【幕間】side.ハンナ
「よろしく、ハンナ!」
ーー初めてお会いした時のことは、緊張と不安のせいかあまり覚えていない。
でも、お嬢様やアリシア様と出逢って、私は確かに救われた。
塞ぎ込んでいた私に、お2人は根気強く話しかけてくれた。
理由も聞かず、寄り添ってくれた。
ーーお嬢様は、私の本来の性格は明るく、感情豊かであると言う。
私は否定したが、お嬢様はまるでアーデルハイト様のように慈悲深い笑みを浮かべ、こう言った。
「ハンナの心は、今は少し休んでいるだけだよ。きっと、そうやって自分を守っているんだと思う。でもね、ハンナは本当は、笑顔が似合う素敵な女性だと思うんだ」
(それは貴女の方です。だって、私はもう、笑い方だって忘れてしまったもの)
ーーお嬢様、ごめんなさい。私は、貴女の思い描くような人間ではないのです。
お人好しで、便利な存在。それが私。
よく人から優しそうだと言われるが、その言葉の裏にある嘲りには気づいていた。
でも、仕方ない。
悪いのは、そうやって生きてきた私なのだから。
◇◇◇
とある男爵家の長女として生を受けて以来、私の人生は我慢ばかりだった。
「貴女はお姉ちゃんだから妹に譲ってあげられるわよね。貴女は優しい子だものね?」
「お前に遊ぶ暇などない。ーーああ、イザベラは自由にしなさい。今度好きなドレスを買ってあげよう」
私の家族は、私に厳しく教育する分、妹のイザベラを甘やかした。
そのことに不満がないといえば嘘になるが、私は『姉』なのだから我慢しろと言われれば、大人しく従うしか道はない。
家族という箱庭で生きていくために、私は両親にとって都合の良い人形と化すしかなかった。
ーー妹が産まれる前は、こうではなかった。
幼くして魔力が発現した私に、両親は喜びの言葉と共に魔法石のブローチを贈ってくれた。
ドレスだって、建国祭の度に新しいものを買ってくれたのに。
少し歳の離れた妹が産まれると、私は突然、父からは男爵家の跡継ぎとして、母からは可愛げのない娘として認識されるようになった。妹は甘え上手で愛嬌があり、この小さな箱庭をゆっくりと、けれど確実に掌握していった。
(でも、イザベラは私の妹。妹を憎んではいけないわ。姉の私がしっかりしなくては)
気づけば屋敷の家事をこなし、古びた服を纏いながら毎日勉学に励む日々を送っていた。
ーー状況が変わったのは、ベネット伯爵家から婚約の申し出があった時からだ。
ベネット伯爵家は、不作続きの痩せた領地を有しており、土属性の魔法使いを欲していたとのことだった。
土属性の魔法使い自体は比較的多く存在するので、何故私が選ばれたのかは不思議だったが、建国祭でご子息が私に一目惚れしたことがきっかけだと聞いて驚く。
父は伯爵家と縁繋ぎができるならと、私ではなくイザベラを跡継ぎにすると言い始めた。
当主にどうしてもなりたかったわけではないので、私は父の考えに頷きながら、1人顔も知らない求婚者に想いを募らせていった。
ーー久しぶりに受け取る好意が嬉しくて、私は愚かにもその初恋を育ててしまった。
けれど私は、長年に渡る自身の扱いのせいか、誰かに尽くすことこそが愛だと思っていた。
結局彼に愛を返されることはなく、私はまたしても便利な道具と成り果てていく。
私達の関係は、やがて痩せ細った大地のようにひび割れていった。
◇◇◇
「ーーハンナ。俺の課題はちゃんと済ませたのか?」
「ダニエル……」
魔法学園入学後。
同級生となったダニエルは、初めは私に優しかった。
けれど、厚意で一度だけ彼の課題を手伝い、その課題で高い成績を得たことをきっかけに、彼は課題などの面倒ごとを全て私に任せて、少し悪い噂のある友人達と遊ぶようになってしまった。
「今日は花壇のお世話をしていたから、まだ課題はできていないの。ーーあのね、ダニエル。こんなことはもう辞めにしましょう。勿論、分からないところがあったらこれからも教えるわ。でも、まずは一度自分で解いてみてからーー」
「煩い。俺に指図するな。地味な土属性の魔法使いのくせに」
「っ!」
ーーその冷めた瞳と言葉は、私への好意が既に過去のものであることを如実に表していた。
魔法学園には、私よりも綺麗で可愛い女の子が沢山居る。
早々に私に飽きて、別の女の子を口説くようになっていたことも知っていた。
更には、私が手を繋ぐ以上のことはさせてくれないのでつまらないと、友人にぼやいていたことも聞いてしまった。
(……だって、怖いんだもの)
好きな人に対してこんな風に思うのはおかしいと薄々気づいている。
本当は、こんな関係もう辞めにしたい。
課題だって、きちんと自身の力で取り組んで欲しい。
ーーでも。
