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異世界、それは新世界

 赤子の脳みそというのは非常に便利だと実感する。この世界に転生して早一か月。僕の脳みそはスポンジのようにただ聞いているだけで言葉の意味を理解できるようになっていた。わずか二週間足らずで問題なく日常会話の聞き取りは可能になった。文字の読み取りに関してはもう少し時間がかかりそうだがこのままいけば来月にはある程度の本は読めるようになっているだろう。本当に便利な体……なのだが不便な面もある。幼い体がゆえにペンが握れず文字が書けない。それに加え歯がなく呂律も未熟なため、まともに発声することができない。アウアウ言うのが関の山だ。正直この世界に対して溢れてくる疑問を気軽に質問できないのはかなり辛いものがある。が、こればっかりはどうしようもない。気長に己の成長を待つとしよう。それから人から立ち昇っていたオーラなのだがこれは魔力というらしい。これぞ異世界! と心が躍るファンタジーワードである。いろんな用途があるらしいが今はまだ諸事情でお預けを喰らっているのだ。

 この世界で一か月過ごしてわかったことがある。まずは名前だ。アルフェルト・オールバーン。メイドたちの多くが僕をアルフェルト坊ちゃまと呼んでいたのだ。もう一つは僕の家柄について。オールバーン家は地方の役人貴族であり、地位はあまり高くないらしい。つまりは、王都から離れた辺境の領地を治める底辺貴族ということである。父親はラーズ・オールバーン、母はマグノリアというらしい。二人ともかなりの親馬鹿で毎日のように僕に会いに来る。まぁ正直会いに来るのはいいのだが、その度に蕩けるような赤ちゃん言葉であやしてくるため、言われてるこっちが恥ずかしくなってくるのだ。そうしてもう一人家族が……。

 ガチャッと静かに部屋の扉が開く。僕は絶賛世話係の専属メイド、シルヴィアに哺乳瓶による授乳をしてもらっているのだが……正直あまり人に見られたくないのでこの時間だけは入室をお断り願いたい。僕はせめてもの抵抗として哺乳瓶を手で押しのける。

「あ、坊ちゃま。メッですよ、ちゃんと飲まないと。将来はとっても強い魔導騎士になっていただくのですから」

 シルヴィアは翡翠色の目を細め、抵抗する僕を叱りながら哺乳瓶を口にねじ込もうとしてくる。

「そうだよアル。シルヴィアの言う通りアルには私よりもすごい騎士になって私を守ってもらうんだからね!」

 入ってきたのは姉のスティエレンだった。長い黒髪に光のない黒い瞳。整った顔立ちは幼さの中に蕾のような素質を秘めている。五歳の少女とは思えない大人びた言葉遣いと身の振る舞いはさすが貴族の令嬢というべきだろうか。なのだが……。

「そうだ! アル、今のうちから私と剣の修練をしましょう。私の弟なんだから才能はあるはずだもの!」

 姉さんや、生後一か月ほどの乳飲み子に剣を握れとは無理をおっしゃる。少々無茶苦茶なところがあるのが玉に瑕なのだ。とはいえ姉さんの才能は本当にすごいらしい。メイドたちが噂していたが、剣ではこの若さで父から一本とれる程で、魔術に関しても類稀な魔力量と術式構築の才能を持っているらしい。実際に僕も姉さんの魔力を見たことがあるのだが屋敷を覆いつくすほどの巨大なオーラが見えてしばらく呆然としてしまった。天は二物を与えないというが一体いくつ与えられたらこんな化けものが生まれるのだろうか。

 姉さんは僕が誘いを全力で首を横に振って断ると諦めて出て行ってしまった。午後から父との剣術指南があるらしい。

「坊ちゃま、折角ですので少し見学させていただきましょうか」

 シルヴィアは優しく微笑みかけながら僕に提案してくる。白銀色の髪がなびき、甘いバターのような匂いが舞った。


 ミルクを飲み干した後、昼間の陽気と眠気に抗いながらシルヴィアに抱かれて屋敷の庭に出ていた。気持ちの良い太陽の下、木剣の打ち合う音が響き渡る。庭には二人の他に数人のメイドと母さんまで出てきている。母さんはいいとして、メイドたちは仕事そっちのけで何をしているのか……。

