【幕間】side.ジャンⅠ
俺は、お嬢様が恐ろしかった。
ーーアデル・シュタイナー。
裕福な家に生まれ、何の苦労も知らずに育った、箱入りのお姫様。
俺はそんな彼女の従者兼護衛として、死に損なっていたところを拾われた。
そのことに多少の恩義は感じているが、この暢気な少女に仕えるのはどこか退屈だった。
しかし、そう感じていたある日のこと。
お嬢様は突然、返答に困る問いかけをしてきた。
「ジャンには、将来の夢ってある?」
(『夢』……?)
ーー夢、なんて。
そんな不確かなもの、考えたこともなかった。
目の前の少女は無邪気に笑う。
答えを求められているのは分かるが、返事に窮してしまった。
結局、柄にもなく必死に思考を巡らせた末に思いついたのは、『生きたい』というちっぽけな願いだった。
ーー人生は、生きるか死ぬか。そのどちらかしかない。
俺は、そんな風に育てられたのだから。
ーー俺がかつて所属していたギルドは、貧民街の子供を拾っては、暗殺者としての教育を施していた。
裏社会で名の知れた暗殺者は、大方このギルド出身だと言われている。
貧民街の隅で腐ったパンに齧り付いていたある日。
俺は彼等の目に留まり、良い暮らしができるからと、そのギルドに連れて行かれた。
……今思い返せば、地獄のような日々だった。
そこでは人間の命は羽のように軽く、使い捨ての消耗品だった。
しかし、そのことに一々疑問を覚えていては、あの場所では生きていけない。
心身共に、弱い者から死んでいった。心を殺して、誰よりも多く成果をあげるしか道はなかった。
例え運良く生き延びても、待っているのは明日生きているかさえ定かではない日々。
生きるということが、それだけでどんな宝石よりも価値があった。
ーーこのお嬢様が求めている答えは、恐らく『生きたい』などではない。
そんな当然のこと、思いつきすらしないだろう。
当たり障りのない言葉を吐こうとして、戸惑う。
どんなに考えても、『夢』とやらが思いつかない。
(……俺は、こんなにも空っぽなのか)
心などとっくに捨てたはずが、その事実に胸が痛んだ。
そして、ではこのお姫様の夢は何なのかと知りたくなった。
それこそ、お姫様だとか、そんな可愛らしい夢なのだろう。
そう考えていた矢先、好きな人を婿に貰うなどと言い出して、割と本気で驚いた。そこはせめて花嫁では駄目だったのか。……本当にその夢で良いのか?
ーー全てが馬鹿らしく思えて、鉄仮面が僅かに剥がれる。
夢、か。
そんなものに一瞬でも焦がれたのは、初めてだった。
◇◇◇
突然王国の守護者が現れ、預言の一族だの魔力を封印だの、理解に苦しむ話が始まった。
ーーそして、俺は完全に忘れられている。
……最初は、ジークフリート・シュタイナーに警戒して意図的に気配を殺した。
俺の所属していたギルドは、金さえ貰えばどんな依頼でも引き受ける。
目の前の人物に対しても、幾度も暗殺依頼を受けていた筈だ。……その全ては、失敗に終わっていたが。
取り合えず話が終わるのを待ってみたが、こちらには説明のひとつもない。
先ほどあれだけ俺を惑わせておいて、この仕打ちはあんまりではないか。
怒りのまま追求すると、予想もしなかった発言が飛び出した。
(俺の過去を、知っていた……?)
そして、あろうことか、信頼している、家族だと思っていると言い出した。
ーー家族。
『夢』と同じだ。
俺は、そんなもの知らない。
……お嬢様は残酷だ。
俺が『それ』をどんな気持ちで見ていたか、考えたこともない癖に。
ーー分かっている。このお嬢様に、俺を貶めようという意図はない。
分かっている。
俺と彼女の住んでいる世界が、余りにも違うだけなのだと。
ーーお嬢様。俺は貴女が羨ましいんですよ。
夢や家族を当たり前のように語る姿が眩しくて、妬ましいが憎み切れない。
光り輝く貴女を見ると、俺は自分の存在が恥ずかしくなる。
ーーそんな貴女が。
こんな薄汚い俺でも、家族と言ってくれるなら。
俺は、そう有りたいと願うのだ。




