38.悪魔のような男
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※流血描写を含みます。
「11、番……?」
「~っ!!」
薄れゆく意識の中でそう呟くと、ジャンが苦しそうに呻き声を上げた。
「あ、ごめ……、っ!?」
謝ろうとするが、あまりの気持ち悪さに声が途切れた。
立っていられなくて、その場に膝をつく。
(っ、何、これ……!!)
「認識阻害の魔法をかけ終わり次第、袋に入れて運べ。……まだ殺さないようにな」
「はっ、ボス!」
(何を、言って……る、のか、聞こえ、な……)
ーー視界が歪む。
誰が何を言っているのか、聞き取れなくなっていく。
「ーーお嬢様!!」
(……だ、れ……?)
ーーそして、何も分からなくなった。
「ーーたかが10年でここまで鈍るとはな。お前よりお嬢さんの方が先に気づくとは情けない。私の教育は完璧だったというのに、不出来な部下だ。……いや、元部下か」
「っ、お嬢様に手を出すな……!」
「人の話を聞かない子だ。ーー良いだろう。10分やる。見ていてやるから、私を殺してみろ」
「っ!」
「ーー言っておくが、ここにはお前が抜けた後の20番までが揃っている。そう簡単に私を殺せると思わないことだ」
ーー人知れず落ちていた小さな鈴を、誰かが踏みつける音がした。
◇◇◇
「ーーお目覚めか?お嬢さん」
「っ!?」
ーー奇妙な声を聞いて、顔を上げた。
「あ、れ……?」
ーー手に力が入らない。視界も白く霞んで見える。
何より、拾った声を上手く脳が認識できなかった。
「聞こえ辛いか。……聴覚に関してのみ弱めてやれ」
「はっ」
「ーー今度こそ聞こえるか?お嬢さん」
「っ!!」
男の無機質な声が、煩いほど頭に響いた。
意味は拾えるが、まるでノイズがかかったように不鮮明だ。
何故わざわざ、私にこんな魔法をかけたのか。
さっさと殺した方が早いのに。
そんな風に考え、自分が今、命の危機に扮していることを自覚する。
(っ、逃げ、ないと……!っ!?)
動こうとして、気づく。
私は両手足を縛られた状態で男の前に転がされていた。
ーー私、1人で。
(!?)
「っ、聞こえてる!ーーそんなことより、ジャンはどこなの!?」
焦る私に反して、男は妙に落ち着いていた。
そして、「自分よりまず他人が気になるのか。お優しいお嬢さんの考えることは分からんな」と言って馬鹿にしたように笑った。
「自分の飼い犬を心配する健気なお嬢さんに免じて、一度だけ見せてやろうか。ーーおい。視覚を緩めて押さえつけろ」
了承した男の部下に足を押さえつけられる。
「っ、やめて!離して!!っ、この……!!」
「ーーさあ、見なさい。君が案じていた男の姿だ」
男の声には、人を従わせる何かがあった。
突然開けた視界に、眩しさを感じる。
やがて、光に目が慣れた頃。
信じがたい光景が、私の目に飛び込んできた。
「ーーえ」
ーー『それ』は、真っ赤な地面に横たわっていた。
人の形をした何か。
どくどくと、真っ赤な液体が、あちこちからとめどなく溢れている。
目を背けたくなるほど、ボロボロの人形だと思った。
(人形、だよね……?)
もしあれが人だとしたら、もはや生きてはいないだろう。
(いや。真っ赤な、液体。あれ、は、まさか……)
ーー嫌だ。認めたくない。
認めたく、ないのに。
血だまりの中。
見覚えのあるピアスが光を放ち、私に真実を突き付けた。
「いやああああああああああ!!」
薄暗い路地裏の中、私の慟哭がこだました。
◇◇◇
(ーー逃げてください、お嬢様)
お嬢様の悲痛な叫び声で、掠れていた意識を取り戻す。
……喉が焼けるように痛い。
どうにか声を出そうと口を開くが、血の塊を吐いただけだった。
もはや手足の感覚さえもない。いや、そもそも手足がちゃんとあるかどうか。
(ーーああ、俺は死ぬのか……)
ーーあの時、俺がちゃんと殺せていれば。
そう悔やむが、『11番』の俺が、どの道彼らに敵う筈もなかった。
特に5番より上は、1人で魔法騎士団の幹部クラスを葬ることができるほどの実力者揃い。
何千、何万もの命を奪ってきたであろうその一太刀は、一体どれほどの重みなのか。たかが数年人殺しだった俺とは、恐らく格が違うのだろう。
加えて、俺の剣には迷いがあった。
人を殺すことへの、一瞬の躊躇い。そんなもの、今まで持ち合わせていなかったのに。
(俺は、弱くなったな……)
だが不思議と、昔の自分よりマシだと思った。
ーーただ、お嬢様には申し訳ないことをした。
俺がちゃんとやれていれば、今頃お嬢様は怖い目に合わずに済んだのに。
(どうか、こんな俺なんか見捨てて、師匠のところへ逃げてください。……一瞬でも『家族』の真似事ができて、俺は幸せでした。ーーありがとうございます、アデル様)
ゆっくりと沈んでいく意識の中、俺は数刻前の記憶に身を委ねた。
「ーー退け!」
早くあの男ーー『ボス』の首を取りに行かなければならない。
(っ、お嬢様を見張っていたのは、ボスだったのか……!)