「スティ様、頑張って!」

「スティ様! 頭、頭ですよ!」

 メイドたちは野次馬の如く姉さんを応援している。

「そんなハゲなんて叩きのめしてやりなさい!」

 その隣では母さんがすごい語気でそれに加わっていた。ただでさえアウェイな父がさすがに少しかわいそうになる。

「あうあう! あー!」

 せめて自分だけでもと父に精一杯の声援を送る。送るのだが……。

「フフッ、坊ちゃまもスティ様を応援されているのですね」

 僕も姉さんを応援していると改変されてしまった。父さん、お許しください。

 観戦している僕たちとは対極的に、二人は真剣に向かい合っていた。ただの稽古と聞いていたのだがお互いとんでもない気迫である。張り詰めた空気を切り裂くように打ち合いが始まった。無数の斬撃と同時に打ち鳴らされる木剣。父さんの剣はまさしく力を体現したようなものであり、振り下ろされる一撃一撃がまともに喰らえば、いくら木剣といえど骨の一、二本はへし折られかねない。まして正面からガードできたとしても受けられるかどうか。娘に対する稽古というにはあまりに無理があると思うのだが、当の姉さんはそんな心配は全くいらない様子だった。振り抜かれるすべての斬撃を完璧に受け流し、そのうえ反撃までしている。正に力に対する技といった感じ。これが五歳の少女のものだというのだから恐ろしい話だ。

「腕を上げたなスティ。これからの成長が楽しみだな」

「ありがとうございます。では少し、本気を出させていただきますね!」

 膨れ上がり溢れ出した魔力が木剣に流れ込んでいく。魔力は金色の渦となって刀身を包みこむ。巻き上げられた風がこちらまで届きシルヴィアの髪を暴れさせている。姉さんの稽古は何度か観戦しているが、何度見ても恐ろしい魔力量である。

「いいだろう、胸を貸してやる。来なさい」

 父さんは目をギラつかせて木剣をさらに強く握り込む。魔力量こそ姉さんに及ばないものの、その密度は濃く、より洗練されたものだとわかる。両者の睨み合いはそう長くは続かない。先に仕掛けたのは姉さんだった。小さな体からは想像もできないような速度で突進する。その勢いを乗せたまま巨大な魔力の波動が地面を抉りながら振り降ろされた。先程までの鮮やかな剣技とは正反対の力任せな一撃。まるで巨大な柱のようにも思えるそれを父さんは真正面から受け止める。量では明らかに劣るものの、圧縮され密度の増した魔力はそれをいとも容易く跳ねのけた。同じ魔力でも密度を上げることでただ使うよりも強化されるのか。さらに興味が湧いてきた。

 弾かれた姉さんの剣からは制御を失った膨大な魔力の渦が暴走を始めた。暴れた魔力の波がこちらに向かって襲い来る。

「きゃああああああ!」

 母さんが頭を庇いながら悲鳴を上げる。あれ、これまずくない? 転生早々ゲームオーバーってこと……? 眼前まで迫った暴威に思わず目を瞑ってしまう。瞬間、シャキンっと剣を抜き放つ音とともに魔力の奔流が真っ二つに切り裂かれる。見るとシルヴィアの手にはレイピア細い剣が握られていた。剣にはシルヴィアの髪色と同じ白銀色の魔力が込められている。シルヴィアに帯剣している様子はなかったが、一体どこからあんなものを出したのだろう。

 僕が剣を観察していると、僕を抱きかかえているシルヴィアの左手に力が籠る。押し当てられた胸の隙間から何とか息を吸う。肺いっぱいに広がるシルヴィアの甘い香りに顔が少し熱くなってしまう。

「アルフェルト、シルヴィア! 無事か⁉」

「あぁ、アルぅ……」

 駆け寄ってくる父と泣き崩れる姉。母さんは突然と事で呆然としてメイドたちに気付けをされいている。

「えぇ、ご安心ください。私もアル様も怪我はありません」

「そうか、すまなかった。まさか暴走を始めるとは。見誤った私の責任だ」

 父さんはほっと胸を撫で下ろすと崩れ落ちた姉さんに歩み寄った。

「スティエレンもすまなかったな。私の不注意だ、お前が気に病むことはない」

「うぐ……私のせいで、ごめんねアルぅ」

 父さんに慰められても姉さんは泣き止む様子がない。少しブラコン気質のある姉さんにとって、自分の手で僕を危険に晒したことはかなり響いたのだろう。僕は姉さんに笑いながら手を振り、自分に何も怪我がないことをアピールする。それを見るや否や姉さんはこちらに向かって飛びついてき、シルヴィアの腕から僕を取り上げた。