かつて。
このままでは彼のためにはならないと、一度課題を白紙で提出したことがある。すると、彼は真っ赤な顔で激怒し、男爵家への援助を打ち切ると脅してきた。
ーー私の家族は、ベネット伯爵からもらった『お小遣い』で悠々自適に遊んで暮らしているのだ。
今まで渡した金を返せと言われてしまえば、何も反抗できない。
けれどどうか結婚するまでは勉学に励ませてほしいと言えば、彼は他の女の子との刹那の恋を楽しんだ。
(彼を好きな気持ちなんて、本当はとっくの昔にどこかに消えてしまったのかもしれない)
ーーいや、必要とされたのが嬉しかっただけで、そもそも恋ではなかったのか。
(……でも、婚約者なのだから結婚からは逃れられないわ。……結婚したら男の人は大人しくなると聞くし、きっと、今だけの辛抱よね)
私は何とか自分を納得させた。
ーーそんな筈は、なかったのに。
◇◇◇
「どういう、こと……」
魔法学園卒業後、私は少しばかり学園直轄の研究機関に残った。
痩せた大地でも作物を育てることができるように、土の性質を変える魔法の研究をしていたのだ。
その論文が認められ、更には憧れだった王宮魔法使いとしての内定も貰うことができた。
まだ研究機関に残ることはできたが、折角王宮魔法使いになれることが決まったし、私の婚期の問題もある。
両家で話し合った結果、来年の結婚に向け、私は家に戻ることにした。
その、直ぐ後に開かれた建国祭。
そこで私は、謂れのない罪に問われていた。
「馬鹿なお前にもう一度だけ言ってやろう。ーーお前は妹のイザベラを虐めただけでは飽き足らず、研究論文さえもイザベラに書かせていたというじゃないか!この悪女め!」
「な、何を言っているの……!?私はそんなことしていないわ!そもそもイザベラは土属性ではないし、まだ学園に入学してもいないのに、論文が書けるわけないじゃない……!」
「酷いわ、お姉様……。そんなにわたくしのことが嫌いなのね……!」
「イザベラは神童なんだ!属性違いの魔法についても理解している!イザベラをこれ以上苦しめるのはやめろ!」
(は……?一体どういう理屈なの、それは)
「とにかく、お前との婚約は破棄させてもらう!」
そして、イザベラと結婚するのだと言い始めた。
よく見れば、並び立つ2人の距離感は友人という言葉では表せられないほど近いことに、今更ながら気づく。
「ーーほら見て、お姉様。お姉様が書いたと言い張っているこの論文、本物は私が持っているのよ?」
「っ!?」
イザベラは声を潜めて私に話しかけた後、見覚えのある研究論文を高らかに掲げた。
(ーーイザベラ、まさか貴女……!)
実は、私の研究論文は、一度だけ誰かに盗まれたことがある。
幸い内容は魔法具に記録していたが、論文の締め切りが近かったこともあって書き直す時間はなく、私は結局その印刷物を提出したのだ。
私以外にも印刷物として提出する研究者は多く、私は特に疑われることはなかったが。
ーーもしイザベラがこの論文を証拠に書き手は自分であると主張したら、私は勝てないかもしれない。
周囲からも、段々と私を疑う声が聞こえてくる。
(待って……!本当に私はやってないのに……!!)
呆然として立ち尽くす私に、イザベラが近づいてきた。
「ーーふふ。お姉様が悪いのよ?お姉様がダニエル様に気に入られたせいで、私は急に大嫌いな勉強なんかをさせられるようになったんだから。……大体、お姉様が伯爵夫人でしかも王宮魔法使いなんて生意気じゃない?」
ーー何で。
「でも思ったより簡単だったわ。ダニエル様はお堅いお姉様よりも私の方が良いって言ってくれたし、お姉様に差し入れを届けにきたと言ったら、すんなり研究室にも入れてもらえたもの」
ーー何で私は、この子に全てを奪われるの。
「お前が悪いんだ」
「お姉様が悪いのよ」
(……)
「お姉様?」
ーー突然、全てがどうでもよくなった。
巨大な魔力が、私の中で蟲のように蠢いていく。
「ーー《クルトューラ=フィオレンテ》」
……気づいた時には、呪文を唱えてしまっていた。
次の瞬間、地鳴りのよう音が王宮に轟く。
ーー誰かの悲鳴が聞こえる。
変なの。まだ何もしていないのに。
一度目は、怒りで上手く魔法式が組み立てられなかった。
私は自分が自分でない感覚にどこか高揚感を覚えながら、今度こそ王宮を取り囲むゴーレムを創り出そうと口を開く。
私の異変に気づいた魔法騎士団の人達が取り押さえようと近づいてきた、その時。
「ーー心を落ち着けて。ゆっくり息を吐きなさい」
「っ!?」
知らない女性が、私を隠すように抱きしめた。
(だ、れ……)
「ーーウィリアム」
「分かった。……少々禁じ手だが、義父上に頼んでみよう」
