戦禍への思い
「じつは、佐倉へ行く途中、私は汽車に乗りました」
「うん、それで」
愼治がのぞいた写真に写っていた人物は、いったい誰か。
その答えを谷崎上等兵に伝えているところだった。
「私と相席になった親子がいます。それがこのお二人でした。そうでしたか、上等兵殿の奥方とご子息でありましたか」
それを聞いて、谷崎上等兵はふっと微笑んだ。
「そういうことだったのかい。妻と子は元気にしていたんだね」
「はい。奥方様は富岡の製糸工場へ行くとおっしゃってましたが」
「そうか……」
谷崎上等兵はそれきり無言で、だんまりを決め込んだ。
上等兵といっても下士官だから、給料は一等兵より少し良いだけだ。
だから、妻も働かなくてはいけない。
愼治は、幼子の、僕、兵隊さんになるんだ、といった言葉が耳から離れずにいたので、なおのことつらかった。
あんな小さな子供が、兵隊になることを夢見て育っている。
自分の時には生活するのが精いっぱいで金のことしか頭になったのだが、あの子は違うのかもしれないな、と思った。
愼治はその場から離れて、お茶を汲みに井戸へ歩いた。
これから、世の中はどうなっていくのだろう。この満州とて、同じことだ。
思えば、昭和11年のあの暴動以降、日本帝国は、軍国主義へと加速し続けていた。
首謀者たちは、全員処刑が決まったらしい。
愼治は瞼を押さえ、世を憂いた。
「こんな思いするのは、俺たちだけでたくさんじゃないか。せめて、あの子供たちだけでも、いい世の中に生かしてやりたい」
愼治の切なる願いだった。
いちおう、これで終わらせておきます。
このあと、戦争が悪化していき、支那事変の部隊は殆ど全滅したということですが……。
ちなみに、一等兵の恩給が15円(概ね)上等兵が60円という時代でした。
今でいうと、1~10万前後かと思われます。