ーー最悪だ。
俺を拾い、育てた男。
ーー暗殺ギルド『帷』の首領。
この男によって、幼い俺は全てを叩き込まれた。
昔の記憶が甦り、思わず唇を噛み締める。
(手の内は全てバレていると思った方が良いか……!)
考えている間にも、見知った元同僚が次々と俺の前に立ち塞がる。
中には、俺が面倒を見た後輩もいた。
最後に見た時よりもかなり成長しているが、僅かに面影がある。
(ーーだから何だ!!構うな、一人残らず殺せ!)
心の内はそう叫ぶが、刃を振り下ろした直前、迷いが生じる。
ーーあの伯爵家で過ごした日々が、心を失った俺に、光を灯したせいだろうか。
「くそっ……!」
一瞬の逡巡の末、ダガーをくるりと反転させた。
かつての後輩の鳩尾に、ダガーの柄を叩き込み気絶させる。次いで足の骨を砕き、道の端に転がした。
そんなことを何度も繰り返す。
(あと何人だ……!?っ、そろそろ、俺より上の番号ばかりか……!)
走りながら、向かってくる刃をそれとは反対の方向に弾く。
(右、後ろーー次は、上か!)
頭上から、1人の男が剣を振り下ろした。
刃同士が擦れ、耳障りな金属音が鳴り響く。
「11番、いや元11番か。本当に俺達に勝てると思ってるのか?」
そう告げた男は、確か10番手だった男。今では更に上の順位に就いているだろう。
ーーだが、だからといってここで止まるわけにはいかない。
(勝てる?そんなわけないだろ。だが、俺がここで立ち止まればお嬢様の身に危険が及ぶ)
できるかできないかではない。やるしかないのだ。
「……煩い。退けと言っているだろう!」
刃を弾いた反動で、後方に跳ぶ。
(……こいつには、手加減なんて生温いことはできない。一撃で確実に仕留めなければ)
俺は今度こそ躊躇わず、急所である心臓に照準を定めた。
(本来、心臓は狙いが難しいが……)
ーー俺は今まで、一度も外したことはない。
神経を研ぎ澄ます。
(ああ。……俺は結局、人殺しだ)
一気に距離を詰め、姿勢を低くして男の間合いに入り込む。
固い骨に覆われた『それ』に、正確にダガーを突き刺した。
男の胸から血飛沫が飛ぶ。
大量の返り血を浴びるが、どちらの血かは判別がつかない。
ーー既に俺は、救いようのないほどの傷を負っていた。
直接斬りつけられた傷。魔法で造られた風の刃による傷。
更には、遅効性の毒が塗られた剣をこの身に受けたせいで、段々と手足が言うことをきかなくなってきた。
(っ、くそ、血を流し過ぎて、力が入らない……!だが、あと半分を切った……!!)
そろそろ終わりが見えた、というところで。
「ーーそろそろ10分だ。私にしては、珍しくちゃんと待ってやったぞ」
ーー遂に、あの男が動き出した。
「!」
俺は、無意識に師匠から貰ったピアスを撫でた。
……元より、正攻法で勝てるとは微塵も思っていない。
お嬢様は既に連れ去られた後。
なら、この一帯を火の海にしてしまえばいい。それくらいなら、初級魔法でもできる。
(俺の命と引き換えにでも……道ずれにしてやる)
俺は呪文を紡ごうと口を開いた。
ーーしかし。
「がっ……!」
「ーー駄目ですよ。元11番さん。ちゃんと殺しておかないと。足を潰しても、こうして腕の力だけでも動けるんですから」
「はっ……、そう、だな。そうだった」
殺し損ねた後輩が、背後から俺の心臓めがけて剣を投擲したのだと気づく。
「……下手、くそ。ずれてる、じゃ、ないか」
堪えきれず膝をつき、口から血を吐いた。
しかし直ぐに立ち上がり、隠し持っていた3本目のダガーで後輩にとどめを刺す。
そして再度呪文を唱えようとするが、ボスに喉を切りつけられ、声にならない息が漏れた。
(っ、しまっ……!)
最初から、全部燃やしておけばよかった。
だが、そうすれば早々にこの男が動いただろう。
何故ならこの男は、昔から『約束を守らない』。
「ーー期待以上の動きだった。やはり私は一流の暗殺者であり、教育者だ。では褒美に、死ぬ一歩手前まで痛めつけてやろう」
◇◇◇
「ーーさて。そろそろ気は済んだか?」
体中の水分が失われたかと思うほどに涙を流した後、男にそう言われてカッとなった。
私は再び霞む視界の中、男が居るであろう方向を睨みつける。
手足が縛られていなければ、私は無謀だとしても男に掴みかかっていただろう。
「済むわけ、ないでしょう……!よくもジャンを……っ!!」
「は。人聞きが悪いな。出血量は大袈裟に見えるだろうが、半殺しにしただけだ。今夜にでも魔法医にかかれば、助かる可能性はある」
「!」
その言葉に一筋の希望を見出すが、直ぐにそれは打ち消されることになる。
「本当は両方殺すつもりだったが、少し考えが変わった。奴を変えたお嬢さんに興味が湧いてな。……お嬢さん次第では、奴を助けてやってもいい。
ーーさあ、お嬢さん。自分の命か11番の命か。好きな方を選びなさい」
「な……!?」
そう言って、悪魔のような男は私に残酷な取引を持ち掛けた。
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