世界崩壊の数歩手前
2000年代初頭、人々の暮らしはまさに人間中心だった。
経済のために山に入ることは昔から行われていた。山の幸を求めて。薬草を求めて。木材を求めて。
しかし新たな時代の幕開けは、少し方向性が変わっていた。『良き事』のために、人々は活動するようになった。
『海生哺乳類のために』『地球のために』『環境のために』『女性のために』『恵まれない子供たちのために』『発展途上の国のために』『弱き者のために』。
様々な『良き事』のために活動する事こそが正しくて、それに反対する事は『悪しき事』であると定めた。
矛盾が生じても気にすることは無い。流行り事と同じ様に、話題に上がら無くなれば人々は『良き事』を忘れる。過去の自分の発言と矛盾していようが、気にしない。矛盾した事さえ、いずれ忘れられる。
そういう時代だった。
2000年代が終わり、2100年代に入る頃には人々は形のない疲労感に憑りつかれ。
2100年代が終わる頃には、緩やかな自滅の道を歩んでいた。
2100年代。それは砂漠の時代。識者は絶え、学者は消え、勤勉な者は生き急いで尽きた。
良い人間であろうとした人々は、正しさの定義に従って自分を磨き、磨き、磨き続けた果てに、摩耗して人間性を失っていった。
互いに角の尖った部分でぶつかり合い、傷つけ、傷つけられて。民衆の不和は国を揺るがし、国の傾きは戦争と言う逃げ道だけを残した。
そして2200年代が始まった頃に、良い機会と思った馬鹿が居たのだろうか。第三次世界大戦が始まった。
第三次世界大戦は不明だが、第四次世界大戦は石と棒が用いられると予言した人物がいた。
ある意味で、それは正解だっただろう。第三次世界大戦は足の引っ張り合いと顔色伺いから始まり、子供の嫌がらせ合戦が殴り合いに発展する様に、国家レベルの嫌がらせから戦争へと発展した。
第一次、第二次世界大戦にあった兵器のぶつかり合いではない。『誤射』から始まる事さえなかった。内乱とも言えない国内の乱れが次第に激しくなり、世論はマスメディアに上書きされ、作られた不平等からくる不透明な格差は一般民衆を干上がらせた。
第三次世界大戦の中盤から兵器や重火器を使った戦争が行われるようになったが、その頃には人々は疲れ果てていた。銃弾以上に飛び交う無節操な情報が人々の正気を変形させ、各国に染み渡った外国人が暴動を起こす。
気づけば国力は低下し、治安は維持できず、生産力は右肩下がり。株価は愚か、外貨変動は激しくなり、盗難は増え、人々は自衛する。
だから戦争が始まった。多くの国が腐り始めた自国を盛り上げるために、勝利の旗を求めて戦争を仕掛け始めた。問題は、第二次世界大戦から200年近く経っていたため、ミサイルなどの軍事兵器を保有する国が多かったことだ。
第三次世界大戦は10年ほどで下火になったが、悪化した治安は戻らず。各国の内情は既に不明。情報戦と『悪貨は良貨を駆逐する』に似た情報への信頼喪失により、世界に蔓延する情報は価値を失った。
真実を追い求めた個人や会社が奮闘するが、インターネットは既に崩壊。自宅に居ながらにして世界中と繋がっていた時代は終わり、電線も半数以上が寸断されたまま放置されている。
技術は途絶え、知識は保存場所さえ不明で、人類の英知は継承されずにいずれ消えていく。ラジオで鳴らされる警鐘の声は誰も聞き入れず。町単位の閉じた世界で人生を終える人々が大半となった。
戦争とは敵の機能を低下させつつ、勝利後の事を考え破壊しすぎないのが鉄則だった。誤算は、『良き事』だった。正しさを追い求めた人々が、各個人が思う『良き事』のために、必要以上に破壊を行った。国は管理し切れず、『良き事』の破壊で利益を得るものは破壊を推奨し、別の『良き事』で利益を上げる物はそれを放置した。
だから、第三次世界大戦に勝利者はいなかった。損失が少ない国は幾つもあったが、世界全体からすれば滅亡への数歩であり、戦勝国と呼ばれる国さえもインフラ崩壊を起こしていた。
第四次世界大戦があるならば。
