいい。魔力には余裕があるものの、肝心の魔力回路が焼き切れているのではどうしようもない。それどころか手足の感覚もなく、もう指の一本も動かせない。スライムは倒れた僕の顔面目掛けて落下してくる。避けようと力を入れるが、身じろぎ一つ出来ず僕の顔は柔らかい弾力に包まれた。
「うっ、ごぼぁ……」
呼吸器を塞がれ息を吐きだすことしか出来ない。息ができないこともそうだが、それ以上に肌に触れられた部分から魔力を吸い上げられている。それも尋常じゃない速度だ。消耗しているとはいえ、このままでは一分も立たずに絞りつくされてしまう。もがくために腕を上げようにも痛みと痺れでうまく体が動かない。魔力を魔術以外で失うのは初めての体験だが、一気に押し寄せてくる疲労感と脱力感に意識を刈り取られそうになる。ただでさえ動かないからだから力が抜けた僕には抵抗の意思すら残っていなかった。薄れゆく意識の中で最後に僕の目に映ったのは、ブルブルと小刻みに震えながら膨れ上がった後、バラバラに弾け飛ぶスライムの姿だった。
「……う、おぇ!」
ぐいぐいと口に何かを押し込まれる感覚に目が覚め、嘔吐きを抑えられず口の中身を吐き出した。朦朧とする意識とぼんやりとした視界に吐き気が合わさって混乱する頭が状況把握を妨害する。後頭部に触れるプニプニとした感覚が脱力を誘い、身を委ねるうちに正常な感覚を取り戻していく。
「あ、起きたかな。 どう、意識とかはっきりしてる?」
揺れる水面のような透き通った声が聞こえる。段々と靄が晴れていき視覚がはっきりとしてくる。最初に目に入ったのは雲一つない星空。もうすっかり日は沈んでしまっており、月明かりが辺りを青白く照らしている。しかしそれは視界の半分。もう半分は月明かりを反射する赤く透き通った肢体だった。動くたびにプルプルと揺れる体。人間の少女のような何か。それは僕が目を覚ましたのを確認すると、その大きな手で僕の頭を撫で始めた。
「いやぁ。魔力切れで倒れちゃったときはどうしようかと思ったけど何とかなったね。ごめんね、起こし方雑になっちゃってさ」
真っ赤なその生き物は申し訳なさそうに笑いながら太い触手の束のような髪をくるくると弄っている。思考がはっきりとして記憶が鮮明になっていく。同時に、目の前のこの生き物がさっきまで戦っていたスライムであると確信する。僕はスライムの膝枕から飛び起きて距離を取ろうとする。しかしさっきまでの消耗がまだ残っていたのか、体を起こすと同時に全身に走る激痛に耐えられず、再び膝枕に倒れ込んでしまう。
「あぁだめだよ無茶しちゃ。君、全身の魔力回路がボロボロになってる上にさっきまで魔力切れで倒れてたんだから。おとなしくしてて」
肩を両手で押さえ込まれ、身動きを封じられる。先程まで殺し合っていた相手に介抱されるというのは何とも不思議な感じがする。
「お、お前は一体……」
「あ、そのお前っていうのやめて。コアって呼んでほしいな。君はアルフェルト君だよね。アル君って呼んでもいいかな?」
コアと名乗ったスライムは僕の名前を言い当てた。もちろん僕は名乗った覚えなどない。一体どうやって。
「こ、コア? なんで僕の名前」
「ん? あぁ、君の魔力を吸ったときにさ、いろいろあってね。間違って魔力と一緒に君の記憶が吸い込んだらしくって……君の記憶覗いちゃった。ごめんね? 悪気はなかったんだよ?」
また申し訳なさそうに髪を弄っている。記憶を見られた。もし全部見られていたなら、僕が異世界からの転生者ということもバレている可能性がある。特に見られて困るようなものはないが、見られて問題ないことと見られたくないことは違う。変な汗が背中ににじむのを感じる。
「こうやって君としゃべれるのも君の記憶を見たおかげなんだ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。まぁそんなことはどうでもよくて……」
記憶を見たことで人の言葉を覚えたのか。高位の魔物は高い知能を持つというのを本で読んだが、言葉まで覚えられるとは思わなかった。コアは意地悪な笑顔で僕の顔を覗き込んでくる。それは捕食者に似た絶対的強者の笑みだった。
「突然なんだけどさ、私を君の使い魔にして欲しいんだ」
その口から飛び出したのは全く予想もしていなかった言葉だった。使い魔、本で読んだことはあるが詳しいことはあまり興味を惹かれなかったため調べていない。そもそもコアはどうしてそんな提案をしてくるのだろう。
「なんで使い魔になりたいの? 強さで言えば君の方が僕なんかよりずっと上だと思うんだけど」
コアはキョトンとした顔をする。僕はオーバードキャノンでコアの体の大半を消し飛ばしたとはいえ、それでも保有する魔力量で言えばコアには遠く及ばない。それでも使い魔になりたいというのには何か理由あるはずだ。
「それはね……あんまり自覚はないと思うんだけど、君の魔力ってとってもおいしくって。ほら、私たちスライムって魔力が主食だからさ。出来ればもっと君のおいしい魔力を味わいたいなぁって」
頬を赤らめ人差し指同士をツンツンと合わせている。不覚にもその様子は僕の目には可愛く映った。
「その代わりと言っては何だけど私は君のことを守ってあげる。どんな敵も寄せ付けないように君の力になってあげるからさ。ね、だめ?」
眩しい笑顔で最高の提案をしてくる。国家転覆レベルの魔物に力を貸してもらえるなら今以上に魔術の実験が捗るに違いない。それに加えて今回のようなハプニングにも対処できるだろう。そのうえこんなにカワイイ使い魔が手に入るのだ。僕に断る理由はなかった。僕は何とか動く右手でコアの手に触れて、うんと小さく頷いた。コアの明るい表情がさらに明るく晴れていく。
「ありがとう! これからよろしくね、マイマスター」
「うん。こちらこそよろしく、コア」
コアは僕の手に小さく口付けをして優しい笑みを浮かべる。それは月夜と重なって僕の動悸を早くする。
「じゃあ早速、使い魔の初仕事といこうかな。治療の光、我が主に癒しの祝福を与えたまえ。ヒーリングライト」
コアは両手に金色の光を纏い僕の首筋に触れる。ひんやりとしたスライムの体とは対照的に温かさのある光が僕の体を包んでいく。痛みが引いていき、少しだが疲れも和らいだように感じる。
「どう、すごいでしょ。君の記憶で見た魔術を試してみたんだけど、うまくいったみたいだね」
魔術まで使えるとは、ゆっくりとコアの膝から体を起こし立ち上がる。コアはその体をこぶし大まで縮めて僕の肩に飛び乗ってきた。
「この姿なら他の人間がいても隠れられるでしょ。さ、アル君帰ろう」
「そうだね。帰ろうか……あ」
完全に忘れていたが日没までに帰る約束をしていたのだった。森を消し飛ばしたのもバレているに違いない。僕とコアは言い訳を話し合いながら走った。