23.信じてみたい
ーー2の月、17の日。
冬晴れが心地よい季節だが、私の心は沈んでいる。
今日は、カレンデュラ王国建国記念日。もしかすると、私の最期になるかもしれない日だ。
「……アデル。心配しなくても、殺されはしないわ」
「!」
私が浮かない表情で屋敷の玄関に立ち尽くしていると、私より少し遅れて現れた母がそう言った。
「母さ、ま……」
中央階段を降りてくる母の姿を認めて、私は言葉を失った。
ーー今日の母は、いつにも増して美しく磨き上げられていた。
母が纏う赤薔薇色のドレスは優雅に幾重ものドレープを描いており、黒を基調とした繊細なラッセルレースが襟元や裾を彩っている。私とお揃いの髪は一部が結い上げられ、小粒の宝石が散りばめられていた。更には、何もしなくても美しい花顔に鮮やかな色彩の化粧が施されている。口元には普段よりも濃い色の紅が掃かれていた。
私は、自分の親ながら思わず見惚れてしまう。
ーーというか、あまりにも戦闘力が高すぎて、傾国の美姫のように見えてドキドキした
「か、母様!私の心を覗かないでください!」
「あら、それはごめんなさいね。アデルったら、考えていることが顔に出るんだもの」と母が笑った。
違う、そんなことが言いたいのではなくて……!
「それよりも、どうされたんですか!?何だか物凄く気合が入ってません!?勿論とてもお美しいですが……!」
母は毎年建国祭に出席していた筈だが、ここまで気合を入れているのは初めて見た。
母は、軽く目を伏せる。
「……今年は、『あの方』もいらっしゃるようだから。ハンナに頑張ってもらったの」
母の背後では、ハンナがやつれた顔で親指を立てていた。
(ハンナ、私の準備も手伝ってくれたのに、母様まで……!?)
私は今朝、ハンナに薄水色のドレスに着替えさせてもらい、軽く化粧もしてもらった。
一体、母の準備はいつしたのか。まさか夜半から……と考えて身震いする。親子共々、ハンナの尽力に感謝しなければ。
因みに、両親は私が初めて王宮に行くのだからと、オーダーメイドの服を仕立てようとしたのだが、仕立て屋が何処も建国祭に向けて繁忙期であり、私の出席が急に決まったということもあって難しかった。
そのため、クローゼットに仕舞われていた、今まで袖を通したことのないドレスから選ぶことになった。私は薄紫色のドレスが良いと提案したのだが、収穫祭の時と被るから駄目だと却下されてしまった。
(本当は、また『推しカラー』のドレスが着たかったけど……、このドレスも可愛いし、いっか)
そこまで考えて、母の言った『あの方』は誰なのだろうかと思い直す。しかし、母の憂い顔を見ると、とても聞けるような雰囲気ではなかった。
私の困った顔を不安だと解釈した母が、励ますように微笑む。
「大丈夫よ。アデルは私とウイリアムが守るから。ーーそうよね?」
「ああ。任せなさい」
母が流し目を送った先には、いつの間にか父が居た。今日も今日とて、母の横をゲッ……並び立っている。
「!」
ーー父も、相当気合の入った姿をしていた。ヘーゼルブラウンの髪はオールバックに固められており、堀の深く端正な顔立ちと琥珀色の瞳が際立っている。また、父は正装が映えるタイプなのだろう。深いネイビーを基調としたテールコートには、金刺繍が大胆に縫い施されており、この少し派手なデザインを、父は見事に着こなしていた。上背があることもあり、イケメン度がすごいことになっている。あの母の横に並んでも全く見劣りしていない。
(と、父様まで……!?)
私は2人の煌びやかな正装姿に慄きつつ、建国祭には両親をここまで着飾らせる人物が来るのかと、少し涙目になった。
そんな私を他所に、母がさて、と呟いた。
「少し早いけれど、そろそろ行きましょうか」
「そうだな」
ーー今は昼下がり。
建国祭は夕暮れ時から開かれるため、どちらかといえば大遅刻なのだが、両親はおっとりしていた。
それもそのはず。普通は馬車で1週間かかるような道のりでも、王家からの書状に同封されていた王宮行きの魔法陣を使えば、王都までひとっ飛びだ。
魔法陣が描かれた巨大な布は2枚送られてきている。1回使えば効果は失われるため、つまりは往復分用意されていることになる。
……絶対に私を王宮に引っ張り出してやるという気概を感じて、すごく怖い。
両親が魔法陣の準備をする中、ハンナとジャンが私に見送りの挨拶をしに来てくれた。
「お嬢様。そう落ち込まずに。折角ですし、楽しんできてください。建国祭はお食事もとても美味しいんですよ。ダンスも上達なされましたし、大丈夫です。ーーそして。お嬢様は1人ではないということを、どうか忘れないで」
どこか悲しそうな笑みを浮かべるハンナに、心が締め付けられる。
私は1人ではない。それはそうだ。
ーーでも、じゃあハンナは、自分が1人だと思っているのだろうか。
(そんなの、違う……!)
私は、今まであった不安や焦りといった心のもやもやを潔く取っ払った。
深い悲しみを抱えながらも、人を思いやれる優しい人に、これ以上苦しんでほしくない。
その思いが、私を強くする。
「そうだよね。母様と父様も居てくれるし、きっと大丈夫だよね。」
一呼吸置いて、私は言葉を続けた。
「ーーハンナも、1人じゃないよ。私も、母様達も、みんなハンナの味方だからね。あとジャンも。」
今まで黙っていたジャンが、「俺はおまけですか」と突っ込みを入れる。
「話したくないなら、何も言わなくていい。私もハンナに言えてないこと、たくさんあるもん。でもね、私はハンナが大好きだよ。ハンナが困ってるなら力になりたい」
「お嬢様……」
ハンナの瞳が揺れる。戸惑うように視線が逸らされるのを見て、私はハンナの袖口を掴んだ。
「ーー私を信じて」
嘘偽りのない気持ちが伝わるようにと、ハンナをまっすぐに見つめる。
ハンナは、躊躇うように口を何度も開いては閉じてを繰り返しながら、やがて覚悟を決めて言葉を返しくれた。
「……もし。もし、私が王宮で悪く言われていたとしても、お嬢様は私を嫌わないでくれますか。そう信じても、良いですか」
ハンナの震える声に、初めて会った時のことを思い出す。
伯爵家に来て直ぐの頃は、人の顔色を窺い、恐る恐るといった風に話すことが多かった。
本来明るい性格のハンナをそんな風にさせたのは、十中八九、ハンナが言葉を濁す『元婚約者』なのだろう。
「当たり前だよ!」
もし遭遇したら、流石にいきなり喧嘩を売ることはしないが、しっかり睨みつけさせてもらおう。
心でそう決めて、準備ができたと呼びに来た両親の元へ駆け寄る。
魔法陣の上に立つと、両親が込めた魔力によって魔法陣が目が眩むほどの眩い輝きを放った。
私は自分が光の粒子となっていくのを感じながら、微かな意識の中で声を拾った。
「ーーありがとうございます、お嬢様。私も、貴女が大好きです」