「アルぅ! ひどいお姉ちゃんでごめんね。許してくれるアルは優しいね!」

 涙と鼻水でべちゃべちゃになった顔で僕に頬擦りをしてくる。押し退けようかとも思ったが、泣きじゃくる姉に対してさすがにそれは酷だろうと伸ばした手を引っ込めた。ふとシルヴィアの手に目をやるとさっきまで握られていた剣がいつの間にか消えていた。腰や背中を見ても帯剣している様子もない。これも魔術の類だろうか。俄然興味が湧いてくるが、今は姉の気が済むまでもう少しだけ抱かれているとしよう。

 しばらくすると姉は泣き疲れに稽古の疲れが重なったのかソファの上でメイドの膝を枕に眠ってしまった。二階では父さんが母さんにこっぴどく叱られている。怒号と打撃のような音が一階にまで響いて来ていた。僕も変息を張ったせいかそこそこの睡魔に襲われていたがその声が気になって寝付けず、結局そのまま起きているうちに眠気もどこかへ飛んでしまっていた。

 こういう時にやることは決まっている。自分の手に目を凝らす。こうして立ち昇る淡い魔力を可視化し、感覚的な操作をやりやすくするのだ。魔力は心臓にある魔力炉心という場所によって練り上げられ血管のように全身に張り巡らされた魔力回路を通じて思い通りの場所に移動や集中をさせることが出来る。僕は魔力というものの存在を知ってからというもの、毎日のように暇さえあればこうして体内の魔力を操作する練習をしているのだ。もちろん他に良い娯楽がないことや、まだ幼く暇があり余っていることなどが挙げられるが、なによりこの魔力という非常に心をくすぐられる不思議パワーに魅入られたからというのが一番の理由である。心臓から右手、右手から左手と温かい魔力の波を移動させていく。このままの状態で呪文を唱えると術式が構築され魔術が放てるらしいのだが、生憎本が読めないために肝心の呪文がを調べることや仮にわかったとしても詠唱が出来ないので、今できるのはこれが限界だ。姉さんたちがやっていたように手から物に魔力を流すこともできるのだが、それだと流した魔力が可視化されてしまうため隣にいるいシルヴィア達メイドにバレかねない。魔力や魔術は扱いを誤れば先ほどの様に暴走も起こす。こんな幼い姿の僕が使っているところなど見られたらそれこそ叱られるか、最悪拘束されることだって考えられる。それはさすがに面倒である。なので今は体内の魔力循環をコントロールすることだけに集中することにした。

 1時間ほど経つと二階から響いていた母さんの声が止み、しばらくして二人が談話室に入ってきた。父さんはコッテリ絞られたのか、げっそりとして威厳も何もない風貌へと変わっている。僕はできる限り母さんを怒らせるのはやめようと心に決めた。ソファで横になっていた姉さんも扉の音に反応したのかタイミングよく目を覚ます。

「お前たち、改めてすまなかったな。私の予測が甘かった。今後は稽古の内容を改めるとしよう。そして……」

 父さんは横になっている姉さんに歩み寄りその頬に触れた。

「スティエレン、お前には辛い思いをさせてしまった。今日はもう疲れただろう、午後からの授業は免除するからゆっくりと休みなさい」

 そういわれた姉さんは体を起こしてふわりと軽く微笑み、頬を撫でる大きな手に触れる。

「ありがとうパパ。でも、こうなっちゃったのは私が原因だから……私、もっと強くなりたい。もう二度とあんな風にならなくていいようにもっともっと強くなりたいの。明日からまた、私に稽古をつけてね?」

 潤んだ瞳で問いかける姉さんに父さんは優しい笑みで返す。

「もちろんだ。お前はいずれこの国でも屈指の騎士となれる。私もその手助けができるなら何でもしよう」

 父さんは姉さんの体を強く抱きしめる。姉さんは疲れの残る目を細めて父さんに身を委ねた。部屋に入ってきたときまでは少し不機嫌そうだった母さんもそれを見て少し表情が緩んでいる。幸せそうな家族の光景を尻目に、僕は再び魔力の操作に集中した。


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