食料を求めて争う、全世界的な滅亡の最期の一歩だろう。
「だからどうしたってわけじゃないけどさ」
山際にある田舎町の一軒家で、万年床に寝そべり読んでいた本を放り捨てる。
時刻は昼の1時。通常であれば畑仕事をしている時間帯だが、今日は気分が乗らないので休みの日にした。100年ほど前は働いて当たり前、ニートは懲役による強制労働の時代だったという。
150年ほど前は、どうだっただろう。歴史の教科書に書いてあったことを鵜吞みにするなら、150年ほど前は人権時代。あらゆる個人が様々な人権を唱え、それに同調する人たちが『良き事』のために他人を否定していたらしい。
最も、2000年代から徐々に情報腐敗時代に入っていたというから、2100年代以降の教科書に信憑性は無いと言える。そう言った意味では世界の歴史は既に滅んだと言える。過去の物品から時代を探る考古学者でもない限り、過去を知る事は出来ない。
「今の世の中で考古学者って、何人ぐらいいるんだろうなぁ」
むしろ、世界の総人口は何人だろう。世界中にばらまかれた流言飛語(悪貨)が情報(良貨)を駆逐した。第三次世界大戦中にある歴史学者がそうコメントしたらしい。情報の成否が不明になった世の中でも、その言葉だけは信じられたのだろう。今でもその言葉は人々に引き継がれている。
がさりと庭の方から音が聞こえた。枕元に置いてある薪割の斧を手にし、庭の方へ歩く。
訪問客は、どうやら狸らしい。自分よりも大きな動物を目にして警戒に足を止める狸を見つつ、慣れた足運びで庭へ跳び込む。狸が逃げ出すが、予定通り。庭と外を繋ぐ獣用の出口は一つだけ。
1歩で庭に降り、2歩目で塀に飛び乗る。塀に空いた穴から抜け出した狸目掛けて、斧を投げる。きれいに1回転した斧が狸の延髄に刺さり、首を切り落とした。
「夕飯ゲット~」
塀から降りると血抜きがてらに尻尾を掴んで持ち上げる。遠心力で血液を飛ばすため、そのまま狸を振り回す。周囲に血が飛び散り、周囲が鉄臭くなる。
1分ほど振り回せば血抜きは十分。庭に戻ると裏口から台所に入り、狸の解体を開始した。
今日の夕食はジャガイモとゴボウとゼンマイの狸汁。畑の大豆で作った味噌を放り込んで味を調えて、川で捕まえた小魚のすり身で風味を出す。まずはゴボウを一口。味が染み込んでいておいしい。狸肉はどうだろう。採れたてだから美味しい。
残った分は明日、山菜と一緒にゴボウにつけて日差し煮すれば良い。
「明日食べるものは何があるかな」
畑の周囲には動物の骨や毛皮を捨ててあるから、まだ荒らされていない。去年は熊が出てきたが、あれはどうしようもない。熊を相手にするくらいなら、畑の一棟ぐらいくれてやる。それが利口だ。
「まぁ俺一人が生きていても、人類は滅ぶだろうけどさ」
子供が生まれないなら種が続かない。それくらいは教科書で習った。しかし、この町で生きている若者は俺一人。他の町から山を越えてやってくる酔狂な女性が居ない限り、この町はあと数十年で全滅する。
ラジオで耳にする、日本全滅のカウントダウンと言うやつだ。産めよ増やせよ地に満ちよ。それが出来たら苦労はしない。こちとら、自分が生きるので精いっぱいだ。
かといって町の中心部では今でも子作りをしているらしい。酔狂な事だ。俺より年上の、中には白髪交じりの男女が、一生懸命子作りに励んでいるらしい。生まれた子供に自分たちの世話をして欲しいからという本音は、聞き飽きた。俺はもう、アイツらの面倒を見るのはこりごりだ。
「明日は何をするかな」
漫然と、暑い夏の夜なのに寒気がする。本能で理解している。人類に先が無い事。俺にも先が無い事。俺の体がろくに動かせなくなったら、それが死期だ。
俺が生まれた頃には人類滅亡が決まっていた。だから俺は好きに生きることにした。
明日は、何を食べようか。
明日は、何をしようか。
形のない不安を抱えながら。明日もきっと一人きりの人生を歩む。
この物語はフィクション。
それはそれとして。
手にした情報が信用できるかどうかは、ご自身でご判断ください(。。