逃れようともがくが、女性は私を離すまいと腕に力を込める。
花のような、どこか懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。
(ーーそういえば、お母様に抱き締められたことって、あったかしら……)
ーー私は、女性の腕の中で意識を手放した。
◇◇◇
目を覚ますと、私は知らない屋敷に居た。
私を助けてくれた女性は、アリシア・シュタイナー様というらしい。傍には旦那様のウィリアム・シュタイナー様の姿もあった。
数日間ただ泣き続けるだけの私に、2人は優しく声をかけてくれた。
やがて、私は自分がしでかそうとしたことを思い出し、恐怖で頭がパニックになった。
屋敷の人たちが総出となって、泣き喚く私を押さえつける。
落ち着きを取り戻してからは、いずれ殺されてしまうのだろうかと震えが止まらなかった。
「ーーそのことだけれど。魔法騎士団にはちょっとした伝手があって……。人的被害が出ていないこともあって、貴女が牢屋に入れられてしまうなんてことはなくなったわ」
「実際、貴女まだゴーレムも創りきれていなかったもの。ちょっと音がうるさかっただけよね」とアリシア様は肩をすくめた。ウィリアム様も「よく我慢した。私なら仕留めていたぞ」と頷いている。
(仕留めるって……)
アリシア様は、私がもっと早く駆けつけていればと悔やんでいた。
丁度王家の皆様にご挨拶をしていたタイミングであり、騒ぎを聞きつけて階段を駆け降りた頃には、既に私は暴走していたらしい。
「でも……悔しいわ。貴女の名誉回復に努めようとしたけれど、あれほどの目撃者がいては難しくて……。ああもう、本当に嫌になるわね社交界は」
「あの……。お2人は、私の無実を信じてくださるのですか?……私が怖くないのですか」
一度目の呪文は失敗したとは言え、2回目の呪文を唱えていたら王都がどうなっていたか分からないのに。
アリシア様は、私の目を見つめながら力強く言い切った。
「私はシュタイナー家の娘だもの。貴女が嘘をついていないことくらい分かるわ。ーーそれに、例えゴーレムを創り切ったとしても、貴女みたいな優しい子に、国を滅ぼすなんてできないでしょう」
ーー優しい子。
私はその言葉が嫌いだった。
何度も何度も、その言葉を聞くたびに自分が嫌いになった。
「……私が悪いんです。私が、全部ーー」
ーー家族に、私を愛してと言えなかった。
婚約者に、私を見てと言えなかった。
(私、本当は、誰かに愛されてみたかったなあ……)
◇◇◇
私が全てを話し終えると、アリシア様は美しい顔に青筋を浮かべた。
(ひっ……!)
美人の怒った顔は、迫力があって恐ろしかった。
「何その男と貴女の妹。最低ね。ちょっと潰してこようかしら」
「ーーこらこらアリシア。気持ちは分かるがこれ以上義父上のお髪に白いものを増やさないであげてやれ。やるなら裏から手を回そう」
「?あれはただ歳をとった証ではないの……?」
お2人は、ポカンとする私を置いて、ああでもないこうでもないと言い合いを始める。
ーーやがて、アリシア様が扇子をパチンと鳴らした。
「ハンナ。貴女さえよければ、伯爵家で働いてみるのはどうかしら」
「……え」
「王都になんて帰る必要はないわ。勿論貴女を苦しめた人のところにも。ーーああでも、貴女のように優秀な人であれば、もう就職先は決まっているのかしら……?」
一瞬、王宮魔法使いのことが頭をよぎった。
しかしすぐにかぶりを振る。
(力を暴走させてしまった私に、国を守る資格なんてない……)
代わりに、私を助けてくれたお2人に僅かでも恩返しをしたいと思った。
「ーー私でよければ、お願い致します」
ーー私はこうして、シュタイナー伯爵家のメイドになった。
配属されたのはお嬢様の専属メイドとしてだ。
「貴女は今ちょっとだけ気分が落ち込んでいるから心配なのよ。でも大丈夫。私の娘の側にいれば、自然と貴女も明るくなるから。あの子はそういう子なの」
ーー何ですか、そのパワーストーンみたいなお嬢さんは。
私はそんな人が本当にいるのだろうかと思いながら、お嬢様の部屋の扉をノックする。
「はーい!」
ああ、緊張で頭が真っ白になりそうだ。
練習したおっとりとした喋り方は、偉そうで気に入らないと称された言葉遣いを、ちゃんと隠してくれるだろうか。
「……本日から貴女付きのメイドになりました、ハンナと申します。アデルお嬢様、これからよろしくお願いしますね〜!」
これにて建国祭編は終了です!
次話以降は新編に入ります。
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