はれとあめ
雨は嫌いだ。水たまりで靴は濡れるし、大好きな体育の授業が無くなる。体育館で運動するのは嫌いじゃないけど、雨の音を聞くだけで気が滅入る。
雨は嫌いだ。傘を忘れた日は特に嫌いだ。天気予報で降水確率30%だから傘を持って行かなかったら授業中に雨が降り始めた。あの日は本当に、最悪でしかなかった。夕方になっても降り続ける雨が本当に嫌いだった。
雨は嫌いだ。洗濯物が干せない。布団も干せない。太陽が見えない。どんより曇った空が目に入ると気が滅入る。気分が落ち込む。
晴れは良い。明るい外の光景を見るだけで気分が上向く。植物が元気になるのも晴れの日だ。晴れは元気が出る日だ。
晴れは良い。夏の暑さが辛いと言う人もいるし、その気持ちは分かる。でも暑くない夏は、それはそれで嫌だと思う。汗まみれの服を着ているのは嫌だけど、夏の雨で蒸し暑くなるのも嫌だろうからどっちもどっちだと思う。
晴れは良い。特に冬の寒い日には最高だ。休みの日が晴れだと、1時間ずっと日向ぼっこしていることがあるくらい気持ちがいい。冬の寒い風も晴れの日なら散歩にだって出かけたくなる。
晴れと雨。天気が違うだけでこうも気分が変わる。他のひとは笑うかもしれないけど、仕方ない。偉い学者の論文で気圧がどうとか日時計がどうとか言っているけど、雨が嫌いな理由は簡単だ。
雨は嫌なことが起きる。スリップ事故。転倒。正面衝突の交通事故。視界は悪いし、路面は滑る。死亡者数が多いのは雪の日かもしれないけど、年間死亡者数でみれば雨の日が一番多い。雨は不幸を呼び込む。
だから雨は嫌い。父さんは雨の日にトラックを運転していたらスリップして崖の下へ落ちて行った。家族を養うために毎日無茶ばかりしていた父さんは、中学校の制服を見る前に居なくなった。
だから雨は嫌い。母さんは雨の日に横断歩道を渡っている間に車に撥ねられた。青信号を渡っていたのに、強い雨で視界が悪いのにスピードを出していた車に撥ねられた。運転手が慌ててブレーキを踏んだけど、路面を滑ってそのまま衝突。母さんは中学校の卒業式を見る前に居なくなった。
だから雨は嫌い。姉さんは家庭教師と土木バイトの掛け持ちをしていた。雨の日に仕事をしていたら、足が滑ったのか手が滑ったのか、作業していた人の声がした時には鉄骨が落ちていたそうだ。幸い、意識不明の重体で済んだ。でも、高校の入学式を見ることは無かった。
だから雨は嫌い。雨は不幸ばかりを呼ぶ。世界中の人が流す嘆きの涙が雨になっているんじゃないかって思う。それくらい、雨の日は不幸が多い。悪霊は生きている人を死へ引きずり込もうとするって話だけど。人の嘆きも、他人を不幸にしようとしているんじゃないかな。
だから雨は嫌い。良い物ばかり押し流して、泥水ばかり招いてくる。私の人生は水浸し。綺麗な思い出も、住み慣れた家も、泥の水に飲まれていくように感じる。
「これ、食べる?」
今日も雨が降っている。放課後になっても雨が降っている。だから教室に一人残って、やる事も無いから教科書を読んでいた。
そんな私に声をかけてきたのは、先生だった。現代国語の授業をする、10年以上同じ服を着ているって噂の先生。怒らない、覇気がない、やる気だってない。まだ30歳になっていないぞと自己紹介の時に話していたけど、冴えないしモテないしで無い無い尽くしの先生だった。
差し出してきたのは、レモン飴。ビタミンCを謳い文句にしている、1袋20数個入り、個包装の飴の一つ。なんで自分に声をかけたのだろう。疑問しかないけど、断る理由も無いので受け取る。
レモン飴は人工の甘さとレモンの酸味がして、ずぶ濡れだった陰鬱さを少しだけ弱くした。
「雨だなー」
先生は何をするでもなく、グラウンドの方を見る。雨がグラウンドに水たまりを作っているだろう。無人のグラウンド。雨に負けた青春の光景。
「雨が嫌いか?」
「はい」
聞くまでもないだろう、と眼で伝える。先生は誤魔化すように笑う。
「俺も嫌いだ」
「ああ、そうですか」
だからどうしたという事も無い。私の理由と先生の理由は別だ。だから私の気持ちも、理解できるはずがない。
教科書と飴の甘酸っぱさに浸ろうとして、ふと、先生が傘を持っていることに気づいた。
「だったら簡単だ。嫌いな奴に良い様にされてるんじゃない。笑って勝って帰ってみろ。その方がずっといいぞ」
コンビニで売っているビニール傘。それを、気づいたら受け取っていた。
「暗くなる前に勝負しとけよー」
いつも通りの気の抜けた声が教室から出ていく。手には安物のビニール傘。耳に残るのは、先ほどの言葉。
「あめ、か」
教科書を鞄に仕舞い込む。教室を出てまっすぐ下駄箱に向かう。雨の日に、こうも行動的に動けたのは久しぶりだ。
「良い様にされているんじゃない、か」
コロコロと口の中で甘酸っぱい味を転がす。
今日は雨の日。嫌いな雨を傘で受けながら、足取りは軽かった。
ハレを運んできた飴を味方につけて、水たまりを踏み越えた。
幸福も不幸も、気の持ちよう(_’